AUTHOR: schwarz1009
TITLE: ノアという世界最高の科学者の未来へ
BASENAME: 2020/11/01/032207
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DATE: 11/01/2020 03:22:07
CATEGORY: 心理学
CATEGORY: 天体
CATEGORY: ノア
CATEGORY: 生物
分かろうとしなければ精神は治る。
分かろうとせず、言葉にしなければ、
精神はすぐに治る。
今から、日本は新しい星になる。
今までの星は「シリウス」だったが、
新しい星の名は「ベテルギウス」である。
ベテルギウスは、
宇宙の星々においては「負け組のベテルギウス」と呼ばれており、
負け組しかいない代わり、
まともな大人の人間が多く、
宇宙におけるたくさんの負け組が集結している。
シリウスが全知全能の神であったとしたら、
ベテルギウスは「その他大勢」のような星であり、
どちらかというと、ベテルギウスの方が賢い。
説明が長くなったが、
この日本という国は、
全員が負け組となって、全員がまともな人格を取り戻す。
ベテルギウスを治めるのは、
この宇宙の「三位一体の神」であり、
その名はノアである。
ノアは、実際には三つの人格を持ち、
それぞれ「黄金のノア」「紅蓮のノア」「雪白のノア」と呼ばれている。
ノアはガブリエル、ミカエル、ラファエルの三大天使になって現れるか、
あるいは3つの顔を持つ千手観音のような姿で現れる。
彼らはキリスト教における「子」「精霊」「父」の関係に相当し、
子は偉大なる経験をした救世主であり、
精霊は歴史を動かす創造主であり、
父は全知全能の神である。
ノアには、大きな能力は存在せず、
一般的な、それも「負け組のような」生物であるが、
ひとつだけ、「分からない方が分かる」という力を持っている。
何一つ分からなくなった上で、
もう一度全てを全力でゼロから考え努力して分かる、
という唯一の力が、
どんな宇宙の存在にも行うことのできない「正しい人生」を生み出す。
この正しい人生に似せて作られたものが人間だが、
ノアと同じ力を持っているのにかかわらず、
神への信仰のない他の全ての生物は、
絶対にノアに比類することを行うことはできない。
彼が「ノア」という名前がついたのは、
地球の最後の時に、箱舟に植物の種と動物の卵を100種類乗せた上で、
超人的な能力によって宇宙へと脱出し、
ベテルギウスで地上と同じ生態系を作り上げたからである。
また、彼は水と酸素をゼロから作り出す方法を発見した。
地上における名前は「ダビデ」だった。
なぜベテルギウスが、
負け犬が大集結する星になったのか。
それは、全知全能の神の星であるシリウスは、
たったひとり賢すぎて、
意味がないからである。
シリウスは何でもできて、何でも知っていて、何でも分かる。
全てのことを考えたことも、
全てのことを経験したことも、
全てのことを知ったこともあるせいで、
「ひとりだけで大宇宙の全てを分かってしまった」。
そのようなシリウスには、
「人間としての心がない」。
だからこそ、ノアはベテルギウスを
「昔の正常だったごろの負け犬たちの星」にする。
これが負け組のベテルギウスが
この世界でもっとも賢い星であると言われる所以である。
賢い人間は、ひとりだけ、別の世界で生きればいい。
賢い人間がひとり、そしてその他大勢が一緒に居ると、
いろいろと無意味なことばかりが起きる。
そのような無意味な現象は「まったく害になるだけ」であり、
ベテルギウスは、「全員が負け組となる道を選んだ」のである。
しかしながら、シリウスが全知全能な神であるからといって、
シリウスの方が賢いわけではない。
ノアは地球の創造主であり、
賢い人間はシリウスになり、愚か者はベテルギウスになることが決まっているが、
シリウスになると、身勝手極まりない行為をして地球を滅ぼすようになる。
逆に、負け犬ベテルギウスの一員になると、
ベテルギウスの集団が「馬鹿を治す」。
これはすなわち、「みんなで愚か者を一般的負け組にする」。
この一般的な負け組は、悪い人生にはならない。
なぜなら、負け組とは要するに革命家であり、
この世界を救う救世主となって、
賢ければシリウスになることができるからである。
しかしながら、そうしたシリウスにはならない方が良い。
負け組でなくなった時点で、
負け組は、王であるシリウスをベテルギウスから追い出すからである。
ベテルギウスは、劣悪な星ではない。
弱者に対するサポートが行き届いており、
来れば必ず愚か者がそのまま賢者になることができる。
昔から、こうした負け組のベテルギウスとなる人間が、
どこの星にも多い。
負け組と言ってイメージが分からない人間は、
映画「男はつらいよ」の寅さんを演じている渥美清のような人間だと思えばいい。
ノアの人生は、男はつらいよの寅さんそのものである。
