AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 人生主義、FSF
BASENAME: 2020/05/25/085801
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DATE: 05/25/2020 08:58:01
CATEGORY: 社会
昔の僕は、人生主義と呼ばれる
国のモデルを作っていた。
これは、「自由な人生を生きられるようにする」
というもので、
要するに、僕と同じ人生が、
生産や労働を成り立たせた上で、
生きられるようにする。
人生主義の根幹は「自由ノルマ」。
自由ノルマにより、
「いつでも自分の好きな労働を行う自由」が
得られる。
自由ノルマは、
自らの労働結果を証明するレポートをベースとし、
「いつでも自分の好きな労働ができる」。
また、会社を作りたいものには、
資本金を国が与える。
人生主義の旗の色は、白地に紫。
また、僕はドイツのマイスター制度を模した、
「師弟制度」の国を作っていた。
この国は、全てがマイスターによって成り立つ。
会社というものは存在しない。
また、他には、
時間配分をベースとした等価な労働量などを考えた。
すなわち、辛い仕事の労働時間を減らし、
全ての労働の時間を調整することで、
「すべての労働量を等価にする」。
また、経済について言えば、
品質保証制度などを考えた。
自由経済において、価格競争だけを行えば、
価格は安くなっても品質が悪くなり、
「安物買いの銭失い」となる。
これに対して、品質保証制度を導入し、
「ある一定の試験をクリアしたものしか市場に出回らない」ようにすることで、
全ての製品の質は一定以上になる。
あるいは、「ゴールド保証」や「シルバー保証」とすることで、
ある一定のお金を払えば、品質の高い製品を得られるようにする。
これは従来の「単純なもの」ではなく、
コンピュータ・ソフトウェアなど「高度な機械」を販売する上では
大切な考え方となる。
Windows Meのように「最初から使い物にならない製品」を、
市場から排除できる。
病気は、中途半端に自力で治そうとするな。
きちんとその病気が治そうとしていることを、
ただ任せていれば治る。
自力ではなく、他力に任せなさい。
自力の全ては悪であり、他力の全ては善である。
神を信じれば、他力で全て治る。
また、自分のことを他人に置き換えて考えてみなさい。
自分がそうしていることが、
他人がやっていたとしたら、自分はどう感じるか。
だが、僕が見ても、自由ノルマはやめた方がいい。
なぜなら、ソ連と同じ失敗をくり返しているからである。
何もできなくなって、
何もなくなって、
西側より100年遅れた「末期症状」になった上で
崩壊するだけである。
ソ連には何もない。やめた方がいい。
民主主義のほうがいい。
主権が在民にあればそれでいい。
誰かひとりの独裁者が賢いわけがない。
「もっと民衆のことを信頼せよ。」
民衆は馬鹿ではない。民衆は賢い。
そもそも、この世界には意味がない。
ソ連を失敗させたロシア人が悪い。
ソ連が失敗したせいで、どんな革新的政策も
意味がなくなった。
全部スターリンが悪い。ソ連が独裁国家になった。
平和でいい。
平和ならそれでいい。
戦争や革命は、必ず世界を滅ぼす。
自由と言っている馬鹿は、自分で気がついていないだけで、
世界を滅ぼしたいだけである。
生産手段を全員に平等に与えるなら、
パソコンを与えればいい。
Windows PCにMS-OfficeとAdobe製品をインストールして、
与えればそれで仕事はできる。
それでできないなら、マルクスは実現できない。
そう、マルクス主義はもう古い。
そうしたパソコンの労働環境と、まったく適合しない。
手段だけではなく、トレーニングや経験も必要であるため、
今の時代では、マルクスは成功しない。
はっきり言って、僕はマルクスが大嫌いだ。
なぜなら、「マルクスは世界全ての足をひっぱっている」。
資本主義がさらに発展しようとすると、
必ずマルクスが足をひっぱってくる。
最大限の進歩に制限をかけてこようとする。
マルクス主義は世界から撲滅しなければならない。
僕が思うに、ものを所有できることは素晴らしいことだ。
なぜなら、「排他的な権利を独占できる」。
自分だけがそのものをコントロールできるということは、
「他の誰にも指図されない」ということであり、
すなわち「他の人間に支配されない」ということ。
あるいは「自分だけが支配できる」ということ。
それを失った人間など、「人間ではない」。
これが、マルクスが共産主義者を「妖怪」であると言った理由である。
