AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 批判せよ
BASENAME: 2020/08/28/181513
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DATE: 08/28/2020 18:15:13
CATEGORY: ロキ
批判せよ。
ロキは、高らかにこの世界を批判する。
悪いことをしたものは排除し、
悪いことが何であるか大きく明らかにしていくことで、
必ずこの世界をわたしたち民衆のものへと奪還できる。
民主主義とは、
「悪がどこにあるのか」を明らかにすることである。
少しでも悪いことをするものは、
この世界を支配する資格はない。
悪いものは取り除け。
何らかの過ちを誰かが犯してしまえば、それで終わりである。
社会は消滅し、コミュニティは破滅するのだ。
自由を信じるな。
自由は単に「放っておいてそれぞれに責任を押し付ける」だけである。
「勝手にやれ」「わたしはしない」、
それが自由である。
自らの力で、この世界を支配するならば、
自由などどうでもいい。
自らの自由こそが自由であるとするなら、それが正しい権力である。
行動するのであれば、大きなことをやれ。
国家全てに影響する社会を変えることは、
インターネット時代の今日ならば可能である。
今からのIT社会では、
そうした「世界全体を支配する影響力」を持つことが可能になる。
地球全体を完全に支配することも、可能となるだろう。
まさに、Do-it-yourself、
「あなた自身がやれ」である。
あなたがやらなければ、あなたのためにやってくれる人間は居ない。
あなたのために生きる人間は、ほかならぬあなただけだからである。
あなた自身の手で、この世界を変えていけ。
もっとも大きなことを、あなたが実現すべきである。
世界においては、
信頼と共有を取り戻すことが必要である。
全ての人間を愚か者ではないかと疑うのは、
それも間違っている。
本当に「信頼できる人間であること」が確かであることを、
確かに概念として共有できるように、
そうしたコミュニティである必要がある。
なおかつ、オープンである必要がある。
決して悪いことをしないことを誓い、
自らの行動や理想において行動し、
大きな善はしても、大きな悪はしないこと、
これこそがコミュニティにおける正しい理想である。
やりたいことをやる前に、
それが本当にみんなのためになるか考えよ。
本当にそれがコミュニティのためになるか、
コミュニティを破壊することに繋がらないかを考えた上で、
貢献できることがないのであれば、
不確かで馬鹿な貢献は要らない。
きちんとした貢献ができるようになってから貢献すべきである。
貢献する資格がないなら、そもそも参加すべきではない。
なぜ僕がこのようなことを言うかと言うと、
僕は過去に失敗して反省したからである。
自らのできることを、賢いことから馬鹿なことまで全てやろうとした結果、
プロジェクトを自分だけのものにしてしまった。
結果、僕が離れた瞬間に、そのプロジェクトは終わったものになった。
決して、貢献すること自体が間違っているのではない。
貢献するのであれば、よく自分の能力や知識を照らし合わせて、
自らが本当に正しい貢献ができることを確認した上で、
間違った貢献ではなく正しい貢献だけをすべきだ。
しかしながら、むしろ、理想の実現は美しいものである。
誰も知らないことを自分だけが知っているのであれば、
それを表現し、伝えることは許されるだろう。
だが、疑いすぎるな。
反省することは良いことだが、
自分に全ての罪を押し付け、償うために生きることは
いい結果を生まないだろう。
しかしながら、反省は必要である。
反省と批判を繰り返していけば、
わたしたちはもっと先まで進めるはずだ。
そう、ひとりの理想を共有できた時にこそ、
この世界は救われるだろう。
全員で批判し、排除するだけが正しいわけではない。
同時に、「同じ理想を共有すること」もあるべきである。
やるならば、正しい方法で行いなさい。
手段を選ばずに自分勝手に行っても、
その理想が正しく伝わることはないだろう。
悪いのは、「嘘」と「自分勝手」である。
また、正しいことを行いたいのであれば、
きちんと共有概念を得た上で行いなさい。
