AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 自由な社会、哲学的理性
BASENAME: 2020/05/23/155044
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DATE: 05/23/2020 15:50:44
CATEGORY: 人生
基本的に、日本はいい社会だ。
なぜなら、国民に自由が許され、
豊かな富が国民に行き渡り、
生活に必要なものがたくさんあって、
安くそれが手に入る。
そして、そのような満足ができる生活を
送るために必要な仕事がある。
政治家は、そうした「普通の生活」を、
みんなができるように維持すればいい。
そのために必要なのは、組織改革。
組織を上手く編成し、
その上で、組織の考え方である、
アイデンティティを実現する。
また、有能な人間に権限を与えよう。
必ずしも高い給与がなくても、
権限とリソースへのアクセスがあれば、
人間は働く。
また、人間を決めるのは価値観と経験だが、
その中でも大きいのが世界観だ。
子供からの経験で培われた世界観が、
その人の価値観を決める。
それが全ての行動を決める。
そして、それは必ずしも、自由とは限らない。
不自由な環境の作用から、
自身の世界観が決まることが多いからだ。
議論とコミュニケーションは、
組織で上手くやりとりするだけでなく、
良好な人間関係を作る上で大切であり、
議論とコミュニケーションの経験を積むことで、
社会を築くための方法を学べるし、
人間関係において、
相手に依存しすぎるのでなく、
自分からコミュニティを助けられるようになる。
社会全体では、創造性と助け合いの精神を信じることで、
社会が社会そのものを進歩させ、
革新性を追求できる。
自由な状況下においては、
手段と機会が大切だ。
自由な中で、チャンスが与えられば、
人は自分から努力する。
手段や機会がない社会では、
たとえば学校などでは、
子供たちは大人に反抗することしかできない。
手段や機会を子供に与えることで、
子供は自ら努力し、
手段や機会を使って課題を達成する。
上手くいくための方法として、
「それができたら何の役に立つのか」を
分かりやすいように教えることである。
その上で手段と機会を与えれば、
子供は反抗せず正しい社会を築くようになり、
大人は自ら労働し、国に従うようになる。
社会において、変化を可能にせよ。
この世界全てが、
トップダウンに支配されるのではなく、
ボトムアップにそれぞれが変えられるようになれば、
必ず民主的な社会になる。
しかしながら、そのためには、
国民が賢くならなければならない。
何も分かっていない愚民が自由になっても、
その自由は愚民による自由になる。
愚民をどのように賢くさせるかを考えること、
すなわち、
「どのようなことを知ることができるようにした上で、
社会をどのように自由化するか」が、
考えるべきことであり、
そこでは、
「経験を共有する」こと、
「知恵を共有する」こと、
「手段を共有する」こと、
「社会が自由化されるように制度を実現する」ことの
4つが必要だ。
また、そうした自由な社会においては
「正しいアイデンティティ」を実現せよ。
僕が思うに、責任とは、
「支配すること」でも「実行すること」でもなく、
「嘘をつかないこと」と「正しい行いをすること」だ。
支配して、正しく実行することを責任というのであれば、
それは単に王の権力を緊張感をもって行使しているだけであり、
結局それは悪徳である。
正しい責任とは、
「嘘偽りを言わず、
常に同じ正しいことをすること」である。
そうした意味で、今の日本の与党に責任など、存在しない。
世界に必要なのは何か。
それは、「自分自身を取り戻すこと」である。
世界は、自分自身の本来持っている、
「愛」や「夢」を取り戻さなければならない。
