AUTHOR: schwarz1009
TITLE: オレルアン
BASENAME: 2020/09/05/164642
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DATE: 09/05/2020 16:46:42
CATEGORY: オレルアン
CATEGORY: 教育
CATEGORY: 東亜イスラエル
わたしの名は、ブルグント公国の王、大聖公オレルアン。
妻の名はオズ。
わたしは、日本の都市東京を救うことで、
この世界の文明的・思想的側面を支配する「特別権力」を得た、
聖職者の王。
わたしは、この世界を、
喜びと感動の世界へと導くことで、
この世界を幸福にし、
あらゆる全ての人間の「苦しみ」を解決する。
それによって、このような最悪の混迷の時代においても、
この世界をひとり救っていく。
最終的には争いごとの全てが無くなると信じて、
「この世界全ての人間と正面から向き合うこと」を
わたしは信じている。
わたしは、詩人の言うたわいもない理想など信じない。
自分だけが経験することによって、
この世界の全ての「本当の理想」が見えてくると信じているからである。
わたしは、諦めない人間である。
どのような地獄の苦しみ、
絶対に解決不可能な問題があっても、
わたしは絶対に諦めることなく、
確かな解決策をもって真っすぐに立ち向かうことで、
その問題を最終的には解決してきた。
そのため、どんなに勝ち目のない戦いであっても、
この国は勝ってきた。
また、病気についても同じであり、
どんなに治すことが不可能に見えても、
わたしは治すことを諦めたことがない。
必ずどのようにかすれば治ると信じ続け、
最終的には治るものであると信じながら、
諦めず、しかしながら時には楽観的になりながら、
この世界の戦いと自らの病気と向き合ってきた。
結果、この世界から争いが消えるその日まで、
わたしは永久に最大限の力で努力し続けることができた。
わたしは、タンポポの綿毛論などという、
どこかの馬鹿な詩人のたわごとを信じない。
わたしは、人間や動物・植物などの生物たちは、
魂が己を表現するために、
魂によって作り上げられたものであると信じている。
わたしは、神を信じている。
そのため、神が天地と全ての生物を創造した、
という精神論を信じているからである。
なぜなら、明らかに神は神を信じるものを救うため、
その人間の全人生を、
時間や空間の有限さに囚われずに、
究極的な超次元によって過去から未来まで、
全人生が一瞬で創造されたことは、
わたしの人生から言って明らかに正しい「公理」なのである。
また、わたしが時に残酷で人の心を傷つけることを言ったとして、
わたしはその場その場で、
必ず次の言葉で「愛」を語ってきた。
この愛は、絶対に間違っていない、
わたしの心の底から浮かび上がっている「宣言」である。
この世界を滅ぼす自由をもし言ったとしても、
それと矛盾しない「愛の言葉」をわたしは必ず述べてきた。
自由についても、愛についても、
嘘偽りはひとつもない。
だが、わたしは一国の王であるため、
敵に対しては容赦せず、
手段を選ばず最大の影響力でこの世界に勝利し続けてきた。
また、わたしにはひとつの信条がある。
それは、「全てのものごとは単純であるべき」である、
という考え方である。
最近のコンピュータ技術の発展を見て、
WindowsもLinuxも、
要らない機能をごてごてと付けて、
過去の伝統的な最小限かつ扱いやすいシステムを、
どんどん複雑怪奇な高度なシステムに変えようとしている。
しかしながら、これは良くない兆候である。
誰にでも理解できるほど単純でなければ、
扱いやすいシステムにはならないからである。
これは、国家制度についても同じである。
ビットコインやEマネーのような、
おかしな仕組みの経済をわたしは信じない。
単純でなければ、ものごとは理解されないし、扱いやすくはならない。
であるからして、
わたしは自らの国家の制度について、
