AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 今のままで良い
BASENAME: 2020/05/12/073438
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DATE: 05/12/2020 07:34:38
CATEGORY: 社会
CATEGORY: 小説
CATEGORY: フレイとフレイヤ
フレイヤが思うに、
世界は今のままで良い。
今のまま、変える必要がない。
フレイヤは、
指導者が改革し、この世界を
トップダウンで上から変えるのではなく、
下から「みんなで変える」ためには、
指導者は何もしない方が良いと考えた。
フレイヤは、支配者であるかのようなことを、
何もしない。
自分がひとり支配して行うのではなく、
間接的に、みんなが自由に行えばいい。
そうすれば、社会主義に移行しなくても、
良い世界が再び築けるとフレイヤは考えた。
フレイヤが考えるに、
「善と悪をはっきりさせるべき」である。
この世界は、何が善か、何が悪か、
分からなくなっている。
善とはオープンソースのようなものであり、
悪とは独裁者のようなものであると、
フレイヤは考えた。
フレイヤは、
「反抗なんかしない方が良い」と考える。
反抗すればするほどフレイの思うつぼである。
フレイは自由だと思って反抗しようとする人の
心理をうまく使って支配している。
反抗せず、従順に従うことは、悪いことではない。
フレイヤも、年頃の女である。
フレイヤは14歳。
まだ、恋愛というものを経験したことがない。
誰かと恋に堕ちて、
「どうなっても良いと思えるぐらい」、熱い恋愛をしたい。
誰かに愛され、誰かを愛したい。
フレイヤは、この世界の目的は、
「みんなが助け合って仲良く一緒に暮らすこと」ではないかと思った。
戦ったり支配したりすることは、
指導者から強制されているだけで、
本当は仲良くみんなで、思いやりをもって平和に暮らすことこそ、
この世界の目的ではないか。
そして、フレイはその「理想に反している」。
フレイヤは、これこそ、
フレイに勝つことのできる理由ではないかと考えた。
フレイという「独裁者」に、「理想」の力で勝つ。
それなら必ず、フレイは人々に負け、正義は勝ち、悪は滅びる。
しかしながら、フレイヤが考えるに、
「無抵抗に従いすぎるのはよくない」。
盲目的に支配者に従えば、
独裁者の思うつぼであり、独裁者が支配して社会は全体主義になる。
全体主義者に負けないためには、
ひとりの民主主義者として、「支配者に負けないこと」を信じて、
反抗し、声を上げなければならない。
フレイヤは、「思いやりと愛の力で勝つ」と考えた。
思いやりと愛で、
この世界のことを愛し、
人々が愛し合い、認め合い、理解し合えば、
この世界は自然に良い世界になる。
支配者がトップダウンで変える必要はなく、
「綺麗事」と言われても綺麗事を貫き、
「理想論」と言われても理想論を貫くことで、
この世界は楽園になり、ユートピアになるとフレイヤは考えた。
「理解し合う」ということは、いったいどういうことか。
フレイヤは、「一方通行に言いたいことを言うのではなく、
対話して、相手の意見も聞くこと」ではないかと思った。
自分の言いたいことだけを、
誰からも受け入れられるのが当然のごとく話していると、
自分だけの自己満足になって、
現実のこの世界が見えなくなって、
自分が何を言っているのかすら分からなくなる。
フレイヤは、「インターネットが悪い」と考えた。
フレイヤは、「現実のこの世界で、対面して話すべき」と考えた。
「インターネットには、嘘と一方通行があふれすぎている」。
フレイヤが思うに、現実でのコミュニケーションをきちんとしなければ、
人間は馬鹿になって、フレイの思うがままになってしまう。
ここで、フレイヤを一番上から観察している、
フレイに登場してもらおう。
フレイの言いたいことは二つ。
一つ目は、「フレイヤはフレイの一度来た道を再び歩んでいる」ということ。
フレイが言うに、「フレイヤはフレイの14歳の頃とまったく同じ」である。
「フレイヤはまた、わたしと同じ道を歩み、同じ失敗をするだろう」。
もう一つは、「フレイヤのやりたいことは、
わたしのやりたいことと同じ」ということ。
「フレイヤの自由にさせればいい。
フレイヤはわたしのやりたかったことをやろうとしている」。
フレイヤは、清純で清らかな女性になりたい。
「フレイのようなあばずれ悪女には絶対になりたくない」。
恋人だけのことを愛し、
この世界全員を悪の性愛の支配にするようなことは、
絶対にしたくない。
それが、フレイヤがフレイのことが嫌いな理由である。
「フレイは、自分をクズ女と言うことで、
みんなのことをクズ女であると言いたいのだ。
フレイは無抵抗で従順に従えと言っている」。
