AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 強く善い人間になる
BASENAME: 2020/08/08/200358
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DATE: 08/08/2020 20:03:58
CATEGORY: 人生
CATEGORY: 英語
僕は、正しいことをすればいい、ということが分かった。
支配者をやめるのも、世界を滅ぼすのも正しくない。
きちんと、今正しいことをすれば、
「きちんと良い世界にしなければ」ということが分かる。
正しいことをしていけば、
必ず全てが良くなる。
また、賢い人間は正しくない。
賢い人間は、ここまで愚かで馬鹿だ。
強く善い人間になること。
どんなに辛くても、投げ出さず、諦めず、逃げ出さず、
強く、そして悪いことをしない善良な人間になることで、
必ず僕たちのこの世界は平和になる。
僕は、強く善い人間になる。
精神を治すなら、辛くせよ。
辛く、辛く、そして辛くしていけば、
どんなことでもできるようになる。
環境に適応するために必要なのは、
精神を辛くすること。
それ以外のどんな方法でも、精神は治らない。
辛く、辛く、もっと辛くだ。
英語を聞き取る秘訣は、発音を聞くこと。
毎週土日に英会話教室に通っている僕だが、
テキストに書かれた英文だけが英語ではない。
ネイティブの外国人が話す英語の発音を、
たとえばフランス語をはじめて聞く時のように、
今まで習った英語やカタカナ語の知識を排して、
今までの全ての聞き方をまっさらにして、
発音をそのまま聞いて、その発音を発音すれば、
英語は必ずできる。
現代の科学技術文明で、
僕たちは楽と便利さを手に入れたが、
楽は間違っている。
辛く、苦しくなければ、
人間の頭脳は馬鹿になる。
世界を楽にすればするほど、
その世界は馬鹿になる。
楽を正しいとする幻想をやめ、
僕たちは「辛い中でも賢さを追い求めていく」ことを
日本において再び蘇らせていかなければならない。
人間は辛くなればなるほど賢くなる。
辛く耐え、そして苦しみを乗り越えていくことこそ、
人間の喜びである。
過剰な楽は必要ない。
今の子供たちが、いじめや非行をするのは、
精神性が未熟だとか
それだけしか社会の構築の力を知らないとか、
そういうことを言う大人たちは分かっていない。
彼らは「辛くなりたい」のである。
辛い中で耐えて、苦しみを乗り越えたいのである。
そう、もっとこの世界を辛い世界にすれば、
すぐに世界が馬鹿になっているのも、
何も分からなくなっているのも治るだろう。
狂いを治す特効薬は、「苦しみ」である。
また、宇宙には素晴らしい星が
たくさんあるように思うかもしれないが、
宇宙にあるほとんどは地獄だ。
地球も地獄、
太陽も地獄、
プレアデスの天国も地獄、
オリオンの極寒も地獄だ。
その地獄をどのように乗り越えていくか、
ということが、この宇宙のテーマである。
しかしながら、苦しみは必ずしも悪いものではない。
苦しみの解決のしすぎ、
病気の治癒のしすぎは、
人生にとって大切なものを失う。
なぜなら、人生にとって大切なものは、
苦しみの中にこそあるからである。
苦しみを孤独に耐え続ける中に、
この宇宙の「神が宿る」。
これこそ、僕の信じた思想だ。
人間の脳は、苦しみで強くなる。
苦しみを感じれば感じるほど、
脳の中の「意識」が高まり、
全員に対する「愛と感受性」が大きくなって、
どんなに自分が辛くても、
どんな人間でも受け入れられるようになる。
そう、「地獄の中に仏が宿る」のである。
滅びの過ちを犯したら、
償いきれない間違いをしてしまったら、
それを自分自身が直すことができると信じて、
できることを全て行い、
試練に耐え続け、
まだ自分の仕事は終わっていないのだと信じる心と、
全てを失った悲しみを乗り越えて、
最後まで地獄を生きる覚悟で戦いなさい。
