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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 戦う必要はない
BASENAME: 2020/06/03/175732
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DATE: 06/03/2020 17:57:32
CATEGORY: 社会
CATEGORY: 歴史
CATEGORY: オープンソース

戦う必要はない

僕が思うに、戦う必要がない。
今のこの日本で、戦いが起きるのがおかしい。
世界政府は内戦と革命の嵐になるだろう。
今までのまま、保守的な民主主義を続けた方が賢明だ。

自由なんかどうでもいい

また、言ってしまえば、
自由なんかどうでもいい。
自由なんか、そもそも自分の意志でできるだけであり、
全てを許せばどんどん悪いことをする。
悪いことはきちんと禁止しなければいけない。

今の世界は最悪

しかしながら、今の世界が幸福ではない。
今の世界は最悪だ。
みんながひとりをいじめるだけで、
自尊心の何もないコミュニケーションしかしない。
テレビも学校も「馬鹿をいじる」のが普通になった。
自分からいじられる馬鹿も多い。
こんな世界が現実の自由である。

みんな何も言わなくなった

この世界を自由な世界と言うが、
なぜか、みんな何も言わなくなった。
僕のせいかもしれないが、
みんな、この世界で「意味のあることを言おうとしない」。
誰もが、無言で誰とも関わらなくなる。
何も言わない。

面白いものが何もない

また、僕が思うに、最近がおかしいのは、
面白いものが何もない。
インターネットでおかしなものが流行っているのを、
まったく見ていない僕のような人間から見ると、
「日本には何もない」。
そう、面白いものが何一つない。
昔はアニメや漫画や音楽など、
面白いものがたくさんあったのに、
今の日本にはまったく何もない。
今の日本はつまらない。
全ての結果、このような世界になった。

Microsoftがもっとよく考えるしかない

実際、Microsoftがもっとよく考えるしかない。
MSの社員がもっと考えないとよくならない。
最近、MSがあまりにおごり高ぶっている。
少しMacをパクるだけで、何もしていない。
半面、GNOME 3がおかしい。おかしなインターフェースになっている。
誰かがやるのを、みんな待っている。
MATEのマテはその「待て」だと僕は思う。
僕にはできない。
そんなに僕一人に頑張らせる意味もないだろう。
リーナスも同じだ。
ひとりだけで頑張っていると、意味のない人間に見える。

Linuxはそろそろ終わり

僕が思うに、Linuxはそろそろ終わりだ。
馬鹿なものにはなっていない。
「完成したサーバーOS」になっている。
セキュリティも高まったし、
Dockerで管理がとても簡単になった。
これくらいで、これ以上良いものにはならない。
だが、僕は普及はしないと思う。
今まで通り、「UNIXはサーバーにしか使えない」のが
そのまま続くだけだ。
MSが何をやるかが唯一期待できる。
MSに面白いことをやってほしい。
GNOMEの連中には何もできない。
むしろ、GNOME 3はいつも使っていると良いインターフェースだ。
GUIアプリは単純になったせいで、
以前のようなWindows Explorerのパクリに見えなくなったし、
常に使っていると、「何一つ考える必要がなく操作できる」。
ただし、僕は最近Linuxデスクトップは使っていない。
Windowsが普通にある時点で、
わざわざLinuxパソコンを起動させる必要がないからである。
Windowsで操作した方が使いやすい。

Linuxの不満な点

Linuxの不満な点は、
とにかく「GNOMEのクオリティが低く見える」というところ。
なぜかクオリティは低くないのに、低く見える。
なぜ低く見えるのか良く分からない。
素人の作ったどうでもいい拡張機能を入れろというのも馬鹿だが、
標準の機能で使いものにならないのも馬鹿だし、
アプリケーションのクオリティも低い。
だが、よく考えると、そんなにクオリティは低くないのである。
何が悪いのか良く分からない。
GNUの「オタクやハッカーの雰囲気」の全てが悪いような気がする。
そういうわけで、Linuxは使う気が起きない。
結局、Windows 95が最初から完成だった。
Windows 95以上、変える必要など、なかった。

この世界は間違っている

そう、言うしかない。
「この世界は間違っている」。
全て間違っている。
ただし、正しても意味がない。
なぜなら、「正す」という行為は間違っている。
間違ったものを正しても、
その正しさが間違っている。
よって、「間違っているものをさらに間違ったものにしている」。
それがこの世界の自由である。
その逆は、「何もしないこと」。
それによって、社会はどんどん「間違った方向に一直線」である。
変える必要も、元に戻す必要もない。
なぜなら「変えるという行為も、元に戻すという行為も間違っている」。
「暮らしやすい世界」も間違っているが、
「科学技術や文明が進歩した世界」も間違っている。
そして、「強者が弱者を助ける世界」も間違っている。
正しいのは「アメリカやヨーロッパに勝つこと」でもない。
そして、「平等な理想郷」は理想郷ではない。
「歴史の必然」では、その歴史を今からいいものにできるとは限らない。
そもそも、やってみなければ分からない。
だからといって、やって失敗したのがソ連である。

