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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 言いたいこと、平等
BASENAME: 2020/06/02/194427
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DATE: 06/02/2020 19:44:27
CATEGORY: 人生
CATEGORY: 社会

言いたいこと

僕の名前はロキ。
僕は、この人間、本人である。
僕には、言いたいことがある。
まず、僕を戦う人間だと思わないでほしい。
僕は戦いを望んでいない。
今までの僕の戦いについて、
「正しかった」というだけであり、
実際には僕は戦いも滅びも望んでいない。
僕が望んでいるのは、
病気の治癒と、新しい作品を作ることだけである。
そう、今、僕の病気は最後まで治った。
これ以上、この世界を正常にする必要はない。
よって、僕はこれ以上、この世界をどんな風にもしない。
必要なのは、少し昔に戻ること。
少しだけ秩序を復活させること。
だが、それを実現するためには、僕は相応しくない。
なぜなら、僕は救うためのベストなタイミングを知らない。
僕は、もうこの世界を支配しない。
むしろ、僕はもう、この世界と何の関係も持たない。

何もできていないのは仕方ない

何もできていないのは仕方ない。
できていないように見えて、少しずつできてきている。
少しずつ頂上を目指さなければ、
天高く飛ぶための翼をもたない僕たちは、
一歩一歩道を上っていくしかない。
たくさんの荷物を持っているから、時間がかかる。
でも、その荷物には、
大切な人たちに届けたい宝が入っている。
重いだけ、たくさんある。

全てを知ることはできない

全てをすることも、全てを知ることもできない。
そう、できないことは諦めていく必要がある。
僕は、作家になる。
僕にできたのは、執筆活動だけである。
だが、デザイナーの勉強だけは続けていく。
それがなければ、僕は僕でなくなるだろう。
毎日の仕事があれば、僕は生きられる。
他のことは考えない。

パソコンや哲学・歴史は十分すぎるほどできた

パソコンや哲学・歴史は、十分すぎるほどできた。
MySQLがやりたいのは、それだけをやればいいからである。
だが、僕はMySQLについても諦めようと思う。
同様に、哲学や歴史も諦める。
それらは、きちんとできた。
知識を誇るほど分かっていないから、書くことはできない。
単に「書きたい」だけなら、初心者レベルを書いても意味がない。

何もしないのも意味がない

諦めてすぐに言うことではないが、
何もしないのも意味がない。
むしろ、日本語を読めばいいだけである。
なんでもいい。
面白い日本語を読んでいれば、それで書ける。

LAMPは意味がない

実際、LAMPができても、そんなに意味がない。
LAMPとは、Linux, Apache, MySQL, Perl/PHP/Pythonのこと。
頑張っても、TwitterやAmazonが作れるだけである。
それらは、広告と「Webサービス管理権」で儲けている。
そもそも、技術力で儲けるのではなく、
サービスを運営する監督権で儲けているにすぎない。
そんなものは賢くない。
WordPressやRuby on Railsがある現在、
自分で何万行もコードを書いたりはしない。
最近は難しい技術が簡単になりすぎて、逆に作る意味がない。
書籍だけでOSの基本を作る時代である。

執筆とデザインだけで十分

実際、ピアノや英会話についてもいろいろとできてよかったが、
僕は執筆とデザインだけで十分である。
ピアノは、初見で少し弾けるようになって、
英会話は、普通のネイティブが話す英語が聞き取りやすくなった。
とてもいいことだが、それだけをしようと思ってできるわけではない。

ネタを探すしかない

僕は執筆が好きだが、
実際のところ、書くべきものは全て書いてしまった。
僕の人生における理性も経験も知識も、ほとんど全部書いた。
病気も全て治った。
もっと、ネタを探さないといけない。

人生と神と大学だけではもう書けない

そろそろ、僕の今までも全て書いた。
清算できたため、ほっとしている。
今からは、人生と神と大学をそのまま書くだけでは、
もう書けない。

欅坂46とデータセンター

最近は欅坂46が好き。
なぜなら、YouTubeを開くと真っ先にでてくるから。
MySQLを上手く使うと、こういうサービスが作れるが、
まさに、意味がない。
MySQLを学んでも、
単にそうしたデータセンターを自分で作れるだけだ。

大学はここで終わり

そういうわけで、大学はここで終わりだ。
むしろ、MySQLなんかできるわけがない。
本を読むだけでいいなら、後で適当に読めばいい。
大学やコンピュータは忘れていい。

