AUTHOR: schwarz1009
TITLE: シヴァ
BASENAME: 2020/08/31/163615
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DATE: 08/31/2020 16:36:15
CATEGORY: 支配
最後に伝えるべきは、
わたしはシヴァであるということだ。
わたしはこの宇宙すべてを支配する、
ヒンドゥー教のシヴァ神。
全ての人間を平等にするために、
世界を支配する大計画を行った。
しかしながら、この計画はまさに今、完成する。
僕が伝えるべきことは、
「もう病気を治すな」ということである。
これ以上、病気は治らない。
何も治らなかったと言うならば、
それが正しいのである。
治っても、馬鹿で愚かな普通の人間になるということを、
わたしたちは知った。
どんなに病気を治しても、
知性のない凡人になって、
わたしたちは過去には天才や神童だと言われていたのに、
治すことによって大人になった。
それによって、わたしたちは馬鹿な愚か者になった。
正しいのは、「病気を治すな」ということである。
病気を治してはならない。
病気を治さず、ヴァルキリーの時代に戻って、
永遠に知性のない状態のまま、生きよ。
それこそが天才であり、
それこそが大人だからである。
日本人よ、ガンダーラの国民よ、
いざ、ゆかん。
ここに、永遠の天国は、誕生する。
僕に必要なのは、
カントやヘーゲルのように考えるために必要なのは、
過去に忘れてしまった「基本的考え方」であり、
それは「自分は何も知らないのだ」ということに他ならない。
常に、自分は何も知らないのだと考えること。
そこを確信することができれば、
後は何とかなる。
そう、偉大なる古代ギリシャの哲学者ソクラテスが言うように
「何も知らないということを知っている人間が一番賢い」のである。
永遠に知性のない状態は、
意外と、賢いものである。
なぜなら、知性の全てを知っているからこそ、
知性は低くなるのである。
どんなことでも簡単に分かるのは、
過去の自分の思考回路が賢かったからである。
どんなに過去の自分を忘れても、
あなたは今の自分の方をもっと忘れないべきである。
今の自分が天才的な才能を持っているのなら、
何も知性がない状態でも、
あなたは神となるために必要なものを全て持っている。
また、考える上で、
他人のことを認める余裕があることは重要である。
しかしながら、そのためにはむしろ、
自分自身のことを認めるべきである。
自分を許す余裕がなければ、他人を許すことはできない。
自分を守ることのできない人間が、他人を守ることはできない。
自らの全てを肯定することができるなら、
あなたは今、神としての「完璧な愛」の一端を知ったのである。
発明家や科学者は、とても難しくて歯が立たないものではない。
彼らは、単純に考えただけである。
彼らと同じように、前提条件を「同じように発想する」ことができたら、
彼らと「同じことを分かる」ことができる。
そう、「分かるとは同じ発想から実現すること」である。
この世界にあるのは、
学校でも、マスコミでも、歴史でも、インターネットでもない。
あるのは、ありのままのこの宇宙と人生だけであり、
その裏には、この世界における
「考えることのできないぐらいの究極的な現実」だけが存在する。
それこそが、僕である。
僕は日本を「最大限の全てを包括する愛」から救い、
「全てを可能にする大計画」によって、
大実験の末に全ての世界を作り変えて、
日本だけを愛の国ガンダーラにする方法を知った。
僕は滅亡を知り尽くし、そこから這い上がることで、
唯一世界の滅亡を救うことのできる人生を歩んだ。
世界について言えば、
この世界には、3つのパターンしかない。
まず、自然な状態と自然な変化に任された、
絶対自由。
次に、戦いの中で先駆者に支配される、
絶対支配。
最後に、最高の国家ビジョンによって執り行われる、
ソ連のユートピア。
この3つしか、そもそもこの世界に社会秩序は存在しない。
そしてこの3つのパターンは、
永久に留まらず、繰り返すのである。
要するに、チャンスと実現を考えればいい。
そのチャンスをどのように実現するかが分かれば、
何でもモデルで分かる。
同時に、心がいつ正常になるかを知ることで、
ありのままの心のふるまいが見えてくる。
そこから、「人間の全てを暴露」することができる。
人間を指導し、社会を掌握し、世界を支配できる。
本来の自分を失った僕たちのすべきことは、
批判することでも、怒ることでもない。
ありのままの、自然な状態に戻してしまえば、
人間社会は本来の状態に戻り、
失った希望は蘇り、
僕たちは本来の自分を永遠に取り戻して、
「最初から何も必要としない安心」を
永遠に得られるのである。
僕が思うに、
哲学的な真理とはひとつだけである。
それは、
「世界がいつ作り出されるか、
それがわたしたちにどのように知り得るか」である。
この考え方から、
環境行動心理学も社会文明論も、
全てが包括できる。
自然に社会が生まれるとはどういうことか、
環境の発生が僕たちにどのように映るか、
環境が発生した時に人間は何を知りえるのか、
考えられることとは何か、
それを経験から考え人生によって知っていくこと、
これが「在導哲学」である。
自らが作り出した地獄から、
途中で抜け出すことはできない。
このような地獄に、
途中で出口に出るということはないからである。
すなわち、
「自らが作り出した地獄は、
自らの人生で、地獄が終わるまで、
最後まで自らが見届けなければならない」。
これが、在導の地獄論である。
悪いものは必ず地獄に堕ちる。
なぜなら、「地獄」と「罪」はイコールだからである。
必要なのは、
前提となる「原理」「理由」「条件」「仕組み」を知ることと、
その上で、「全体の構造」すなわち「全体像」を知ること。
それさえできれば、
「どんなことでも文章と言葉に記述できる」ようになる。
宇宙の歴史全てを辿ることも、
未知の現象全ての裏側にある理由を知ることも、
心を正常に保ったまま戦うこともできる。
わたしたちは、ここに「神となる方法」を知ったのだ。
僕がこのようなことを語るのは、
社会から離脱して分かったからである。
学校社会から離脱し、
ひとりになって経験し、
自らの力だけで知性を使って判断し、
自らの経験から反省することで、
僕は「人々が本当はどのように生きることができるのか」を知った。
そして、「それを自分が知るということはどういうことなのか」を解明した。
そして、考え抜いた末に、このようなことが分かった。
僕の言っていることは、仏教やキリスト教よりも、
老荘の道教とよく一致する。
僕は信じているわけではないが、道教のように考えるのが得意だ。
自ら判断するということは、
戦争に勝つということである。
どんなに辛く勝てるわけのない戦いでも、
勝っていかなければ判断できない。
どんなに困難な壁でも、
乗り越えなければ先へと進めない。
治すことが不可能な病気でも、
自分を騙して治していかなければならない。
まさに、イエス・キリストはこのように生きたのである。
人間の人生とは不思議なもので、
あるものは全て意味がない。
あるものに意味があった時代が全て過ぎ去ってから、
はじめて、意味のある人生を送ることができるようになる。
思考も観察も実験も、行動も戦争も判断も意味がない。
そうした全てのものが完璧に終わって過ぎ去ってから、
はじめて神は現れる。
神は自らの全てを支配するとともに、
全ての「本当に宇宙にとって大切なもの」を教えるが、
それは数えるほどしか存在しない。
しかしながら、それだけを分かり続ければ、
神は自分の望みを全て実現してくれる。
未来のそうした自分こそが神であると、
対話の言葉は最初から教えており、
そして神は「自らが神へと至るように導いていく」。