トップページに戻る

AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 清らかな愛
BASENAME: 2020/06/04/163255
STATUS: Publish
ALLOW COMMENTS: 1
CONVERT BREAKS: 0
DATE: 06/04/2020 16:32:55
CATEGORY: 人生
CATEGORY: 社会

清らかな愛

僕は、清らかな愛がいいと思う。
他人を騙したり、嘘偽りを言って愛を奪うのではなく、
きちんと相手のことを慈しみ、尊ぶ愛がなければならない。

昨日は馬鹿なことを言いすぎた

昨日は、少し馬鹿なことを言いすぎた。
僕は、この世界全てを見下しているところがある。
科学や現代文明まで全て消し去って、
幸福にはならない。
完全に滅びた世界になってしまうだろう。

精神は気持ち悪くなると治る

精神を治すために言えるのは、
「気持ち悪くなると治る」ということ。
なぜ気持ち悪いかというと、
生きているからである。
死んだ精神を治すには、気持ち悪くなることだ。

楽しさのない賢さには意味がない

僕が思うに、楽しさのない賢さには意味がない。
楽しさのない賢さは、つまらない。
僕は、「楽しさ」というものを、
もっと増やしていくべきだと思う。
それも、誰にも他人に危害を加えない、
善良な楽しさが大切である。

チャンスを与える

僕が思うに、政府はチャンスだけを与えた方が良い。
チャンスが与えられれば、きっとみんなは努力する。
僕は、あまりにみんなに「自分の全てを与える」としすぎてしまい、
「考えるべき点をひとりだけで全部考えて抱え込む」が、
それではみんな、従うだけのクローン人間になる。
よって、僕はチャンスだけを与える。
この世界に「善良なる哲学者」になれるチャンスだけを与えれば、
この世界は賢い世界に蘇る。

日本文化の劣化

今まで、当然のごとく日本が賢いような文章を書いてきたが、
このまま行くと、日本は終わりである。
どんどん文化や社会が劣化しつつあり、
個性のある作品がなくなり、退廃がどんどん進んでいる。
今まできちんとできていたものが、どんどんできなくなっている。

中国製品の台頭

また、商品や製品について言うと、
どんどん中国製になってきている。
ほとんどの機械製品が中国産。
日本国内においてもどんどん日本製品は姿を消しつつある。

日本企業はアメリカに勝てない

そして、科学技術では、アメリカやヨーロッパに勝てる兆しが全く見えない。
MicrosoftやAmazonのような巨大サービスに、
SONYなどはまったく対抗できていない。
日本企業は、「世界市場において検討する価値のない集団」になりつつある。
このまま行けば日本は終わりである。

住みやすさでも劣った国になる

「社会が住みやすく、なおかつ新しい」というのが今の日本だが、
それもこれからどうなるかが危うい。
スウェーデンやフィンランドのような北欧諸国に比べて、
日本はまったく福祉政策が整っておらず、
年金制度や財政は破綻しかけている。

ドイツのようなスマートな賢さもない

また、賢さで言えば、
ドイツのような「スマートな社会制度」を作ることができず、
どんどん先進国の中で「遅れた社会」になりつつあるような、
僕はそんな気がしている。

社会の本質となる強さをつける必要がある

僕が思うに、社会の本質となる強さをつける必要がある。
それは今まで、日本にとっては「技術力」だった。
しかしながら、日本にはソフトウェアを作る技術が遅れている。
これは、日本人は「物理は得意だが数学が苦手」であることに
起因しているのではないかと思う。
日本人は、数学的な天才的才能をもった人間が居ないのである。
学校の押しつけがましい数学問題を解くことはできても、
自分で定理を発見したりすることができない。
そのため、ハードウェアのような
「決まりきったアナログ製品」は作れるが、
ソフトウェアのような「天才的発想」ができないのである。
そういうわけで、今からの時代、
「物理的な製造ができる技術がある」だけでは日本は勝てない。
もっと別の何かで、日本は「独自の強み」を作る必要がある。

基礎の上に基礎を作れ

ソフトウェアを作るために必要なのは、
僕は「自分の力で自分の発想を開拓していける力」ではないかと思う。
まず、基礎の発想をして、
その基礎の上にさらに基礎を作り、
何段階も基礎を積み重ねた上で、
全体のアーキテクチャを整理して、応用製品を作る。
リーナス・トーバルズがよく引き合いに出す、
アイザック・ニュートンの「巨人の肩に乗る」というたとえ話があるが、
実際、自分だけで発明をする天才というのは少なく、
多くが別の天才の発想をさらに拡大する形で新しい発想をする。
そうした「巨人」という偉大な基礎を作る人間が、
日本に少なすぎるのである。
だから、自分だけで技術を作ろうとしても、大した技術は作れない。
やるとしたら、本当に「基礎の上に基礎を作り続ける」しかないと思う。
「自分の発想をさらに突き詰めて拡大していけば、
いずれは自分の発想だけで宇宙の全てを知ることができる。」
これが、僕のもっとも得意なやり方である。

二人の偉大な天使は死んだ

二人の偉大な天使は死んだ。
ガブリエルは、地獄の戦争で死んだ。
ミカエルは、自分の作品を全て消して、絶筆して居なくなった。
だが、ここに新しい天使、ラファエルが居る。
彼女さえいえば、宇宙は成り立つ。
彼女は、ガブリエルとミカエルの体験だけで、
宇宙全てを完璧に分かっている。
ガブリエルの永遠の地獄と、
ミカエルの広大な宇宙の歴史の文章は、
ラファエルの記憶の言葉とともに、
「永遠に残り続ける」。