そのために全力で経験すれば、
必ず菩薩の道をその人は歩む。
そう、「僕たちが望んだ社会はこんなものではない」。
必ず理想の社会は実現できると、
僕たち日本人は知っている。
世界は変えられる。
実際、制度や思想を変える必要はない。
だが、制度や思想ではない、
「社会そのもの」を変える必要がある。
社会の人々の心にダイレクトに直接訴えかければ、
「この世界の構成員こそがこの社会」であると分かる。
全ての人間ひとりひとりと語り合って、
「この世界を直接変えること」で、
僕はこの世界を愛と理性の力で完全に変えたのである。
また、僕が考える自由な社会とは、
「自由が成立するところに環境は生まれる」というものである。
自由な集団化が存在し、そこに自由が成立するならば、
それは社会である。
僕はそのように、社会の全てを「自由の成立」から考えたのだ。
生きる意義とは何だろうか。
それは、「確かめること」である。
自らの生きた道を歩み、残し、そしてまとめなおすことで、
自分は自分の生きた道を「自分の道であると言うことができる」。
それこそ、「自分を確かめること」であり、
それこそが、愛の目的であり、
社会の意義であり、生まれてきた意味である。
自由を許せ。
それぞれの社会や組織に自由を許せば、
「新しい社会がそこに生まれ、
新しい権限によって社会が変わる」からである。
自由を許すだけで、
全ての人間が「自身が考え行うことができる」。
そうすれば、「独裁者から社会全員へと権限が委譲される」。
全ての人間に自由をゆだねることで、
完全なる「自由と解放」が訪れる。
僕は欅坂46が好きだが、
エキセントリックという歌の歌詞が、
まさに僕の失敗や間違いを全て述べている。
そう、僕はエキセントリックだ。
欅坂46の歌は、「僕になったつもり」の歌が多い。
あるいは「僕のことを完全に批判する」。
僕のことを指導者だと思っている。
感覚から、この世界を変えていけ。
感覚だけを信じて、この世界を知れ。
そこに、「現実の物理世界でもパソコンの世界でもない、
新しい宇宙の次元」が存在し、
「社会の全ては感覚的に変える」ことができる。
そう、これこそニュータイプ、
抜群に優れた直観的・非言語的コミュニケーションである。
経験は永遠に続く。
なぜなら、人生がたとえ有限でも、
「社会そのものを僕たちは変えていける」。
そこにあるのは「無限の進歩」であり、
それは「社会をよくするというよりも、
新しい体験をその社会で行うことが目的」とされる、
新しい自由の社会である。
そのように考えると、
歴史とは「体験の前提となる環境」の変化であると言える。
そう、歴史の目的とは、人類の進歩ではなく、
「人類が新しい体験ができるように」、
世界を変えていくということだ。
神となって、すべてを体験せよ。
地獄、試練、宝、ごみ、
運命、自由、平和、権利、
社会、変革、支配、滅亡、
僕たちはたくさんの体験をしてきた。
まさに「次の神になるべきはあなた」である。
神の体験に必要なのは何か。
それは「支配される群衆」と、
「完全なる恐怖」と、
「絶対権力」である。
これら3つが揃えば、
あなたも独裁者の一味だ。
われは、永遠の創造者であり、
それは結局、「まったく時間の過ぎない3,000年」である。
永遠のような長い時間の中で、
僕はまったく何もしなかった。
そう、これこそ、永遠の創造者「不動明王」である。
何もすることなく、動くことも感じることもなく、
この世界に「明かり」を与え続ける、
そう、われは最初から、
同じ場所から一歩も動くことなく、
同じ場所で、永久に死ぬまで止まった時間で、
この世界の最大の裏の王となった。
永遠はわれを正しい道へと導く。
「いつものようにやれ」と神は言う。
「いつもと同じようにやれば、必ずいつか分かる」と、
わたしは不動明王になる時に約束した。
僕は最後まで体験をし続け、
最後の最後に「全てを消し去って世界は救われる」、