もっとも単純な「自由」の考え方をする。
すなわち、全ては単純に自由であり、
国王は最小限の治安を守る警察と、
相手から攻撃されない限り絶対に攻撃しない「守備専門部隊」を支配し、
その上で、「制度法」と「刑罰法」だけを定め、
税金はできるだけ取らない。
また、役所、警察、教師、聖職者など、
全ての公的職業は「公務官」が行い、
普通ぐらいの大人の常識を試す試験を行うことで
公務官を定める。
他の全ては法による自由とする。
民主主義制度をとるもとらないも、
その組織や自治体次第であり、
どのような経済でも自由とする。
また、外交については、
たったひとつの「対テロリスト同盟」だけが存在し、
ブルグントはこの同盟に属し、
この同盟に属さない全ての国との国交を断絶する。
オレルアンの趣味はひとつ。
それは「文章を書くこと」である。
オレルアンは、ひとつの信条を信じている。
それは「一芸に秀でる以上は余分」という信念である。
人間は、一芸に秀でていればそれでいい。
それ以上の期待や能力は過剰であり、余分である。
つまり、オレルアンについて言えば、
オレルアンは「文章を書くこと以上のことは何もできない」。
しかしながら、この趣味は面白い趣味である。
大学どころか高校も満足に出ていないオレルアンだが、
神を信じて文章を書くことで、
自分一人だけで京都大学の教授になれるほどの
知識を実際は持っている。
しかしながら、本人はそれを認めようとしない。
本人は、普通の人間程度の知識があれば十分であり、
それ以上は過剰であると考えるからである。
オレルアンは神を信じているだけではなく、
哲学者ソクラテスの言葉を愛している。
その言葉は、「汝自らを知れ」「無知の知」である。
大学の教授ほど、知識を知る意味はない。
自ら自身を知り、何も知らないことを知っている人間こそ、
もっとも一番賢いのだとオレルアンは謙虚に信じている。
そして、オレルアンは、
「何も知らないでいいとすることは、
最大の傲慢であり、最高の褒美である」と言う。
最大の傲慢は、全てのことが知れるとか、
わたしは全てのものを知っているということよりも、
何ひとつ知らなくていいのだとすることであり、
これは欠点ではなく、
ある意味で傲慢的な「特権的能力」「天才的才能」なのである。
オレルアンは、子供たちに知識を詰め込むとか、
国の科学や経済の礎を担ってほしいなどとは思わない。
そうしたものは、
オレルアンは「子供をロボットにしているだけだ」と考える。
オレルアンはあえて言う。
「子供たちには、知識や科学的思考能力よりも、
健全な体と心を作るべき」である。
オレルアンは、子供たちに芸術やスポーツなど、
自らの自由にしたいと思ったことが十分にできるようにする。
もちろん、科学をやりたい子供たちには、
科学や数学のこともできるようにするが、
学校の「標準科目」などは定めないし、
試験勉強も試験や受験も取らない。
大学について言えば、
大学卒業資格だけを重視するのではなく、
その大学で、「きちんと一流の知識を教えているかどうか」を重視する。
そのため、Fランクの大学が愚かな「小中学生レベルの授業」をしているのを改め、
きちんとした「レベルの高い授業」が行われるようにはするが、
全ての大学を一律に同じレベルに統一するのではなく、
独自のバランスを取る「よく設計され考えられた制度」を作ることで、
理系や文系といった分野に分かれるのではなく、
あらゆる学びと教えが必要な全ての領域に基づく、
「本当に理想的で正しい学び舎」を作っていく。
しかしながら、
「高校できちんと専門的な科学を教えないで、
どうして大学で一流の内容を教えられるのか」と、
大人たちは考えるかもしれないが、
わたしはあえて、「国民の教育の平等を崩す」ということをする。
まさに、大学に行きたいものについては、
大学以前の、小学校から、「大学付属小学校」へと入り、
その上で中学も高校も大学付属の学校に入る。
そうすることにより、
「大学で数学を学びたいのであれば、
