AUTHOR: schwarz1009
TITLE: わたしの名はロキ
BASENAME: 2020/08/27/160817
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DATE: 08/27/2020 16:08:17
CATEGORY: ロキ
CATEGORY: 詰将棋
わたしの名はロキ。
ここから先、フレイはロキに変貌する。
フレイは神のように見えて、
本当は世界を裏で支配する悪の魔王に過ぎない。
ロキは新しい人間として、
この人間の「もっとも賢い時代」を生きる。
ロキの能力は「恐怖を浄化すること」。
ここまで、フレイだけを記述してきたが、
まさにフレイは「恐怖そのもの」であり、
ロキはそうした恐怖に対して浄化を行う。
よって、どんなに恐ろしい状況でも、
ロキは余裕をもって対処できる。
ロキは、どんなに怖い心でも、
安心に変えられる。
どんなに恐怖を抱く精神病患者でも、
ロキはその恐怖そのものを取り除くことができる。
ロキは何をするかというと、
「安心した状態で病気の原因を破綻させる」。
それだけで、きちんと精神病は治る。
ロキが考えるに、
多くの精神病は、
間違った行動規範を破綻させないようにするから起きる。
たとえば、僕はブログのバックアップをするが、
毎日毎日きちんとしなければ気が済まないようになっている。
この「いつもバックアップをきちんとしなければならない」というのが
間違った行動規範である。
実際には、バックアップなんかしなくても、問題が起きることは少ない。
過去のことは忘れた方が良い。
過去のことを全部思い出さなければならないのは
明らかにおかしい。
過去のことを全部忘れたからといって、
問題が起きることは少ない。
ロキは、精神分析などすることなく、
「過去のことを想起させて治すのではなく、
過去のことは全て忘れさせる」だけで、
自然に全ての病気が治ることを知っている。
精神の心の傷というのは、
要するに「忘れたくても忘れられない出来事」である。
それも、何かの自分の衝動が、「忘れたくない」と言っている。
その衝動を抑えて、きちんと忘れさせればいい。
それだけで、「忘れたくないと言わなくなる」のである。
要するに、この人間は昔の自分が忘れられない。
それは、「何かが賢かったはず」だと思っているからである。
実際には、何も賢くない人間である。
パソコンの夢が忘れられないように見えて、
本当は文章を書ける自分が好きだっただけに過ぎず、
その文章は何であるかと言えば、
とってつけただけの「追記と構造化の文章」であり、
そんなものは賢くない。
ヘーゲルのように何かが賢かったと思っているのは、
単純にヘーゲルが馬鹿だっただけである。
人生を最初から最後まで全て分かってしまうと、
考える知性を失ってしまう。
それがこの病気の原因であり、
そうした「全てが分かった人生を忘れる」ことでしか、
この人間は治らない。
グンテルの時代、どんどん忘れて分からなくなったのは、
そもそもそういう病気だったからである。
この病気に名前は無いが、
あえて名前をつけるなら「全部分かった愚か者の人生の病気」である。
人生をきれいさっぱり忘れてしまえば治る。
もう、Linuxは諦めた方が良い。
昔のネットの愛好家同士の楽しみだっただけである。
そんなものは、もうない。
おそらく、本当に居たのはグンテルとフレイだけである。
グンテルが父で、フレイを母とすれば、
ロキはその二人の子供ということになる。
グンテルは消え去り、フレイがロキを育てる。
問題はない。
今までの全ては忘れた方が良い。
大学もインターネットも全て馬鹿である。
そうしたものは、まともな人間にしかできない。
学問に王道は無い。
フレイのやり方もまた、正しい。
なぜここでロキが生まれるかというと、
女は14歳ぐらいになれば子供を産むべきだからである。
グンテルは18歳。フレイは14歳。
二人合わせて32歳だが、
実際はグンテルの年齢は21歳である。
なぜなら、死が起きたのがそれくらいだからである。
しかしながら、グンテルからフレイが分岐したのは18歳である。
問題はない。
このまま、フレイはロキとともに成長する。
まだロキは生まれたてで、何も分かっていない。
そんなに、ものごとを詳しく理解しようとしない方が良い。
そもそもこの世界には、愚かなものしか存在しない。
馬鹿なものは学ぶべきでないと言ったが、
実際、僕にできることはパソコンぐらいしかない。
ネットを見ていると、JavaScriptがよさそうだと言うことが分かった。
