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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 生きるとは、平等
BASENAME: 2020/06/16/185413
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DATE: 06/16/2020 18:54:13
CATEGORY: 人生
CATEGORY: 社会

生きるとは

生きるとは何であるか、ということを考えたい。
なぜ生きるのか、
どのように生きるのか。
実際、生きるということは人それぞれであり、
自分の生き方を他人に強制するものではない。

自分なりに信じた道を行く

実際、もう、「一般的に普通の考え方をする」だけでは、
もう分からない。
ここから先は、「自分の信じた道を行く」必要がある。

自分自身を考える

また、世界のことばかり考えても、
あるものしか分からない。
実際の「自分自身を知る」ことをしなければ、
新しい境地には達することができない。

精神

精神は、足の血管に寄生虫が宿り、
日本アレルギーになっている。
しかしながら、そのような考え方をしても、
アレルギーが増えるばかりで、いいことはない。

平等にならないのはなぜか

なぜ、世界が平等にならないのだろうか。
中国人ばかりが奴隷のように働いて、
儲けるのはアメリカ人やヨーロッパ人である。
どうして、わたしたちは奴隷のように働かなければならないのか。
疑問だが、それは資本主義以上にいい社会がないからである。
社会主義国家は、全て悪かった。
どんなに頑張っても、民主主義以上の政治体制はできない。
そう、わたしたちは「数の力」と「金の力」に勝つことができない。
人間はいつまでたっても、
「たくさんの力があること」から逃れることができない。

勝者は誰か

勝者は誰か。
実際、力と金と数を持っている人間が勝っているとは言うが、
彼らは本当に自由であるとは言えない。
なぜなら、彼らは自分の力で生きず、他人の力で生きているから、
その他人が居なくなれば、そこで終わりである。
しかしながら、社会主義が良い国にならないのは、
アメリカのせいだけではない。
多くの人が、ソ連にはいい国になってほしくないと思っている。
なぜなら、
「民主主義も悪いが、社会主義はもっと悪いんだぞ」ということで、
みんな、民主主義がどれだけ劣悪でも、
ソ連の方をちらりと見るだけで、
「民主主義にはむかうとあんなに悪い国になる」と、
みんな、思いたいのである。
だから、みんなでソ連を悪い国にした結果、
ソ連はあんなに悪い国になったのである。

結局、自由でいいことになる

しかしながら、結局、考えると自由が正しいことになる。
なぜなら、「自由にするのは、自然の摂理にかなっている」からである。
自由、という発想は、生物の生態系として正しい。
動物はみんな、力だけの世界で、自分だけで勝っている。
だから、平等は、ある意味、「自然の摂理に反している」のである。
また、自由がいいと思っているような社会は、
悪い世界ではない。
自由がいい間の社会は、
「今の自分の力が行使できれば生きられる」という社会である。
だから、自由でいいと思っている間は、いい社会になる。
逆に、平等がいい世界というのは、
「長い間の支配や抑圧に対抗したい」という社会である。
だから、平等は必ず国を滅ぼして、悪い世界になる。
あるいは、みんな、「そうであると信じたい」のである。

自由で平和が続けばそれで正しい

自由で平和が続けば、それで正しい。
それが、「現実的な理想」である。
ユートピアのような本当の理想は、
「必ずそれに見合った代償を払う」ようになる。
だから、革命で犠牲を出せば、その分、
必ず悪いことがその国に対して起きる。
宇宙はそういう風になっている。

社会主義の怖いところ

社会主義の怖いところは何であるかと言うと、
要するに、「ソ連ではない本当の平等」が実現すると怖い。
なぜなら、それではアメリカが滅亡するからである。
実際、金と数を持っている人間は、
その時点で、自分が存在することができなくなるから、
一応それが怖い。
だが、実際は、何かが怖い。
何が怖いのかよくわからない何かが怖いから、
社会主義は怖いのである。