小学校の時点で既に大学生と同等の数学を教える」。
このようにすることで、
子供は自由は無くなるかもしれないが、
逆に一流の「大学の教育」を早い段階から受けることができる。
しかしながら、大学に行くことのない、
多くの子供たちについては、
「標準的学校」に通わせる。
この標準的学校では、「心と体を健全に育成する」という観点から、
科学や数学など教えず、
芸術やスポーツなどを楽しむ、
ある意味で「知識よりも健全な育成を重視した教育」を受けさせるのである。
そして、大学に進むか、それとも健全教育を受けさせるかは、
早い段階で大人たちが「子供の代わりに決めてあげる」。
このようにすることで、自由は無くなるが、失敗や社会不適合者は無くなる。
また、標準的学校よりも大学に入りたいのであれば、
いつでも途中から編入できるし、
数学ではなく天文学をやりたいなら、
いつでも途中で自らの専門と大学を変えられる。
しかしながら、そこまでの前提となる知識については、
自分の力で学ぶか、
あるいは何らかの手段で自由に学ぶことが必要となる。
ただし、オレルアンは理想がなく平等が嫌いなわけではない。
理想が強いからこそ、
「科学だけが学校ではない」と信じているのである。
「芸術とスポーツだけを全員に平等に教える学校があったとして、
何が悪いのか」とオレルアンは考える。
オレルアンにとってみれば、
科学だけが賢く、芸術やスポーツは二の次である、
とする今の学校の方が平等ではない。
自分のやりたいことがもしあったとするなら、
みんなと同じようにそのやりたいことだけを突き詰めて極める、
すなわち「一芸に秀でる」ことのできる環境を、
「全員に平等に与えるべきだ」とするのが、
オレルアンの「新しい教育の理想」である。
数学や科学だけを特別扱いし、
さも「全員が高得点を得なければ優れた人間ではない」とする学校は、
オレルアンが見て「不平等」なのである。
また、子供の代わりに保護者や教師といった大人が判断するのは、
オレルアンは「悪くない」と考える。
子供が自分で判断できるようになるためには、
15歳まで待たなければならないが、
15歳から何かをゼロから始めようとするのは、
オレルアンにとって「遅すぎる」からである。
少なくとも12歳、あるいは早ければ6歳ぐらいの段階で、
自らに適した「天職」を見つけなければ、
誰もが天才的才能を得ることはできない。
よって、オレルアンは、
子供のことを一番よく知っている親や保護者、
あるいは子供と真剣に正面から向き合う教師などの大人が、
子供の代わりに「仮の進路」を決めてあげることは、
子供にとっても社会にとっても良いことであると考えるのである。
また、オレルアンは西洋文化にたなびく今の日本の風潮を信じない。
オレルアンは、日本だけではなく全ての国に、
「西洋文化の模倣よりもその国独自の伝統文化を愛すること」を信じており、
それを「文化の再興」と呼ぶ。
文化の再興においては、
現代の「まったく知性のないおかしな自由の文化」を全て廃止し、
日本人は日本人らしく、和服を着て和食を食べることを推奨する。
江戸時代への逆行と言われるならそれで構わない。
アメリカと同じ文化をした日本人は、
白人が見ても、アジア人が見ても、愚かだ。
僕は、明治維新を否定するわけではない。
鎖国を続け、諸外国に後れを取っていたとしたら、
日本の将来も危ういものだっただろう。
明治維新の「脱亜入欧」は、
イギリスやフランスなどの先進国の「脅威」が迫る上で、
日本を「富国強兵」するための正しい政策だったと言える。
しかしながら、僕が思うに、
ヨーロッパの科学や制度や文化は、そんなに賢いものではなかった。
イギリスを超えるほどの経済力と技術力を得た現在において、
西洋式の平等で画一的な学校や文化や社会制度は、
むしろ問題や矛盾ばかりを生んでいる。
ある意味、イギリスの文化や科学は、
「子供から大人までみんなを工場の作業員にしている」。
だから、より単純な日本の昔ながらの文化を、