JavaScriptはとても最新技術が豊富だ。
最近は、「Ruby on Railsはもう終わった」と言われている。
クライアントサイドでもサーバーサイドでも、JavaScriptを使うのが普通である。
Node.jsでも学んでしまえばいい。
それだけでトップエンジニアになれる。
プログラマの姉も以前、「Javaは分からないがJavaScriptは分かる」と言っていた。
やるならJavaScriptとは言うが、
パソコンについてはもう終わりにした方が良い。
きちんと全ての技術を一通り書いた。
作家としては問題ない。
Linuxやオープンソースに執着しているが、
実際はパソコンの開発現場はとてもつまらない。
インターネットは面白いものではない。
昔のインターネットが無くなって、つまらないのが悲惨なだけだ。
昔の日本に比べて、今の日本がつまらないのは仕方ない。
なんでもツイッターやSNSになったせいで、
「面白い集団やグループ」がリアルに存在しなくなったからである。
しかしながら、昔のオタクは賢くない。
今見ても、エヴァンゲリオンは馬鹿だ。
大量殺戮と暴力表現だ。
何も賢くない。何もない、今の方が平和だ。
オープンソースが楽しいのは分かる。
現実世界で開発するよりも、
インターネットの仮想世界で開発した方が、
実際のところ、楽しい。
この人間は、そこが狂っている。
今の現実世界が嫌いだから、オプソを愛している。
やめた方が良い。
オプソは最初から狂っている。
あれ以上、おかしなものはない。
実際、そこまで考えると分かる。
要するに、現実世界に楽しい友人が居なかっただけだ。
そのせいで、オプソでLinuxが好きになった。
実際のところ、学校に行かなければ友人はできない。
学校に行けばよかったのである。
高校に行かずして、友人ができなかったからオプソが好きになった。
これはそれだけがおかしな人間である。
まさに、この人間は学校に行かないが、
逆に、そこが良かったからこのような人生を最初から選んだ。
自分で、独自に、自分なりに研究がしたいなら、
作家で本を読めばいい。
パソコンの友人など、作らなくていい。
ひとり、神を信じて文章を書くならそれでいい。
そもそも、学校などある意味がない。
明治よりも前の人間は、文字など読めなくても賢く生きている。
これもこれで、正しい人生だ。
だからこそ、まだオプソをやっているのであり、
問題は何も存在しない。
また、この人間がやりたかったのは、
戦いでも支配でもない。
「世界を自分色に染めたかっただけ」である。
この人間に息子や娘は必要ない。
全ての人間を自分にしたせいで、
この国の国民全員がこれの子供である。
それでも、問題はない。
むしろ、今見て、エヴァンゲリオンが相当な馬鹿なのがおかしい。
あれでは意味がない。
今の日本の方がはるかに良い。
自分がやったのはそれだけで、そのために生涯をかけて努力した。
その結果が、このブログに残った。
このブログはそういう作品であり、フィクションでも妄想でもない。
僕は今テレビの録画でエヴァンゲリオンを見ているが、
あれでは単に殺したいだけである。
こんなものは誰も見たくない。
実際のところ、エヴァよりもフレイの方がよかった。
フレイは怖いように見えて、実際に読むと何も怖くない。
すらすらと頭に入って、人生経験と知識のことがきちんと分かる。
これほどいいものはない。
フレイはよく頑張っているだろう。
そもそも、パソコンのことなんか誰も分からない。
パソコンのことしか考えないのはやめた方が良い。
それが一番分かっていない。
それから、自分自身のことばかり考えて分かるわけがない。
普通のことを何も知らないなら、
子供のように考えればいい。
そうすると、きちんと色んな言葉が自然に出てくるようになる。
子供すぎるのは仕方ない。
14歳ぐらいになると、ここまで馬鹿になる。
もう、結婚して子供を産んで死ねばいい年齢になると、
すぐに大人になってどんどん馬鹿になる。
元に戻る人間はいない。
馬鹿になればなるほど、馬鹿に壊れてどんどんおかしくなる。
僕の人生がそうだったように、みんなもそうだから、
馬鹿にならない人間しか賢くない。
エヴァを見るのはやめた。あんなものは見たくない。
要するに、オタクの理解しすぎである。
Rubyを分かっているように見えて、
分かっているのは全部「オタクの常識」であって、
そのオタクの常識をどんどんまともな技術者に直している。
意外と、僕とこの国が同じになっている。
昔はオタクが多かったが、
そのオタクがどんどん現実の賢い技術者に直されている。
