AUTHOR: schwarz1009
TITLE: VagrantでUbuntu 20.04を導入する手順
BASENAME: 2020/09/30/172459
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
CONVERT BREAKS: 0
DATE: 09/30/2020 17:24:59
CATEGORY: Linux
CATEGORY: 仮想化
CATEGORY: 自由
VirtualBoxとVagrantを使って、
作業所のMacと自宅のWindows 10に
Ubuntu 20.04を導入した。
やったことは、
まず、Macでは、
VirtualBoxの公式サイトからVirtualBoxをインストールし、
Vagrantの公式サイトからVagrantをインストールする。
次に、デスクトップに
vagrant_projectsディレクトリと
その中のubuntu2004ディレクトリを作成。
そして、
cd vagrant_projects/ubuntu2004
のようにしてvagrant_projects/ubuntu2004ディレクトリに移動し、
vagrant init bento/ubuntu-20.04
を実行。
bento/ubuntu-20.04以外のイメージを使いたい場合は
Discover Vagrant Boxesを参照のこと。
vagrant_projects/ubuntu2004にVagrantfileができるので、
config.vm.network "private_network", ip: "192.168.33.10"
を設定(#を消す)。
これで、自分のネットワークを使って
Ubuntu上でもネットワークに接続できるようになる。
そして
vagrant up
を実行。Ubuntuイメージのダウンロードが始まる。
しばらく待っていると完了する。
この状態でターミナルが入力待ちに戻ると、
仮想環境でUbuntuが起動しているので、
Macならば
ssh -p 2222 vagrant@localhost
を実行してUbuntuのターミナルに接続する。
最初のログインメッセージでは「Yes」を入力し、
パスワードは「vagrant」を入力する。
このコマンドは
vagrant ssh
でもよい(僕はWindowsで実行する時にこちらのコマンドを使った)。
ログインできて感動したら、
lsやpingなどを試してLinuxシステムが動くことを確認した後に、
sudo apt update sudo apt upgrade
でパッケージを最新版にする。
SSHからログアウトするには
exit
を実行する。
また、仮想環境のUbuntuを終了させるには
vagrant halt
とする。
次回の起動時は
vagrant up
とする。
仮想環境が何らかの理由で削除したくなった時は
vagrant destroy vagrant box remove bento/ubuntu-20.04
とする。
Windowsも同様の手順で行うが、
PowerShellで行うことがポイント。
また、Windowsでは最初の起動の時に
vagrant up --provider=virtualbox
というようにプロバイダを設定しないとエラーがでる。
Ubuntuを仮想環境に導入したので、
後はApacheやPHPやMySQL(あるいはMariaDB)を導入すれば、
サーバ構築の練習になる。
僕はWordPressやRuby on Railsを導入してみたいと思っている。
仮想サーバは必要無くなればいつでも簡単に削除できるので、
実マシン上に導入するのとは違って、
手軽にシステムが壊れるようなことを試すことができる。
パッケージをaptで導入して、遊びと練習に使いたい。
実際のところ、昔の僕を突き動かしていたのは、
「平等への反発」である。
すなわち、「みんな仲良く平等に」ということが、
昔の僕にはできなかった。
みんなが「自由に生きることができる」、
すなわち自由な権利と人生が認められる社会が好きだった。
だが、個性が必ずしも好きだったわけでもない。
個性を尊重することより、
自らの持っている潜在的な可能性を最大限に高める、
ということが好きだった。
社会に反抗するだけではなく、
「自由を許す」ことで社会そのもののコントロールを取り戻す、
そして子供たちに対して「正しい経験と考え方を教えていく」、
それが僕の信念だった。
社会は自由であるべきだと、昔の僕は考えていた。
それは、単に自分勝手で争い合うだけではなく、
さまざまな経験をすることで、
「普通の人間には分からないことも分かる」という
そうした「自らの経験の先にある何か」を、
僕は信じていた。
経験からアイデンティティを発見し、
自由な社会の自然な発生の可能性を知り、
そのような社会がそこで成り立つということを知ることが、
さらに僕を悟りと啓発の道へと突き進め、
この世界を自由な世界にすれば、
必ず正しい世界になると僕は「自由を信じていた」のである。
自由とは何であるか、と僕が考えるのは、
システムを提供し、共有することであり、
同時に、システムをそのシステムに関わる人々の手によって
「コントロールを得られる」ということである。
僕は、学校の子供たちを念頭に、
ただひたすらロボットになって教育を強制的に受けさせられるのではなく、
自らの手で教育システムに参加し、
自らが「システムを変えられる自由」を許されるということが、
この世界を救っていくと考えていた。
そして、そのために「経験」があり、
経験から悟りえたアイデンティティの実現のために
自由な社会があり、
ひとつひとつの条件を慎重に築いていけば、
それだけで素晴らしい社会を、
たとえたったひとりでもきちんと行動すれば実現できると考えていた。
それは、インターネットのようなダイレクトな対話の場所でも変わらず、
みんなにきちんとした意見を訴えかけることで、
この世界を変えられると考えていた。
それこそが「チャンス」であり、
僕の確信する「機会の平等」であると僕は信じていた。
そして、僕は単に自由が好きなだけではなく、