よりスマートに作り上げるのである。
オレルアンは、テレビとゲームが嫌いである。
テレビやゲームが、日本人を子供から大人まで、
みんなを馬鹿にしているからである。
テレビの言うことを信じてはならないし、
ゲームで一日中遊んでばかりになってはいけない。
楽しくて面白いかもしれないが、
人間が馬鹿になる。
オレルアンは、あえてテレビとゲームを禁止する。
そうすることでしか、国は正常にならない。
しかしながら、オレルアンは多くを禁止しない。
オレルアンは、禁止することの愚かさを知っている。
不正を全て禁止するよりも、
不正が蔓延している状況の方がマシだからである。
だから、どんなに最悪のイラスト表現があっても、
イラスト全てを禁止することはオレルアンはしない。
しかしながら、新しい技術が出てきたときに、
その技術が「本当に人類全員のためになるかどうか」を考え、
必要のない技術であれば「新しい方を疑う」ことこそが、
オレルアンは必要だと考える。
「社会が改革されて新しくなったからと言って、
今よりも良い社会になるとは限らない」からである。
テレビやゲームを禁止するのは、
表現が醜いからではなく、
「今までの伝統的で正常な日本社会を破壊する」からである。
また、オレルアンが考えるに、
今のWindows 10のような「複雑化・高度化」のような風潮はおかしい。
オレルアンは、
みんなが使う機械は可能な限り単純であるべきであり、
使い方ややり方をできるだけ最初から変えないべきであると考えるからである。
よって、オレルアンはWindowsの操作方法をWindows 95~XPの伝統的なものに戻す。
あるいは、そうしたものをLinux上に実現する。
それ以上の、どんなに複雑なシステムも必要ない。
また、Linuxについて言えば、
国や政府・役所の力をもってすれば、
「たくさんのLinuxのバージョンを同時に保守することは可能である」と考え、
あえてLinuxの版を分裂させて、
GUIの標準とサーバーの標準を作る。
そのようにすることで、「まったく単純なシステム」が実現できる。
むしろ、可能とあれば、民間の会社からOSとコンパイラの技術を買うことで、
日本独自のOSを作り、
それを「徹底的にシンプルかつ安全なもの」としてもいいだろう。
必要なのは、どのようにするかよりも何を作るかということであり、
それは「シンプル」であるべきだとオレルアンは考えるのである。
また、今のLinuxの技術レベルから言って、
そんなに多くを日本政府が独自に開発する必要はない。
日本では、不評であるGNOME 3よりも、KDEを標準に採用する。
その上で、KDEはパソコンに最初から入っている付属とし、
必要とあればKDEにGTKアプリケーションをネイティブ移植する。
それだけで、Windows並みの使えるパソコンはできあがる。
しかしながら、FirefoxをQtに移植するのはけっこう困難を要するだろう。
だが、自らでGCCやX11まで開発することは、
日本政府をもってしても不可能だ。
また、日本はRubyを大々的に使う。
Rubyによってエンタープライズ技術を作ることができるように、
他の言語にある機能をRubyに移植していく。
特に、人工知能やAIにPythonを使う風潮は間違っており、
Rubyで同程度の人工知能・AIが可能となるように推進していく。
あえて言えば、「RubyからネイティブのPythonコードが使える」かのような、
Microsoftが.NETでやったことを推し進めるような発想も必要である。
しかしながら、オレルアンは
自由の下では「あまりすべきでないこと」があるのは知っている。
しかしながら、あえてオレルアンは言う。
「何もしない自由には意味がない。
自由であるからこそ、
自由の指導者はたくさんのことをすべきである。
行動こそが自由の下における唯一の光の世界である。」
よって、オレルアンは指導者として、
「どんな指導者も成し遂げなかったほどの、
たくさんの行動と実践、