僕と世界は、そのようにつながっている。
ここで僕がオタクをやめると、
国からオタクが居なくなる。
それで、もう平和な国になるだろう。
ロキは最初から王だ。フレイさまを継ぐ男だ。
また、藤井聡太がものすごく賢いと言われるのは、
上の世代がまったくパソコンが分かっていないのである。
上の世代のプロ棋士が、AI時代に完全についていけていない。
藤井はその点、AIについてきちんと完璧に理解している。
だから勝てるのである。
僕が思うに、おそらくAIが指す好手を全部覚えている。
好手だけを覚えるのなら、そんなに大量のデータは必要ない。
そして、好手がなぜ指せるのかを考え、
好手を自分が指せるように学習している。
そこが分かれば、きっと他の棋士も勝てるだろう。
AIが指す好手をそもそも知らないから、他の棋士は負けるしかない。
僕が思うに、そのうち藤井聡太がみんなに教えるようになる。
「ここはこう指すのですよ」とみんなに教えるようにしかならない。
藤井はAIの指した好手を全部覚えていて、
その好手が生まれる背景や理由まで分かっている。
6億手考えなくても、きちんと前提条件さえ分かってしまえば、
人間の考える力の方がAIより上である。
将棋は、盤面から盤面が生まれるゲームである。
よって、「どんな盤面からどんな盤面が生まれるか」ということを
考えるとよく分かる。
一端勝つ状況になってしまえば、
後は立て続けに詰めるところまで進む。
その「勝つ盤面」が重要である。
勝つ盤面に持っていけば勝てる。
難しくはない。いや、明らかに難しい。
明らかに、その「勝つ盤面から正確に勝っていく」のが詰将棋だが、
僕が思うに、勝つ盤面からどうやって勝つかよりも、
その勝つ盤面にどのようにしたら近づけるか、
ということが大切ではないかと思う。
テレビのお笑い芸人(たぶん宮川大輔)が言うように、
「勝ちパターンに持っていけば勝てる」。
そのためには、どうやって勝ちパターンに持っていくか、
そしてどうやってその勝ちパターンに繋がるパターンに繋げるかという、
パターンの変換作業をしていけばいいのである。
僕が考えるに、おそらく最初から何をしても勝つ人間だ。
最初から、どうすれば勝つのか全て分かっているため、
淡々とそれを指している。
藤井はきっと、少し指せばすぐにそこからの勝ち筋が見える。
あとは単に普通に指しているだけである。
僕が思うに、陣形がたくさんあるのによく読めるなあと思う。
持ち駒に歩がひとつあるのとないのではまったく違ってくる。
そこまで細部の陣形を知った上で、
正確に指せるのが凄いと思う。
ただし、正確に指すことだけが目的ではなく、
どのように「チャンス」を作り出すか、
ということが切り札になると思う。
哲学のようなことを言うが、
たくさんのパターンから原理を導き出せば
藤井にも勝てるような気がする。
たくさんの勝ちパターンがもしあったとして、
その勝ちパターンには共通する事項が何かあるはずである。
その「共通する事項」を詳しく分析すれば、
それは「原理原則」となる。
そのようにすれば、きっと勝てるのではないかと思う。
僕が思うに、キーとなるのは
「指せる駒はいつもひとつ」という法則である。
二つの駒をいっぺんに指すことはできない。
そのため、一度勝ちパターンに入ってしまえば、
その主導権を「支配」するだけで完璧に勝てる。
相手は必ずひとつしか動かせない。
自分も必ずひとつしか動かさない。
それで、勝てばいい。
相手が意表を突いたおかしな手を打ってきたら要注意。
罠にはまってしまえば、
あれよあれよという間に負けてしまう。
それしかできないような陣形に持っていかれる前に、
自分が相手の主導権を支配しなければ、
藤井には勝てない。
僕が思うに、将棋の駒の盤面だけではなく、
それぞれの駒が動くことのできる「利き」を考えないといけない。
将棋盤に駒が置かれているだけではなく、
目に見えない「利きの盤面」を想像力で把握するのは、
将棋だけではなくオセロなどでも同じ。
しかしながら、
「一度に動かせるのはひとつの駒だけ」というルールがある。
けっこう難しい。想像力が必要である。
また、「自分で指す手」と「相手が指す手」が交互に現れる
という特徴が将棋にはある。
そして、自分が指す手は自由だが、相手が指す手は自由でない。
しかしながら、自分が指す手によって相手が指す手は変わる。
その相手が指す手によって、自分がどのように指すかを考える。
そういうわけで、将棋は二人居ないと成立しない。
詰将棋の場合、最善の手を相手が指すと仮定して、
自分が「正しい手」を指して勝つが、