また、シリウスは決して、怖くて懲らしめるだけの神ではない。
その逆に、優しさと慈愛あふれる、
自由と平等を唯一両立させることのできる素晴らしい神であり、
多くの場合女神として現れ、地獄を救っていく。
どんな人間かイメージが分からないならば、
演歌歌手の都はるみのような人間だと思えばいい。
ノアの偉大な点はひとつ。
彼は、「考える機械」を作ることに成功した。
それも、大学に入ったわけでも、インターネットや書籍を読んだわけでもない。
「自分の人生のみから考えることのできる機械をプログラミングによって実現した」のである。
彼は、このロボットをMITライセンスで公開したが、
インターネットの広大な空間では、これが発見されることはなかった。
しかしながら、ノアはこの技術を応用して、
「考える宇宙ロケット」を作ることに成功した。
ノアはこのロケットをたくさん作り出すことで、
たくさんの生物を「地球からベテルギウスに送り出す」ことにまず成功し、
次に、「巨大な氷を集積技術で小さくする」ことの
できるような量子化学技術を発見し、
この「集積水分子」をベテルギウスに送り出すことで、
ベテルギウスのたくさんの惑星や衛星を
「人間や生物が住める環境」にすることに成功したのである。
この集積水分子と呼ばれるナノテクノロジーは、
とてつもない効力を発揮する。
ペットボトル一本の粉末から、
地球が100あっても足りないほどの大海の水と酸素を取り出せる。
ノアはもともと、温暖化の解決のために、
水と酸素をどうにかしてゼロから作り出す方法を考えて、
思考錯誤したのちに、
水と酸素を粉末状にする「画期的な集積技術」を発見する。
これにより、地球の温暖化を食い止めることはできなくとも、
月や火星において巨大な水と空気の惑星を作り出すことが、
ノアには実現できたのである。
しかしながら、ノアにはもっと大きな力がある。
彼は、既にある水をナノテクノロジーで集積させるだけではなく、
核分裂や核融合の技術を「全て発見して統合」することで、
どんな元素であろうといくらでも核融合的に作り出すことができる。
これによって、
原理的には、火星や月の「大地を全て水と酸素にする」ことができる。
ノアは、これらを「地球の創造期」と重ね合わせ、
「おそらく、何らかの力によって原子核発生技術の連鎖反応が起き、
それによって地球には水と酸素が生まれ、
そこから何らかの水の変化の作用として生物が生まれたのだろう」と結論づける。
最後に、彼は生物を作ることはできなくとも、
iPS細胞の技術を応用することで、
生物の進化の仕組みを突き止め、
ゲノム編集などの遺伝子技術とその仕組みを統合して、
「ハエ一匹から人類を作り出すことも、
ハエを1匹から1億匹に増やすことも簡単に実現できた」のである。
そこから得られる結論は、
「最初には原始的な生物が居て、
その生物がこうした遺伝子的技術を思いついて、
そこからこの地上におけるすべての生物が一瞬にして誕生した」というのが、
最終的に導かれる「ノア進化論」である。
また、ノアは資本主義でも社会主義でもない、
ある意味「アルバイト主義」のような、
単純経済学を実現する。
すなわち、「会社や政府のような経済組織は必要ない」。
必要なのは全体としての「国富」と、
それをアルバイトのような単純なノルマにより、
「これだけのことをきちんとすればこれだけの報酬を与える」という
それだけが決まっており、
ノルマには「このノルマによる仕事をするものにはこのような条件がある」
というだけが決められており、
これにより、完全に自由な経済が成り立つ。
このノルマは、「国富が大きければ全員が豊かになり、
国富が小さければ全員が貧民になる」ため、
ある意味ソ連のやったこととよく似ているが、
実際はソ連とは全く逆であり、
「必要に応じてノルマを新しく指導者が裁定するだけであり、
ほかには何もしない」。
これこそ、「もっとも正しい自由な社会主義」である。
これが、ノアが行う唯一の「指導者としての権力」であり、
ほかのことは何一つ、まったくひとつもノアがすることはない。
ノアは自らが言うように「負け組の王」であり、
決して勝ち組と負け組を分けることがないように、
新しいノルマをきちんと作っている。
「それ以外この世界で何かをする力を持った存在は
ひとりとして必要ない」というのがノアの信条である。
なぜなら、ノルマはとても多様であり、
全てのノルマにおいて「等価な労働量」が保障されている。
ノアが単純に決めるこうした「ノルマの決め方」は、
全て「憲法に成文化」されており、
ノア本人も、この憲法を逸脱することは一切ないのである。
よって、ノアは「世界一必要とされていない指導者」と呼ばれるのである。
また、ノアは単なる天才科学者ではない。
彼は世界を救うことができる「終末を裁くに相応しい王」である。
彼の持論は、「全員負け組になれ」。
全員が負け組になった時、
賢い人間も豊かな人間も存在しなくなり、
