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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 原始の文化
BASENAME: 2020/06/18/180029
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DATE: 06/18/2020 18:00:29
CATEGORY: 歴史
CATEGORY: 社会

原始の文化

まず、人類は狩猟生活をしていた。これは、山の中に小屋や洞窟を作って、食べられる木の実や草などを探し、それを食べて生きていた。
人類はさまざまな場所に移動するために移住生活をした。小さなゲルのような小屋を作って、川や平野を移動した。
そのうち、人類は火の使い方を覚えた。摩擦熱を利用することで、特に細い木の棒を何度もすり合わせることで火を起こす方法を覚えた。
火は調理や土器を作るのに用いられた。一度知ったこの発明は多くの人類に集落を通じて伝番した。
また、食べられる実と食べられない毒の実を判別するようになり、長老は集落の人々に食べ物の判別の方法や火の起こし方などを教えた。
火を用いることで、食べられなかったものが食べられるようになった。人々は、たくさんの食べ物を保存できるようになり、定住生活が生まれた。
定住生活では、多くの人が同じ場所で生活するため、役割分担が行われ、身分社会ができた。魚をとる役、火を起こす役、土器を作る役、山菜をとる役などが生まれ、それぞれの役割に村のリーダーが教えた。
定住生活をする中で、山菜をとる役は、その野菜の種を集落の周りに植えることを考えた。これが農耕の始まりである。
さまざまな種を増やし、育ちやすい種を残し、食べやすいものが出来たらその種を優先的に残すことで、農耕できる野菜が増えていった。
ここで、集落の役割ごとではなく、集落ごとの違いが生まれた。つまり、魚を主にとる村、山菜をとる村、などである。ここで、物々交換が生まれ、経済が生まれた。金と呼ばれる交換のルールも生まれた。
人々は集団で生活し、村と村が交互にやり取りをする中で、公平でない交換や、ものを奪う略奪のようなことが生まれた。ここに、ルールが生まれ、ルールはそれぞれの村の意見を聞く「代議員制」の政治が生まれた。また、間違ったことをしたものには罰を与え、そのための裁判(司法)が生まれた。裁判は多くの場合村の長老によるものであった。
最後に、どんなに人類が頑張っても、災害や病気や飢饉で人が死んでいく。そのため、どうすることもできない恐ろしいものとして、天と神が生まれ、善い行いをしたものには良いことがあるのだとして、神を信じる「宗教」が生まれた。

原始時代

原始時代の人類は、洞窟や洞穴に住みながら、集団で狩りをして生きていた。狩猟のための道具と火を使うことで、彼らは原始時代の最も過酷な時代を生き抜いた。石器や土器を使うことで、何もない環境で道具や衣類を狩猟した動物の皮や石・骨などを使って作り上げた。
そのうち、牧畜と農耕が始まった。彼らは牛や馬などを飼うようになり、動物の力で人間だけではできない仕事をしたり、牛やヤギの乳を採って食料にした。特に、犬を飼うことで外敵から人間や家畜の身を守った。農作物を畑に作る農耕が始まったことで、安定して食料が得られるようになり、人口が増えた。
農耕のために水路が必要だったことから、河川から水路を引く灌漑工事や、洪水から人々の生活を守る治水工事が行われるようになり、そのためにたくさんの人々の労働と大規模な計画が必要となり、中央集権化が始まって「国」が生まれた。
石器や土器は、新しい「青銅器」と呼ばれる金属のより強い素材になった。青銅器には高度な技術を必要とするため、「都市」が生まれ、生産力が高まった。
彼らは物々交換から新しい「金」という交換の仕組みを作り、役割分担がなされるようになった。
また、青銅器よりも簡単に作ることのできる「鉄器」が生まれ、同時に、農耕・酪農・牧畜を始めた人類は土地を巡って争い合うようになり、戦争が生まれた。中国から伝わってきた「律令政治」は、彼らのルールを取り決め、「不正なものを裁く」ための「権力」を生み出した。