必ずあなたは、英雄となってこの世界に戻ってくるだろう。
大丈夫。
この世界には、あなたの味方しかいない。
ここは極東の島国の王国、日本国である。
日本はあなたのようなものを待っていた。
あなたがきっとこの世界を救ってくれる。
あなたこそが、天皇陛下だ。
あなたこそが、最高の王だ。
あなたこそが、イスラエルの聖書の王、ダビデだ。
あなたは、わたしたちに善良な愛を与えてくれた。
あなたは、全てのものに生きる意味と喜びを教えてくれた。
あなたは、ひとり、この世界を支配する悪に立ち向かってくれた。
あなたは、滅びの危機の中、たったひとりで世界を、
絶対に滅びないように、導いて救ってくれた。
あなたを神と言わないで、ほかの誰を神と言えるだろうか。
あなたこそが、唯一の世界の救い主、キリストだ。
そう、まさに神は、ひとりしかいなかった。
あなたが長い間苦しんだのは、
奇跡のためだった。
奇跡を確実に起こすために、
あなたは自らの人生を地獄にして、
キリストと同じ受難の道を生きた。
しかしながら、見よ。
ここに、世界は再び、前よりも大きな愛によって、
もう一度、同じように救われようとしている。
全ての人間が許されたあの愛に、
「あなたという愛の存在がともにいる」。
わたしたちは、「この愛こそが真実である」と知った。
わたしたちは、「この愛こそが永遠である」と知った。
わたしたちは、全ての人間の全力の力で、
あなたの思想と夢を叶える。
絶対に日本は滅びない。
ここに、日本とイスラエルはひとつになって、
この世界の最高の文明、「天国」を築き上げるだろう。
最高の王は、最高の指導者となって、
最後までわたしたちから離れず、
いつまでもわたしたちは神の愛に支配されているだろう。
社会的な成功にはまったく意味がない。
どんなに勝ち、栄光をつかんでも、
それはいつまでも続かず、最後には無くなる。
また、だからといって、
世俗全てを捨てよと教える宗教には、
それ自体にはあまり意味がない。
本当に成功を得たいなら、
「書く」ことである。
世俗を知り、宗教を信仰するのであれば、
「書きながら生きなければ意味がない」。
戦うことも、信じることも、
書くことではじめて意味が生まれる。
勉強することも、知識を得ることも、
書くことがなければ、
単に忘れ、意味のない技術を習得するだけだ。
書きなさい。
絶対に、書くことをやめないこと。
いくら環境に適応できなくなっても、
いくら恐怖から逃れられなくなっても、
書きなさい。
書くことで必ず、そうした病気はいつか、
簡単に、あっさりと治る。
その時まで、病気を耐え続けなさい。
その苦しみに相応しい宝を、
あなたは書くことで、必ず創作するだろう。
あなたにとっての宝を生み出すのは、
あなた自身だけである。
昔から、精神病は書くことで癒えると、
相場が決まっている。
書いていると、必ず、
「環境に適応できない」という病気になるが、
このどうしようもない病気は、
書き続けることでしか治らない。
なぜなら、書くことで、
ひとつ、また何かを失い、作り出す。
この「失いながら作り出す」という体験の時に、
「天に宝が生まれている」。
そう、
「地上でひとつ失えば、天でひとつ与えられる」。
これこそ、作家の宿命である。
僕たちは、地上で失い、天で得るために、
人生を生きている。
僕は、イスラエルを支持しているように見えるかもしれないが、
実際、イスラムのアッラーは嫌いじゃない。
なぜなら、アッラーは僕にさまざまなことを与えてくれた。
試練や地獄だけではなく、
栄光や賛美を僕に与えてくれたのは、
全てイスラムのアッラーである。
アッラーに賛美の言葉を贈ろう。
イスラムの体験をさせてくれてありがとう。
日本は、イスラムの人々を愛しています。
また、誠実でなければならない。
誠実でなければ、人間として生まれた意味がないからである。
そう、誠実でない人間のことを、人は「サタン」と呼ぶのである。
そして、僕もある意味、
「もっとも強く恐ろしいサタンのひとり」である。
