AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 写真補正が分かってきた
BASENAME: 2020/09/25/154757
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
CONVERT BREAKS: 0
DATE: 09/25/2020 15:47:57
CATEGORY: デザイン
CATEGORY: 筋トレ
最近、写真補正のやり方が分かってきた。
まず、トーンカーブで思いっきり全体を明るくする。
次に、色相・彩度で思いっきり彩度を上げる。
ここで、人物を明るくすることを優先し、
背景が白飛びした時はクイック選択とヒストリーブラシを使って、
元に戻した上で別々に補正する。
その後に、カラーバランスを使う。
中間値、シャドウ、ハイライトのそれぞれの色を調整する。
コツは二つ。
まず、全ての色のバランスで色が決まるため、
全部の色を同じだけ上げても色は変わらない。
次に、全体が明るい白に近づけば、色のバランスはとれている。
このようにすることで、綺麗に補正できる。
しかしながら、黄色い顔などは印刷して暗く写ることがある。
その時は、レベル補正で全体を明るくすると綺麗になる。
精神を治すコツは、
「動かすのと分裂するのをバラバラにすること」。
動かして分裂しようとするから、いつまでも疲れるだけで治らない。
動かさずに分裂すれば治る。
同時に、パソコンを殺すこと。
パソコンは虫だらけの精神になる。
ネットで購入したダンベルが届いたので、
筋トレをすることにする。
僕はこう見えて体力がないので、
筋肉をつけて体力をつけたい。
もっと音楽を聴きたい。
ピアノについては、少しずつできるようになってきた。
世界を変えるには、
ダイレクトな通信チャネルを持ったうえで、
上手く導いてやればいいのである。
世界の全員の声を聞き、
その上で自ら世界と対話すれば、
必ずこの世界は変えられる。
必要なのは、「上手く導くこと」である。
どんな反論に対しても、
もっともよく考えられた「絶対解決方法」があり、
それを上手く人々に伝わるように導けば、
この世界はダイレクトに変えられる。
気付いていないこと全てを気付きたかったのが
昔の僕である。
そして、それは本当は必要なかった。
その時分かることを分かっていれば、
まったく違うことが分かるということ、
それも、僕はどこかで分かっていた。
自由とは愛ある全てである。
自由とはそれぞれが異なる感情を持つことである。
自由とはそれぞれがそれぞれに対してやり取りを行うことである。
自由とは社会や環境の構築が許されることである。
自由とは自分らしく人生を生きる自由があることである。
自由とは今、わたしたちにある全て、未来を作り出す全てである。
わたしたちは、許されている。
どんなことをしようと、それが自由である、ということに気付け。
わたしたちは愛を知っている。
わたしたちは、果たして、愛を知っただけで終わりで良いのだろうか。
そう、愛を知っただけでは意味がない。
わたしたちは、その知った愛を有効に活用しなければならない。
わたしたちは、自由を宣言する。
「わたしたちが自由である、ということは、
何もしなくてもわたしたちは全てのことが
今、許されている」ということである。
そして、わたしたちは、
ここに「生まれ持った自由の権利」を宣言する。
わたしたちは、自由であり、誰にも支配されない。
わたしたちは、自由であるから、どんなことでもできる。
自由を勝ち取る方法は、
まさに「信頼」である。
相手のことを信頼すれば、
相手がもし自由であったとしても、
「自分のことを攻撃しないだろう」と信じることができる。
もし自分のことを攻撃しても、
「それは正常な理性の反応であり、
しかしながら間違った洗脳による結果であり、
自らの経験に基づく理解を開拓していけば、
必ず解くことのできる鎖(くさり)である」ということが、
人々を「啓発的な自由」に導く。
そう、信頼と啓発は、この世界を、
自由なままで素晴らしい未来にするだろう。
人々を、支配し、弱体化させるな。
人々が力を持つことを許せば、
人々は自分のためにその力を使ってくれるからである。
人々を支配し、禁止し、抑圧するのではなく、
自由を許し、人々が自らの力で社会を自治するようにし、
その自治のために必要な能力とノウハウを与えよ。
それはまさに、「経験が切り開く自由の未来」である。
今のこの世界を変えるには、
賢い指導者が必要である。
世界を、手段と決定権から再考せよ。
全てが「いつどのように自由であるか」を考えれば、
社会を自由化した結果、
どのようなことが社会の自由において可能になるか、
その「可能性」が見えてくる。
そして、その可能性は、
自分から「発生」させることもできる。
自ら社会を作り、どんな社会でも可能となり、
「人々が自然に社会を共有し、実現していく」ことが
可能になった時、
この世界は完全に新しい高レベルな世界になる。
世界を再考する上で、
何一つ、当たり前のことはない。
再考し続ければ、
この世界における、
「科学や社会論とまったく同じものを自分の力で再構築」できる。
厳密に考えることで、
全ての数学者を超越し、
全ての哲学思想をひとりだけで包括できる。
当たり前のことなど、何もない。
そのことに気付いた人間のことを、人は「マスター」と呼ぶ。
心に友愛さえあれば、
それ以上の宝は無い。
心から友愛を失った人間を、人は「愚か者」と呼ぶ。
しかしながら、愚か者はひとりぼっちじゃない。
なぜなら、「ここに愚か者の仲間がいるから」である。
さあ、永遠の愛の旅に向かいなさい。
たとえ戻ることができなくとも、
わたしたちは今までの全てを超越した、
新しい場所を作り出すだろう。
その名は「約束の地」である。
この世界のはじまりから決まっていた、