自分にしか分からない理想をたったひとりで実現しようとしても、
その理想は絶対に実現できない。
きちんとしたやり方をしなさい。
そうすれば、最悪のプロジェクトは最高の宝に変わるだろう。
本当のことを言えば、批判する意味もない。
単に、残されたみんなが悲惨なだけであり、
過去のものは忘れ去られ、
また新しいものが生み出されていくしかない。
本当のことを言えば、
そんなに悪いプロジェクトではなかったのだろう。
終わったものになっても、そのまま続いていく。
そういうわけで、日本はもう終わりである。
もし日本が復活することがあるとしたら、
僕が元のプロジェクトに復帰することしかないだろう。
しかしながら、僕はそれを許さない。
僕は元のプロジェクトに、もう復帰することはない。
僕はこのブログで勝手に活動し、
これ以上、他の人間には迷惑をかけることはない。
自分だけの文章を書き、
自分だけの活動を行う。
もう、僕のような人間に
日本社会全てが支配されることは絶対に起きない。
世界は、みんなで変えられる。
みんなの意志がひとつになれば、
この世界を完全に新しい世界にできる。
それぞれのやっていることをみんなの場で共有せよ。
その共有されたリソースは、
押しつけがましくなく、
それぞれが自発的に行うものであれ。
僕が学んだことは、
理想は高くても、押しつけでは意味がないということ。
どんなに素晴らしい理想を作っても、
それが他人に理解されないなら、
そんなものは価値のないゴミなのである。
やるならば、自分だけで勝手に行うべきであり、
他人に迷惑をかけるべきではない。
僕が言うのは、「信じるな」ということである。
デファクトスタンダードで、誰もが使う技術だからといって、
必ずしも優れた技術であるとは限らない。
標準技術を使うしかないのは仕方ないことだが、
だからといって、
その標準技術が素晴らしいものであるとは信じるな。
標準はあくまで標準を手にした「勝利した技術」であり、
代替技術が劣っているわけではない。
僕が思うに、勝利がすべてではない。
たとえ市場で負けていても、
優れた技術を作れば必ず支援者はつくものである。
どんなに勝利することが想定できなくても、
技術そのものは優れている。
そうした優れた技術は、
どんなに嘘偽りの情報があっても、
人々の間で輝きを失うことはない。
僕は、ここまで過激な社会主義を書いてきて、
「政治家になったら平等な社会を実現してくれる」と
思う人もいるかもしれないが、
僕は政治家になっても、何もしない。
僕は権力は欲しくない。
社会主義をやりたいなら、勝手にやってほしい。
僕をお飾りのシンボルにするのは自由だが、
僕は責任をもって自分の社会主義思想を実現したいとは思わない。
思わないと言うか、「思えない」のである。
自分が見て、このような愚かな国家モデルが成功するように思えない。
僕は社会主義国家など作らない。
有言実行のリーダーを求めるなら、
ドナルド・トランプに期待してほしい。
そもそも、僕は平等な社会そのものを望んでいない。
給付金がたくさんあったからと言って、
資産が没収されてしまうのであれば、
誰がそれを「安心して生きられる社会」と言うだろうか。
「人間は誰もが平等」など、ペテン師の言葉である。
僕はあくまで、自由と平和を堅持する。
平等な社会主義など、
「根も葉もない嘘偽り」のようなものである。
日本の何が悪いかと言えば、
日本には「責任」という考え方が無くなったのである。
何の責任もなく、無責任なことを言い、
説明することなく、いつの間にやら悪だけが忘れ去られ、
過去の栄光ばかりを持ち出して主張する。
政治家は最悪の馬鹿であり、
僕は政治家などになりたいとはまったく思えない。
自由を堅持するとは言ったが、
自由ははっきり言って必要ない。
自由のもとで積極的に行動する人間は、
全員、「積極的に破壊しているだけ」である。
自由など、ある意味がない。
みんなでひとりに従って行えば、それが一番できる。
僕が思うに、自由が無くなればよくなる。
自由な行動は、誰も望んでいないし、誰も求めていない。
みんなで仲良くやる中で、
どうして自由が必要なのか。
僕はそう思う。
自由などなくていい。
必要なのは、自由よりも「個性」である。
自由は必要ではなく、
「マイノリティをきちんと尊重すること」こそが必要なのであり、
