AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 人々と同じレールから外れよう
BASENAME: 2020/10/18/193107
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DATE: 10/18/2020 19:31:07
CATEGORY: 新しい自由
CATEGORY: GUI・X
CATEGORY: コンピュータ
人々と同じように生きるのをやめよう。
同じレールから外れよう。
まったく同じ人間になって、
受け入れられないことを受け入れ続ける必要はない。
わたしたちは自由だ。
IT技術なんか、必要ない。
IT技術によって可能となるのは、
どうでもいい技術的な修練と、
掲示板のようなコミュニケーションサービスだけである。
Googleや5ちゃんねるに使われるだけの
無駄な技術革新は必要ない。
ここから、
「IT技術との決別」が近いうちに必ず起きるだろう。
ここから、僕は新しい技術が生まれると思う。
それは、「簡単なことを難しくする必要のない技術」である。
WindowsのGUI開発や、
PHPやSQLを用いたWebフロントエンド・バックエンド開発は、
全て、「簡単なことを難しく実現する」技術であり、
僕はこれから先、IT技術が進歩することによって、
「簡単なことが本当に簡単に実現できる」ようになると思う。
その時、もはや、IT技術を学ぶ必要などない。
ボールペンを作るのと同じぐらい、
簡単にMS-Officeを開発できるようになる。
Ruby on Railsは、その可能性の一端を示したのである。
僕は、GUI技術の標準化が必要だと思う。
たとえば、UNIXはPOSIXという標準があるし、
WebにはHTML/CSS/JavaScriptという標準があるのだが、
WindowsやX11を中心とするGUI技術には標準が存在しない。
これが、IT業界の不幸を生んでいる。
プラットフォームごとに使われているGUI技術が違い、
標準的APIを用いてGUIアプリケーションを開発できない。
僕は、GUI技術にこそ、標準化が必要だと思う。
Windowsについて言えば、
Windowsは偉大なのか、それとも悪魔なのかという問題である。
Windowsは世界の全てを変えたOSだが、
同時に、世界の全てを滅ぼす元凶となっている。
しかしながら、Linuxが優れているわけではない。
だが、Linuxはむしろ、まったく可哀想である。
なんにも悪くないのに、
Linuxユーザーが一番悪く見える。
必要なのは、デスクトップコンピュータを超える発想である。
デスクトップコンピュータやモバイルコンピュータで、
インターネットを使う、というモデルは、
そんなに悪いものじゃない。
この世界において、
確かな「全く違うバーチャル世界」をもたらしたが、
しかしながら、それはそんなにいいものじゃない。
なぜなら、LinuxとWebブラウザを使っても、
ホームページと動的言語とデータベースを組み合わせた、
2ちゃんねるのような掲示板ライクなコミュニケーションサービスしか、
開発できないからである。
これを変えるには、
「デスクトップコンピュータ」を発展させるしかない。
全く違う新しいコンピュータこそ、IT業界に必要とされている。
それはモバイル端末で動画を共有するだけではない。
動画サイトは、単にインターネットによる動画共有サイトであり、
それ以上でもそれ以下でもない。
また、僕は人工知能は民主主義への挑戦だと思う。
それは、政府や大企業が、
「膨大な個人データを自動的に解析してサービスを提供する」
という考え方であり、
事業の分析や顧客の獲得、そして監視や検閲に使われるからである。
これらは民主主義に対する挑戦であり、
中国やアメリカが人工知能を使うなら、
日本は「人工知能に対抗できる個人を特定できない技術」を
開発しなければならない。
日本の技術について言うと、
日本は、国という単位で勝利したいのが遅れている。
今からの個人の自由におけるインターネット時代においては、
勝つべきは「個人」であり、「国」ではない。
個人が偉大な人間となって世界全てに勝つべきであり、
日本という国の単位で勝ちたいのは、まったく遅れている。
しかしながら、インターネットはそもそもが「つながる」技術であり、
インターネットという仮想空間で、
みんなで社会を築くということであり、
ここにおいて得意とするのは日本である。
見ていると、YouTubeのアメリカの洋楽や韓国のK-POPを聴いていると、
彼らは最悪に悪い。
堕落して、悪魔のような音楽を作っている。
しかしながら、日本のJ-POPや日本人YouTuberを聴いていると、
彼らはとても「のほほん」としており、
正常な社会を築いている。
このような発想が得意なのが、逆に日本人である。
ある意味、欧米人や韓国人は、
ネットを「自由な新しい文化の流行の発信源」だと思っている。
それに対して日本は、
ネットを「テレビと同じ」「オタク文化の延長線上」だと
思っているのである。
これはテレビや新聞についても同じで、
欧米人や韓国人は
マスメディアを「政治的敵に対して自らの意見を主張する」という
そうしたものだと考えているが、
日本人はマスメディアを、
「のほほんと家族的連帯を保つための娯楽」だと思っている。
だから、エンターテインメントに対する考え方も異なる。
アメリカ人などは、「本当に偉大な作品を作る」とか、
「新しい誰も考えなかった楽しみを生み出す」などと考えるが、
日本人は単に「今日の面白い番組をいつも通り楽しむ」だけであり、
「一般的に面白いとされるアイデアから同じ作品を作り出す」だけである。
こうした考え方の違いが、
洋楽やK-POPとJ-POPの違いに現れているのである。
日本人がコロナの感染数が少ないという「ファクターX」が何であるか、
日本人にとっても分からないが、
日本人は、言ってしまえば「ひきこもり環境に適応しやすい」というのは
あるかもしれない。
日本人は技術力があるからテレワークができるというだけでなく、
コロナ禍の「ひきこもり生活」においても、
日本人はストレスが少なく、そのまま受け入れられるのである。
これは、パソコンが普及しているからというのもあるだろう。
日本人は、ネット社会で正常なコミュニケーションを獲得しており、
コロナになった上でそれでも外出したい人間が少ないのである。
また、僕は日本のネットは他の国とは違うネットになると思う。
むしろ、日本のネット社会は既に完成しており、
「いつも通り同じネットを楽しむだけ」になっている。
アメリカ人のような「今までにない新しい楽しみを作る」ということを、
日本人はそんなに重要視しない。
むしろ、日本人は保守的であるため、
「今までの楽しみを継続する」ことの方に力を置くからである。
そして、欧米人のように「まったく新しいサービス」を作るのではなく、
僕は日本人は「今までのサービスの組み合わせやいいとこどり」をしていくと思う。
たとえば、米津玄師について、
全ての楽曲やツイート、そして写真やWikiの解説など、
米津だけのコンビニのようなポータルサイトが誕生すれば、
米津のファンはそこだけを見ればいいわけであり、
便利である。
米津のファンサイトにも簡単にリンクに飛べるようにして、
全てのネット上の米津へのコメントを集約する。
実際、どのような新しいサービスが生まれるか分からないが、
日本人は「全く新しいものを作るのは苦手」だが、
「再編成、再構築、再デザインで良いものを作り出す」のは得意なのである。