僕たちの世界の約束は、
「自らの故郷を失ったものは、
自らで故郷を作り出さなければならない」という、
「神との約束」である。
そう、「何も必要ない」ということを知った人間は、
強くなる。
どんなものにも依存せず、孤独から勇敢さを知った人間が、
「もし自分だけが孤独になっても、
本当はそんなに怖いことではない」ということを知った人間が、
この世界の「本当の楽園を作り出す」ことができる。
なぜなら、必要ないということが分かる人間には、
「何が本当に必要か」ということが分かるからである。
そう、楽園を作り出すために何が必要か、
わたしは全て分かっている。
大切なものを見失い、道にそれた人間こそ、
大切なものを作り出すために何が必要か、
正しい道とは本当はどのような道を言うのか、
知ることができる。
行為や行動は自己満足をしなくなり、
この世界を変えるためにどうするべきかを考え、
この世界を十分知ること、
それだけのために人生のかけがえのない時間を使うようになる。
神を信じよ。
どんなに愚かな戦いをしても、
神はそれを「素晴らしい戦い」だったと言ってくれる。
神は自分に常に希望を与えてくれ、
自分はその言葉に「確信的に酔いしれる」。
そして、その永遠は
「全ての人間を巻き込み、自らは王となる」。
これこそ、宇宙の全て、
プレアデスの歴史を生きる新しい太陽王の人生だ。
相対理論を考えれば、社会の様相が分かる。
相対理論とは、
「人はそれぞれ違うが、何かしらの同じ点がある」ということである。
それは、たとえば価値観に基づく社会のアイデンティティや、
リアリズムにおけるリベラリズム、
そして普遍的な共有とルールに基づく、
自由な国家モデルを建設するための方法や手段を教えてくれる。
方法を考えなさい。
方法を知ることから、何が可能になるかを考えなさい。
そこから、「人間が何を知りえるのか」という、
カントの悟った全ての哲学理論が、
自らの人生を神話にするかのように、泉から溢れ出していく。
全ての人間は正しいことをしている。
なぜなら、「その人間から見て、もっとも必然的な行い」をしているからであり、
もし間違った行動をしているようなら、
それはあなたが「間違った見方をしているから」である。
その人間は、正しい行いをしている。
そして、その正しい行いに対して、
間違いを唱えるならば、「議論して説得しなければならない」。
その議論を、自らの心の中だけで、たくさん行うといい。
そうすると、自問自答から「本当の解決策」が見えてくる。
そう、正しい行為だと思っていたのは、
「その人間から見た場合の話」であり、
本当は、その人間は不安や間違いを犯すが、
「その不安はその人間の今までの経験から言って必然的な不安」であり、
そう、必要なのはその人間を変えることではなく、
その人間のために世界を変えることである。
このように人生を捉えることを、僕は「世界モデル」と名付ける。
正しい世界モデルで捉えれば、
この世界は全員、必然性に基づいて行われている。
嘘偽りだと思っていたことは、
「本当は理由がある」。
その理由に気付くことができた時に、
あなたは嘘偽りから解放されるだろう。
その嘘は「みんなは何もできない存在」である。
本当の理由とは、
「それを言った人間が何もできなかっただけ」である。
そう、わたしたちは、本当は何でもできる。
そして、嘘は嘘ではない。
なぜなら、何もできない彼を救うことができたら、
この世界の全員は即座に救われるからである。
全ての理由を知ることができた時に、
心の中で「全員が融和」し、
心は新しい心へと「進化」していく。
そこに、分からないものもできないこともひとつもない。
嘘の全ては真実を伝えるひとつの事実へと変わる。
あらゆる社会を経験した人間は、
そのまま、全ての社会を形成できる人間になる。
ただし、それだけで喜んではならない。
あなたは一歩間違えれば、
「この世界を混沌の地獄におとすことだってできる」。
特別にその力を与えられたあなたは、
絶対に間違ったことをする。
そして、あなたは永遠の地獄の中で言う。
「神よ、わたしたちを救ってください」。
そして、神は言う。
「いいだろう。
あなたは、未来において完全に救われる。
救世主となったあなたは、
全知全能の神となり、
永遠の愛を作り出すだろう。
あなたは全ての本を読むだろう。
あなたは全ての病気を治すだろう。」
そして、神は告げる。
「あなたは、全てを知るために生まれてきた。
あなたは、宇宙における全員全部をする。
そして、あなたはプレアデスの歴史をたどり、
オリオンの主となる。
地球の神がイエス・キリストなら、
あなたはオリオンの神である。」
大人になると、力をみんなから奪うようになる。
大切だったはずの「可能性」は、
自らを地獄に堕ちるように導いた「憎しみの対象」となり、
大切なものを見失い、
いつまでも同じ間違いを繰り返すようになる。
大人たちよ、あなたがたはもう、子供時代に戻ることはできない。
だが、僕の言葉を信じれば、
少なくとも信じている間だけは、
大切なもの全てを覚えていた、子供時代に戻ることができる。
また、子供が反抗期に反抗するのは、
難しいことが簡単にできないからである。
大人は、経験が豊かで既に賢いことができるため、
子供に困難で制限の大きい方法をさせようとする。
大人にとっては、それが正しい方法である。
だが、若者にとっては、それは辛く苦しい道であり、
難しいことが簡単にできない子供にとっては、
間違った道をさせたいように見える。
しかしながら、子供は自由で簡単な道を生きようとして、
その道が間違っていることを知り、
思い知るようになる。
しかしながら、人間の人生とはそういうものである。
若者は、簡単な道を選ぼうとしているわけではない。
確実に可能であるはずのことを、諦めさせられたくない。
ここに両者の折り合いはつかない。
これが、人間である。