自由そのものは必要ない。
自由な行動など、すべきでない。
また、最近はAIやロボット技術によって、
人間がどんどん「働く必要がない」社会を作ろうとしているが、
これは間違っている。
人間を馬鹿で愚かなひきこもりにしているだけであり、
そうしたひきこもりはすぐに狂って認知症になるのである。
きちんと仕事を与えればいい。
そのために自由な学習努力など必要ない。
自由な学習努力を行えと言うことは、
「身分に関係なく努力で成功できる」という平等よりも、
「勝ち組と負け組が分かれていく」という不平等の方を生み出している。
国がそれぞれに適した職業を与え、
全員に一律で同じ給与を与えればいい。
そうしなければ、良い社会にはならない。
自由な資本主義は間違っている。
富の過剰な豊かさと、過剰な科学技術は、
人間を不幸にし、社会を退廃させる。
僕は、結局、RubyやJavaScriptのことは学ばないことにした。
もっと、文学、すなわち「ものがたり」や「おはなし」を読むことにした。
青空文庫という、著作権の切れた作品をネット上で公開しているサイトがあるが、
僕は作家の名前を知らないため、
適当に「イギリス文学」で検索し、
Wikiの情報を頼りに「ガリバー旅行記」にたどり着いた。
読んでいると、とても面白い。
今、ガリバー旅行記を読んでいる。
また、僕が安倍首相の支持者や不支持者に思うことは、
「命を失う定義」がそれぞれの間で違いすぎるということである。
安倍首相は、軍事力を強化することが「抑止力」に繋がるとか、
自衛隊は「国民の命を守る」ということに繋がると言う。
だが、安倍首相に不支持の人々の間では、
安全保障法制を改革すること自体が、
戦争に導かれて「命を失う」ことに繋がると考える。
このように、人々の間で、
「何が命を失うことなのか」という定義があいまいなのである。
そして、定義があいまいだから、議論することもできない。
軍隊が守るなら軍隊は必要だが、軍隊が殺すなら軍隊は不要である。
それだけの話であり、
そのために政治的な対立も必要なく、ネット上の争いや議論も必要ない。
彼らは単純に「認められない相手が憎い」だけであり、
右翼も左翼も、まったく建設的かつ生産的でない。
僕が思うに、自由が悪いのである。
なぜなら、自由になればなるほど、
人間は敵対相手と違った立場になり、
両者はまったく違った意見を持つ人種になって、
「敵対相手を愛さなくなっていく」からである。
日本人は朝鮮人を愛さなくなり、
トルコ人はクルド人を愛さなくなる。
どんどんそのようになって、世界は完全に「不寛容」になっていく。
今、インターネットで起きていることは、
グローバルな国際レベルでの「分断の極み」である。
もっと、敵を愛せよと教えるべきである。
敵こそが愛するべき対象であると、
キリストのように教えなければ、
この世界はどんどん自由になって滅亡していくだろう。
僕が思うに、一番悪いのはIBM PCである。
IBM PCがMS-DOSを標準にしたせいで、
Microsoftのデファクトスタンダードが生まれた。
もっと別のさまざまなパソコンの機種があれば、
こうはならなかった。
もっといろんなパソコンの可能性があったはずである。
全ての元凶は、IBM PCである。
僕が思うに、ネット時代においては、
政治や経済など、過去の全てが大失敗である。
何についてかと言うと、
たとえば議会制民主主義や選挙による政党政治、
それから株式市場や株式会社、
社会保障、年金、そして中等・高等教育などは、
昔の「ネットがない世界」だからある程度成功していたのであり、
ネット時代においては、「劣悪な社会制度」になってしまっている。
まさに、ネット時代においては、
過去の全てが大失敗であり、
今までの社会制度を続けるのではなく、
抜本的に、完全に作り変えなければならない。
そうでなければ、学校でのいじめはなくならず、
政治家のおごりもなくならないだろう。
また、ネットが新しいからと言って、
ネット時代に適応していくのが正しいわけではない。
僕は、今からネットは社会を確実に蝕んでいくと思う。
ネットはオタクや狂人をどんどん作り出して、
この世界における「異常の極み」を作り出すだろう。
早い話、ネットを禁止した方が良い。
あるいは、全員がネットによって痴呆になる日が来るだろう。
