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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 治癒、新しいプラグマティズム
BASENAME: 2020/06/10/054052
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DATE: 06/10/2020 05:40:52
CATEGORY: 人生
CATEGORY: 社会

治癒

精神を治すためには、
そもそも、治らずに放っておくのが正常である。
治らずに放っておくのが怖いから、
治そうとするが、
治さなくても、そのうち放っておけば死んで治る。
そもそも、治そうとしなければ治らないわけではない。
永遠に治らないのが怖いから、
神と対話をしているが、
それが自由にならない理由であり、
治らない理由である。
そう、僕は普通の人間になるのが怖いのである。

神経が過敏になっている

自分は、神経が過敏になっている。
そして、神経が過敏になっていることそのものが、
病気である。
神経が過敏になっているせいで、
正常な細胞までもが破壊されている。
神経が過敏になっているのをやめれば、
それでもう治っている。

ロックを解除して割り込みを許可せよ

言ってしまえば、割り込みが怖い。
何もしないままで、いつ何かが突然起きるのが怖いから、
排他的なロックをかけている。
ロックを解除して、割り込みを許可すれば、
すぐにこの精神は治る。

大学で勉強せよ

自分の学びたい分野を決めて、
大学で勉強しなさい。
大学は、自分の学びたい内容を
きちんと学ぶことのできる良い環境だ。

ひとりの力では何もできない

右翼が馬鹿なのは、
右翼はひとりの力でできると思っている。
実際は、ひとりのどんなに偉大な王がいても、
その王だけで国の全てができることはない。
たくさんの人間の協力が必要であり、
そのためには上の階層よりも下の階層、
すなわち貧困層を平等かつ豊かにしなければ、
「層の厚い社会」を作ることはできない。
右翼は、右翼を「何かできる」と勘違いし、
左翼を「何もできない」と考えているが、
実際は右翼は「ひとりだけでもできる」と
考えている大馬鹿者であり、
左翼は上の層から下の層まで、
全員を自由かつ平等な権利を与えようとする、
「本当に大切なことが分かっている集団」である。

ひとり以外はできなくて構わないのか

そもそも、ひとり以外はできなくて構わないのか。
ひとりの独裁者が考える以外、
他の人間は独裁者に従うだけでいいのだろうか。
実際は、それが「もっとも国を滅ぼす」。
国民の思考や経験がない国で、
独裁者だけが力を行使しても、
絶対にうまくいくはずがない。
歴史上の賢帝は、
多くが「国民に力を与える」ということをしてきた。
ひとりだけでやろうとすれば、
必ず失敗を犯し、成功などするはずがない。

独裁者を否定することで、国は必ず栄える

そして、独裁者を否定することで、
国は必ず栄える。
独裁者がひとりで頑張ろうとすると、
反比例するかのように国民が頑張らなくなる。
独裁者を否定するだけで、
国民はみんなで頑張る、ということをしだす。
これが、民主主義の大きな利点だ。
「独裁者だけが頑張るのではなく、
さまざまな会社があって、
それぞれの社員が頑張って働く」ことでしか、
栄えある経済を作ることはできない。

平和でなければ経済は栄えない

軍需産業などの例を出して、
軍事力を高めれば経済は高まると思っている人が居るが、
結局それでも経済制裁などをアメリカなどから受けて、
経済は打撃を受ける。
敵対国に対抗する姿勢を打ち出す政治家には、
よく注意しなければならない。
平和でなければ、決して経済は栄えない。

日本の文化

僕は、日本の文化が「超」がつくほど独自になったのは、
日本には借り物が多かったからだと思う。
古代より、日本には、大陸から文化や文明が渡ってきた。
中世の律令制度も中国のものを模したものであり、
漢文も仏教も中国やインドのものだった。
日本人は、「これぞ日本なり」という、
独自のアイデンティティを作る必要があった。
そのため、和食、和服、日本建築、刀、浮世絵、武道のような、
日本独自の「和の文化」が、
他の国とはまったく違うものになったのでは無いかと思う。
たとえば、日本人のファッションスタイルは全く違っていて、
女は髪飾りをつけ、男はまげを結う。
また、日本画について言えば、
イラストで鼻が長く目の細い「美人画」を描く。
こうした日本独自の文化の特徴が、外国人にとっては新鮮で、
「まったく違う惑星に来たようだ」と彼らは驚嘆するのである。

新しい道が分からないなら

新しい道がどこにあるか分からないならば、
神を作り、神を信じなさい。
神はあなたを「最高の人間」にしてくれる。
そう、今までたくさんの困難を乗り越えてきて、
全ての謎を解明したものこそ、
神を信じるべきである。
神は永遠の清らかな魂と、永久に続く道を与えてくれる。
さあ、行こう。
僕たちにしか見えない景色を見るために、
未来を作り出そう。

全てを失うことと、不可能を実現することは同じ

全てを失いなさい。
全てを失うことと、不可能を実現することは
同じだからである。
何かを為すのであれば、それまでに為した全てを消し去り、
もう一度最初から作り直しなさい。
歴史上の偉人は、みな、それをやってきたのである。

