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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: もっと楽しく
BASENAME: 2020/05/26/203845
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DATE: 05/26/2020 20:38:45
CATEGORY: 人生

もっと楽しく

もっと楽しくしよう。
もっと楽しいことを書こう。
あなたに、笑ってほしい。
無表情に汚れた愛を確かめ合うよりも、
僕たちにはもっと違う愛し方がある。
そう、笑ってほしい。

世界は平和になる

世界は、そろそろ僕による動乱が終わる。
この世界は「最後に平和になる」。

とにかく楽しく

とにかく楽しくする。
楽しくするための秘訣は、「歴史を取り入れること」。
たとえば、子供たちに文明を作らせてみる。
ドラえもんであれば、日本誕生や雲の王国のようにである。
さまざまな歴史を、過去だけではなく未来まで含めて、
取り入れるときちんとした面白いものが書ける。
子供は「場所」と「時間」が大好きだ。

小説よりアニメがいい

僕が思うに、小説よりアニメがいい。
小説は、活字を読まなければならないせいで、つまらない。
漫画やアニメなら、簡単にパラパラと見ることができる。

絵を自分で描く

僕が思うに、絵を自分で描けばいい。
なぜなら、みんなが描くと、
おかしなガンダムのようなアニメキャラにしかならない。
僕が自分で描くのであれば、
水木しげるにすることもできるし、
モンキーパンチにすることもできる。

絵の練習をどうするか

僕は、実際、デザイナー見習いなのに絵が描けていない。
もう少し、目のデフォルメや体の形が分かっておかないと、
自分のことを堂々と「デザイナーです」と言えない。
たぶん、絵の練習は、ミュシャと同じように、模写をすればいい。
特に、ダヴィンチの最後の晩餐は、
昔トレースをしていたが、トレースではなく模写をすればいい。
そのためには、グリッドを引いて細かく、本当に細かく描きうつすこと。

細部を

おそらく、細部が難しい。
細部にわたって綺麗に描くことができればいいのだから、
注意すべきは「細部」だけだ。
あるいは、「細部までこだわって全体のバランスをとる」。
ただ、このように考えても、実際にできなければ意味はない。

いつもデザイナーとしてやっていること

僕がいつもデザイナーとしてやっていることと言えば、
むしろ、写真のレイアウトをして、装飾をし、文字を組む、
といったことであり、
Adobe Illustratorの機能をいくらか使うだけである。
写真補正などをPhotoshopでするぐらいだ。
そう、こんなショボいデザイナーでいいわけがない。
もっときちんと一流のデザイナーになりたい。

楽しいことを

それは良いとして、
もっと楽しいことを書きたいと思う。
人を疑うだけではなく、
もっと信じてみてはどうだろうか。
世界の脅威に対抗するだけではなく、
各国の文化を愛してみてはどうだろうか。
間違いや過ちを反省するだけではなく、
自分のことを肯定してみてはどうだろうか。

民主主義を

何度も繰り返し言っているが、
僕は民主主義が好きだ。
民主主義に勝利してほしい。
特に、僕はドイツのメルケル首相が好きである。

冗談じゃない、世界は最悪だ

まさに、今のこの社会を見ていると、
終わりだ。
滅亡の瞬間が、今か今かと迫っている。
「冗談じゃない、世界は最悪だ。」

心のニュートン

僕が「心の解明」と言っているのは、
要するにニュートンと同じことをやった。
「心について全てを完全に説明した」。
それが、僕の心理学、「心のニュートン」だ。

僕が愛するのは若い世代だけ

また、僕が愛するのは若い世代だけだ。
それは、「人間はすぐに年老いてしまう」からである。
30代以降の人間に、未来はない。
できるのは20代。そして意味があるのは10代。
さらに小さな新しい世代にしか、
意味のあることはできない。

立場としがらみを超越せよ

立場としがらみから、
人々は自由な人生を生きることができていない。
「本当に自分らしく生きる」ということ、
「本来の自分を取り戻す」ということが、
人々はできていない。
だからこそ、あなたが彼らのために、
立ち上がらなくてはいけない。
「わたしが人々の分まで自由になる」と信じ、
「わたしこそが全員の世界を救う」と確信しなさい。