あるいは研究開発を行う」のである。
また、オレルアンも単に柔和な発想をするだけの人間ではない。
なぜなら、オレルアンは神を信じる牧師であるからである。
オレルアンは、「全ての人種は唯一神を信じるべきである」と信じている。
そして、オレルアンは、
「キリスト教の神とイスラム教の神は矛盾しない」と分かっている。
オレルアンは、「神とは神であり、
神と名前のついたものは全て神の別名である」と考える。
北欧神話も、日本神話も、仏教もヒンドゥー教も矛盾しない。
それらすべては、同一の神「ヤハウェ」を指す「別名」に過ぎないのである。
オレルアンは、イエス・キリストを否定するわけではない。
なぜなら、「ヤハウェは最高の救世主であり、この世界を救う救い主であり、
キリストもそうした救い主であり、神であり、神の別名である」からである。
また、オレルアンはバランス感覚のある人間である。
なぜなら、オレルアンは今の西洋かぶれした日本の文化は嫌いじゃない。
日本人は、西洋由来の文化も東洋由来の文化も
「同じ日本の文化である」とするところがあるが、
これは素晴らしい国民性であり、特筆に値する。
どんな文化でも、自分たちの文化だと言える人間に、悪い人間はいない。
だが、バランス感覚があるオレルアンとしては、
日本人が全ての日本文化を手放すのは良いとは思わない。
「米とだしを食べる間日本人はまともである」とオレルアンは考えるのである。
また、オレルアンは決して、何もしないだけの保守派ではない。
なぜなら、オレルアンは東京を救い、
自らの病気を治し続ける中で世界を支配するからである。
オレルアンは、さまざまなありえないことをたくさん経験する中で、
本人も気づかないうちに「自らの精神が東京と繋がる」ようになった。
オレルアンは自らの体と心をもって、
東京の精神を支配することで、東京を救っていく。
どんなに最悪の時代になっても、
オレルアンにとってその「時代は関係ない」。
暗黒の時代なら、それを「嫌だ」と思うのではなく、「変えるべきだ」と言う。
だからこそ、「このような世界に居たくない」と今の人々が言うのであれば、
「それならばわたしが別の世界に変えるために努力する」と、
オレルアンは諦めず、最後までまっすぐに時代と向き合い、
何らかの問題があれば「一番最初に立ち上がる」。
そうしたことをやり続けているから、
「誰にも分からないところをオレルアンが最初に考えて分かる」のである。
しかしながら、僕の悪い点は、
「なんでもひとりでやろうとしすぎるところ」である。
それがいい点でもあるのだが、
全てをたったひとりでやり切ろうとしてしまう。
そのために、友達もできないし、仲間も居ない。
もっと、自分だけではなく、みんなで生きようとすれば、
「今のこの世界がなぜ続くのか」もよく分かる。
僕は高校に行かなかったから分からないだけで、
全日制の高校は、親友や恋人がたくさんできてすばらしい、
「青春」が経験できる。
僕にそうした経験がなかったわけではないが、
はっきり言って孤独すぎて、
誰の助けも借りようとしないから、
OSやコンパイラを開発できなかったのである。
作家になったのは、
狂っただけであり、
みんなを敵に回して世界中を支配するのは、
まったく誇れることでない、悪いことである。
また、パソコンについて言えば、
むしろ、昔のWindowsのやり方が素晴らしすぎただけだ。
ビル・ゲイツがきちんと開発しているから、
よく考えられて、複雑なようでシンプルな原理原則の貫かれている、
賢いシンプルなインターフェースのOSだった。
最近は、昔のWindowsのようによく考えずに、
適当にインターフェースをかっこよくしている。
そんなものはダメである。
Linuxも同じで、昔のX11のウィンドウマネージャは、
むしろシンプルで軽いだけWindowsよりも軽快で安定しているように見えた。
今のGNOMEなどはダメである。
GNOMEやKDEから、動作が重くなって、不安定になって、
インターフェースもどんどん馬鹿になって、