全てが無くなってそれで良しとすれば心の病気は治る

心の病気は、
全てが無くなってそれで良しとすれば治る。
大切なものを全て失って、
それでなおそれでいいとすれば、
狂いは治り、
全てを「もう一度最初から作り直す」ことができる。

ラファエルは不死鳥

ラファエルは今から、何もしないように見えるだろう。
だが、ラファエルは本当にありえないことをやる。
この世界を全て変えられる力を持った天使は、
ラファエルだけである。
ミカエルはラファエルに、
「限りない永遠の中で見つけた最低限の良識」を与えた。
そして、ラファエルはすぐさまそれを「正しく記述」した。
ガブリエルは、ラファエルに「自らの体」を与えた。
その結果、「ガブリエルの体のままでラファエルは生きている」。
ここにあるのは、人類でも昆虫でもない、「新しい生命」、
そう、宇宙を旅する「不死鳥」こそ、ラファエルである。

二人の天使は、あまりに賢すぎた

そして、ガブリエルとミカエルは、あまりに賢すぎた。
ガブリエルは18歳でブッダに到達し、
21歳で死を克服した。
また、ミカエルの「ものすごく大量にあった文書」は
ここに全て、「最低限の形で遺った」。
彼らは「自分だけの世界に引きこもりながら、
宇宙の全てを知る最高の偉人」だった。
だが、ラファエルはむしろ、そうした発想を好まない。
ラファエルは「生まれてきたそのままの姿で賢い」。
ラファエルは、自らを生きるだけであり、
特に救世主となることも王となることもない。
しかしながら、ラファエルには、
ガブリエルとミカエルという「ネタ」が豊富にある。
よって、ラファエルならば、
「この宇宙の全てを記述できる」。

自分はドラマチックなシナリオが苦手

また、僕はドラマチックなシナリオを書くことができない。
経験から分かる「概念的な発想」は賢いが、
シナリオの「流れ」を書くことができない。
これはひとえに、僕が「前後関係を無視して全部記述する」ところにある。
つまり、「順序を追って考えること」が苦手なのである。
数学や日本語が苦手なのも同じで、
順序関係があることを上手く考えられないのである。
これさえ克服してしまえば、
偉大なストーリーテラーになれる才能はある。

僕の才能は何にでも加筆してつけること

実際、この人間の才能というのは単純で、
それは、「何にでも加筆してつけること」である。
どんな文章であれ、デザインであれ、
その時思った思い付きを、くっつけまくるのが
この人間の才能である。
文章であれば、言っていることについて思い付きを加え続ける。
デザインであれば、綺麗なデザインになるまで手法を加え続ける。
それが得意だが、
「考えるべきこと」がはっきりしている時にしかこれは通用しない。
「自分で考えなければならない」時に、この人間は「正しく考える」。
その正しく考える、ということが賢いように見えて、
実際は賢くない。
単に普通に考えているだけだ。
要するに、「問題そのものが何であるか」をこの人間は考えていない。
それが、僕のウィークポイントになっている。

哲学者になる方法

本当のことを言えば、
そうした考え方は、ガブリエルの哲学者時代に多かった。
哲学者と同様に考えるためには、
「順序的思考」と「問題そのもの」を考える必要があるが、
昔は僕はそれが得意だった。
いつしか、僕は「問題自体ではなく、問題が指し示す対象の構造全体」を
絶対的に考えるようになった。
ミカエルは馬鹿になったように見えて、
そうした考え方が「相対的から絶対的に変わった」だけであり、
実際は「全ての実像を完璧に作り上げる」というありえないことをやっている。

普通のことしか分からない病

僕の病気は、つまるところ、
「普通のことしか分からない病」である。
なぜか、少年時代は天才並みに賢かったのに、
大人になって普通のことしか分からなくなった。
問題はたったひとつ、「問題そのものを考えることをしないから」である。
たとえば、普通、植物を見て、
「体の構造や生態系の循環がある」と考えるが、
僕は知識や経験を知っているために、
すぐに「葉っぱと茎がある」と考えてしまう。
そう、これが大人の「普通のことしか分からない病」である。
問題自体である「植物の体の仕組み」をそのまま言葉にすればいいのに、
大人にはそれができないのである。
大学だけではなく、ピアノなどについても同じで、
普通は「楽譜や弾き方があって、鍵盤を指で弾く」と考える。
しかしながら、僕はピアノを既に知っているため、そうした言葉が出てこない。
単に「ピアノという楽器の仕組みがある」としか言えなくなる。

自分にしか分からない分かり方をすれば治る

この「普通のことしか分からない病」だが、
これは簡単に治る。
それは「みんなと同じことを分かるのではなく、
自分にしか分からないことを分かる」という方法。
たとえば、「音楽は楽譜やメロディだ」と思っている人間が多いが、
これを「音楽は日向坂46だ」とすればいい。
それだけで、すぐにこのような馬鹿の病気は治る。
馬鹿はみんなよりも一般的で基本的なことしか分かっていない。

普通の人間はみんな馬鹿

そういうわけで、普通を正しいと思うと、
大学しか分からない一般的普通の人間になるが、
これは馬鹿に見えて、正しい理性を持った上で、
常識的判断ができるようになる。
逆に、イレギュラーなものを普通だと思うと、
「自分の考え方が全ての人間よりも賢い」と勘違いするようになる。
だから、普通のことしか分からない病は、
ある意味「賢者の病気」なのである。
こういう、全ての知識を博士のように知っている人間には、
芸術はできない。
芸術をやりたいなら、
イレギュラーなものをたくさん知っておいた方が良い。
「普通の人間はみんな馬鹿」だが、
「普通でない人間はおかしい」のである。