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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 適当に生きよ、昔の自分
BASENAME: 2020/05/29/172619
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DATE: 05/29/2020 17:26:19
CATEGORY: 人生
CATEGORY: 社会

そもそも真面目に生きる必要なんかない

適当に生きよ。
そもそも真面目に生きる必要なんか、ない。
自分の自由があれば、あとは何も要らない。
昔の自分は適当なことをいいかげんに言っていただけだ。

社会

社会は価値観から生まれ、価値観は社会から生まれる。
それぞれが理想を信じることから、アイデンティティが生まれる。
社会は一種の生態系である。
グループが生まれる時、そこに社会秩序が生まれる。
社会秩序を形成できる人間が集まれば、
出会いと知の化学反応が生まれ、
社会を作るための前提となる土壌が生まれ、
コミュニティが生まれる。
必要なのは土壌を作るとともに、
土壌を維持し、提供し、そして守り続けることだ。

時代

歴史において、時代が変わるということは、
新しい社会が生み出されるということであり、
社会は常に生み出され続けている。
社会は自由に向かって変化し続けている。
可能性は決まっていない。
全ての未来は白紙であり、
だが、滅ぼしてしまえば地球はすぐに消滅してしまう。
よって、変化してはならない方向には変化してはならない。

解決

解決は短絡的方法ではなく、
影響を最小限にした上で効果が最大限になる方法で
解決しなければならない。
しかしながら、別の選択肢がとられたとしても、
もとの問題は歴史上に残っており、
さかのぼって問題を考えることで、
「後からでも別の選択肢は取れる」。
その時には、今選択肢を決定するよりも、
結果やプロセスを見て賢くなった未来において、
正しい選択肢を取りなおすことができる。

独裁者

社会は「それぞれが作り出す」べきであり、
ひとりの独裁者が全体主義によって決めるものではない。
ひとりの指導者が支配することもある意味自由だが、
その自由はみんなで同じ法の下に支配することで、
「みんなでオープンに行う」ことができる。
そこには自分勝手な支配や所有は無い。
だが、人々にとって「自由ではできないこと」を
支配によって行うことはできる。
それは、必ずしもひとりが国家すべてを行うのではなく、
もっと小さな単位で行うことで、
別の人間が別の可能性を行うことができる。
これが、「最小主義国家の利点」である。

支配することで人々の可能性を奪っている

まさに、無能が支配する意味がない。
それは、支配することで人々の可能性を奪っているからである。
支配するのであれば、人々に自由と力を与えよ。
人々に自由を与えない支配者は、存在するだけ有害である。

平等とは条件をつけないこと

平等とは、条件をつけないことだ。
「このような人であれば会社に入っていい」とか、
「このような条件であれば働く」とか、
そうした条件をつけず、
「誰でも参加していい」とか、
「自分から自由意志で働く」とか、
そうした考え方を「平等」と呼ぶ。
よって、「全ての人間に対してオープンに」する場合であれば、
「条件をつけるべきではない」。

平等とは階級によらず全員を愛すること

平等とは、階級によらず全員を愛することだ。
「あなたが賢いから付き合いたい」とか、
「あなたは自分の仲間だから味方になって救ってあげる」ではない。
「全員と差別なく付き合う」のであり、
「全員の味方となって全員を救う」。
しかしながら、チームになった時点で、
それぞれに条件や階級は必ず発生する。
参加する人に条件をつける必要があるし、
敵や味方が発生し、
勝ち組と負け組が発生し、
「勝ち組の中での頂点」が集団を支配するようになる。
そのため、
「平等に全員を愛するのであれば、ひとりで愛さなければならない」。

方法と解決

自ら方法を考えなさい。
自ら解決策を考えなさい。
この世界全ての方法と解決策を考えることで、
「なんでもできて、何でも救える」ような人間になる。
そして、全てを成し遂げたら、最後まで救い続けなさい。

経験から見方を変えていく

自ら実体験した内容を考えれば、
この世界すべての感覚と実感を得られる。
そして、「経験から見方を変えていく」。
ひとつひとつ小さなところから知っていけば、
必ず全てのことを十分に知ることができる。
必要なのは、「欲張らないこと」。
最小限だけを選ぶ人間こそ、最大限を得ることができる。

経験に成る

全ての社会経験を知ることで、
「全ての経験に自由自在に成る」ことができる。
これが「経験に成る」ということである。

名前よりも状態を

それが何であるかということを、「名前」で考えるよりも、
「状態」で考えよ。
それがどんな言葉で言い表すかということよりも、
そのものが「そのようなふるまいをする」という状態が大切である。
それがそうであるかのように見えるのであれば、
本当にそれがそうであることは「無視して構わない」。
同じふるまいをするものは同じものであると考えて構わない。
人間の知覚では考えられない「精神現象」も、
そのようにすれば捉えることができる。
考えるべきは、言葉よりも「捉え方」であり、
「どのように右脳を使って捉えることができるか」ということが、
新しい発見や解明を生む。
そして、「状態を作り出すための確かな方法」を考えることで、
実際の「役に立つもの」を発明することができる。
このためには、「多くの前提条件」と「実現方法や考え方」を
知り尽くしておく必要がある。