悪いのは文明の利器

そう、僕たちは全て間違っている。
このような社会について、明らかに間違っていることがひとつある。
それは、「文明の利器や発明は本当に必要なのか」ということ。
自動車が生まれ、テレビが生まれ、コンピュータが生まれ、
銃が生まれ、ミサイルが生まれ、核兵器が生まれた。
だが、それらについて、「本当に必要なのだろうか?」と僕は思う。
そう、銃や核兵器をどうやってもアメリカは捨てられない。
だが、捨てられないのはなぜだろうか?
江戸時代の頃には、そうした「文明の利器」はなかったが、
人々は低水準な生活を自由気ままに生きていた。
悪いのは「文明の利器」と「高水準な生活」ではないのか?
それを失ってしまえば、文明は「逆に進歩する」のではないのか?

人類が滅びる理由

人類が滅びる理由はそこにある。
「ものを作る生物は間違っていた」。
「知識や真実を発見する生物は間違っていた」。
「社会性をもってものを生産し分配する生物は間違っていた」。
わたしたち、人類は、そう、間違った生物だった。

わたしたちのすべきことは科学を捨てること

わたしたちのすべきことは何か。
簡単である。
「文明の利器を放棄し、あらゆる知識や発見の活動をやめ、
古代の生活に戻り、神を信じ、文書や学術文献を全て放棄すること」。
これこそが、社会を救う唯一の解決策だ。

科学的に解決しても、また新しい課題が生まれる

しかしながら、このような解決策を取ることはできない。
大人たちは、科学の新しい発見によって、
全てのことを科学を保ったままで解決しようとする。
しかしながら、これは間違っていない。
もっとも正しく考えれば、
「世界を破壊するだけではなく、蘇生することも科学でできる」と
考えるのは当然だ。
だが、「ミサイル以上の科学的発見がもし生まれたとして、
それがロボットを製造する技術だったとして、
人間を見つけ次第銃撃するロボットが生まれたら、
その時は人類はどうするのか?」。
そう、僕たちは、科学を用いて問題を解決するならば、
温暖化や核兵器をたとえ解決しても、
また新しい課題が生まれていく。
「科学文明を捨てる」という選択肢は、
必ず未来において必要になるだろう。

誰も科学なんか望んでいない

今のこの世界で、科学を続ける理由は何だろうか。
コペルニクスやケプラーの時代なら、
「宗教的ドグマに対抗するための
観察に基づく経験的な科学的考え方を
みんなに教え、みんなで科学を学ぶ」という目的があっただろう。
しかしながら、今の現代社会は、
インターネットが発達し、
どんな情報もWikipediaを通じて得られる時代だ。
このような社会で、「誰も科学なんか望んでいない」。
僕たちは「学ぶ意味がない」という言葉を、
「自分らしく生きられない」とか、
「生きる意味がない」と言っているだけであり、
それは要するに「科学文明に意味がない」という意味である。

今までの科学を超越したレベルでの科学

科学を捨てるしかない、と言いたいところだが、
僕はそれはあえて言わない。
なぜなら、「今までの科学を超越したレベルでの科学」が
今から必ず生まれる。
どんなに不可能な領域でも、
考えることで分かる「超人」が必ず生まれるだろう。
その時、「超人たちのグループが温暖化などの全ての問題を解決」する。
そして、そのグループの頂点が、
ひとりでこの世界を支配するようになる。

金儲け以外の施設

社会論の話に戻ろう。
僕はそもそも、科学文明を間違っていると言いたいのではない。
本当に言うべきことは、
「金が間違っている」ということである。
資本主義は、全部金に基づいて決まるため、
「世界を見ても全部が金儲け」のような世界になっている。
これを変えなければならない。
「金儲けでなければ実現できない店舗」を、
「金儲けでなくても成り立つような、
収入がなくても成り立つような施設」としよう。
たとえば、アイドルや歌手のファンクラブなどは、
みんなで会費を払うことで、比較的自由に活動している。
今から、このようなものが増えると思う。