彼らは人間ではない。
そういうわけで、FSFの主張していることはおかしい。
彼らはフリーソフトウェアを自由と言い、
プロプライエタリ・ソフトウェアを間違っていると言う。
だが、「WindowsのソースコードはMicrosoftのものであり、
権利すなわち私有権・知的財産権を独占するのは当たり前であり、
それをみんなのものにしろというのは泥棒である。」
僕はLinuxが好きだが、Microsoftの自由を尊重するために、
それは言っておかなければならない。
ただ、FSFが開発したソフトウェアをフリーで公開するのは
あまり悪くない。
コードをみんなのものにしたいのは分かる。
だからといって、他の全ての独占的ソフトウェアを
一切使うなというのは、おかしい。
FSFの言う理想の世界を作ったとしても、
絶対にいい世界にはならない。
ストールマンの言う自由な世界は「ITの原始共産社会」にすぎず、
できるのはまったく似て非なるものである「最悪のソ連」である。
また、Linuxは確かにオープンソースでソースコードが公開されている。
これを「みんなのもの」と言うことはできる。
これは確かにみんなのOSだ。
だが、LinuxはあまりにマイナーなOSであり、
「誰も使わないものが自由であっても意味がない」。
ソースコードに自由にアクセスでき、コピーや改変も確かに自由だが、
Linuxユーザーが居ない時点で、「そんな自由には意味がない」。
彼らは自由にすれば終わりだと思っているが、
そもそもLinuxが自由であったところで、無意味なのである。
「では、Linuxを普及させればいいのではないか」と言うだろう。
だが、Windowsよりも優れた点が、何もないOSが普及するわけがない。
Mozilla Firefoxも、LibreOfficeも、あるいはGIMPやInkscapeも、
「全部似たような商用製品のパクリ」である。
これでは絶対に普及はしない。
Windowsが既に標準であるのに、標準以外のソフトウェアを誰も使わない。
だから、Windowsよりも優れたものを作ればいいのに、
彼らには既にある技術のコピーしか能が無い。
オープンソースには新規性のある技術が何も無く、
全部商用システムのクローンである。
まさにLinuxは「芸を仕込んだ犬」であり、人間には勝てないのである。
こう見ると、「なんてLinuxに比べてMicrosoftは素晴らしいのだ」と
思うかもしれないが、
実際はMSにも悪い点はある。
それは、「ソースコードを見る権利を独占していること」である。
さっき言ったことを、Linuxの側から言いなおすと、
WindowsのソースコードにアクセスできるのはMicrosoftだけである。
よって、「世界中全てのWindowsパソコンは、
それをどのようにすることができる権利もMicrosoftにしかない」。
そう、FSFはこれを独占的ソフトウェアと言っているのである。
こう見ると、逆に「MSはなんて悪いのだ」と思うかもしれないが、
GAFAはさらに悪い。
GAFAは、「Webサービスの中の個人情報は
サーバー側に送信される」という方法を悪用して、
ユーザーの個人情報を膨大に集め、
そこから人工知能などの技術開発に転用している。
たとえば、SNSに投稿されたメッセージを人工知能に学習させ、
音声認識などの技術に転用している。
これは、「ユーザーに使ってもらう」のではなく、
「ユーザーの方を利用する」といった考え方に近い。
最近は、そんな感じで、
「ユーザーの権利とソフトウェア開発側の権利」が
まさに全面対決している。
Androidなどは、
「ユーザーである人間を機器の一部にしようとしている」。
どちらが勝つかは分からない。
まさに、新しい戦争・革命である。
ただし、パソコンだけが悪いわけではない。
権利を掌握する側が悪いのは、アメリカの常である。
IBMの時代からそうだったし、
ディズニーなども同じである。
「権利があれば最大限使う」、
「自分達だけが儲ける」、
それがアメリカのやり方である。
決してそれが間違っているわけでもない。
昔から、それで楽に儲かる。
ただし、アメリカには強いものの権利側だけではなく、
弱いものの権利側もきちんと居る。
「アメリカが正義だ」とか、
「アメリカが人権を守っている」と言えるのはそのせいで、
同性での結婚を認めろとか、妊娠中絶の是非とか、
そういう少数派を救うのも、いつもアメリカである。
アメリカは時々、「世界で一番ありえないことを言う」。
最近のポピュリストも同じで、
タブーや過激な思想は全部、アメリカでしか言えない。
また、日本も賢くない。