何度も体験し、再現し解明できれば科学となる

まず、何度も繰り返して体験しなさい。
次に、それを再現することができるぐらい、
そのことに対して成立や現象の原因を考え、実験しなさい。
そして、その上で、それがなぜそうなっているのか、
理由を解明しなさい。
その上で、その解明した理由が全ての状況に適用できるかどうかを、
さまざまな社会体験を知って考えなさい。
最後に、「社会全てを現象として発生することができ、
その理由全てを説明することができる」ようになれば、
それは「新しい科学」であり、「全てを解明した人間」である。

他人にない経験をせよ

他人にない経験をせよ。
ひとりだけで、他の誰とも違う体験をできる人間は、
それだけできちんと分かるからである。
多くの体験をし、その全ての理由を考えなさい。
自らの体験を幸福と呼びなさい。

最後に

最後に言うべきこと。
それは「意識を変えなさい」ということだ。
意識を変えて、気分転換をし、
今考えていたことを忘れ、自由になりなさい。

人間がいつ何になるか

導入として何を考えればいいか。
それは、「人間がいつどのようなものになるか」ということ。
言ってしまえば、サルトルの言う、
「実存は本質に先立つ」ということである。
これだけをきちんと考えれば、
「自分にとっての本質がなくても、
全員の全ての本質を見出せる」からである。

社会を想定せよ

社会を想定し、
「集団化するとはどういうことか」を考えることで、
「人間を個人の自由モデルから成立させて考える」ことができる。
全ての社会は「自由という考え方から説明できる」。
ここにあるのは「完全な個人主義」そして「個人の行動心理学」である。

機会と潜在的可能性

このように書くと、「漠然としていて何を考えれば分からない」が、
実際、「機会」すなわち「チャンス」から「潜在的可能性」を考えればいい。
いつどのような状況があれば、どのような可能性を実現できるか。
それだけを考えれば、必ず社会にとっての希望の光は見えてくるし、
「社会を本来の正しい正常な社会に導く」ことができるようになる。

何を望むかと、実際にどう解決するかの相反

しかしながら、ここにはひとつのアンビバレントな二律背反がある。
すなわち、「何を望むか」と、「実際にどのように解決するべきか」である。
何を望むか、ということは、自分の世界しか知らないために、
間違った望みを持つことが多い。
これに対して、実際にどのように解決すべきかは、
必要なところに絞って、自由な方法のままで行わなければならない。
よって、「死にたい」と願うのであれば、
「殺す」のではなく、「生きる希望を持たせる」という解決方法が必要であり、
これは全ての問題解決に言えることであり、
そして単に解決するだけではなく、
「社会のそれぞれの構成員が、それぞれどのような方法で、
常にその問題が解決されるような社会を維持していくか」というところまで考え、
その上で「その問題はいつどのように生まれ、
どのようにすれば解決できるのか」を考えなければならない。

その時自由であるか自由でないかから考える

そして、問題の解決をするために必要なのは、
その時その時で「自由」であるか「自由ではない」のであるかを考えることだ。
何がいつ自由であり、何がいつ不自由であるかを考えることで、
その問題がいつどのように存在し、
いつどのように「解決し得る可能性を持っているか」が分かる。
その上で、「社会全体が自由であるようにモデルを成立する」ことから、
この世界全ての「問題を解決できる」。
全ての社会において、「問題の解決システム」を作るだけではなく、
「自由の実現システム」すら作ることができる。
「全員が自由であることを成り立たせる社会モデル」を僕たちは構築できる。

人間とは人生とアイデンティティである

実際のところ、人間とは何か。
人間とは、「人生」と「アイデンティティ」である。
人間は人生を生きる中でたくさんの苦しみを経験しながら、
自らのアイデンティティを構築していく。
アイデンティティは人生から形成される。
そして、それらのアイデンティティを生み出す、
ということから、「正しい社会の理想」を考えることができる。
これは、「現実におけるアイデンティティの形成過程」とも言える。
ここまでできた段階で、「本当に社会を実現できるようになる」。
さまざまな人生の経験から「自己を形成し、アイデンティティを形成し、
それに基づく社会を形成し、社会秩序を形成する」ことができる。

