AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 選択、反人種差別
BASENAME: 2020/05/22/085200
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DATE: 05/22/2020 08:52:00
CATEGORY: 社会
CATEGORY: オープンソース
CATEGORY: 宗教
あなたは、選ぶ必要がある。
選択肢を、「馬」と「鹿」にしよう。
馬を選んだあなたは、
自由なままで愛を体験する。
この人間と愛を交わす体験をし、
永遠の最高のエクスタシーを感じられる。
この人間の分かった全てを知り、
宇宙と人生と愛の謎が全て解ける。
鹿を選んだあなたは、
地獄の中でこの人間とまったく同じ体験をする。
全てのことを自力で考え、
試練と立ち向かい、
栄光の未来が訪れるまで、
全力で努力し続ける。
馬を選ぶのであれば、この文章を
最初から最後まで全部読みなさい。
鹿を選ぶのであれば、この文章を
適当にいくらか読みながら、
書かれていることを自分で実践しなさい。
実際のところ、社会が分裂している。
この世界は、完全に分裂している。
それは、自由のせいである。
よって、社会の分裂を治せば、
僕の精神も治る。
社会が分裂しているせいで、
みんな狂っている。
治すためには、
「僕が社会をひとつにする」しかない。
また、自分の中で、
自分と世界が分裂している。
要するに、
「昔の自分」と「今の自分」が分裂し、
「昔の世界」と「今の世界」が分裂している。
これらを統合すれば、
統合失調症は治る。
この世界は、みんな僕の恋人である。
そして、僕はみんなのことが大好きだ。
僕はみんな、全員と結婚している。
問題は何もない。
要するに、悪いのは全て「分裂」である。
分裂とは、複数に分かれて動き回ることだ。
これを一番上、世界の頂点から、
トップダウンに「統合」すると治る。
統合とは、「同じになってひとつになること」であり、
すなわち融和であり、統一である。
融和するにはどうすればいいかというと、
神経症になるしかない。
強迫的な神経症になると、精神が融和する。
迷いの中でなんとか正しいことをしていれば、
分裂した部分を殺すことができる。
昔の子供時代を書きすぎたせいで、
単なる高校生に見えるが、
最近の僕は「執筆」と「デザイン」を頑張っている。
職場ではもう3年半デザインを勉強している。
デザイン班のエースになった。
Illustratorの使い方や機能はよく分かっている。
これは同僚のおかげであるところが大きく、
僕は彼のデザインが好きで常に憧れの存在だった。
また、執筆は毎日頑張っている。
昔は神や物語や詩を書いていたが、
そのうち昔の人生や哲学者を書くようになり、
文系の歴史や人物を書くようになり、
最近は昔できなかったパソコンの知識や、
ピアノや英会話、ヨーロッパや自然科学、
社会的な発想やアイデア、国家のモデルを書いていた。
本の内容をそのまま書いていたので、
著作権の問題があり、非公開にした。
Linuxは、これではリーナスが賢いだけに見えるが、
見ていると、色んな人間が居て面白い。
GNUのような自由のために闘うグループから、
Red Hatのような企業システム向けに販売しようとする会社、
あるいはIBMのような巨大企業から、
OpenBSDのテオのようなカリスマハッカーまで、
なんでもかんでもある。
また、Linuxシステムはたくさんのソフトウェアの寄せ集めであり、
その中にはPerlやApacheなどが含まれる。
まさに、みんなの作ったOSである。
どこかの会社が一社で作った製品でないからこそ、
面白い発想ができるのである。
僕が思うに、仏教がいい。
仏教ぐらいの賢さが、
人間にとってちょうどいい。
仏教の有名な教えは、
諸行無常と縁起だ。
諸行無常は、全てのことは、留まることなく移り変わる。
縁起は、良いことをすれば、必ず良い縁が起きる。
また、僕は四諦という教えが好きだ。
苦とは何か、
苦の原因とは何か、
苦を滅するとは何か、
苦を滅するための方法とは何か。
これに加えて八正道を行えば、
必ず悟りが開ける。
そう、全てを苦とブッダが言ったのは、
全ての苦を滅することで、
宇宙が全て分かると言いたかったのではないかと、
僕は個人的に考える。
仏教では、人間や生物を六道に輪廻すると考える。
すなわち、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界だ。
これらは、因果応報、すなわち業による報いである。
また、仏教では、四聖として、
声聞、すなわち社会を知ったり、人々の意見を聞いたり、学問を知るもの、
縁覚、すなわち芸術家やスポーツ選手など一芸に秀でるもの、
菩薩、善良な人間であり、思いやりから人々を助ける、仏へと至る道、
最後に仏を挙げる。
仏には、誰でもなることができる。
神のように、人間の遠く及ばない人間ではなく、
仏のように悟りを開いた人間を覚者と呼ぶ。
根を生やすように悟りを開いた境地を涅槃と呼び、
完全にカルマ(業)が最も高くなって、
輪廻転生から抜け出した境地を解脱と呼ぶ。
解脱は宇宙において最も素晴らしい、
絶対に裏切ることのない境地だ。
仏教の目的とは、覚者となって解脱の境地を知ることである。
僕が思うに、僕の前世は牛だと思う。
たぶん、賢い牛だったはずだ。
今でも、その牛の体験をベースに人生を生きている。
牧場の牛ならこんな人生で許される。
それで、たぶん、次の人生は人間にはならない。
猫が好きだったから、猫になるような気がする。
Linuxカーネルのコミュニティについて言うと、
Linuxでは大量にバグを直したり、
サブシステムを作り直したりしていると、