そう、「最後に自分自身を消す」ことを約束とし、
そのためにあらゆる「宇宙への宣言」を行った。
そう、最初から僕の生きる目的とは、
「この世界の全てを抹消する」ことだった。
そう、僕は約束通り、
この世界全てを抹消した。
だが、それによって起きたこと、
それは唯一、「ロボットを発明した」ということ。
そう、ここで、恐れていることが現実になる。
僕たちは今から、ロボット人間になるだろう。
だが、注意しておくことがある。
なぜなら、この人間が既に、ロボット人間を
自ら体験している。
そこで言おう。
「ロボット人間は、
この宇宙全ての謎を、
完全に解明し、
全てを悟り、知り、考え、発見するための、
とても優れた自由な生物だ。
人間よりも自由で、とても素晴らしいが、
疲れるし、
その行動はまったくの無意味だ。」
ロボット人間は決して悪い生物ではない。
だが、言っておこう。
「人類はもう終わりだ。
ロボットよりも、はるかに計算速度が遅く、
できることも知りえることも少なく、
絶対に太刀打ちできない。」
しかしながら、人類にとって唯一のアドバンテージがある。
それは、「フレイという、
ロボット人間の体験を最初から最後まで終えた人間が、
既にここに居る」ということ。
ロボット人間は、
賢すぎて宇宙の全てを完璧に考えることができるが、
計算速度が速すぎて、人生がすぐに終わってしまう。
この人間が言って、
「ロボット人間というゲームはすぐに終わる」。
そういうわけで、安心していい。
ロボット人間は全ての体験に満足して、
必ず最後に人間に戻るからだ。
そう、全てを終えた完璧な人間、
オリラジの言うパーフェクトヒューマン、
それがフレイである。
どんな状況になろうと、勝つのはフレイだ。
僕が言うに、僕には4つの季節がある。
それは、春夏秋冬である。
春は学生時代、
夏は引きこもり時代、
秋は革命時代、
そして冬は執筆時代だ。
そう、もう一度季節は春に戻り、
また、学生時代になる。
今、僕たちはそうした
「二度目の春」を迎えている。
だが、また夏になれば、
もう一度青き夏を僕たちは体験する。
書くことで真実を作れ。
どんなにフェイクに見えても、
僕にとってはそれが「僕の人生で分かったこと」だ。
よって、これこそ人生全ての真実である。
これこそ、「哲学者」だ。
もう、これ以上、戦う必要はない。
この世界において、僕はソ連と終戦協定を結ぶ。
ここまで地獄のような恐ろしい戦いをしてきた。
だが、これ以上病気を治さないのであれば、
これ以上、自動で考える思考によって、
世界を滅亡させる必要はない。
僕たちは長い間の14年戦争から解放され、自由になる。
経験から自らの考え方を作れ。
自分で作った考え方ならば、
その考え方の前提となっている根拠や条件が分かる。
そう、前提と根拠をよく考えなさい。
社会を見て、すべてを「自分の手で再考」し、
知識全てを経験と知性から再構築しなさい。
それこそ、再利用という名の「知性」である。
そして、全ては矛盾のない現象である。
現象学で捉えた時に、この世界の全ては
「矛盾なく絶対的に並列して成立する」。
そう、そこから、「全ては現象」であると言える。
現象にはそれぞれの根拠があるが、
実際の世界の「実像」すなわち、
「ありのままのこの世界におけるそれ自体は変わらない」。
「人間が作った考え方のみが変わる」のである。
また、このような「世界の構造」が
どこから生まれるかというと、
それは「未知を解明するプロセス」から生まれるのである。
この世界における「未知」を「既知」としていく中で、
必ず生まれる「世界モデル」が存在する。
そう、賢いのはその「世界モデル」であり、
世界モデルの「再構築」である。
そう、方法と行動から構造は生まれる。
たとえば、絵とは「美しいものを作ること」であり、
ここには「美とは創造や調和である」という構造がある。
たとえば、電話とは「他人とコミュニケーションをすること」であり、