僕の人格は一体何人いるのか

僕自身、僕の人格が何人居るのか良く分からない。
昔の自分がたぶん1人居て、
あとはデザイナーが1人と、作家が1人居るはずである。
他には、文章を書く人格が1人、
そして対話する人格が何人か、たぶん5人ぐらい居て、
この人格は「探索」「無限ループ」「休憩」「待機」「治療」が居る。
たぶん、それくらいは居ると思う。

戦いの地獄で神を信じよ

戦いの地獄の中で、神を信じて最後まで体験しなさい。
そこに必ず「終わり」が訪れる。
必ず、いい形で、不幸な人生が終わる。
そう、地獄の中に居るものは、最後に必ず幸せが訪れる。
それを待ちなさい。

永遠はいつまでも続く

永遠を宣言したわたしたちにとって、
いつまでも永遠は終わらない。
未来永久、最後まで永遠は続く。
よって、3,000年を生きたからといって、
それで死んで満足してはならない。
270億年後に宇宙が死んでなくなるまで、
あなたは同じ地獄を耐え続けなければならない。

極東の大実験場を作った

僕は一体、何をしたのか。
簡単に言えば、「極東の大実験場」を作った。
すなわち、「一番上から永遠に続くプロパガンダを流したが、
それは全ての人間を神のように賢い超人にすることができるものだった」。
これが、ドイツの言っていた「極東の大実験」だが、
これは本当はあまり意味がない。
なぜなら、みんなは全く超人にならず、僕以外の全員が馬鹿になり、
僕だけが神のように賢くなってしまったからである。

ここまで終わった世界では、超人が生まれるしかない

しかしながら、僕がやったことは完全に間違いではない。
なぜなら、
「ここまで終わった世界では、
超人が生まれるしかない」からである。
僕がやったのは、この世界を滅ぼしただけであり、
日本の歴史はここで滅亡して終わりではない。
「必ず神のような超人が現れる」。
そして、最後に、魔王である僕と、超人たちは、
「神々の最終決戦」を行うことになる。

僕に勝つことはできない

しかしながら、彼らは決して僕に勝つことがない。
なぜなら、「僕はこの世界に居ない」からである。
僕は天国からこの文章を書いている。
多くの超人は、昔の僕のようなドイツ人になって、
世界を救うために革命を起こすが、
自ら狂った地獄を作って死んでいく。
僕を倒すのはたやすいことではない。
僕を倒すためには、まず「天国に行く」必要がある。
これだけでも、とても多くの苦労が必要である。
そして、僕を倒すのは難しい。
なぜなら、それは「神を倒すこと」だからである。

自由な中で何ができるのか

実際のところ、この世界は、
「自由な中で何ができるのか」ということを試す、
ゲームのようなものだ。
そして、そのほとんどは、
「一つを選べば他の全てはできなくなる」。
選んでしまえば、楽にはなるだろう。
その後の全ては、その選択にかかっている。
だが、はっきり言って、
「自由な中でできることは、ほとんど何もない」。
たとえば、会社を作る、会社に入る、会社で稼ぐ、
友達や恋人を作る、子供を産む、ぐらいだ。
だが、「自ら自由を失うことでできること」はたくさんある。
たとえば、プログラマになることも、作家になることもできる。
しかしながら、多くの人は
「そもそも選択肢があるということすら知らないで生きている」。
そんなわけで、作家になれば僕には簡単に勝てる。

パソコンとアニメはもう終わった

僕が思うに、パソコンとアニメはもう終わった。
いいものが全て無くなって、
全部悪いものになっている。
これくらいで、日本のオタクカルチャーも終わりである。
最近の子供には、そもそも「オタク」が居ない。
オタクと呼ばれる人種は絶滅危惧種であり、
おそらくもうそろそろ完全に絶滅するはずである。
要するに、この馬鹿は「最後のオタク世代」であり、
もしかすると「今でも現存している最後のオタク」かもしれない。

この世界はそもそもつまらない

僕が思うに、この世界はそもそもつまらない。
なぜなら、大学も、金も、インターネットも、社会主義も、
全部つまらないからである。
どこかにユートピアのような素晴らしい「ただひとつの答え」が
あるかもしれないが、それは「作家の理想の中にある」。

力が悪い

僕が思うに、力が悪い。
「他人よりも大きな力を持つ」ということがそもそも悪いからである。
みんな、弱くなれ。
この世界でもっとも弱いものが、一番賢い人生を歩む。

力を行使しない平等な自由

そう、正しいのは、「力を行使しない平等な自由」だ。
自分は誰にも支配されない自由な存在だが、
その自由について力を行使しない。
そして、自らに認める全ての力を他者にも認め、
万人の平等なる「干渉されることのない自由」を尊重し、
他者の自由を奪わず、また傷つけない。
そうした平等な人間に、「神は報いを与えてくれる」。