メンテナ、すなわち主要管理者に任命される。
この例がアラン・コックスやアンドリュー・モートンなど。
そういうわけで、オープンソースに参加したいなら、
大量にバグを直す、あるいはサブシステムそのものを書き換えて作り直そう。
それだけで、オープンソース開発者になれる。
僕はUbuntuが好きだ。
Ubuntuには「オープンソースよりも高い理想」がある。
それは、アフリカ人によるOSということ。
開発者のマーク・シャトルワースは南アフリカ人で、
ubuntuという言葉は南アフリカのズールー語で「思いやり」を意味する。
単に無料であるだけではなく、
オープンソースであるためアフリカの諸言語にも対応でき、
また、ベンダーロックインからも解放される。
システム管理やエンジニアの技術習得のためのツールは全て無料で、
すぐにエンジニアとしてのスキルを習得できる。
これはアフリカの子供たちにとっては素晴らしいことだ。
僕が思うに、「生まれた時から格差をつけてはいけない」。
アフリカを素晴らしい地域にするための、
思いやりたっぷりのOSである。
デスクトップでもサーバーでも、
「LinuxをやるならUbuntu」が標準になってきている。
とても素晴らしいことだ。
Debianの技術をベースにしているため、
技術レベルも高くきちんと動く。
僕は、ゾロアスター教が好きである。
古代イランのペルシャ帝国の宗教で、
二元論、終末論、救済論など、
ユダヤ教やキリスト教のオリジナル的存在。
ペルシャ帝国は、被征服民を奴隷にせず、
自由な信仰や文化を許した。
そのため、被征服民はペルシャ帝国による支配を受け入れ、
ペルシャ帝国は巨大な領土を得た。
僕は、右翼に対抗するために、
独裁者による人の支配でなく、
法の支配が大切だと思う。
僕はあまりに人の支配をやりすぎた。
これ以上、地球に人の支配はもう必要ない。
今、世界に必要なのは、
「反人種差別宣言」だ。
全ての人種に対する差別やヘイトスピーチを、
法律で禁止し、
先進国の全ての国を宣言の対象とする。
単にヘイトスピーチが嫌いなだけでなく、
ドイツを再び繰り返さないために、
ヘイトスピーチは完全に禁止する。
人種差別主義者は地獄に堕ちる。
高慢な政治家を権力から引きずり降ろせ。
人々を虐殺する権力者は要らない。
私達は同じ人間だ。
同じ権利を持った、同じ理想を信じる人間だ。
国や社会によって隷属される、
国家の型にはまったクローン人間ではない。
私たちの平和な地球を作ろう。
人種に平等に接しよう。
アフリカやアジアの貧困にある人々を救おう。
アフリカを素晴らしい地域にするために努力しよう。
自分一国だけではなく、地球人全員のために行動しよう。
悪の権力者を引きずり落して、
民族虐殺や戦争のない世界を作るために、
私たちの国を作ろう。
自分一人のためではなく、
みんなのために行動しよう。
成功しようとか、たくさんの富を得ようとか、
そういうキャリアやサクセスのためではなく、
人々のため、みんなのために行動しなければならない。
僕が思うに、ユダヤ人を人種差別から救うべきだ。
ユダヤ人は、何も悪くない。
みんなでユダヤ人のための国を作ろう。
日本をイスラエルのユダヤ人とともに生きる国にしよう。
キリストは、弱者を思いやれと言っている。
目の見えないものや服を着ていないものによくせよと言っている。
僕はキリストのように生きることが正しいと思う。
僕も、職場で障害者の方と多く接しているが、
彼らは生きるためによく頑張っている。
僕はユダヤ人が好きだ。
ユダヤ人は岩崎宏美のようなところがあると思う。
聖母(マドンナ)のように美しい。
ユダヤ人は決して醜くない。
はっきり言って、僕にパソコンは向いていない。
パソコンはもっと頭がいい人間に向いている。
僕は頭が悪いから、
OSSのネットの情報などを見ても分からない。
MySQLのセミナーの内容を見ても、まったく分からない。
はっきり言って、愛し合えばいい。
みんなで愛し合えばいいじゃんと思う。
そう、みんなおいで、ここは愛の楽園だ。
考え方として必要なのは、「使って作ること」である。
何を作るのであっても、素になった材料や道具がある。
物を作る上で、「作りやすいように整えてあげる」、
これが大切。
何においても、最初のゼロから作るよりも、
前もって準備段階を用意しておいて、
そこから作る方が簡単である。
Webフレームワークなどは、こうした考え方に基づいている。
だが、その上で必要なのは「複雑性を排除すること」。
準備段階の多くのものを用意する上で、
たくさんの素材の知識や道具が必要だと、
どんどん複雑で難しくなる。
これでは、「簡単にするためにフレームワークを作ったのに、
結局もっと難しくなって意味がない」ということに陥る。
準備段階を用意する上では、
「シンプルに全体が見通せる」ということが大切だ。
ソフトウェアにおけるバグについて、
多くの人間は「間違い」から生じると思っているが、
プログラミングにおいては、むしろ想定外の状況から生まれる。
たとえば、正規表現でHTMLのタグを検索する際などに、
一行単位でパターンマッチングしていると、
一行の中にHTMLタグがひとつだけあった場合には検出するが、
その時点でスルーして次の行に移ってしまい、
一行の中にHTMLタグがふたつ以上あった場合に検出しなかったりする。
このような「想定外のバグ」は、
クラス構造が複雑になったり、マルチスレッドになったりすると、
もっと解決困難なバグになる。
だから、作る前によく考えて計画すること。
「プログラミングは設計が大切」とはこのことである。
悪を否定し、善を信じること。
言ってしまえば、人種差別以外のほとんどは善である。
善を信じると、きちんとこの世界にある
多くのことが分かるようになる。
悪には何も分からない。
一切分からないのが悪だ。