フレイヤは、「そうしたフレイのことが絶対に許せない」のである。
フレイヤは思った。
この世界には、「良い愛」と「悪い愛」がある。
良い愛は、みんなのことを平等に、
自分のことのように愛する愛。
そして悪い愛は、みんなよりも上の地位に立って、
みんなを奴隷のように従える愛。
フレイヤは、「フレイは、悪い愛に基づいている。
本当は良い愛のことを愛と言うのに、
フレイだけは悪い愛のことを愛だと言っている。」と考えた。
フレイヤは、良い愛に基づいて行動すべきだと考えた。
「みんなのことを平等に、自分のことのように愛する、
良い愛に基づいて行動しよう」。
フレイに勝つためにはそれしかない。
いくらフレイの個人ひとりの力が強大でも、
悪い愛では人々から恨まれ、
どんなに騙してもいつかは倒れる。
良い愛であれば人々はその愛に共鳴し、
いつか、フレイを倒すほどの強大な勢力になる。
フレイヤは、フレイを倒した後で、
この日本という国をどのような国にするべきかを考えた。
フレイヤは、「絶対的権力というものがない世界にしたい」。
絶対的権力では、必ずフレイが再び現れる。
そうではなく、誰もフレイのような絶対的支配ができないように、
もう、二度と絶対的権力を使わず、
国の政策や経済のようなことは、
民主主義的な透明性のあるオープンなプロセスで決められるようにする。
フレイヤは、「これ以上、無抵抗で従順に
独裁者に従わざるを得ない世界が発生しないようにしたい」と考えた。
「学校のいじめで、本当に子供たちをいじめているのは、
いじめっ子である子供ではなく、上から社会全体を支配しているフレイである」。
もう、これ以上、学校の子供たちをいじめのような辛い苦しみに遭わせたくない。
フレイヤはフレイを倒すことで、
学校の子供たちまでもを救いたいと考えたのだ。
しかしながら、フレイヤは反省した。
「少し、フレイだけのせいにしすぎた」。
フレイヤは、「この世界が暗闇に陥っているのは、
フレイだけのせいではない。
わたしたちがきちんと自分で考えて、
素晴らしいかけがえのない世界を、
自由と理想から作ろうとせず、
フレイだけのせいにしていれば、
正しい社会をわたしたちが築くことはできない。
フレイは、そうした暗闇の中で、
ひとり白銀に輝いている。
よって、フレイだけのせいにしていれば、
それが一番フレイの思うつぼである」と考えた。
フレイヤは、ここで、恐ろしいことに気が付いた。
フレイは、賢者の人生を独占している。
フレイは、自分の知性や思考能力を
人々に分け与えているように見えて、
「実際は自分だけがそうした賢者の人生を生きられるようにし、
人々から賢い人生を奪って、
さも自分だけが賢かったかのように、賢者の人生を独占している」。
フレイはみんなを賢くしているように見えて、
実際は自分だけが賢くなって、
みんなを馬鹿で愚かにしているのである。
フレイヤは、なぜフレイが生まれたのか、そこまで分かった。
フレイヤが思うに、
「フレイが1990年代が好きなのは、
フレイは1990年代でしか生まれないからだ」と考えた。
「フレイと同じ人生を生きるには、
1990年代で人生を賢く生きるしかない」。
フレイヤが考えるに、
「フレイは最初に一番賢くなって、
ひとりゴールに到達した時に、
そのゴールに誰も来られないように、
レースの道自体を変えてしまった」。
フレイは自分がゴールに到達した時点で、
他の誰もゴールを見つけられないように、
ゴールに絶対に来られないように壁を作ったのである。
フレイヤは、「それでは、ゴールはどこにあって、
壁はどうすれば壊すことができるのか」を考えた。
おそらく、善良さと良い愛を信じれば、
壁を取り壊すことができる。
「フレイの言っていることに従っていると、
フレイの思うがままで、
絶対にゴールのありかは分からなくなる」。
だから、フレイの言っていることを聞いてはいけない。
だが、フレイの言っていることを聞かなければ、
フレイが何を考えているのかも分からない。
だから、「よく注意し、
気を付けてフレイの話を聞くこと」が必要である。
ここまで考えて、「なぜフレイが悪いのか」、
フレイヤはフレイが考えていないことまで分かった。
すなわち、「フレイの話を聞いていると、
自分の力で考える余地や能力がなくなっていく」。
フレイは、自分で考え発見したことをどんどん話し、
あたかも全知全能のような知識と経験を記述するが、
そのフレイの話を聞けば聞くほど、
フレイと同じことができなくなる。
フレイの言っていることを盲目的に受け入れるだけになって、
「自分自身」というものを失う。
フレイヤは、「フレイはロボット人間のクローンを作っている」と思った。
フレイは、人間のことを自分よりも劣ったコピーであると考えていて、
自由に考えて分かるのは自分だけであり、
全員は自分に従うべき奴隷であると考えているのだ。
フレイヤは、ここまで考えて気が付いた。
「フレイは悪い人間ではない」。