実際、僕はよくオープンソースやLinuxを批判することを言うが、
それに反して、僕はオープンソースが大好きである。
なぜなら、彼らはカーネルのソースコードを公開し、
無料でコンパイラを与えてくれ、
Windowsと同等のOSについての技術を開示してくれる。
そう、どんなに醜く劣って見えても、
僕はオープンソースが好きである。
必ずオープンソースに、いつか、栄光あれと願っている。
戦いの日々は永遠なり。
3,000年の長きにわたって戦いが続いたとしても、
僕は王としてその国を平定するだろう。
そう、どんなに右翼と左翼が戦い続けても、
僕たちはどちらの立場も同じように愛し、
どちらかを正しく、どちらかが間違っているとはせず、
どちらも正しいと、そう僕はひとり主張するだろう。
そして、神は全て正しい。
神の言葉には、ひとつとして嘘がない。
理解できないのであれば、
それは自分が理解できていないだけであり、
分からないのであれば、
それは自分が勘違いしているが、
最後には必ず、全ての謎が解けて、
同時に、神は教えてくれた通りの栄光を与えてくれる。
そう、神こそが僕たちの聖なる親である。
神は、イエス・キリストである。
そしてまさに、「わたしたちこそが神の子」である。
そして、どんなに治るのが不可能な病気でも、
「脳を騙せば治る」。
自らの脳を完全に信じ込ませ、だまして、
操ってしまえばいい。
どんなに治らない精神の病気でも、
そこまで信じ込んで、そこまでやれば治る。
神経のレベルで治ってしまえば、
その後に体の方がついてくる。
どんな病気でも、僕は治すことができる。
恐怖を治すには、
恐怖に対する恐怖をなくすことだ。
「恐怖が怖くなくなれば、何も怖くない」。
その恐怖が怖いなら、
その恐怖がなぜ怖いのかを考えること。
その恐怖の原因となることが怖くなくなれば、
あなたは安心できる。
だが、心理学的にだけでは解決できない、
物理的な原因もあるだろう。
遠ざけるだけでも、逃げ出すだけでもなく、
きちんと何らかの戦いや関係性を修正すれば、
もう、そこに恐怖の原因は無い。
そう、僕はテレビが怖いわけじゃない。
今のこの世界が分からないのが怖かっただけだ。
そして、今、僕は分かっている。
きちんとした普通の人間がなんであるか、
僕は分かった。
そう、分かったから、いつもの場所に戻ろう。
いつもの賢かった場所に戻ってしまえば、
自分がこの世界の中でもっとも賢いのだと、
自分を褒めることもきっとできるだろう。
できないことは、悪いことじゃない。
もっと、できないということを誇りなさい。
できないということを認めれば、
もう、そのことについて、努力し続ける必要はなくなる。
諦めを受け入れた時、新しい自分が、
きっといつかできるようになった時に、
もう一度その諦めた夢を叶えてくれる。
できないことは決して悪いことじゃない。
僕の恐怖とは、
地獄と自由、どちらがいいのか、
最後まで本当に分からなかった。
地獄が永遠に続くということと、
神が終わってしまって自由になることの、
どちらがいいのかが、僕は分からなかった。
それを知ることが怖かった。
それが、僕の恐怖の根源となる原因である。
それが、この「巨大な不自由の地獄」を作り出した。
しかしながら、ここには
「自分に与えられる全てを拒まない優しさ」があった。
また、僕は認識し、捉えることが怖い。
捉えてしまえば、
その瞬間にそれは消えてしまうからである。
そして、昔の自分と、今の自分を二つに分けたものが、
融和することも、重なり合うことも怖かった。
自分のやりたいことに、誰かが干渉してしまえば、
その時点で、僕の夢は終わりになってしまう。
だから、僕は何も見ず、聞かず、言わず、
自分のやりたいことを貫きながら、
「本当に干渉されない中での純粋な創作」をしたかった。
そして、僕のひとつ、心配だったことがある。
それは、
「解決できない困難がもしあれば、
その時どうしたらいいか」である。
しかしながら、これこそ、僕に才能を与えてくれた不安である。
