AUTHOR: schwarz1009
TITLE: テレビ・マスコミが悪い
BASENAME: 2020/08/01/162535
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DATE: 08/01/2020 16:25:35
CATEGORY: テレビ・マスコミ
CATEGORY: 社会
CATEGORY: 教育
僕が思うに、テレビやマスコミが悪い。
テレビやマスコミは、おかしな支配者に騙されている。
テレビやマスコミは、
自分たちが悪いことにひとつも気が付かずに、
悪いものを悪いと言うせいで、
何も言われなければ自分では何も分からない組織になっている。
その結果、何も言わずに支配するおかしな支配者に、
愛されているふりをして、
結果、その支配者の奴隷になっている。
日本の国民全員を騙すその支配者は、
テレビやマスコミを上手く使うことで、
金をだまし取るのでも、権力を得るのでもなく、
自らの「実質的帝国」を作り上げた。
支配者は国民をロボット人間にし、
自らの意見がなんでも通るようにした上で、
人々から正常な知性を奪い、
人々に対して「裏切り」を働いている。
インターネットの無意味さというのは確かにあって、
それは、「根拠のない嘘を言う」ということである。
僕自身も反省すべき点があるが、
何一つ根拠のない情報を、
さもその業界の常識であるかのように普及させてしまう。
真実を知らない人間は、
その情報が真実であると騙されてしまう。
これが、さらに「悪意を持った支配者」によって騙されると、
みんながあっちへいけ、こっちへいけと
風見鶏のように変わってしまうのである。
はっきり言って、戦いの方がマシである。
死ぬか生きるかを賭けた戦いを、
きちんと全力でしないから、
こういう馬鹿な国になるのである。
最前線で、ドイツのように戦えばいいのである。
それだけで、神はあなたをひとり救ってくれるだろう。
まあ、戦争は悪いとみな言うだろう。
だが、ソ連をきちんと倒さないから、こういうことになるのである。
きちんと、社会主義陣営を倒した方が良い。
悪いのは全て共産圏だ。
きちんとした正しい支配者の帝国にすれば、
悪の支配者は正義に全て負けていく。
一番悪いのはアメリカである。
アメリカは、「自由なら戦争してもいい」と思っている。
自由が正義だから、正義の国は不自由な国全てを倒していいと
勘違いしているが、間違っている。
不自由な国にも正義はある。
自由こそ真っ先に倒れるべきであり、
不自由な帝国がもっとも平和に栄える、ということを、
アメリカ人は知らないのである。
アメリカ人に、賢い理性ある国を築くことはできない。
現に、今の日本人は、おちゃらけているだけではなく、
どんどん幼児化している。
このような国では、いずれ全員が白痴化して滅びるだろう。
帝国では、何の正義も理想も存在しないと思うかもしれないが、
むしろ、神を信じればいい。
キリストがきちんと正しい理想と正義を述べている。
神を信じる帝国は、どんな蛮族にも負けることがない。
蛮族がなぜ蛮族なのかは、聖書に全て書かれているからである。
昔から、それがもっとも正しい正義である。
また、僕が思うに、民主主義で世界をよくするには限界がある。
限界の最たる例が、インターネットと温暖化である。
自由では、絶対にインターネットと温暖化を解決することはできない。
僕たちは帝国に戻る必要がある。
絶対君主の世界になって、みな、
「インターネットも温暖化も、国王の政策ですぐに解決した」と、
口をそろえて言うようになるだろう。
絶対君主の権力なら、
簡単に「化石燃料や自動車を使うな」「インターネットを廃止」と言えばいい。
それだけでたった1週間で、
世界の全ては正常になるだろう。
昔から、権力とはそのために、
国家の意志決定者であり代表の長である王のために、
たったひとりにだけ用意されているのである。
また、科学技術のような発展や進歩は必要ない。
科学技術は、国民のことをまったく幸福にしていない。
社会はどんどん劣悪かつ孤独な狂人になり、
学校で学ぶ意味など、「自分から愚か者になるため」である。
そんな大学にいつまでも支配されていては、
テレビとマスコミに次いで、
二番目に悪いものは学校教育ということになるだろう。
しかしながら、帝国になったからと言って、
平和と平等自体は間違っていない。
なぜなら、国王が支配した上で、
他の誰も支配できなくすること自体が、
この世界をもっとも平和な世界に作り変えるからである。
そのように、「ひとりだけに権力を与える」ことは、
この世界、地球全体を平和にする。
たくさんの人間が力を持つと、必ず争い合いが生まれる。
そんな愚民愚衆の争い合いの世界は、もううんざりである。
しかしながら、問題はそう簡単ではないということは分かる。
たとえば、原子力について言うと、
簡単に原子力政策を取りやめるのは難しい。
さまざまな問題があるが、
中でも、もんじゅなどをはじめとする核燃料再利用のサイクルなどは、
最初から「夢のリサイクル」を目指して原子力発電所が建設されたため、