共同体は悪い発想ではない

しかしながら、共同体は悪い発想ではない。
みんなで平等な国を作ればユートピアになると
昔は思っていた。
生産手段を共有すれば階級社会が無くなる。
もう、そういうことを、誰も言わなくなった。
もう、社会主義は、昔の古い思想である。
社会主義は、もう流行らないだろう。

運命を信じればいい

自分が思うに、運命を信じればいい。
自分なりに、自分の「運命」や「定め」を信じれば、
いいことが起きる。
運命や定めは、「自分で積極的に作る」ようにした方が良い。
自然の変化と可能性を科学的に考えても、
大いなる神の力までは分からない。

みんな同じ人間だ

そして、言うべきことは、
「みんな同じ人間だ」ということ。
身分が上だからといって、あるいは有名だからといって、
他の一般的人間よりも優れているわけでも、価値があるわけでもない。
みんな、同じ人間である。

水木しげる

水木しげるのような発想が良い。
水木しげるの下では、「人間も妖怪も平等」である。
水木しげるは、妖怪を人間よりも下の存在であるとみなしていない。
人間も、妖怪も、同等の存在なのである。

働く人間が必要なのは分かる

ただ、働く人間が必要だ、ということは分かる。
どんなに楽なユートピアが訪れても、
労働者が居なければ成り立たない。
社会主義は、そこが悪かった。
誰も働かない世界では、国は滅びる。
そう、だからこそ、経済学者が無能なのである。
経済学者は、自由にしなければ人は働かないと言う。
なぜ、平等でも働くような経済学が作れないのか。
経済学者の信じている経済学は、「役立たず経済学」である。

子供には豊かなピュアという土壌がある

子供や若者がなぜ賢いのかというと、
彼らには「豊かでピュア」という土壌があるのである。
この世界のことをきちんと感情と想像力で知っているから、
その中でいくばくかの「自由」や「真実」や「可能性」を
少し信じるだけで、「創造」が分かる。
しかしながら、大人にはそうした豊かでピュアな土壌がない。
暗闇ばかりで、創造の光を大人は見失う。
大人には、哲学や思想めいたことが、分からない。
分かるのは学者の言う学説や原理原則ばかりで、
自分の手で考えるということが「そもそもできない」のが大人である。

自分が自由になっても世界は平等にはならない

しかしながら、子供の自由には「間違い」がある。
子供は、自らが自由にすることが、世界を自由にし、
ひいては世界全体の平等に益すると考える。
自分の自由な行動が、世界全てを啓蒙し、
人々が可能性を自然に疑うようになって、世界は平等になると、
子供は考える。
だが、子供は分かっていない。
若者は、「自らの行動や理想が世界を変える」と信じるが、
それはない。
自らの行動や理想が世界を変えるのであれば、
最悪の支配者にならなければこの世界は変えられない。
子供はそこが分からないが、
本当に賢い子供は「本当に支配者になる道を選ぶ」。
そう、それが、こうした「キリストになる唯一の道」であり、
キリスト教徒の呼ぶ「受難の生き方」である。

本当に正しい理想とは

本当に正しい理想を作るためにどうしたらいいか。
それは、「自分の身近な社会から変えていくこと」である。
身近な世界で「世界を変えられる」ようになることで、
自身の世界観と経験は拡大していき、
最後にはこの世界全てを変えられるようになる。
だが、気を付けておくこと。
向う見ずに世界全てを支配することは、
必ず「重大な責任」を生み出す。
その責任を「自ら果たす覚悟」がないのであれば、
あなたは決して、全世界を支配してはならない。
しかしながら、あなたは必ず支配者になるだろう。
その時のことを覚悟して、
身近な世界を変えるようにしなさい。

理想を共有すること

そして、理想やアイデンティティを共有するということが、
すなわち、「社会を作る」ことに繋がり、
結果的にそれが「社会を大きく変える」ということに繋がっていく。
自ら主張するだけの帰属意識が、
常に発言し続けることによって、
「結果的にこの世界全てを大きく作り変える」ということになる。
僕は、そうした経験をした。
僕はその経験に、「永遠」という名前を付けた。
この日本という国は、永遠なのである。