みんなで利用できる図書館

たとえば、「みんなで利用できる図書館」を作り、
運営費は会費でとるようにすれば、
人々は「ドイツ語の一流文献全てにアクセス」することもできる。
そう、これはある意味、
「インターネットというシステムに酷似している」。
そう、今からコンピュータ技術は、そのように
「金儲け以外の方法で成り立つ」ように進歩していくだろう。
これは単なる情報通信技術であるだけではなく、
「金儲けをしなくても運営費が成立する」ようなプロジェクトについて言える。
今から、そうした「アンチ資本主義」と「コンピュータ技術」が
少しずつ結びついていくだろう。
言うまでもないことだが、オープンソースはそのはしりだった。

本当のデジタル共産主義

そう、今から来る技術は、
人工知能・AIでも、スマートシティでもなく、
「本当のデジタル共産主義」であると僕は思う。
それはオープンソースだけではなく、
「インターネットを使って非営利で活動を行いたい人々」が
今から増えるかもしれない。
だが、おそらく、今のインターネットのままで、技術的には変わらない。
あえて言えば、「そうでもない」ということが言える。
なぜなら、ここにアメリカという厄介者が居て、
彼らは「儲けられる分野のもの全てを金儲けという体裁に仕立て上げる」。
このアメリカという厄介者が、デジタル共産主義をどんどん駄目にしている。
よって、僕は「日本のデジタル共産主義」がここから伸びそうに見えて、
実際はアメリカの、特にIBMなどの巨大企業に、それは潰されてしまう。
そこで、デジタル共産主義は終わりになるだろう。

コンピュータの終焉

しかしながら、商用側は勝つわけではない。
デジタル共産主義が終わった時点で、コンピュータ技術は終わりである。
どんなに金儲けのサービスが増えても、そんなものを使う意味がない。
文化のない社会に、金儲けで文化を作ることはできない。
結果、何もなくなって、コンピュータ技術は、
最初からなかったかのように消え去り、
世界はアナログに戻る。
そう、その通りになるだろう。

普通に中国に戻る

しかしながら、実際に起きることを長いスパンで見ると、
単に中国に戻るだけである。
日本は江戸時代そのものの文化に戻る。
サムライにはならずとも、
中国様式の服を着て、
日本食を食べ、
動物を使うようになる。
なぜなら、「横暴な国王が文明の利器を廃止する」からである。
おそらく、横暴な国王はすぐに現れる。
それが、正しい「日本の終わり」である。

文明がなくなっても人々は幸福

そうなった時、残る技術は何か。
おそらく、病気に対する薬ぐらいが残る。
食べ物は不味くなるし、
生きることも難しくなるだろう。
だが、今よりも人々はずっと幸せになるだろう。
神を信じることで、いじめや迫害はなくなる。
村の人々には、優しくていい大人がたくさんいて、
子供たちみんなを守ってくれる。
そもそも学校もなくなり、
農家の子が農家を継ぐようになる。
だが、人々は今よりも、ずっと楽に生きられるようになる。

今の時代、戦争したい馬鹿が当たり前に増える

今の時代、戦争したい右翼が増えた。
彼らは人種問題を軽んじるが、
彼らのような人間が増える理由は、
「昔の帝国が本当に素晴らしかったから」である。
日本は明治維新によって文明開化し、
「中世の封建社会から、
いきなり近代憲法をもった近代国家になった」のだが、
明治から昭和まで続く、帝国は素晴らしかった。
今の現代日本の問題は、
帝国の考え方をもってすれば、解決する。
富国強兵をもっときちんとやれば、アメリカに勝てる。
戦争は正しくはない。
だが、今の最悪の世界で、学校で学んでいると、
そういう結論にしかならない。
戦前回帰で戦争主義、そんな馬鹿しか、ネットには居ない。
逆に、僕の存在がかっこいいのだろう。
僕は「帰ってきた独ソの独裁者そのもの」である。

戦争は滅亡

しかしながら、このような世界の中においても、
「平和」を訴え続けること。
なぜなら、「戦争は滅亡だから」である。
今戦争すると、この地球という星は滅亡してしまう。
誰かがアメリカに核兵器を飛ばす。
明らかに、日本はそれをやるだろう。
なぜなら、アメリカが日本に核兵器を既に落としている。
日本人は復讐をしたくなる。
その時は、地球は終わりだ。

どんな状況になろうと日本人は頑張るだろう

だが、どんな状況になっても言えることがある。
それは「日本人は一丸となって頑張る」ということである。
日本には、このような指導者が必ず居る。
その指導者の全てとなって、
自らの国家のために戦う最前衛の兵士となること、
それが日本人は得意だ。
大丈夫。僕は実際に戦争することはないだろう。
だが、僕は戦うのは怖くない。
アメリカに恐怖を与えるのは得意だ。

