AUTHOR: schwarz1009
TITLE: もう好きにするよ
BASENAME: 2020/09/21/192836
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DATE: 09/21/2020 19:28:36
CATEGORY: 卒業
これで、僕は僕の大学は卒業である。
もう、僕は好きにする。
僕が思うに、僕は経済学に向いていると思う。
そもそも、心理学なんて、すでにできている。
昔の自分の考えたことだけで、
心理学の全ては既に完璧にマスターできている。
それを思い出したいのであれば、
単に書き記せばいい。
僕にとっての心理学は僕にしか分からない。
ユングやフロイトを読んだとしても、
まったく意味はない。
逆に、僕は経済学のことはまだ詳しく知らない。
それを詳しく知っていけば、
心理学を読まずとも、
経済学の勉強から、
きちんとこの世界を自分の力で考えられるようになって、
「自ら思考すること」から心理学ができるだろう。
だが、僕は経済学の本を読みたいと思わない。
書いてあることが、間違っているような気がするのである。
僕は、資本主義の経済学を書いた教科書が嫌いである。
資本主義の理屈の全てが、
「間違った理屈主義」にしか見えない。
逆に、僕が好きなのは哲学である。
哲学者の言っていることは、きちんと賢いのが、
自分の人生の裏付けから分かるからである。
哲学者ではないが、僕が好きなのはブッダである。
ブッダは素晴らしい。
きちんとこの世界を考え、知っているのが分かる。
まさに、キリストは馬鹿ではない。
だが、僕はキリストに、この世界から去ってほしい。
キリストよ。
あなたの目指した最高の愛の国は、
あなたのせいで無くなったのである。
神を信じるものの多くは、愚かで、視野が狭い。
キリスト教徒は妄信的で、
自らの力で理性を使って考えることをしない。
神を盲信せず、視野を広く保つためには、
科学を信じなければならない。
そう、言ってしまうとすれば、
アメリカと民主主義は間違っている。
彼らは聖書におけるパリサイ人や律法主義者(律法学者)であり、
すべて間違っている。
そう、勝利すべきは、
日本と仏教による楽園の帝国である。
僕はそれに、「ガンダーラ」という名前を付けた。
ガンダーラを建国した時は、
僕は、経済を合理的にしたり、
発展や平等を実現したりすることは目指さない。
人々のことを、本当に幸福にするために、
望みを叶えられる国を作ろう。
それも、人々に見せる「かりそめの望み」ではなく、
本当に心が知っている「ほんとうの望み」を叶えよう。
本当の自由の下に、
アメリカを滅ぼそう。
アメリカのような悪の連邦は要らない。
人類にとって不必要で、
害悪そのものであり、
アメリカの民主主義は百害あって一利なしである。
地球を滅亡へと導くアメリカよ、
あなたがたは人類にとって不要であり、
人類の未来のために、
アメリカこそが滅亡すべきである。
IT技術とコンピュータを信じるな。
どの分野を見ても、どの水準を見ても、
コンピュータは間違っている。
コンピュータ技術をこの星から消し去ろう。
全てのコンピュータによって生まれた害悪を、
綺麗に泥を掃除するように、
洗濯機にかけて浄化してしまえ。
僕は知っている。
独裁者でなくても、ソビエト経済は成り立つ。
独裁者スターリンが独裁する必要はない。
確かに、独裁をすれば容易に実現できる。
だが、独裁では社会主義の計画経済でものは作れない。
僕たちは、独裁をしない。
僕たちは諦めない。
アメリカとは違った、
正しい経済を僕は実現してみせる。
また、戦争の間違いはひとつである。
「戦争しかすることなく、政権が終わってしまう」ということである。
たとえば、1940年代のドイツなど、戦争しただけで、
他のことは何一つしなかった。
いくら賢い指導者でも、それでは賢い意味がない。
僕は戦争をしない。
戦争しかしない指導者は、
歴史に負の側面を遺し、
せっかく奪い取った権力を無駄に使って、
やりたいことができずに終わる。
偉大なる国家を作るためには、
必要なのは「バランス」と「原理となる理念」である。
バランスとは、
経済発展や軍事政策と、平等や平和政策のバランスである。
どちらかに、1ミリでも偏ってしまえば、
もう片方の勢力から批判が生まれる。
国をひとつにしたいなら、
みんなの意見を聞いて、
バランスを取った上で政治を行わなければならない。
しかしながら、それでは単なる「平凡な総理大臣」に過ぎない。
そこで必要なのは、「原理となる理念」であり、
これは極端であれば極端であるほどいい。
よって、僕の理念はひとつ。
「わたしたちは同じ人類だ」ということである。
全て、わたしたちが同じ人類である、ということ、
それに従い導かれる「正しくぶれない政治」を行えば、
必ず素晴らしい世界になる。
これは世の常である。
わたしたちが同じ人間であり、
だからといって、この世界が必ずしも平等にはならない、
ということを信じること、そして信じないことが、
人類は大好きなのである。
また、もっとも必要なのは、
「強さ」でも、「力」でも、「豊かさ」でもない。
もっとも必要なのは「自由」である。
豊かさがもしあったとしても、
好きなようにのびのびと生きられる自由がなければ、
わたしたちは「何も手にしていない」。
そして、自由において必要なのは、
「孤独に人々と交わらず、
自分だけが違う道を生きて独自に賢くなるような、
たったひとりの独占的な道ではなく、
みんなで一緒になって、その道を共有すること」であり、
なぜなら、たったひとりが素晴らしい人生を送っても、
それは多くの人々にとって無意味であり、
宇宙から見れば、なんら素晴らしい道ではない。
そう、宇宙にとって必要なのは、「共有」である。
そう、「自由」と「共有」、それだけが正しいのである。
そして、平和など必要ない。
なぜなら、「ひとりの兵士が死んだとしても、
その兵士の代わりにほかの誰かが生きればいいから」である。
全ての人間を殺さないことを目指せば、
結果としてより多くの人の命を犠牲にしてしまう。
大多数の人間を守るためには、少数の犠牲は必要なのである。