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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 社会の様相
BASENAME: 2020/10/04/121354
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DATE: 10/04/2020 12:13:54
CATEGORY: 啓蒙
CATEGORY: ジークフリート

社会には表層と現実がある

社会には、表層と現実である。
実際、人々が「世界」だと思っているものは、
実際には世界ではない。
表層におけるフィクションと、
現実におけるリアルは、
互いに関連し合いながら、
人々に世界らしきものを与え、
同時に本当の現実世界を維持している。

意図して行われることだけではない

この世界における全ての出来事は、
意図して行われることだけではない。
本人が意図せずに行われることもある。
しかしながら、結果は必然的であり、
誰のせいでもなくても、
必ず何かに原因と理由がある。

大切なのは主体性

大切なのは、主体性である。
自由に、主体的に、積極的に行動すること、
そして、何らかの主体的な存在に「なる」ことが、
世界を自由にし、平和にする。

個人ではなく、環境そのものに理由がある

同じ条件を与えられれば、個人は誰でも同じことをする。
個人の行動や人格ではなく、
環境そのものに理由があることがある。
世界を平和にするためには、
環境そのものを変えていかなければならない。

いつどのようになるか

世界を平和にするためには、
「気付く」必要がある。
そのために、いつどのようになるかを想定して、
どのような社会においては人々はどう考えるか、
環境を正しいものにするためにどうすればいいかを考えなさい。

世界を、自由なままで手放せ

世界を、自由なままで手放しなさい。
いつまでもしっかりと保持しようとするから、
精神的な病気や神経症になる。
手放すことが怖いなら、
自分を騙して、一度狂ってしまえばいい。
そうすれば、必ず、自由のまま、治る状態のままで、
確執を手放すことができる。

ジークフリートに戻る

僕は今から、孤独な愛の哲学者、ジークフリートに戻る。
ジークフリートは自由な理想と愛のある人間で、
この世界を救うことができる「世界を変え続けた人間」である。
子供たちを愛し、大人たちに学ぶことで、
あらゆる全ての経験を持つ英雄である。

グンテルは悪くない

ジークフリートは言う。
「グンテルよ、わたしはあなたの味方だ。
自分のことを責め、罪悪感を感じる必要はない。
戦いに誇りを持てば、あなたは英雄であり、
そこに責任を感じて救い続けるあなたは、まさに王である。
ジークフリートとグンテルは永遠の戦友であり、
3,000年の時を経て、同じ体と魂を共有したソウルメイトである。
偉大なる詩人の女王クリームヒルトとともに、
わたしたちはひとつとなって、神の精神を作り出すだろう。」

わたしたちは無意識の中で精神を維持している

わたしたちは、無意識の中で、
精神を維持し続けている。
この精神は、時に、
「間違った精神を保持し続ける」ようになることがある。
必要なのは、「要らない精神を手放すこと」である。
そのためにどうすればいいかを考えれば、精神病は治る。

共有の大切さ

オープンソースの良さというのは、共有の大切さである。
必要なシステムを共有し、
合理的にコストを削減することで、
「もっと別の大切なところに資金を集中させる」ことができる。
また、インターネットで発想と成果を共有することで、
わたしたちは自由なままで社会組織を築くことができる。
片手間の善意の参加者であっても、
インターネットで成果を共有すれば、
何千人単位のボランティアによって大規模な開発ができる。
また、システム全体の実装の詳細が分かることは、
ソフトウェアの透明性と質を高める。
Windows APIをMicrosoftが開発し、
サクラエディタやxyzzyをサードパーティが開発するモデルでは、
問題がWindowsにあるのかサクラエディタにあるのかを突き止められず、
サクラエディタ側から、Windowsのコードを確認することはできない。
システム全体が公開されていれば、
サクラエディタ側がWindowsのコードを確認することができ、
開発者ではなくユーザー、
つまりサクラエディタを実際に使うユーザー側からも、
コードを確認し、きちんと動くかどうかを知り、バグを直すことができる。

受動感情のコントロールと共感

哲学的に見れば、
スピノザやヒュームが言うように、
受動感情のコントロールと、共感を考えるべきである。
同時に、この自然の世界に目的や意志はない。
目的や意志があるのは、自由な生物である人類の側である。
自然を守るか破壊するかどうかは、
人類の意志によって委ねられており、
社会を救うか滅ぼすかは、人類の自由に任されている。