正しく考えることで、
「自由でも問題は解決できる」と考えていた。
つまり、ひとつひとつの問題を、
適切に判断し、経験的な「悟り」から解決していけば、
全ての問題は解決し、「全ては可能となる」と考えていた。
この世界に可能でないことは何もなく、
きちんと考えて、ひとつひとつの疑念や課題を解決していけば、
必ず全ての問題は解決でき、
理解できないことはなく、
それぞれが理解し合うことで、
全員は正しい許しの愛のもとに、
分かり合える、許し合える、認め合えると考えていた。
それはまさに「自由の結果」であると僕は考えていた。
僕は、心理学を上手く使うことで、
世界を変えられ、この世界の問題を解決へと導けると考えていた。
ある意味で「心理学的効能主義」とでも言えるその考え方は、
「人々は間違った洗脳によって抵抗感や不安感を抱いている」ということであり、
人々の目線に立って、
ひとつひとつの不安や疑念を払拭していけば、
必ず「そのことについての本来の有用性や効能」が見えてくる。
その有用性や効能をきちんとした説明で人々に訴えかければ、
心理学的に人々は「社会が自然に形成されるように導ける」と考えていた。
政治家の答弁やマスコミの報道だけではなく、
たとえば子供たちの学校環境や大人と子供の議論の場においても、
このような「心理学的な環境の形成」はたくさんあるものだと考えていた。
そして、そこから「社会形成の発達心理学」を考える。
すなわち、「自由な行動をしていけば必然的に共同体的な感覚が身に着く」という、
アドラー心理学のような「成長」が、
自らを「世界への自意識形成的な出立」へと導いていくと考えていた。
そして、僕はこの世界における「第一要因」、
すなわちこの世界を作り、変え、維持し、破壊するような要因は、
人々のそれぞれの「意識」であると考えていた。
人々がどのような意識を持つか、ということが、
この世界がどのような世界になるか、ということを決定する。
僕は、そうした意味で、
ソビエトやドイツのプロパガンダ政策は
「もっと正しいものであるべきだ」と考えていた。
それはすなわち、報道や情報は民主主義的な「善良意志」によって
行われる必要がある。
なぜなら、報道や情報はこの世界を「実質的に支配」しており、
この「絶大な力を民衆がコントロールできなくなれば、
民主主義は絶対に滅びるだろう」と考えていたからである。
また、社会を中央集権的にひとつの機関が支配することは
良くないことだと考えていた。
社会は、「それぞれの社会における人々のためにある」ため、
「自由において、自然に発生するものでなければならない」。
このため、僕は「影響力」を信じていた。
それぞれが「自然な作用による影響力を与え合う」ことで、
この世界は「正しい自然状態」へと導いていける。
しかしながら、必ずしも、これは正しくない。
なぜなら、これは「力のあるものの勝利」であり、
「原始共産主義世界のような正しい社会はどうやっても復活しない」、
ということが、歴史において明らかだからである。
僕が思うに、
環境を作り出すことが、世界に対する手助けとなる。
正しい環境でも、間違った環境でも、
その環境を「ひとつの提案」として「了承」することが、
結果的に環境を「生起」させ、
その了承と生起が「正しい助け合うシステム」を作り出す。
まさに、「人々の自由を制限しなくても、
正しい社会秩序を築くことはできる」と僕は信じていた。
その仮説に基づいて、
経験し、思考し、世界を知り、この世界全てを考えてきた。
昔の僕は、そのように、
まるでハイデガーとフッサールを足して二で割ったような、
そんな考え方の独自の社会論を築いていた。
僕は、自由な経験は人々を成熟させると考えていた。
色んな間違いを経験すれば、
正しい方法でこの世界を築くために必要なことを、
経験から知っていくことができる。
そして、僕は
成熟は「自分から社会を守ろうとする意識を生む」と考えていた。
自由に経験し、成熟すれば、
この世界を自ら守り、秩序を維持する方向へ、
人々は動くはずである。
そのため、自由にすることが、
結果的には「自分から社会を守る意識」へと繋がり、
自由な自分勝手とは裏腹に、
自由にすればこの世界は必ず平穏になると考えていた。
また、昔の僕は、
一度学習し、経験を知ってしまえば、何でも分かると考えていた。
そのため、「どんな経験も自分にとって無駄にはならない」と考え、
この世界における「体験」ということの価値を、
「決して自分のためにならない体験はない」という考え方のもとに、
自由にすれば「必ず人を傷つける必要は無くなる」という風に考えていた。
なぜなら、「人を傷つけることなしにも、この世界は変えられる」からであり、
そしてそれこそが「自由を許すこと」だからである。
自由を許すことで、人は他人を傷つけなくても、この世界を変えられる。
そして、他人を攻撃する主な理由は、
「自由が無いから」である。
あるいは、自由があるにもかかわらず、
「自由を正しく使うことで問題が解決できることを知らない」のである。
自由を許し、人々に正しい考え方を啓発することで、
この世界の攻撃の全ては無くなる。
同時に、その正しい考え方は、「他人から教わっても分からない」。
自らがその正しい考え方に気付くように、「経験」を与えなければならない。
しかしながら、現代の子供たちは、
そうした「経験そのものをする場所を奪われている」。
攻撃をしあったり、議論をしたりする「場が存在しない」のである。
よって、僕はインターネットをそこまで大きく否定しない。
現状、インターネットはそうした「自由の場」として機能しており、
子供たちは「経験をするための根源的な場」をインターネットにおいて得ている。
この「経験そのもののための根源的な場」があることこそ、
この世界を復活させ、蘇生させる「復活魔法」であると僕は考えていた。
子供たちが攻撃するのは自由がないからであり、
自由を与えた上で経験をさせるべきであり、
奪われた経験のための土壌となる場所を子供たちに与えるべきであり、
それによって全ての問題は解決し、
自由においても社会の秩序は維持され、
人々は自ら社会を守るようになり、
この世界からいじめやすれ違いはなくなるのである。