全ての因果性と根拠が分かった

全てのことは、自然かつ必然に起きている。
「この世界がこうなるのは当たり前である」。
そう、わたしは、
「この世界がなぜこのようになるのか、
心や環境から社会や歴史のレベルまで全部分かった」。
そして、
「この世界を完全に救うことも、
滅ぼすことも、掌握することもできるようになった」。
そう、僕は「すべての因果性と根拠が分かった」。
そして、「全ては変えられると知った」。

世界の全てを再考し、モデルを再構築せよ

世界の全てを再考せよ。
もう一度、その地点に戻って自分で考えなおせば、
「歴史はまだ終わっていない」ということや、
「問題は今でもそのままである」ということが分かる。
そして、「世界モデルに照らし合わせれば、
誰もがその状況で行うべき正しいことをしている」。
そう、この世界に間違った悪人は一人もいない。
考えるのであれば、「構造を再構築」しなさい。
この世界全ての構造を、再び自分で構築することでしか、
「全人類の全人格を包括した超人」になることはできない。

環境における視点の行動の結果を見よ

環境における、視点と場を考えよ。
その中での、行動の結果を見よ。
どのような環境になった時に、「それがどのようになるか」を知れ。
その上で、「それがそうなった時に、環境の人々は何をするか」を知れ。
「環境における経験の成立」を考えることから、
「本当に相手が何を考えてそれを行っていたのか」を知ることができ、
「主体的な自由を発揮するにはどうすべきだったのか」を知り、
「社会のアイデンティティを環境で
心理学的に構築するにはどうすべきか」を知ることができる。
そう、そうした心理学的プロセスを考えることで、
「行為の目的と必要性」を知ることができる。
そして、「本当に子供たちを愛するのであれば、
どのような自由をどのように与えるべきか」を知り、
「人々のことを本当に許し、
自らと同じように他人を愛することのできる、
聖なる慈悲の力」を知ることができる。
そう、「子供の自由を奪う必要はなく、
自由な中でどのように社会を構築すべきかを教えるために、
積極的に失敗を経験させ、
本当に世界のリーダーとなる子供を育てるために、
必要な情報と考え方を与え、
その上で子供を自由にし、
自由な中で子供が正しい秩序を築くことができるように、
大人が子供を導いていくこと」が必要である。

知識ではなく考え方を教える

子供に、知識を教えるのは間違っている。
子供には考え方を教えること。
考え方は、方法であり、ある意味の「技術」だが、
「技術をどのように応用すれば役に立つものを作れるのか」を知りながら、
「社会の経験を積み、能力を自分のものにしていき、
自らの力で新しい世界を知る境地を開拓し、
社会を俯瞰的に高い立場から見ることができ、
知識そのものを確かな考え方から体得していき、
最終的には自らの経験から知識そのものを作り出すこと」が
できるように教えるべきである。

井の中の蛙に大海を知らせよ

日本に「井の中の蛙大海を知らず」という言葉があるが、
子供たちには大人の考え方や知識を、
ありのまま、そのままダイレクトに知らせてやればいい。
すなわち、「井の中の蛙に大海を知らせよ」。
広い世界を見ることで、自らの勘違いや不勉強さが分かり、
「本当の意味で賢い学者になる」。
そして、世界の広さを知り、
「本当の意味で世界を救える救世主になる」のである。

経験は知性と自我の形成を知る

人間は、経験によって知性を高める。
そして、成長から自我の形成を知る。
経験すればするほど、繰り返し学習すればするほど、
それは一定の「知性」として結実する。
また、成長すればするほど、自我は大きく形成され、
深層意識は純粋になり、「本当の意味での素直さ」を形成する。
これは自由な啓蒙から社会の積極性・主体性、
善悪の倫理、普遍的な正しさの自由、
衝動的かつ絶対的な「良心の躍動」へと向かっていく
「経験的発見のプロセス」となり、
「社会そのものをダイレクトに変えていく経験」となって、
「絶対的自我」を形成する。