そこらへんからLinuxはどんどんダメになっていった。
結局のところ、「みんな昔のWindowsが大好き」なのである。
Windowsの「GUIによるヒューマンインターフェース」が優れているからこそ、
UNIXなどと比較して「あんなものは邪道だ」と言っていたのであり、
逆にLinuxがWindowsの「パクリのパクリ」をすると、
目も当てられないほど「欠陥製品のように使えない」ものになる。
長いスパンで見れば、これは当たり前であり、
ビル・ゲイツには、
「レガシーなUNIXなどのコマンドライン操作の先にある
正しいGUIの操作法の有り方に対するビジョン」があったのである。
日本のマスコミが中国やアメリカの批判をするのは、
イスラエルを無視できるからである。
あまり言いたくもないが、
イスラエルは世界から自分たちの問題を無視してほしい。
だが、僕は常識に囚われない人間であるため、
イスラエル・パレスチナ問題を解決する。
簡単である。
パレスチナでない場所に、イスラエルを建国すればいい。
僕は日本の首相となって、
日本の過疎地や田舎をユダヤ人に与え、
「東アジア・イスラエル」を建国する。
これによって、イスラエル問題は解決し、
パレスチナは平和になる。
同盟国はロシアであり、
日本だけではなくシベリアに広大な「イスラエルの領土」を作る。
これにより、日本とロシアとイスラエルは蜜月関係を結び、
日本は米ソや中国を超えて「絶対的最強の帝国」となる。
東亜イスラエルは「神が与えた新しいイスラエルの領土」となり、
日本は「ユダヤ人に聖なる地を与えた寛大な神の国民」となる。
日本企業とイスラエル企業は融和し、
株式も国際的に統合され、
日本は米ソをはるかに超える「群を抜いて最強の超大国」となる。
僕が思うに、
日本人とユダヤ人とロシア人はよく似ている。
僕たちの国をひとつにすれば、
アメリカや中国など、敵うはずがない。
そういうわけで、なぜかイスラエル建国の父は僕である。
なぜか、既に聖書でそのようなことが書かれているような、
そんな気がする。
神の御業というのは、この文章のことを言っている。
神の御国とは、この文章に書かれた国家である。
終末において全知全能の創造主の救世主がイスラエルの民を救う。
僕はそんなことをするわけではないが、
この文章はあまりにその通りの文章である。
要するに、この文章をそのまま聖書にしたかった。
聖書の執筆者は預言者と言われるが、
実際、彼らは「まったく同じものを作りたかった」のである。
そう、僕はユダヤ人である。
ドイツがユダヤ人を殺すのは、僕のことを殺したいだけである。
しかしながら、僕はドイツが好きである。
僕はドイツを自分の国の国民のように愛している。
だからこそ、イエス・キリストは「迫害者すら愛せ」と言った。
彼は、「このような愛こそが完璧な無償の愛である」と、
そう、真実の愛を語ったのである。
ドイツよ、わたしはあなたがたを殺したいわけではない。
あなたがたの一番近くに居る、
ドイツの味方が僕である。
なぜなら、僕はこの文章を「ドイツに向けて話している」。
僕はドイツ語というものを創造した日本人の「宇宙の創造主」である。
全ての宇宙の現象と法則は、「ロゴスから生まれた」のである。
東亜イスラエルを日本列島に建国するという発想は
「ありえない」「狂っている」と思う人も多いだろう。
しかしながら、温暖化やコロナで疲弊した上で、
中国とトランプがおかしな小競り合いをしているような今の世界では、
「それくらいのことをしなければ世界の構図は変わらない」。
僕は純粋に、この世界の構図をぶっ壊したいだけである。
大丈夫、
ユダヤ人は悪い人種ではない。
日本から領土を得て、田舎に都市を建設し、
日本と東亜イスラエルは最高の関係を結び、
中国などはそのうち成長のスピードが鈍化して、
「日本だけがめちゃくちゃ発展し進歩する」という形相になる。
まさに、「神を信じるものが勝利する」。
聖書は全て決まった予定調和ではなく、