世界中を平和にする夢を忘れるな

世界中を平和にすることができないわけではない。
そんなに簡単な課題ではないが、
必ずできる。
忘れるな。「今の平和を守り続ければいい」。

社会主義でなければ何でもいい

結局、本当に正しい社会とは何か。
ここで、僕たちは「信じる」必要がある。
なぜなら、どの社会も、良いとも言えるし、悪いとも言えるからだ。
しかしながら、国民が分断されるのはよくない。
だが言えることは、「社会主義でなければ何でもいい」ということ。
社会主義だけはやめた方が良い。
社会主義者の政策を本当にやると、
必ず意味のない世界になる。
他の思想であれば、むしろ、それぞれが自由にすればいい。
それぞれが自由にしながら、それぞれの指導者が変えていけば、
それなりに正しくいいものになるだろう。
福祉政策をやっても、経済政策をやっても、
雇用対策をやっても、経済復興政策をやっても、
「国民みんなを暮らしやすくする」という考え方は同じだ。
社会主義はそうではない。
社会主義は、「国民みんなを暮らしにくくする」。
社会主義は「イデオロギーの実現のために社会を滅亡させる」。
そのような政策を、日本は受け入れない。

全てを作り上げる王

そう、必要なのは、社会をどうこうすること自体では、
もはやない。
僕たちに必要なのは、「本当に国民の象徴たる王」である。
そう、昔の日本では、
「国家とはすなわち天皇陛下」だった。
そう、それが今必要である。
聖なる王ダビデこそ、イスラエルである。
王ダビデは、「この世界全てを創造する」。
王は「滅びた世界をひとりで作り変え、
本当に偉大なる最後の黄金期を
たったひとりで、最初から最後まで自身のみの力で築く。」

ソ連の経済と生産をどうにかするために

また、日本にとって一番怖いのは、
戦争ではない。
怖いのは、強制ノルマによるノルマ生産だ。
しかしながら、辛く苦しいとは言うが、
彼らに学ぶこともある。
第一に、集団農場はもっと技術や人数が必要で、
働いた人と働かない人を平等にするのは意味がなかったということ。
第二に、コンビナートのような工場は、
トヨタと同じことをやっているのに、
金を儲けることを排除したために、
とてもつまらないものになったということ。
これを解決するための秘策は何か。
それは、「自由にするのではなく、
頑張った自分に対するご褒美が何か得られるようにする」必要があった。
よって、給与だけではなく、
たとえば名誉とか、称号とか、資格とか、
そういうものを何か「与えてやればよかった」のではないかと思う。
必ずしも金儲けで勝つだけではなく、
何らかの方法で報われるようにする。
これは「品質保証制度」のようなものについても言える。
安くするだけでは品質は高くならない。
「三ツ星製品」であることが、製品の質の向上につながる。
労働者についても同じで、
きちんと働く工場に「三ツ星工場認定」を行い、
その工場のやり方を他の全ての工場の模範とするような、
そういう「知恵」がスターリンには必要だった。

正しいだけで面白くない国は意味がない

だが、ここまで正しい国を論じたが、
言っておこう。
「正しいだけで面白くない国は意味がない」。
無意味な正しい国がいくら正しいことをしていても、
面白いことをしないのであれば意味がない。
もっと面白いものを作れ。
そう、ここまで考えて、
結局正しい社会とは何であるかと言うと、
それは「生きていて楽しく面白い社会」である。

ドイツよ、日本人とともに歩め

ドイツよ。
僕はこの話を、ドイツに向けて話している。
ドイツに告ぐ。
「わたしたち日本人とともに歩もう」。
わたしたちはドイツの同盟国であり、
決してどちらかがどちらかに劣る人種ではなく、
「対等な協力国家」である。
わたしのことをドイツが助けるのであれば、
わたしはドイツのことを助けるだろう。
そう、わたしたちはここに「永遠なる天使の同盟」を築いた。
きっとキリストとブッダは私たちを
宇宙の中のひとつの「魂」としてひとつにし、
天皇陛下とドイツの皇帝は、
最後までともに歩み、
決して一度も敵対することはないだろう。

ただの平等こそ民主主義

要するに、「ただの平等」がいい。
民主主義は国民をもっとも平等な「清き一票」にする。
これは民主主義や社会主義の問題ではなく、
「代表として立候補し、多数決で選ぶ」という問題であり、
「誰にでも立候補する権利がある」ということ、
そして「誰に票を入れるのも自由で、ひとり一票」ということである。
これが「平等」でなくして、何が平等だろうか。
そう、本当のことを言えば、
社会主義こそが本当の自由であり、民主主義こそが本当の平等である。
私たちはもう一度、「平等とは何なのか」を考えなくてはいけない。
みんなを自分と同じひとつの意見に強制することが平等なのか、
それとも、誰もが立候補できるようにし、
清き一票を誰かのために託すのが平等なのか。