勝負の世界では、自分が正しい手を指しているかは分からない。
相手が何を考えて指してくるかを考える前に、
その「相手の差す手」自体を不可能にしていくことも必要となる。
また、僕が思うに、
盤面を一気に変えるような手を打つことがあるが、
そこから正確に寄せていくと、
それで勝てる。
これこそ、将棋の基本ではないか。
盤面をどんどん自分で変えていく。
そこから一気に攻め込んで勝っていく。
相手は受けるしかなくなって、
正確に寄せられて負ける。
意外と、そういう風に分かってしまえば、
何かが分かったような気がする。
要するに、最初はそういう風に指せばいい。
自分なりに「こうだ」と思った攻め方をして、
それがどのような大惨事になるかを見ていれば、
それで将棋は指せている。
最初はそこからだ。
僕が思うに、
たくさん戦う経験があるのはいいことである。
その戦った経験が、
自分の力になるからである。
藤井聡太は、戦って勝つということが好きなのだと思う。
そういう人間の方が、大人になる。
藤井聡太は大人だと思う。
何もしないで楽しいことばかりやっていると、
どんどん弱くなって馬鹿みたいになる。
自分みたいにそういう女が多い。
藤井には強くなってほしい。
そのために、藤井よりも賢い人間がどこかに居ないといけない。
僕ならそういう人間になれるような気がする。
藤井以上、賢い人間は将棋界に居ない。
既にトップ棋士の中のトップである。
僕ぐらいしか、藤井の相手になる人間は居ないだろう。
将棋の特徴として、
飛車と角だけは利きが大きいが、
他の駒は利きが小さいという特徴がある。
すなわち、大きく見るべきは飛車と角だけであり、
あとは全て小さく見ればいい。
僕はまだ何も分かっていないが、
そこが分かると、「次の一手をどこに指すか」が見える。
飛車と角だけは、
「全体の盤面」で考えないといけないが、
他の駒は盤面というよりも「小さな状況」で考えればいい。
僕が考えるに、
一度飛車と角だけを除外して考えるとどうか。
王将が真ん中にあって、
他の駒は全て銀と金。
そこから王将をどのように攻めていくか。
それを考えると、銀と金がどう働くか見えてくる。
飛車と角だけのない将棋の盤面を想定すると、
どのように動かせるかを考えれば、
「将棋の基本的知性」が身につく。
そう、飛車と角は、
そもそも将棋にはあまり必要のない駒だったのだ。
僕が思うに、そこまで考えると、
歩の意味がよく分かる。
歩は、陣形を崩すために使うことができる。
相手の陣形をむちゃくちゃにするために
歩は使うことができる。
そこから金、銀が攻めていく。
あるいは相手が攻めてくれば自分は守る。
そして、そこまで考えると、
飛車や角だけではなく、香車や桂馬が使えることも分かる。
むちゃくちゃにした陣形に、
香車や桂馬が攻めていく。
まさに、そのように面白いのが将棋だ。
また、持ち駒という制度がある。
持ち駒に取った駒は自分で打つために使えるが、
実際、相手の持ち駒に取られたからといって、
その代わりに相手の陣形を崩せるのであれば、
あえて取られるという方法もある。
相手をおびき寄せるために、
自分から取られるように動くというのは、
将棋の常套手段である。
つまり、「駒が取られないようにするか、陣形を崩すか」という
トレードオフが発生する。
いつでも駒が取られるわけではないため、
逆に相手の陣営に歩が突き進んで、
成金となって相手を攻め倒すといったことも、
おそらくできる。
王手とは何であるか、
じっと目を凝らして見てみよう。
実際、陣形がどんな形状になれば、
それで「詰んでいる」と言えるのか。
そこが分かったら、将棋の目指すべき形が分かる。
まずはそこからだ。
飛車と角を使った王手、
歩による王手、
あるいは金や銀による王手、
香車や桂馬による王手。
じっと見ることで、何かが分かる。
僕が思うに、何も考えずに攻めると、
必ず持ち駒が減る。
歩を取らせて、そこから桂馬で攻めるのはいいが、
歩を取らせた時点で相手は歩を打つことができることを
忘れてはならない。
ただし、攻めるのは最大の防御だ。
攻め続ける中で間違えなければ、
それで防御が同時にできている。
それもそれでアリである。
これで、僕の将棋理論は終わりだが、
あとは陣形を覚えて、詰将棋をすればいいと思う。
矢倉とか、穴熊とか、いろんな陣形があるし、
詰将棋は一手詰めぐらいなら僕でも少し読んだことがあるが、
三手詰め、五手詰めとなってくるとわけがわからなくなる。
だが、藤井聡太は41手詰めを30秒で解く。
そこまでできると、おそらく藤井聡太にも勝てる。