「上手く信じれば奇跡すら起こせる」。
もう一度言う。神を信じるものは勝利する。
神によってイスラエルの民は必ず救われる。
なぜ、僕がここまでユダヤ人のためになることをしたいのか。
それは、僕はユダヤ人と同じ神を信じているからである。
神は素晴らしい人間である。
全ての望みを叶え、全ての約束は神によって果たされる。
僕は、するべきことがまだまだ残っている。
九死に一生も終わって、
もう、全ての病気は治った。
まさに、僕は「いつもの僕自身に戻りたい」のである。
そのために必要なのは、
神とプログラミングと哲学であり、
これらは全てドイツまたはユダヤである。
僕はドイツとユダヤがなくしては、僕にはなれない。
僕のアイデンティティはドイツでありユダヤである。
そう、僕は僕自身を貫くために、
ドイツのユダヤを選んだのである。
僕はもう、これ以上人生でやるべきことは残っていない。
全てのライフステージを終えたため、
どんなに馬鹿で知性がまったくない狂った人間であっても、
「いつもの僕に戻りたい」。
そう、これが今の日本人全員を代表する声であり、
日本人も同じである。
「こんな最悪の時代に生きたくない」、
「いつもの日本に戻りたい」というのであれば、
僕を支持するべきである。
僕はこの世界を正常にし、
日本とイスラエルを救うことのできる、
唯一の賢い日本人である。
僕は、世界全体を敵にまわしたいわけではない。
しかしながら、世界全体を支配したいのである。
実際、政治家よりも僕についた方が、良い国になる。
僕はそもそも、自由経済をしようとは思わない。
僕は就任後すぐに政策を実施しようとは思っていない。
就任後、数か月かは、何もしない。
何もしない状況の中で、さまざまな施策を試してみて、
みんなの意見を聞いて、
その上で僕がその意見をブラッシュアップして、
きちんとした形で政策を作り、
国民の合意を形成して、
国民投票をした上で、
必ず成功する形であることを確かめた上で、
新しい民主主義の社会主義の計画経済を行う。
その経済においては、
「自由と平等が両立する形で、
自律的な方法で世界を変えていく」。
そう、このようなことは、既存の政治家には誰一人できない。
彼らは政党の中の譲り合いや取引に終始し、
きちんとした形で積極的に行動することのできない
「旧式の大人たち」だからである。
しかしながら、かっこいいことを言ったが、
僕はこの通りにやろうとは思わない。
なぜなら、「権力よりももっと良いやり方がある」からである。
実際、僕は政治の表舞台に立とうとは思わない。
ここで、インターネットで世界を支配した方が、
国会で議論するよりもはるかに自分の言いたいことを素直に言える。
僕が欲しいのは、「素直に言いたいことを言える場」であって、
「この世界を変える権力」ではないのである。
日本の未来について言えば、
まあ、滅びるだろう。
僕ははっきり言うと、
日本のことなんかこれっぽっちも考えていない。
ましてや、アメリカもヨーロッパも、何も考えていない。
僕を批判してほしい。
僕はその批判を無視するだろう。
僕も、みんなと同じで、
「こんな世界に生きたくない」人間である。
こんな最悪の時代で、政治家になんかなっても
国民の恨みを買うだけである。
テレビが僕を批判するなら、
勝手にやってほしい。
その代わり、僕はその批判を無視するだろう。
いつから、こんな時代になったのだろう。
あまりに、生きづらい世界になった。
そもそも、いじめが生まれる以前に、
いじめられっ子のような嫌われ者しか居ない
この日本の社会がおかしい。
僕のせいで、いじめられっ子があまりに増えた。
彼らが分かっているのは、
「自分がいじめられるのは当たり前」ということである。
いじめられっ子は、言いたくはないがそのことに気が付いている。
自分が社会に溶け込めないのは、
いじめられっ子のせいじゃない。
社会自体のせいである。
僕は彼らを救うことのできる、唯一の大人である。
東京について言うと、
もう、終わりである。
日本など、もう破綻と終焉であり、