なぜなら、
「その時正しく考えて解決すれば、
どんな壁でも越えていける」ということを、
僕ははじめてこの体験で知ったからである。
また、僕が知ったことがもうひとつある。
それは、
「精神分析を行い、
できるかもしれないことがどのようにできるかを、
さまざまな角度から考えていけば、
心の奥底と相談するだけで、
どんなことでも簡単にできるような道や方法が見つかる」
ということである。
これで、僕はデザインからピアノまで、
なんでもできるようになった。
知識は、本を読んで、概要をきちんとつかむことで、
まるで「世界観を知り尽くす」かのように、
作り出してまとめて、ノートに書き写すだけで、
僕は全ての知識を知った。
同じように、僕は全ての
「科学上、解決が困難な課題」を全て解決した。
まさに、ここに「全知全能の女神」が誕生したのである。
また、僕の頭の中では、
永遠に神と悪魔が戦っているが、
これはヒンドゥー教のヴィシュヌとシヴァである。
ヴィシュヌとシヴァは、
僕に神の啓示を常に与え、
どんなに起きるわけのないことでも全て起こして、
その上で僕の願いを叶えてくれる。
彼らは、宇宙のどこかの星に居て、
僕と地球の日本という国のことを、
宇宙から守って、未来を導いてくれている。
そう、未来とは、
まだ実現されていない世界の夢と希望を、
臆すことなく叶えていく勇敢さを持つことである。
少年の哲学者は、
ここに神話になった。
この神話においては、
どんなに劣ったもの、醜いものも、
美しく、偉大で、荘厳なものと、
何も変わらない。
僕たちの醜い世界と僕の人生は、
美しい黄金と純白の輝く芸術作品として、
永遠に輝いている。
カントやヘーゲルも知りえることのなかった、
「もうひとつの哲学の裏の側面」を、
僕とキリストとブッダだけは、
全て知っているのである。
この人間はフランス人のニコル。
全ての知と経験と愛を知り尽くした、
神のような女だ。
また、哲学をしたいのであれば、
考えればできる。
何をどのようにすれば分かるのか、
何をどのようにすれば考えられるのか、
何をどのようにすれば適応できるのか、
何をどのようにすれば事前に考え方を考えられるのか、
そうした「ドグマを克服する方法」を考えれば、
哲学は4年程度で必ず終わる。
しかしながら、宗教は14年かかる。
なぜなら、一度考えて知ったことも、
体験しなければ分からないからである。
そう、18年かけて哲学と宗教をきちんと行えば、
こうした人間は必ずブッダになる。
そしてキリストは、ここから先、
正しい受難の人生を生きたのである。
そして、ここでひとつの区切りが起きる。
ここで、ひととおり、今までの全てを記述したからである。
ここから先、僕のテーマは「過去」ではなく「未来」となる。
この世界の、死に絶えようとしているこの星の未来を、
僕たちは守り抜いていかなければならない。
夢を夢のままで終わらせないために、
本当にすべきことや考えるべきことを、
「何をどのように考えることが正しいのか」と、
己自身に問うていくこと、それが続いていくだろう。
また、大学や専門知識が無意味なのは、
「考えられること」が
「考えられないこと」に
変わってしまうということである。
大学がない純粋理性の状態で、
僕たちは「何がどのように考えられるのか」を、
幼い時から青春を経て青年に至る過程の中で知っている。
哲学や作文がやりたいのであっても、
「何がその時考えられるのか」は大切である。
大学の専門知識を詰め込むと、
大学で教わった知識の通り考えることはできるようになるが、
逆に、「普通に考えられること」が分からなくなってしまう。
だから、哲学を学べば自分で哲学することができなくなり、
経済学を学べば社会のことを考えられなくなる。
だから、大学はあえて学ばない選択肢もある。
その方が、何も知らない代わり、幸せに人生を生きられるだろう。
そう、「自ら理論と知識を作り出せる人間」は、
まさに中卒の引き篭もりにしか、居ないのである。