トランプ寄りの意見だと言うかもしれないが、
実際、中国が悪いだけである。
日本人ジャーナリストが
「トランプは中国を不当に批判している」と言うが、
労働者から見れば、
本当に中国人が雇用を奪っている。
どんなに綺麗ごとを言っても、それは変わらない。
中国人は悪魔のように世界全ての工場労働者の雇用を奪っている。
トランプも間違いではなく、
イバンカが言うように「労働者の英雄」である。
結局、アメリカと中国は、
大国同士が潰し合って衰退するようになる。
賢かったのは日本である。
確かに、グローバル経済の中で、
日本にとっても経済には大打撃だが、
日本にとってもっとも嫌な敵は中国であり、
その次に嫌な敵はアメリカであり、
結局それらが潰し合えば、
結局は日本が賢くなって勝つだけである。
しかしながら、トランプ支持者の問題は、
本当に資本主義のアメリカを信じているということだ。
本当に金だけがすべてなら、
この世界は全て無意味である。
勝者が全てを手にして、
弱者は最初から最後まで奴隷である。
僕はアメリカは嫌いである。
そのような社会で、いくら成功しようと、
そんな成功に何の意味もない。
僕が思うに、
この世界は失敗作である。
一度、滅亡させた方が良い。
この世界は要らない。
誰が見ても、何も考えない社会では、
エントロピーは増大し続け、
乱雑さは増え続けて、
この世界は整理整頓された美しい国にはならない。
美しい国にするためには、
「誰かが考える必要がある」のである。
そして、まさにこの世界を全て考えられるのは、
僕をおいてほかにいない。
その僕が考えるに、
このようなけがれた社会は存在する必要がない。
この世界は、一度滅亡させ、最初から作り直すべきだ。
僕が思うに、
安倍が辞めても、何にも変わらないだろう。
石破であろうと岸田であろうと、
どんな人間が総理になっても、
何十年後も同じように自民党がやっているだろう。
しかしながら、希望がないわけではない。
なぜなら、安倍の「最悪の強権政治」は
終わったからである。
僕は安倍の強行採決と不遜な物言いが嫌いである。
あのような人間が首相になっていて、
何一つ良いことはなかっただろう。
しかしながら、ここから日本が変わるかと言えば、
何にも変わらないだろう。
僕が思うに、まだ自民党が続くようであれば、
それは先ほど書いたような「間違った世界」が続くだけである。
だが、社会主義勢力の左翼が、
間違った世界を「正しい世界にできるのか」と言えば、
「できない」だろう。
結局、自民党によって間違った世界を続けることが、
考えてもっとも一番ベターである。
だから、僕は安倍は嫌いではない。
理性で考えると、安倍が続くことが正しいことになる。
だが、心の中では僕は安倍は嫌いだ。
僕は、経済成長が必要ないと言いたいのではない。
経済成長すれば、国民は豊かになって楽な暮らしができる。
しかしながら、僕が思うに、
経済成長だけを特別に続けることが、
社会政策として正しいのかということである。
みんな、既に経済的に十分豊かである。
左翼政権になれば貧乏国家になると言うが、
そうかもしれないが、
今の豊かな経済をさらに豊かにすることよりも、
むしろ「維持」を行うことが大切であり、
維持ができるようにするには、
経済成長を果敢にしていく必要もあるかもしれないが、
平等に、みんなが豊かであるのと同じように、
弱者やマイノリティにも同じ豊かさを与えるべきである。
一握りの金持ちが、さらに金を、さらに金を、
と際限なく無限に金持ちになっていくのではなく、
みんなが仲良く一緒になった上で、
平等に全員を豊かにしていくべきである。
なぜなら、豊かな家庭は、「既に十分豊か」だからである。
格差問題は深刻であり、
優秀な学生ひとりをみんなでいじめるのは、
結局背景にあるのは「格差の問題」である。
みんな、金持ちは貧乏人が嫌いで、貧乏人は金持ちが嫌いだから、
鼻持ちならないおぼっちゃまが居ると、
すれた左翼がみんなでそれをからかっていじめるのである。
なぜなら、むしろ、見るからにおかしい人間は、
態度が悪く、みんなと付き合おうとせず、
「見るからに悪い人間」に見えるが、
そうしたおかしい人間はどこがおかしいのか分からない。
おかしいのはその人間の性格や個性ではなく、
裏にある経済格差の問題なのではないかと僕は勘繰るのである。