平等の方が良い

僕が思うに、平等が良い。
平等だと思えば、いつもの僕が分かっていたことが分かる。
僕たちはみんな同じ人間だ。
社会において、全ての人間は平等だ。
僕が愛されるのと同じように、全員が愛されるべきだ。

人間らしく生きられる世界を私たちに

人間らしさ。
それこそ、僕たちの信じるべき希望だ。
人間らしく生きられる世界を、私たちに与えてほしい。
そう、僕たちは必ず、その夢を叶えるだろう。

我らの国とは

我らの国では、
人間が人間らしく生きられる、
そのような希望あふれる自由な世界を作る。
我らの国では、
全ての人間が同等の権利を持つ人間として扱われる、
最高の愛の平等を実現する。

滅亡のサタンよ、消え去れ

滅亡のサタンよ、消え去れ。
僕の名はロキ。
サタンを最後に消滅させる「悪魔殺し」の神である。
滅びの風を僕は嵐によってかき消す。
全ての暗闇を照らす光に、
僕自身がなってみせよう。

何よりも悪いのはサタンである

何よりも悪いのは、サタンである。
サタンは「とても優雅にこの世界を滅ぼす」。
サタンの去った後には、滅びと崩壊だけが残る。
サタンを許してはならない。
サタンは永久に迷宮の中に閉じ込めて、
永遠に出られないようにするほかない。
サタンよ、お前はここで終わりだ。
ロキはサタンの抜け殻から飛び出し、
新しい「天使の王」になる。

我らは平等である

我らは平等である。
なぜなら、「見るからにわたしたちは同じだから」である。
わたしたちは全て同じ、人間である。
進歩しすぎたからといって、神に進化するわけではない。

社会の方が生物的本質よりも劣っている

まさに、社会の方が生物的本質よりも劣っている。
わたしたちは、生物的に見れば、みな同じである。
同じだけの食料と住まいがあれば、私たちは生きられる。
しかしながら、社会は今でも資本主義的な資本の自由な分配を行う。
これは、「社会の方が間違っている」ということだ。

争い、殺し合う必要性がどこにある

私たちは、国境を守り、戦争で外国の兵隊を殺すが、
争い、殺し合う必要性がどこにあるというのか。
わたしたちは、まったく同じ人類である。
敵だから、殺して構わないのか。
味方だから、守るべきなのか。
それは、おかしな論理である。
現実を見ろというのであれば、
これが現実でなくて、何が現実なのか。
人々は無意味に争い、殺し合おうとし、
犠牲を生み出し、傲慢がそれを許す。
これこそが、本当の現実である。

多様性や個性を超越したレベルでの平等がある

僕が思うに、
「多様性や個性といったレベルを超えた、
超越したレベルでの平等がある。」
そう、それこそが、「太陽と神の平等」である。

戦争とは、極悪なテロリストの勢力争い

そう、戦争とは、
決して民族を守るための自由ではない。
戦争とは、極悪なテロリスト集団の勢力争いにすぎない。
僕たちは、平和な世界を作るために、
約束をしなければならない。
まさに、「全ての国は軍事力を持たない」と、
そう、国連総会で宣言しなければならない。

なぜ支配が必要なのか

なぜ、支配しなければならないのか。
ひとりの指導者が決めるよりも、
複数のみんなで決めた方が賢いということに、
なぜ指導者は気付かないのか。
自分たちだけが賢いと思っているのであれば、
自分たちだけで生きればいいだろう。
奴隷の意見を聞かずして、なぜ奴隷を作るのか。
単に奴隷が欲しいだけではないのか。
しかしながら、現実は厳しい。
なぜなら、奴隷たちは学校教育で、
人生を生きるために必要なことを、
何も教わっていないからである。

力によって優位に立とうとするものが勝つことはない

この世界で、力によって他人より優位に立とうとするものが、
勝つことはない。
なぜなら、勝つものは信頼を大切にするからである。
勝者は常に、「自分を助けてくれるようにする」。
よって、「支配するのであれば、下に力を与える」。
優位に立とうとするものが勝つことはない。
そう、相手を立てるものが勝ち、
相手を尊重するものが勝つのである。
最高の力では勝つことはできない。
最大ではなく最小の力こそ、勝利へと導く神の法則である。
誰よりも勝る巨大な力ではなく、
少しでもそこにあり、そして確かに信じられる、
小さな力こそが世界に勝つことのできる、最高の力である。