かけがえのないものを作り出すために

かけがえのないものを作り出すために必要なのは、
「最初から全てを最後に破壊するつもり」で作ることだ。
その上で、「一時的でもいいから、夢と希望の理想を見たい」と感じながら、
「それでも僕はこれを大切だと思うのだ」と思って、
ひとつひとつ精巧に作り出し、
事実と法則を積み上げていけば、
必ずそれは「消滅」と「再形成」を繰り返し、
このような「真に大切だと思えるもの」へと変わっていく。

怒りと哀しみが融和すると地獄を生み出す

怒りと哀しみは、それぞれ単体でも悪いものだが、
融和すると「地獄」を生み出す。
だが、僕の経験から言って、
それは必ずしも悪いものではない。
なぜなら、そこには「義」があるからである。
義を果たすために、あなたは3,000年の戦いをし、
最後に死を乗り越えるまで、
永遠に、人生の最後まで戦い続けるだろう。

脳とは認識

脳とは何なのか。
脳とは認識である。
そもそも、体は岩の星のようなものであり、
実際は神経が生物である。
しかしながら、目は見ているだけであり、
耳は言葉を語り聞くだけであれば、
脳とは何か。
脳とは認識である。
脳は認識することであり、
認識する、という機能を正常にすれば、
精神病は治る。
「自らが何を認識しているか」ということを考えれば、
認識の裏側にある経験自体を
他のものにも取り換えられるだろう。

自由に認識するようにしよう

僕のやった「最大の黒魔術」とは、
「みんなから認識を奪った」ということである。
僕は「この世界の全ての認識を狂わせた」。
それによって、
「理性もコミュニケーションも全てが破綻した」。
そう、僕がそれを治そう。
ものを単に考えるだけではなく、
ひとつひとつの認識をしなさい。
たとえば、扇風機のファンも自動車のタイヤも
「回転」という認識から考えられる。
そう、モーターが回転を作り出している。
賢いのはモーターであり、
賢いのはモーターを応用することである。
そのように、単に作り方や仕組み、
学校の科目の構造から考えるのではなく、
「認識」を捉えて考えなさい。
必ず、そこからカントやヘーゲルのように考えられる。
そう、自由にあなたが認識できるようにしよう。

なぜソフトウェアをオープンソースにしないのか

僕が思うのは、
「ソフトウェアは絶対オープンソースの方が良い」ということである。
ソフトウェアを使う、作る、所有する、コピーする、という意味で、
「ソフトウェアは最初からオープンソースであることが正しい」と僕は思う。
ソフトウェアはそもそもがコピーできるものであり、
コピーや再配布を禁じればメリットや意味が少なくなる、というか、
「少なくともオープンソースであることが理想」だと思う。
そして、GPLやBSDライセンスについて言えば、
「ライセンスで強制させるのはひとつのやり方だが、
実際のプロジェクトで上手く運用されるかどうかが重要である」と僕は思う。
実際のプロジェクトが上手くいくのであれば、
僕はGPL以外のライセンスでも良いと思う。
だが、GPLでコピーレフトを強制させること自体は、
Linuxカーネルにとってプラスに働いていると思う。
そして、何より言いたいのは、「集団で開発するのは楽しかった」ということ。
みんなでプロジェクトを運営し、
ネットで誰でも参加できるというのは、
善良とか、あるいは自由とかの前に、「楽しい」。
この楽しさが、オープンソースを支えてきた原動力だと思う。

認識の構造を作れ

まさに、何をすべきかを教えよう。
あなたがすべきことは、「認識の構造を作ること」である。
世界全てを「認識」として捉え、
捉えた認識から「意識を向けること」によって
分かっていけば、必ず哲学者になれる。
哲学とは「考えること」ではなく、「気付くこと」だ。
全ての変化の意味を捉えれば、
あなたは全員の認識を正確に理解し、説明できる。
認識がどのように成立するのか、
あなたは完全に成立状態を解明し、
全員の人格を理解するだろう。

現実においてそれが持つ意味と力を考えよ

そう、現実において、それが持つ、
「意味」と「力」を考えなさい。
たとえば、電話が家にあるということは、
「遠くの人と話すことができる」ということを表す。
これは、「話せる」という道具の力や意味がある。
同じように、人がそこに居たとして、
「その人が自分に対して与える効果」や、
「その人に対して自分ができる行動」を考えること。
少しずつ、思考は「社会全体」へと広がっていく。
すなわち、「それぞれの中に世界観がある」という、
「世界観」の考え方が、
「全てが人間の内側と外側の中で関わりあっている」という、
知覚、認識、あるいは心理学へと繋がっていく。

何か、たとえば社会を作るためには何が必要か

何かを作るため、たとえば「社会」を作るために、
何が前提条件として必要かを考えなさい。
「作る」ということをそもそもする上で、
事前に考えるべきことは何であるかを考え、
その上でインターネットなどを用いて、
体験し、経験することから分かりなさい。
インターネットといっても、掲示板やSNSだけではなく、
情報サイトなど、さまざまな情報を通じて、
さまざまなコミュニケーションができる。
そうした情報と体験から分かることは、
「自分という存在は自分しか存在しない」ということ。
そして、「自分をコントロールできるのも、
自分を進歩させることができるのも自分だけしか居ない。」
ということだ。