日本は、ほとんど「単なるマスコミ大国」だ。
マスコミが報じる通りに洗脳され、
テレビの言っていることをそのまま信じる。
何の主体性も無く、
いじめは戦いというより、従順かつ無抵抗にさせるだけ。
自由の何もない「権力にたなびく国」が日本だ。
どんなに政権がおごり高ぶっても無敵で、
どんなにマスコミが嘘を言っていても分からない。
権力者がこれほどに支配しやすい国は無い。
人々は「学歴社会」を受け入れており、
東大や京大以外は全部奴隷でいいと思っている。
日本は新しい「階級社会」であり、その頂点はテレビだ。
僕が思うに、マスコミをどうにかした方がいい。
誰かが懲らしめてやらないと、
日本の「知性の低下に歯止めが掛からない」からである。
マスコミは何でもありで、どんどん日本社会を馬鹿にしている。
どうにかしなければ、国民はマスコミに完全に支配されるだろう。
僕が思うに、マスコミが悪いだけで、
自民党はよくやっている。
これほどまでに、国民が豊かで暮らしやすい平和な国はない。
だが、僕は憲法改正には懐疑的だ。
なぜなら、「今のまま平和なままがいい」と思うからである。
憲法改正して、戦争をすべきではない。
9条を守って、永遠に平和であるほうが、
僕は「本当の正しい保守」だと思う。
自民党の問題は、「何もしないこと」だ。
なぜか、自民党の政治家は、
「必要に迫られない限り何も自分から行動しない」。
自民党にはそうした「何もしない体質」が染み付いている。
今の強権的リーダーを人々が支持するのは、
「何かやってくれるような気がするから」であり、
これはアメリカと全く同じである。
右翼の方が、何かをやってくれる気がする。
そんな「漠然とした期待感の雰囲気」だけが与党を支持している。
だが、そんな雰囲気だけで、国はよくならない。
結局、いつも通り何もしないだけ、それが保守派である。
形だけ善良なものの意見を聞くな。
上にたなびくだけのマスコミを信じるな。
自分の保身しか考えない権力者を引きずり降ろせ。
みんな同じ意見を持とうとするな。
雰囲気だけに支配されるな。
主体的な自分の意見を持て。
形だけ反抗し、実際は従うだけの、馬鹿な勢力につくな。
人を差別し、殺そうとする指導者につくな。
上に従い、盲信するだけの
マスコミは要らない。
マスコミよ、滅びよ。
この世界で僕に従うものこそが、
僕の敵である。
アメリカにつくな。アメリカにつくものは最悪である。
ドイツにつくな。ドイツにつくものは最悪である。
ソ連につくな。ソ連につくものは最悪である。
今から、すべてをあべこべにしよう。
すなわち、「神を信じるものが地獄に堕ち、
神を信じないものが天国に逝ける。」
マスコミは、僕のやること全てを阻む、
僕の最大の敵である。
彼らのやり方は、「一見僕を賛美し従っているように見える」ということ。
その裏では、僕が勝とうが負けようが、
「一定の立場と力を維持できるようにしたたかに考えている。」
そう、彼らを僕は完全に滅ぼさなければならない。
日本には馬鹿しかいない。
日本の国民は、何も分かっていない。
僕は日本を滅ぼす。
日本を支配する。
昔から、自分から王に従おうとするものには、
ロクな人間が居ない。
王の言う通り行っていれば、
それで従っていることにはなるが、
内心では王のことを全く信じておらず、
配下のものには王の陰口や批判を言うようにさせる。
そして、王が勝っても、王が負けても、
どちらにせよ自分が力を得ることができる。
王の側は何もできなくなって、自分から何もしなくなる。
そう、これが昔からの「武士の情け」だ。
日本人は、江戸時代から変わっていない。
しかしながら、ドイツのように、
自らに従う党の党員を最悪の集団にする必要はない。
マスコミがいなくなればいいのである。
そうすれば、きちんとこの世界は「できるようになる」。
全ての諸悪の根源はマスコミである。
わたしたちの愛は永遠である。
わたしたちは、自分のことを「愛」であると気付いた。
その愛は、「自由」だった。
そう、愛と自由の中に、「真実」があった。
愛、自由、真実、これらがあれば、
神は必要なく、科学的に考えることだけで、
この世界を変え、救い、
正しい「人々の安らかな安心」が得られることを、
僕たちは永遠に知っている。
僕たちは言う。
「僕たちはひとりだけが賢いのではなく、
みんなが賢くなれる。
そして、そこにマスコミのような
愚かな支配者は必要ない。」
そろそろ、戦いは終わった。
テレビは「ご勘弁願いたい」と言っている。
半テロ活動を、もう終わりにする。
自分をもっと賢くしないといけない。
世界を滅ぼすよりも、
自分自身のためになるように、
自分のことを考えるべきだ。