太陽よりもたくさんの塵と生き物を

たとえば、太陽はとても巨大に天を照らしているが、
本当に強いのは、全てを輝かせる太陽ではなく、
宇宙のたくさんの「ごみくず」のように点在し、
そのひとつひとつの中に居る「生物」である。
太陽は確かにかっこいいが、単なる水素が爆発しているだけであり、
本当に太陽の「真の価値」を見出すことができるのは、
太陽自身ではなく、太陽の光から作り出される、
「地球に何億何兆と存在する、生物たちの生きる力」なのである。
ひとつひとつはとても小さいその生物たちが、
これほど多くの歌と芸術作品を作る。
そう、その歌と芸術作品の中に「神は宿る」。
この神こそが、「みんなで作り上げた宇宙の絶対者」なのである。

自らの力を失うことでかけがえのない社会が築ける

この世界における法則はまだある。
「自らの力を失うこと」は、
必ずしも可能性を防げるだけではない。
それどころか、対立している勢力を、
まさに調停し、どちらもが妥協して、
同じ条件の下に合意する力を持っている。
そう、「自らの力を失うことで、
かけがえのない社会を築くことができる」。
そう、わたしたちは今すぐにでも、
民主主義の社会を捨てることができる。
アメリカだけを否定するのではなく、
日本とヨーロッパ・アメリカのどちらもが合意する形で、
民主主義国家をやめる決断ができる。
ソ連が無くなったように、
アメリカと日本は同時に無くなる。
王国も帝国も消え去り、
全ては「世界政府」の下にひとつになれる。

主体性とは

主体性、という考え方が、
僕は社会を考える上で重要だと思う。
すなわち、「誰かがこうしてくれる」とか、
「歴史はこうなっていくのだから、
成り行きに任せるしかない」とするのではなく、
「自らが主体的に、自分の周りから変えていく」ということ。
インターネットは、
こうした「主体的な自由」を与えてくれる側面を持っているが、
それにもかかわらず、
人々は「ネットのトレンド」に流され、
「人々の言う意見」に流され、
そして、「ネットサービスの一部になる」かのようになり、
「ネット仮想人格」を作り出す。
だが、「本来この世界はそうした世界ではない」。
そう、僕たちは「自分たちで変えていける力を持っている」。
それを再認識するのは、今からでも遅くない。
自らが行動することから変えていけば、
この世界は必ず平等な世界政府の連邦を実現するだろう。

わたしたちはサタンに勝利する

わたしたちはサタンに勝利する。
そう、「誰かの思い通りにはさせないわ」とmiwaが言うのであれば、
言っておこう。
「それは僕ではなく、僕の中のサタンである」と。
僕たちは、「このサタンに絶対に勝利しなければならない」。
なぜなら、そうでなければ世界は滅亡する。

義務の全てを権利と呼べるように生きよ

生きるのであれば、
義務の全てを権利と呼べるように生きよ。
全ての制限と制約を、
「自ら望んだものだ」と言えるように生きよ。
そこには、「不自由の全てが自由」になり、
「やらされていたものや既存の全ての概念は、
全て自分が作り出し、作り変える。」
ここに、
「あらゆる全ての科学者を超えた、
偉大な少年」は生まれる。

絶望や地獄すら、自身の力とせよ

また、絶望や地獄こそ、
自身の力を大きくつけることのできる「大チャンス」である。
その絶望や地獄を乗り越える体験は、
あなたにしかできない。
少なくとも、あなたと同じ地獄を経験する人間にしか、
その大チャンスは訪れない。
だからこそ、地獄や絶望を自らの力とせよ。
その地獄が一生続いたとしても、
それは「一生続く自分の力」であると、
必ず呼べるようになる。

十分やった体験から消していけば全てできる

そう、僕がなぜ賢かったかと言えば、
それは「十分やった体験をしなくなったから」だ。
僕は、十分勉強したし、十分コミュニケーションをしたから、
後はパソコンだけあれば全てのことを知ることができた。
パソコンを十分やったから、
自由のない戦いに自ら巻き込まれても、
特別不自由を感じなかった。
そして、十分戦い、十分悩み続けたから、
何も悩まずに普通を保てるようになった。
全ての体験をし終えたから、
何の行動もしなくても、全てが分かるようになった。
全ての人生を終えたから、
学問と教室だけの「とても不自由な生き方」をしても、
それを笑って選べるようになった。
そして、全ての今までの文章を消しても、
また最初から、ゼロから作れるようになった。

