AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 支配しないこと
BASENAME: 2020/06/28/121959
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DATE: 06/28/2020 12:19:59
CATEGORY: 社会
僕が思うに、支配しないことが、
平和のために大切ではないかと思う。
支配など、ひとりの人間にしか自由がない。
僕が思うに、みんなに自由がない自由など、
自由ではない。
ひとりしか自由でない自由など、
自由ではないのである。
僕が好きなのは、平等にみんな自由な社会である。
どんなに階層が低くても、資産を持っていなくても、
自由だけは、人間にとって生まれ持った平等な権利であると信じる。
そのため、僕は、「自分のできることを他の全員に許す」。
僕がやったことを、他の誰がやってもいいし、やらなくてもいい。
自分のやったことは、全て他人に対しても認める、
これが僕の「自由なスタンス」である。
また、僕は経済成長と福祉政策はどちらもしなければ意味がないと思う。
たとえば、生活において、
お金がたくさんあれば、楽になるだろう。
だが、お金がもし困っても、生きられればいいだろう。
経済成長は、一番目の「お金がたくさんある」を実現し、
福祉政策は、二番目の「お金がもし困っても生きられる」を実現する。
これはどちらもなければ、まったく意味をなさない。
僕は経済成長と福祉政策を、どちらもバランスよく行う。
また、今の現代社会においては、
「頑張って働く人」と「助けるべき弱い立場に居る人」が、
必ずしも重ならない、同じ人にはならない、という特徴を持っている。
だから、働く人が弱者をどうにかして助けなければならない。
極右のポピュリストは、それを拒んでいるが、
実際、今からの地球が自然災害などを起こしていけば、
そのうち「弱者なんか助けない」という言い訳は通用しなくなっていくだろう。
また、右翼と左翼、あるいは与党と野党で争う意味がない。
なぜなら、経済と福祉は、みんなどちらもやってほしいからである。
国民みんなが豊かになると、楽に生きられるし、
福祉政策が進歩すると、それもそれで楽に生きられる。
誰もが「どちらもやってほしい」のに、政治家はそれで対立する。
だから、おかしく福祉が後回しにされるような与党の政策になるのである。
あとは、学校で何を教えるべきかというと、
もっと英語を教えるべきである。
なぜなら、日本のIT技術の何がアメリカなどのIT技術に負けているかというと、
それは英語ができないことだからである。
英語ができれば、Linuxカーネルなんか誰でも開発できる。
英語ができないせいで、
日本人はLinuxカーネルなんか「開発不可能なソフトウェア」だと勘違いしている。
英語が必要である。
僕は英会話学校で英語を習っているが、
それでも、高校時代に英語をきちんと学ばなかったせいで、
今でもLinuxカーネルが開発できていない。
何よりも英語である。数学や理科や社会はそんなに必要ない。