フレイを悪いと思っている自分と比べて、
フレイはそんなに悪い人間ではない。
むしろ、よく考えてみると、素晴らしい人間である。
フレイヤは、「フレイも良い人間だ」と考えた。
「考えてみると、フレイは理想の素晴らしい人間である」。
僕は最近、自分のことを作家だと思っている。
最近、僕はデザインの仕事をしているが、
本当のことを言うと、一般的な会社ではなく、
福祉施設である、訓練施設のような職場で、
実際の仕事をしながらデザインを学んでいる。
だから、仕事はしているが、
言ってみれば学校の学生のようなもので、
給与も低い。
僕は自分のことを作家であると言ったが、
実際、今の施設で働きながら、
ブログで文章を書いていればそれで良いような気がする。
この施設は障害者施設も兼ねていて、
実際障害者の方も多いし、
いつまでに卒業しなければならない施設でもない。
給与は低いが、いつまでも楽に働ける。
僕は家入レオが好きだが、
最近レオの新しい動画がアップされていて、
レオと音楽制作スタッフが談笑していて、
そこでスタッフが(少し発言者の意図と違うかもしれないが)レオの音楽を自分が駄目にしているかのようなことをポロっと言った。
レオはそれに対して、何言ってるんですか、かっこよくなるに決まってますと言った。
僕はレオを批判したいわけでも侮辱したいわけでもないが、
ああ、そんなもんかなと思った。
そして、自分がもし作家になるのであれば、
自分だけの力で作品を作らなければいけないなと思った。
決してその音楽スタッフがレオの音楽を駄目にしているわけではないが、
音楽家もデザイナーも同じで、
会社に入れば、他人の名前で作品を作る。
だから、自分は自分だけで、作品を作りたいような、
そんなことを思った。
会社に入れば、たとえばガンダムをみんなで制作できるが、
それは僕には向いていないように思う。
このブログをひとりで書いていた方が、
作家として正しいように思うのである。
ただ、食べるためには働く必要はある。
だが、いつか作家で成功したい。
これを見ると、レオに申し訳ない。
僕は、何もその音楽制作スタッフを批判したいわけでも、
レオが音楽制作スタッフのせいで駄目な音楽しか作れていないと
言いたいわけでもない。
デザインの仕事をするものとして、
「言いたい側の言いたい気持ちが分かる」ということを言いたかった。
自分が、レオの音楽を駄目にしているような気がするのは、
当たり前で、
レオが可哀想だと、発言者はきっと思っていて、
そういう思いをさせないために、僕はひとりで作品を作るしかない、
と僕は思った。
誰かの仕事をそのまま使って、それで作品が駄目になるくらいなら、
最初からもっと駄目な作品でも自分だけの努力で作った方が良い。
少なくとも、僕が音楽制作スタッフなら、
どんなにレオの作曲能力が自分より劣っていても、本人に作ってほしい。
ただ、僕は音楽制作のことが分かっていないから、
きっと本人ひとりだけで演奏できなかったりする部分がある。
だから、僕は作家として生きるのであれば、
どこかの会社でガンダムやちびまるこちゃんを作るよりも、
自分だけで、自分の作品を作りたい。
今、動画を見返してみると、
むしろ、もともとの発言者は
そんなことを言いたくて言ったわけでもないし、
和やかな雰囲気でみんなで音楽を作っていて、
互いに尊敬するリスペクトに満ちている。
僕の発言を聞いた主観が悪かった。
レオに申し訳ない。
たぶん、この世界は、
あんまり賢くない。
音楽や漫画は、みんなで作るべきものじゃない。
だからといって、
何か素晴らしいものが作れているような人間は一握り。
他の多くの人々は、お金のために生きている。
本当に賢い人間は、お金よりもさらに上のことを考えているが、
彼らは多くが名誉や発見のために生きていて、
それは、他人から見れば意味がない。
本当にこの世界を変えられる人間など
ほんの少ししかいない。
そう、僕だけが、そうした人間である。
だから、みんなのことは考えなくていい。
学生はツイッターに騙されて悲惨だが、
彼らのことまで考える余裕は僕にはない。
みんな、思うようにいかない人生を
受け入れるために生きているが、
僕はあえて言う。「そんな人生ならば捨ててしまえ」と。
しかしながら、僕は言う。
「捨て方に気をつけなさい。
きちんと、戻ってこれるような場所で遊びなさい。
戻ってこれなくなったとしても、
人々に頼って生きれば、まともな生活はできる。
だが、その時はもう、人生は終わりであることを、
知っておきなさい。
そうした場所で遊んでいるときに、
出口がない迷宮に迷い込み、
絶対に戻ってこれなくて、
その遊んでいた場所が嫌いになっても、
同じ場所で永遠に地獄のようにもがくこと、
同じ場所が同じ場所でなくなるぐらい、
3,000年の長きをそこで耐え忍んで生きること、
それがこの世界における本当の青春であり、
それが、正しいとされる、フレイの人生だ」と。