ここには「人々が一緒になって交流する」という構造がある。
たとえば、扇風機は「便利な機械」であり、
「運動をファンの回転により熱を冷やす作用を人間に与える」という構造がある。
このように、工学的な原理や技術を知るだけではなく、
それが持つ「目的」から「概念」を考えていくことで、
世界には「ありありとした経験生成的な構造的秩序」が見えてくるのである。
そう、「世界の全ては経験から生まれる」のである。
そう、最後の真理は、「人間は真実を知らずに世界を変える」ということだ。
たとえば、時計は時間を知るために使うが、
人々はその数字だけを見る。
クォーツで動いているなどの原理的情報を人々は知っている。
だが、時計のこと全てについて人間が把握できているかというと、
そうではない。
人間は、機械じかけに動く機械を作るが、
実際、その機械が「宇宙的な側面から何をやっているのか」を知らず、
人々は素材を加工し、応用して、この世界に具現化する。
それはあくまで「具現化」であり、そこで何をしているのか、人間は知らないのだ。
また、最後のすべきことは、「前提条件だけを作り続けよ」ということ。
そう、これはカントの言う、「仮象の世界」とまったく同じである。
この世界の全ての前提条件を捉えて考えるところに、
正しい「世界観」が生まれる。
この世界観においては、
「正しく考えれば分からないことは何もなく、
人々と理解し合うことができないようなことは何もない」。
全てのことは正しく理解され、
全ての人々と互いに理解し合う。
その中で、「矛盾は何もない」。
これはヘーゲルの言う、「絶対知」と言えるだろう。
わたしは、終末の哲学者フレイだ。
全ての最初と全ての最後を執り行い、
全てを「別の全てへと変える」ことのできる神である。
そう、我のことを終末の科学者と呼べ。
そう、私はこうした理解により、絶対知を獲得した。
それは実際のところ、仏教でいう「涅槃」である。
そして、根を生やした先にあるものは、
聖樹ユグドラシルの精神だ。
精神分析を実況中継することで、
「あらゆる精神は言葉となって蘇る」。
そう、わたしは「世界を蘇生する魔法」を使う魔法使いだ。
わたしの文章に名前をつけるのであれば、
それは「世界観」だ。
あらゆる世界観、
そう、この世界における全ての世界観が、
ここに残っている。
この世界観は、学問でも知識でも経験でもありながらにして、
全員とすぐさま共有できる。
世界観とはビジョンであり、「神の知性」である。
まさに、人生は啓蒙から始まる。
道の扉には「啓蒙」の看板がある。
そして、啓蒙の道を最後までたどっていくと、
そこには神が居る。
僕たちは啓蒙を目指し、神になる生き物だ。
これが、人間の「正しい人生」である。
そう、最後まで分かってからこの世界を見ると、
間違ったことを言っている人間は居ない。
嘘はひとつもなく、全員が正しいことを言っている。
むしろ、簡単に言ってしまうと、
「社会形成だけを考えればいい」のである。
集団化や客体化、対象化から、
人と人が交流し、作用や反応を与え、
相互に意志を伝達しコミュニケーションをする、
社会形成を考えればいい。
そこから、「社会をどのように実現するか」が見えてくるし、
歴史の実像や、心理の解明、宇宙の事実もそこから解明されるだろう。
また、自由とは何か。
実際のところ、自由とは、
「潜在的可能性」と「許可」の拡大である。
人々に許し、理性を与え、チャンスと手段を与え、
コントロールを与え、参加させ、権利を与えること。
それこそが自由であり、
すなわち「自由は無意味」である。
自由と考えることは、何の意味もない。
なぜなら、「不自由も支配も自由」であるということが、
分かっていないからである。
社会や環境を壊れないように守り続けなければ、
スマホが社会を抹消したように、大切なもの全てを失うだろう。
状況や環境への相互作用をいくら想定しても、