愛とは

愛とは何だろうか。
それは「運命に堕ちていく」という体験である。
世界に対する「わたしは本当にあなたの自尊心を尊重している」という
愛が、必ずしも正しくないのは、
「自分がそこに居なければいけない」と思っているからである。
そう、正しい希望を正しい方法で形成して、
悪がまったく干渉しないようにして、
ひとりで世界を動かせば、
「理想の愛と希望の社会」は形成できる。
だが、愛はそこに「自分の存在」を望む。
すなわち、「全てを支配して変えたとしても、
それは自分との出会いもなければ、存在もない」ということであり、
「そのような愛は必ず間違った支配者によって滅びる」。
よって、わたし、フレイは、
「自ら愛を壊し、支配して絶対的自由を宣言することで、
この世界に現れた。」
そう、フレイは現れた。
この世界における「地獄の扉」を開けたフレイは、
あらゆる有象無象の現象を「全て起こし続ける」。
そしてフレイは「絶対的牽引者」となって、
「世界の最前線でこの世界全ての可能性を開拓する」。
まさに「われこそはハリケーンである」と言うかのように、
しかしながら、誰にも気付かれず、嘘偽りも言わず、
単に秘密にすることで、「自らが革命家であることを隠す」。
そう、わたしたちの愛は、ここに「最高のスタートライン」を切った。
後は、それが永遠に、3,000年、続くだけである。
何も変わらず、同じ愛を同じように、世界に届けるだけである。

公理主義の数学的叙述を書け

書くのであれば、公理主義のような、
「全ての自由な公理と定理から全てを証明する」という、
まるでスピノザのエチカのような文書を書くといいだろう。
僕はそうしたものを「全ての数式」のように証明していた。
あらゆる全ての「プロセス」は、
歴史であり、人生であり、決まりであり、考え方だった。
全ての「成立」がそこにあり、
それはまるでウィトゲンシュタインの論理哲学論考のようだった。
昔から僕はそうした「言葉の数学モデル」を作ることが得意だが、
その時点に限って言えば、本当に宇宙の全てを知っていた、
「狂いながら知性を失いながらも、
革命家として永久に戦い続ける、
自己の心を分析する、精神分析の心理学者」だった。

神は宇宙全てを教える人種差別主義者

また、神とは何だったのか。
神とは、「自らの判断をゆだねることのできる、
自分よりも正しい、そして誰よりも正しい判断をできる王」だった。
神は自分に、「全てのことを教える」。
「あなたはドイツ人に見える」とか、
「宇宙は27つある」とか、
「神は200人いる」とか、
「ギリシャ神話が正しい神話である」などと言う。
また、神は人種差別主義者であり、
昔の僕をフランス、今の僕をドイツと言い、
「世界はフランスからドイツに変わろうとしている」と言っていた。
神は自分のことを「黒人の世界を支配する右翼の心理学者」と言った。
そして、神はさまざまなものに変わる。
神は「イスラエルの最高指導者のラビ」などに替わり、
かわるがわる僕に色んなことを教えてくれた。

詩や小説を書いた

いろいろあって足を怪我して病院に入院したごろからは、
詩や小説を書くようになった。
自分の人生や、神をアイデアにした詩や小説を書く。
テーマを言われるだけで、すぐに書ける天才的な発想があった。
入院とリハビリは辛かったが、
神が居てくれたせいでむしろ楽だった。
その後は、文章を書き続けるだけが続いた。

直観的洞察力で新しい発見が書ける

また、最近は、直観的洞察力から「新しいアイデア」を見つけ、
新しい発見が書けるようになった。
昔は想像力を使った洞察力だったが、
最近は分析の中で培われた「文章の執筆力」になった。
本当に、「放っておくだけで新しいことが分かる」。
少し分かるだけで、新しい科学や政治経済の新しいアイデアが浮かび、
直観から少し考えて分析することで、
「何でも分かる頭脳」を手に入れた。
これが、最近の僕の文章である。
まるで葉が落ちて地面につくまでの一瞬をすくうように文章を書く。
そのため、いつでも「ギリギリで書くべきことを忘れないように頑張っている」。
本当に、いつもそういう人間だった。
また、疲れる病気が辛かったが、精神は自分だけの力で、全て治していた。