核のごみについては、リサイクルすることを念頭において、
全てリサイクル目当てで、そのまま保管されているが、
もしリサイクルしないのであれば、「核のごみはどうするのか」という
頭の痛い問題がでてくる。
僕もそうした核燃料サイクルに詳しいわけではないが、
こうした「夢の技術」というのはほとんどが最悪であり、
オープンソースやエスペラントなども同じで、
まったく現実に移そうとしたときに、理論通りに事が運ばない。
そう、「自然界にないものをちっぽけな人間の理性で生み出そう」という
こと自体に限界がある。
「人間は馬鹿な動物」であり、「理性など単なる言葉遊び」であるということを
きちんと直視して政策を行わなければ、
人間の理性を超越した「地球」に必ずしっぺ返しを食らうのである。
僕が考えるに、核のごみは宇宙に処分するしかない。
信頼性やコストの面から現実的でないと言われているが、
実際、100年後の技術がどうなるか分からないため、
原発は無くして、100年後にロケット技術が向上した時に、
全部宇宙のどっかに飛ばす。
他に、僕が考えられる解決策はない。
また、僕はインターネットはとても危険な技術だと思っている。
それは「人生を無意味化する」からである。
ゲームなどで廃人になるだけではなく、
あらゆる手段を用いて、人間の人生を無意味にしていく。
インターネットがなければまともな人生を生きられた人間が、
インターネットによって、廃墟の人生を歩むように、
アメリカのIT企業に上手く騙されて導かれていくのである。
人間が軍事主義に陥るのを、
「人間性や道徳に反している」と思っている人間が多いが、
それは教育が間違っている。
人間は、そもそも戦う生き物である。
それも、人を殺すために戦うのではなく、
国家を悪い外国人から守るために戦うのである。
これは、そもそも、仕方のない生物の遺伝子の特徴であり、
どれだけ理性で否定しようとしても、
本能的には戦うことを望んでしまうのである。
一度、学校教育を廃止してみればいい。
今までの学校教育があった人間の成長過程が、
どれほど不自由で、愚かだったのか、
ということが分かるようになる。
子供たちに自由な経験をさせないということは、
手を使うと戦うから腕を切り落とすといったことに等しい。
子供たちは、今の自由主義社会に、
もっとも一番大切な「自由な時間」を奪われている。
全ての大人たちの与える娯楽が間違っている。
学校も、テレビも、インターネットもない中で、
子供に自由な思考の時間だけを与えれば、
必ず子供たちは賢い大人に成長するだろう。
僕は、議論や喧嘩はしたくない。
そんなことのために、貴重な人生の時間を使う必要はない。
ネット上に多くの議論や喧嘩があるが、
そもそも、彼らには意味がない。
要するに、彼らは共産主義者の奴隷になりたいだけだ。
そうしたネットを見ないでいるだけで、
心の平穏が保たれて、
精神の狂いも治る。
僕はネットユーザーだが、ネットの罵詈雑言は大嫌いだ。
いじめをなくすためにどうすればいいかというと、
そもそも、人間は大人になるにつれて、
友達と遊ぶことから、戦い支配することへと感情が移っていく。
そして、中学校でいじめをするのは、
戦うだけが原因ではなく、
性器の発達によってセックスが好きになる。
だから、彼らは醜く弱く社交的でない人間を嫌い、
みんなでいじめて存在しなくなるようになる。
人間の本能が戦いとセックスを望むから、いじめになるのであり、
解決策は中学高校の学校教育を廃止すること。
そうするしかない。
子供たちは道徳教育なんか実際望んでいないが、
いじめられたいとも思わない。
学校でいくら正義と理想を教えても、
学校そのものを破壊することにしか繋がらない。
このような破綻した学校教育は必要ない。
学校を変えるならどうするか。
もっと、子供たちの健全な発育を守った上で、
戦いと愛に基づく教育を行えばいい。
あまり戦争を否定しすぎず、
あまりセックスを排除しないようにすれば、
子供たちはきちんといじめをせず良い大人になるだろう。
国を愛する正しい心と、
異性を愛する優しい心を教育すれば、
必ず弱いものいじめをしない、
国民や友人と愛し合う大人に成長するだろう。
また、自由と言っている人間がネットに多いが、
子供を自由にする必要はない。
なぜなら、単にたくさんの経験をさせればいいだけだからである。
子供たちに自由な権力を与える必要もなければ、
コントロールする主権を民衆が取り戻す必要もない。
単に議論の経験と愛の経験を与え、
世界や科学を自由に教えてやればいいだけであり、
今の学校教育は「上から教え込む」だけになっているが、
これを「子供たちが自分で学んでいく」ようにする必要がある、
といったことを自由は意味していて、
そのために必要なのは、「単に放っておくこと」である。
ネットがある必要も、大学がある必要もない。
子供たちは、自由な環境で放っておけば、自分で賢くなる。
外部の大人が何かを与えてやっても、
それは邪魔になるだけで、
子供たちにとっては有害な情報に過ぎないだろう。
単にたくさんの経験をさせるなら、
学校が全て決めるよりも、子供たちが自分の意志で経験すればいい。