AUTHOR: schwarz1009
TITLE: インターネット、自由連邦
BASENAME: 2020/05/27/205858
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DATE: 05/27/2020 20:58:58
CATEGORY: 社会
フレイは、新しい世界を築く。
フレイは、自分勝手な権力者を許さない。
人を殺すなかれ。
全ての戦争が無くなるように、
みんなで働きかけなければいけない。
太平洋戦争を肯定するのは間違っている。
最近、「インターネット不寛容」と
呼ばれる事態が多くなってきている。
たとえば、みんなの意見に合わない人間を、
みんなで叩き、炎上させる。
みんなが「ひとつの意見」を持っていて、
「その意見に適合しないものをみんなで潰す」。
そう、こうしたネットの不寛容は、
どこの国でも同じように起きている。
「民衆が繋がり、集まってできることが増えただけではなく、
繋がり集まることによる問題も増えてしまった」のである。
僕たちは、「ネット不寛容に常に怯えて暮らす」しか
ないのだろうか。
いつブログやツイッターが炎上し、
たくさんの人にディスられることを怯えながら、
情報発信するしかないのであれば、
ネットサービスなど不要なのではないかと思う。
しかしながら、僕のように、
「自分が学ぶために情報を書く人間」というのは
ネットにはたくさん居る。
自分が書いて、ネットに公開することで、
勉強ができるという、そういう感じである。
よって、僕は交流を目的にブログを書いていない。
自分の分かったことを世間様に発表したいという、
少しばかりの「夢のような願いのような何か」を、
ただ書くだけである。
なぜ僕が文章を書くのか。
それは、勉強を目的にしているというよりは、
「書いていると分かるから」である。
僕は何であろうと書くことで分かっている。
書いていることで、それだけで「自分と自己対話」ができる。
まさに「ブレーンストーミングとそれ以上のまとめ」を僕は行っている。
まさに、僕は「書くだけで楽しい」から書いている。
この書くだけで楽しいという特別な趣味は、
他の人間には分からないだろう。
普通、書くことは「辛い」と感じる人が多いが、
ここまでいくらでも書いていると、逆に「楽しくなった」のである。
必要なのは何か。
必要なのは平安のみである。
自由も、平等も、戦争と犠牲を生む。
平和、そして平安があれば、
僕たちは楽を得られ、
好きなことを努力できる。
Rustのbookについて、構造体のメソッド記法まで読んだ。
戦争とは、大量の命を犠牲にすることである。
正義のための戦争もあるだろう。
だが、戦争は人をたくさん殺す、という行いである。
これを僕は許すことはできない。
戦争が「絶対にできなくなる」、
すなわち「戦争を非合法化する」ことが、
新しい政府に必ず必要である。
「脅威に対して立ち向かう」ことが必要であれば、
それを軍事的に行うことはよくない。
経済制裁などの方法で行うべきである。
あるいは、軍事的介入を受けた時は、
「連合国全員で、侵略された側に支援する」ことが必要だ。
これと同じことはカントも言っている。
また、戦争に対抗するために言えるのは、
「戦争は相手の国を併合したいから起きる」ということであり、
これはつまり、「併合してしまえば、平和になる」ということである。
それなら、軍事的な方法で国を併合するのではなく、
平和的な方法で国を併合すればいい。
そう、中国と韓国と日本が、平和的に一緒になれば、
ここに戦争は起きず、全ての目的は達成される。
これこそ、「世界政府の理想」である。
しかしながら、当たり前に、これは「主権を失う」ことを意味する。
よって、「独立維持法」を作り、
併合された世界政府にあっても「独立国と同じ主権を持つ」ようにする。
これにより、
「国家が独立しているのと同じように、独立性の高い政治ができる」。
これこそ、古代ペルシャ帝国や、現在のEUのやったことである。
「中国でも、韓国でも、日本でもある、みんなの国」を作ればいい。
それらの「州に国の主権と同等の権限を与える」、という法律を作ればいい。
そして、「どこかの州に対して侵略国家が宣戦布告した場合は、
アジア連邦のみんなで立ち向かう」とすれば、必ず平和が訪れる。
これこそ、新しい「自由連邦」の憲法である。
また、言えるのは、
「自由主義経済は社会主義経済に既に勝利した」ということ。
計画経済や会社の国有化による、
独裁国家の社会主義経済は、完全に自由主義経済に敗北した。
もう、社会主義経済を純粋に行っているような国はほとんどない。
中国は、改革開放政策で、まったく自由主義経済と同じになっている。
よって、新しい自由連邦では、自由主義経済を取る。
しかしながら、自由主義には「平等でない」という問題がある。
これはもっと言えば、
「自分で働かなければ生活のための金は入らない」ということ。
よって、「働き口」を与える必要があるが、
労働者はマルクスが言うように、
「経営者や資本家よりも低い立場に置かれる」。
僕は、ここで労働階級の階級闘争について述べたいのではない。
単に、「働き口をみんなに確保し、
みんなが生きられるとは限らない」ということである。
よって、僕はここに、「国家による働き口確保の支援」を行う。
すなわち、全ての国民が働き口を得られるように、
国家や政府が会社に「もっと雇いなさい」とか、
「もっと給与を払いなさい」という要求を出すことができる。
これにより、国民は必ず仕事にありつけるようになり、
みんな生きられるような「働き口の保障」ができる。
そう、「自由連邦には、失業者はひとりもいない」。
これは政府に対する国民の権利の要求でもあり、
これを憲法では「国民がみな働き口を得られる権利」とする。
よって、「働き口が得られないのであれば、国を提訴できる」。