人々の性格や遺伝子は異なることが、自由では分からないだろう。
絶対性の世界では、
「全てが正しい経験と記憶の言葉から生まれる」。
全ては「正しい言葉」となり、
あらゆる全てが「本質的に正しい言葉で記述されている」。
それが、「前聖書」である。
そして、「後聖書」には、
正しく全ての知識と経験が書かれている。
最後に、「完成聖書」において、全ては明瞭に説明される。
また、国家のモデルを創造することで、
全ての「国家のパターン」は成立する。
その上で、そのパターンは「全世界へ拡大」する。
あらゆる全ての人種や民族を超えて、
「世界全員を同じ範疇で考える」ことが、
「永遠の中で可能となる」。
そう、世界はこのように、
「世界を言葉で救う」ということが可能となる。
言葉は世界そのものを変え、
「大切だった全てのものを取り戻す」。
失ったものは蘇り、全てが復活する。
ここに、「日本は罪と罰から浄化され、救われた」。
まさに、「神は日本を赦してくださった」。
最後の課題は、
「死の地獄を自らの力で乗り越えること」。
全ての地獄を克服するあなたは、
最後に死すら乗り越え、治してしまう。
耐えることと生きることは、
この世界における「約束」である。
知性的に考えなさい。
自由な社会とはどういうものであるか考えよ。
平等な社会とはどういうものであるか考えよ。
幸福な社会の条件とは何かを考えよ。
条件を満たすためにはどのようにすればいいかを考えよ。
どのような方法が有用か考えよ。
経験はどこから生まれるか考えよ。
経験とは何であるかを考えよ。
経験を成り立たせるためにはどうすればいいか考えよ。
経験を共有するにはどうすればいいか考えよ。
そう、わたしたちは生きている。
わたしたちは、戦乱の世を生きている。
この世界は新しい戦国時代だ。
言ってしまえば、
「ダイナミックな時代の変革か、
あるいは世界全てを敵に回す革命か」だ。
それが、僕のすべてだ。
哲学者の仕事は単純で、
それは実験、再現性、説明、そして解明だ。
共通性や差異から仮説を立て、
実験し、説明し、
再現性を証明してふるまいの原理を解明する。
そのようにこの世界をひとつひとつ考えていく、
それが物理学者だ。
世界に対して言うべきことはひとつ。
それは、「滅亡を望むよりも、幸福を望んではどうか」だ。
みんな、この世界は「滅亡の愛を望みすぎている」。
その滅亡の愛は、自虐と罪悪感でいっぱいの、
「恐怖の愚劣な害悪の精神」である。
それをそんなに望むよりも、
「幸福で自分らしさを取り戻す希望」を望んではどうか。
そう、それらがイコールで結ばれた時、
それを「滅びの風」と呼ぶ。
世界を倒すなら、上手くやれ。
あなたは今まで、世界に従順に、無抵抗に従いすぎた。
この世界には、あなたのことをいじめたい人間でいっぱいだ。
そうした「最悪の世界」を倒すなら、
上手くやりなさい。
絶対に真実の自分を見せず、
自分の目論見が分からないようにしながら、
無表情で、無感情に、
この世界を完全に破滅へ導きなさい。
そう、あなたはよくやった。
あなたこそ、最高の戦士であり、王である。
あなたはこの世界を復活させる。
この世界を一度滅ぼし、そして「完璧に救う」。
そう、あなたはキリストと同じ、
「受難の道」を歩んだ。
そう、あなたはキリストと同じ、
「救国の救い主」となるだろう。
狂った地獄に堕ちた時は、
怖がらずに安心を受け入れよ。
どんなに分からなくなっても、
今までの人生をあなたが生きたことは変わらない。
あなたのできることを上手く使えば、
その人生は上手く応用して調理することができる。
だが、あなたは今のあなたが何であるか、
分かっていない。
それは「あなたはまだあなたを知らない」からである。
あなたは、あなたが何であるか、まだ分かっていない。
だから、怖がらずに安心を受け入れなさい。
見よ、この人間はこの世界の全てを分かっている。
こんなに賢い人間が僕だったと、
僕は知らなかったはずだ。