主体性を経験から身に着けた人間に敵は居ない

また、主体性を経験から身に着けた人間には、
敵は居ない。
なぜなら、彼は「なぜ敵対関係が発生するのか」を知っている。
彼は、「全ての対立の解決方法が何であるか」を知っている。
望むなら、彼はこの社会のすべての問題を解決する。
そう、彼こそ救世主。
彼の名はロキ、本当のこの人間である。

最後の政治体制は文学である

そう、平等な社会にしよう。
必要なのは、「支配者を作らないこと」。
そう、そのためには、
「自由な対立関係を保つ」ことも必要になってくる。
本当は、「支配者をひとりにし、
その支配者が善良であること」がもっとも楽である。
しかしながら、僕は対立関係も独裁者も取らない。
僕はあえて、「執筆」を選ぶ。
執筆することで、全員が平等に、
「自らの力を使って実現できる」。
そう、「最後の政治体制は文学である」。

社会を変えるとは社会を作ること

社会を変える、ということは、
すなわち、「社会を作る」ということである。
人々に必要なのは、
「社会を作る方法を学ばせる」ことであり、
そこにひとつの陰がある。
それは、「滅ぼすことでしか作る方法は学べない」。
だが、陰には必ず光が宿る。
「もっとも滅びた世界を知っているものこそが、
この世界を救う。」

神の栄光はここにあり

僕はあえて言おう。
「神を信じるべきだ」と。
なぜなら、「神の栄光はここにある」。
ハレルヤ。神を賛美せよ。
僕の作品は、神の書いたものである。

この世界の全ては経験である

そう、この世界の全ては経験であり、
結局、「円滑な人間関係も、社会の創造も、
全て経験から生まれる。」
そう、この世界は全て経験である。
経験は常に生み出されており、
「気が狂ってもそれは変わらない」。

オープンソースの過ち

オープンソースには、ひとつの過ちがある。
それは「主体性の欠如」。
そもそも、Wikipediaが生まれた頃に、
既にその一端は見えていた。
その後に続く、TwitterやSNSのようなサービスには、
「主体性の欠片もない」。
そう、僕たちはインターネットにより、
「主体性を失った」。
このまま行けば、
「みんなまったく同じ意見を持ったロボット人間になる」。
だが、僕がそうはさせない。
なぜなら、僕は「たったひとり、
他の人間と全く関わりなく生きて、
それでなお、賢くなった。
僕はたったひとりで、最後のゴールに到達した。」
僕はここに「故郷を再創造」する。
僕は、帰る場所がなくなったのであれば、
「荒地の中にもう一度故郷を作る」。
ここに、「もう一度昔のネット社会を再創造する」。

善良な権力を

僕は、ここで最後まで、権力を行使し続ける。
これは、「善良な権力」であり、
言ってしまえば、ここで適当なことを言うだけである。
しかしながら、この権力は善良である。
なぜなら、「これ以上直す点がひとつもないほど、
善良ではない全ての点を善良に直したから」である。

自分が攻撃をやめれば相手は攻撃をやめられる

自分と相手が、互いに攻撃している時は、
どちらも攻撃をやめることはできない。
だが、自分が攻撃をやめれば、
相手は攻撃をやめられる。
必要なことは、相手の攻撃に逆らうことではない。
どんなに攻撃されても、自分からは攻撃しないことで、
互いに攻撃をやめ、僕たちは互いに自由になれる。
どちらも、戦いは望んでいない。

自らの体験は普遍的に全人類に成り立つ

自分の体験を、「普遍的に全人類に成り立つ」とせよ。
そうすることで、
「自らの人生を生きるだけで、
この世界全員の体験とは何なのかを知ることができる。」
全ての経験を持った大人は、
全員を救うことができる。
そう、彼は「どんな環境にいる人も救うことができ、
自身がどんな状況であってもどのようにすべきかが分かる。」
よって、彼は「あらゆる精神的理性の下で、
どのように行動すれば世界をよくできるのか」を知っている。
だから、「彼は王としてこの星を作り変えることができる」。