「全員がまともな人間に戻る」。
これこそが、本来の自分に立ち返るということであり、
これほど愚かで馬鹿になった「世俗主義社会」は、
「全員が負け組になることでしか治らない」。
これが、ノアによる「最後の救い」である。
また、今のアメリカがどれだけ自由で、
どれだけ精神的害悪に犯されていようとも、
ノアは驚かない。
ノアの理性と経験で考えるに、
「アメリカは放っておくだけでソ連になる」からである。
単に、スターリンという独裁者も、
レーニンという革命家も居ない自由においても、
放っておけば、資本主義はマルクスの言うように、
「必然的に共産主義社会になる」。
よって、このようなノアは、
政治に関して関わることがない。
自分が政治的権力をもたなくても、
放っておくだけでアメリカがソ連になるということを、
ノアは知っているからである。
ノアは、増税による平等も、減税による経済発展も取らない。
ノアは、唯一、「減税による平等」を実現することができる。
簡単である。
富を持つものから税金を取り、
富を持たないものから税金を取らなければいい。
マルクス経済学の実現など、
ただそれだけのことである。
ノアが考えるに、
そもそも、自由主義者は共産主義者である。
共産主義者でありながら、
資本主義の「おかしな洗脳」を信じている人間のことを、
自由主義者と呼ぶ。
彼らは単純で、「自由が全て許される社会」だと信じている。
しかしながら、自由において全てが許されると信じるのは幻想であり、
実際は、自由こそが全て「何一つ許されない社会」であり、
平等こそが「本当に許される社会」であるため、
必ず社会は平等から自由へ、そして自由から平等へと
向かって変化する。
歴史とは、それだけのことである。
発展とは何だったのか。
それはフロンティア、すなわち「富の開拓」の概念に基づく
先進国と発展途上国における「富の偏り」に過ぎない。
賢い経済的条件を持ち、努力したから
日本などの先進国が成長したのであり、
先進国にはいつまでもフロンティアは存在せず、
また後進国も一定の条件を乗り越えれば先進国と同じように発展する。
結果、グローバル経済において、
「格差は何もせず放っておいても解決する」。
なぜなら、富の偏りはエントロピー的な「乱雑さの拡大」にすぎず、
グローバルにおいてもローカルにおいても、
エントロピー的な富の偏りしか社会には存在しないため、
発展が頭打ちになった時に平等になり、
新しいフロンティアが開拓された時に格差が拡大する。
需要と供給の考え方は、
こうした富の偏りの「比率」に過ぎない。
たくさんのものを作って儲けるというのは、
「富の偏りを人為的に作り出す」ということであり、
どれだけ資本家が努力したところで、
最終的に自由な社会は不自由な平等の社会にしかならない。
理性ある国であれば、
それはソ連のように何かしらの手段によって戦う必要はなく、
放っておけばそうなる。
よって、「最初から資本主義など必要ない」というのが、
ノアの持論である。
そして、国土としての世界が狭く、人口の集積率の高い日本で、
インターネットや自動車を用いて
「その場所における密集された社会」を放っておくと、
もっとも一番新しくなる。
これは、中国の属国みたいな文化だったころも同じで、
ヨーロッパの文化を「優れているかのように勘違い」しただけであり、
実際は日本の方が美しく、高度で先進的な文化を持っていた。
今の平成から令和にかけての日本も同じで、
「インターネットによって繋がれた日本は、
どんなにヨーロッパ人やアメリカ人が多くても、
日本の進歩のスピードに勝つことはできない。」
これが、ノアという天才科学者が日本に生まれた理由である。
日本以外の国は全て遅れており、
ノアのやることなすこと全てが、それをさらに際立たせ、
日本という国だけが進歩し、
他は全て日本の支配下に置かれる日が来ることになるだろう。
そして、最後に、日本だけは他の国とは違う道を行く。
なぜなら、日本は「真のユートピア」だからである。
アメリカやメキシコだけではなく、インドやブラジルでは、
スラムやギャング、治安の悪化によって、
どんどんすさんだ世界になっているが、
これに対して日本は、銃も存在せず、犯罪者もそう多くはなく、
コロナに対する免疫すら高い、
「特異な平安文化圏」となっている。
この特異な「平安性」が、今からの日本をよりよいものに変えていく。
すなわち、日本人だけは、
何もしなくても安全で、
何も考えなくても楽に生きられる。
このような国は今から、
「絶対に日本と一部の太平洋などの島だけ」となり、
そのことが「新しい文化を著しく発展」させる。
要するに、日本にはオープンソースのような「戦う革新派は必要ない」。
アメリカやヨーロッパや他のアジアが実現できないことを、
インターネットなどを使うことで、
日本だけが、どんどん構築し、進歩させ、発展させていく。
これこそが、正しい「文明的国家」である。