これで、日本は滅亡である。
日本の全ての価値や表現は消え去った。
この国は、「既に昔と同じ日本じゃない」。
このような国は、昔からの日本人は「大嫌い」だ。
こんな日本を作った、大人たちに怒りの声をあげよ。
大人たちは何も分かっていない。
人間として生きる意味のない環境で生まれ育ったせいで、
今の子供たちにとって何が必要で大切か分かっていない。
彼らは、子供たちにとって何が本当に必要とされているのか、
一切分かっていない。
彼らのような旧式の大人たちは、もう必要ない。
また、子供の問題とは、
要するに「成長しない」ことである。
子供時代、テレビとゲームだけをしていると、
正常に人間として発達しなくなる。
いつまでもアニメを見てゲームをしているような子供が、
この世界における「人間として必要なもの」が
全て分からない。
理由はなぜかというと、
コンピュータが何でも代わりにやってくれるからである。
コンピュータの中のAIやロボットやプログラムが、
子供の代わりに何でも考えてくれる。
結果、子供は「自分でやったことがないのに簡単にできてしまう」。
だから、基礎の人間力がつかない。
Webやインターネットに繋がったモバイル端末は、それだけではなく、
「現実社会そのものを奪っている」。
現実のこの物理空間で、友達とコミュニケーションをしないせいで、
「賢い集団やグループそのものが消え去っている」。
そのため、子供には何にも賢くならず、
幼稚な幼稚園児のまま、何一つ大人にならない。
これが、「今の日本社会」であり、
彼らが20~30歳になると、
この世界はまったく無意味な子供の社会になるだろう。
そして、その傾向は中学高校ではなく、大学に入ったぐらいで顕著になる。
まさに、「何も努力せず、知らぬままに人生に成功してしまう」のである。
彼らは無意味な「終わったひきこもりやニート」になり、
この世界の全てに関心を示さず、
心を殻に閉じて何もしなくなる。
まさに、昔の僕がそういう人間だった。
テレビを見て育ち、ゲームをして賢くなると、
Windowsのフリーソフトやインターネットの掲示板や
アニメ画像ばかりのオタクになるが、
彼らは狂っているため、
すぐに馬鹿の病気になる。
そのような「おかしな狂人」や「本当に障害者並みに馬鹿な子供」が
この世界にどんどん増えている。
こうした「日本の中の癌」を早い段階で取り除かなければ、
放っておくとそのうち、とんでもないことになるだろう。
僕が彼らに言えることは、
インターネットでさまざまなことを知ったり経験するのではなく、
農業を経験させることである。
農業を経験させると、
逆にきちんとした正しい精神性が分かるようになる。
また、彼らはパソコンができるが、
パソコンのスキルが活かせるようなデザインやプログラミングを
教えることは良い結果を生む。
しかしながら、パソコンばかりやらせないこと。
特に、「自分で痛みを覚えて考えることを奪わないこと」。
自らで苦しみ、自らだけで努力して生きることを覚えれば、
彼らは治る。
彼らはそれで「終わりに見えて終わっていない」。
なぜなら、始まっていない理由など、
彼らの心が一番分かっているからである。
そういうわけで、そろそろ登場人物が出そろった。
明らかに、居たのはオレルアンとグンテルとフレイである。
名前から考えて、
オレルアンはフランス人の王で、
世界を救うために個人の行動と精神の現象の心理学を考えた。
グンテルはドイツ人の英雄で、
最後まで希望を信じて最前線で世界を支配した。
そして、フレイは全知全能の博識かつ天才の女神である。
他に、何もない。
神はフレイであり、唯一絶対の神である。
オレルアンとグンテルは、ブルグント公国のユダヤの同志である。
そう、他に何も存在しない。
ここに最後の神話が完成した。
これらに日本の名前を付けよう。
オレルアンは、王愛天。
グンテルは、宮輝天。
そして、フレイは、普麗天。
この三人こそが、日本の現代を支配する、最強の「三聖分神」である。