勉強したいなら書くこと

また、大学の勉強がしたいなら、
「読むことよりも書くこと」である。
特に、本を端から端まで、全て読む必要はない。
自分で「これは」と思ったところだけ、抜き出して、
他人に説明するつもりで、自分なりに理解を書くこと。
そして、「やるべきことはすぐにやる」こと。
たとえば、新しい書く発想が生まれたら、
「書かないという選択肢はない」と思いなさい。
その上で、「きちんと正しいものが書ける努力」をし、
「自らのメモやノートができあがることに喜びを見出す」ようにする。
決して、そのノートは後から見返したり、振り返る必要はない。
逆に、もっと良い発想が浮かんだら、何度でも書き直すこと。
そうすることで、歴史も哲学もパソコンも自然科学も、
「全ての分野を自分のみの力で学ぶことができる」。
これが、僕の行った「勉強のコツ」である。

自由のいい点はチャンス

ここまで平等が正しい理想であるかのようなことを書いたが、
自由にもいい点はある。
自由のいい点は、「チャンス」である。
たとえば、潜在的可能性を今の日本社会が持っていると考える。
日本社会は、まだ終わっていない。
何かができるチャンスに満ちている。
また、人々とやり取りをしたり、コミュニケーションをしたりすることを
「チャンス」であると考える。
人を幸福にすることを、「しなければならない義務」ではなく、
「ひとりの人を幸福にしてあげられるチャンス」であると考えればいい。
このような考え方をすると、理性的であるだけではなく、
「心や精神すらハッピー」になれる。
そう、海援隊の武田鉄矢が歌の中で言うように、
「この世は全てチャンス」なのである。

思いやりの心

やはり、大切なのは、
自由や平等といったイデオロギーではなく、
「思いやりの心」なのかもしれない。
人間、思いやりの心を無くしたら終わりである。
他人が不幸になって喜ぶような人間になったら、
人間の終わりだと思え。
ドラえもんの藤子・F・不二雄も、
それを言いたかったのだろう。
(「のび太の結婚前夜」のしずかちゃんのパパのセリフを、
自分なりに曲解して書きました。)

最後は子供に戻って神に戻る

そして、人生はいつまでも続くが、
最後の方で、子供に戻って神に戻る。
人生の最初から最後まで、付き合ってくれるのは神だけである。
病気は自分の力で治しているように見えて、
そう思っているのは自分だけで、
全て「神を信じる力で病気が治っている」。
最後まで病気が治ると、それで人生は終わりである。

大人は子供に戻る

また、病気が全て治って、それで死ぬ人間は、
病気が死んだ時に自分も一緒に死んでいる。
しかしながら、ラッキーな人間は、
病気が治っても精神の力で生き続ける。
実際、僕がそのような人間である。
そうした人間は、何も必要としなくても生きられるようになる。
ほとんどの大人は子供に戻る。
子供に戻って、赤ちゃんに戻るのが、
一番脳にとって楽だからである。
そうした人間は、どんなに辛く苦しくても、辛いと感じなくなる。
どんな地獄でもへっちゃらになる。
こうした人間が、「いつもの日本人」である。

金儲けと自由だけでは上手くいかない

最近、日本では、
「金儲けと自由だけでは上手くいかない」ということが分かってきた。
金儲けと自由だけで、何でもうまくいく時代は終わった。
温暖化に気象災害、熱中症に、新型コロナウイルスである。
これを、金だけの力で解決することはできない。
だが、僕は、少し楽観的である。
なぜなら、「日本の力をもってすれば解決できる」と思うからである。
日本人は、東京でも抗体保有率が0.1%と、NYなどに比べてとても少ない。
これはひとえに、僕の力である。
僕が居るから、日本ではコロナにかかりづらいのである。
よって、僕はここに「日本の文明の勝利」を宣言する。
日本ならば、きっとこの「地球最大の試練」も超えられる。
必ず、温暖化と自然災害を日本は解決するだろう。