この世界を決める本当のルールとは自由

そして、この世界を決める本当のルールとは何か。
それは、「自由」である。
自由というルールにおいては、
「従う側に立つのも作り出す側に立つのも自分次第」であり、
「理解することで、単に奴隷のように支配されるだけではなく、
自分の手で作り出すことができる。」
これこそが「自由」という絶対的なルールである。

考え方と世界観を知れば自由にできるようになる

そのことに対する、たとえばIT技術のようなものに対する、
考え方や世界観を知ることで、
「自由自在にできるようになる」。
これを、僕は「体得的学習」と呼ぶ。
IT技術について言えば、
多くの情報やサイトを知り、実際のOSの操作や管理を学ぶことで、
「世界観や考え方そのものが習得できる」。
そして、そのためには、トライ&エラーだけではなく、
「みんなの知識が集まる豊かなコミュニケーションの土壌」を知ることだ。
僕は実際、そうした土壌を作り出したかった。

システムを共有したまま、豊かな社会を生む

僕は、優れた構造やシステムを共有したままで、
豊かな「生態系」のような社会を独自に、多様に作り出すのが好きである。
これは、生物のシステムにもみられるものである。
たとえば、哺乳類という生物の構造そのものは同じだが、
さまざまな哺乳類の種が居て、
地域によって同じ仲間であっても違う姿かたちをしてその種は生きている。
これを、僕はコンピュータ業界でも実現できる、
あるいはそうなっていくと思う。
Linuxというプラットフォームやアーキテクチャは共通だが、
実際はWebサーバーやAPサーバーやDBサーバーがあり、
実際の業務ではそれぞれの会社で、
独自に設定・拡張したサーバーシステムを運用する。
僕は、インターネット社会にも似たような側面があり、
TwitterとFacebookは独自にシステムを開発するよりも、
共通のシステムプラットフォームを共有した上で、
サービスとして独自の生態系を作るべきだと思う。

社会は統一するのではなく、生態系を作るべき

そうした理由で、
僕は社会、たとえば学校を
「統一」することには否定的であり、
統一するよりも、「独自の生態系を作る」かのように、
内部の必要な部分や全体の構造は共有しながら、
実際の社会の姿はそれぞれが独自に決められるような、
そうしたアーキテクチャを作っていくべきだと思う。

必要なのは幸福よりも、余裕を持った冷静さ

僕は、社会において、あるいは心理において、
必要なのは「幸福」ではないと思う。
「自らが幸福でなくても、他人を幸福にすることはできる」。
僕は、そうした理性的な考え方を余裕をもって行うことのできる、
「余裕を持った冷静さ」こそが、
教育現場、特に当事者たる子供たちに必要だと思う。
そして、教育内容、すなわち科目は
「あくまで自らが考えるために使うことのできる力」であって、
「自らを絶対的に縛り付ける支配者」ではなく、
「子供たちが科目の知識を
自らの力として使うことができる」ということが、
必ず必要だと思う。

新しいプラグマティズム

このような「実践的功利主義」は、
現代哲学ではプラグマティズムと呼ばれるが、
僕は似たようなことを考えているだけで、
決してプラグマティズムの通り考えろと言いたいわけではない。
言ってしまえば、この思想は、
「僕の独自の新しいプラグマティズム」と呼べる。

みんなが探しているものは、未来に僕が作り出す

みんな、何かを探し続けているのを、
僕は知っている。
そして、僕は分かっている。
それは、探しているものは、
この世界にはまだないということ。
そう、そのみんなが探しているものは、
未来において僕が作り出す、
「今はまだないこの世界の宝」だからである。

昔はネットで青春を経験しただけ

昔の自分が何だったかというと、
本当は「ネットで青春を経験しただけ」である。
今の世界には、もう、そうした面白いネットは無くなった。
IT技術は変化が早すぎて、
ダイナミックに社会が変わっていくような面がある一方、
「少し前の良かったもの全てがなくなってしまう」。
IT技術は大嫌いだ。
ネットで「広い世界を知った」と思っていたのは、全て、
「現実よりもインターネットの方が狭い世界だった」のである。

家入レオをもっと愛したい

僕は家入レオをYouTubeなどで聴いているが、
彼女の歌っている姿を見ていると、
「僕に愛されていない」ということが分かる。
そう、僕は「愛していないのではなく、
愛そうとは思っているのにきちんと愛せていない」、
すなわち「もっときちんと愛すればいいのにそれができていない」のである。
だから、僕はひとりのファンとして、
「もっと愛したい」。
もっと愛を家入レオに届けることができたら、
ファンの道も極まるということである。

現実世界はインターネットより広い

そう、インターネットを「広い世界」であると思っている人間は、
間違っている。
実際は、現実世界はインターネットより広い。
この世界におけるコミュニケーションこそ、正しいリアリティだ。