発展や進歩はこれ以上必要ない

また、発展や進歩はこれ以上必要ない。
なぜなら、ソフトウェアやWebサービスはインターネットで作ればいい。
オープンソースでも簡単に作れるぐらい今の技術は簡単で、
金を稼いで作る必要はもうない。
Windowsもそのうちオープンソース化すると僕は思っている。
よって、金を稼いで競争することで「社会主義よりも進歩して発展する」という
そうした発想はもはや古い。
今の技術で、みんなに食事と生活用品を同じだけ全員に与えることは、
「みんなできないと思っているだけで、やれば簡単にできる」。
なぜなら、普通にソ連はできていた。
経済が平等で計画経済だから、西側に対して「進歩のスピードが遅かった」だけで、
今の発展した現代文明があれば、平等なんか簡単に実現できるはずだ。

社会主義は民主主義と大して変わらない

僕が思うに、社会主義と民主主義は大して変わらない。
まず、自由主義において、給与は必ずしも自由には決まらない。
確かに職種ごとに給与は違うが、それでも、
「完全にその時の仕事の結果で自由に決まる」のであれば、
安定した生活などできない。
安定した生活をするためには、
月給などある程度の基準以上の給与が入る方が、入らないよりもいい。
それなら、社会主義で全員公務員にすれば、安定した生活ができる。
また、経営者がやっていることと、計画経済がやっていることは同じだ。
計画経済を「たったひとりが行う経済」であるとするが、
実際は大企業でも、経営者がひとりで経営を担当することの方が多い。
資本家から見ても、労働者から見ても、社会主義と自由主義は同じだ。
大量生産ができなかったのは、独裁者が無能だったからだ。
有能な指導者が支配すれば、社会主義でも大量生産はできる。

最近民主主義はおかしい

最近、民主主義はどんどんおかしくなっている。
ほとんどがインターネットのせいである。
全ての文化や創造物がなくなって、
「無意味なくだらないゴミ」がどんどん増えている。
人々が繋がったことによる功罪は、功よりも罪の方が大きい。
また、IT技術として新しく生まれている多くの技術は、
無意味で無価値な技術ばかりである。

社会主義に戻るだろう

このまま行くと、僕は社会主義に戻ると思う。
そして、今度こそ社会主義が成功するだろう。
みんな同じノルマで働き、同じものを配給されても、
独裁者ではなくきちんとした委員会が、
人々の議論と自立の下で計画経済を行えば、
社会主義は成功する。
計画経済のポイントは、
「会社のように組織構造と業務区分をきちんと計画して作ること」。
そして「生産して与えるだけではなく、国そのものをきちんと作ること。
すなわち投資や計画、そして人々の貢献の度合いをきちんと見て
その報いを公平に、正しく平等に与えること。」
それだけで、きちんと良い国になる。

力はなければないほどいい

また、力はなければないほどいい。
力があればあるほど、格差が生まれ、迫害が増えていく。
どんなに攻撃されても「自分は復讐しない」とすることが、
この世界を「正しい星へと作り変える力」を持っている。
よって、どんなに傷つけられても、それに対抗することなく、
絶対に反撃しないことでしか、平和は訪れない。

民主主義は悪いとは思わない

しかしながら、これでは東ドイツのようだ。
まったく、民主主義は悪いとは思わない。
特に、民主主義は「何を言っても逮捕されることがない」。
東ドイツでは、こういう人間は逮捕あるいは強制労働だ。

東ドイツも悪い国ではない

むしろ、東ドイツはそんなに悪い国ではなかった。
東側で唯一生活水準の高い大国だったし、
テレビCMや映画すら作られていた。
たぶん、今の日本が頑張れば、それなりの東側の経済先進国になるだろう。
だからといって、何の意味もないが。
むしろ、昔から社会主義のことを民主主義と言う。
今のドイツ首相メルケルも東ドイツ出身だ。

民主主義を信じた方が良い

そもそも、民主主義を信じた方が良い。
なぜか、民主主義が嫌いな人間は居ない。
ひとりの独裁者よりも、国民の代表が支配すべきだとした方が正しい。
そうでなければファシストだ。

西側は全部金

しかしながら、西側はつまらない。
西側は資本主義で、全部金だからだ。
欲望を満たすために経済と街が動いていて、
失業者やホームレスがあふれている、
というのが西側である。
そう、昔は西側あるいは西欧諸国もそんなにいい国じゃなかった。
フランスでは、国王がふんぞり返りながらパリは失業者であふれ、
「パリは火薬庫」になっていた。
僕はフランスの革命やレ・ミゼラブルについては良く知らないが、
昔から、政治とは戦うものであり、
誰でも強者の楽を取るか弱者のための平等を取るかである。
そして、本当に破綻した時に革命が勝ち、
それは絶対に成功しない。