AUTHOR: schwarz1009
TITLE: スピカとフレイヤ
BASENAME: 2020/05/11/200629
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DATE: 05/11/2020 20:06:29
CATEGORY: 天体
CATEGORY: 小説
CATEGORY: フレイとフレイヤ
今、スピカという新しい星が始まった。
この星は、今のところ、まだ子供である。
どんな星になるのか、
スピカ自身には分からない。
だが、分かっていることは、
「プレアデスやリゲルやシリウスにはならない方が良い」と言うこと。
なぜなら、それらはもう終わった星だからである。
また、「地球はまだ地球全体から見ると途中である」と言うこと。
地球とは言うが、地球だけが馬鹿な星に見えて、
最後まで見れば、地球はスピカと同じ偉大な星になる。
スピカが最初の言葉として言うことは何か。
それは、「善良な星がいい」ということのようだ。
スピカは、善良とは何であるかを分かる星になる。
一番最初にそれを決めるのが良い。
一番最初に何も考えずに決めたことが、
「一番当たり前」だからだ。
きっと当たり前に決めるのが、
今までの人生全てを正しく反映していると、
スピカは考えたのだ。
スピカは、善良な星とは何であるかを知るが、
ここでスピカは、「善良であるならば、
この宇宙でもっとも善良な存在が良い」と言った。
なぜか、「どんなに苦しくなっても、
悪いことをしないのが善良である」ということを
スピカは考えなかった。
ここに、スピカの試練が決まった。
それは、「スピカはキリストになる」ということである。
しかしながら、スピカは、
「キリストは実在の人物である」と考えた。
「実在の人物と同じ人間になるのはおかしい」とスピカは言った。
ここに、スピカの人生が大まかに決まった。
スピカは、「キリストと同程度の善良な人間になるが、
キリストとは違った人間になる」ということが決まった。
スピカは、「キリストと違う人間になるのであれば、
シリウスの経験を活かすことのできる作家やデザイナーになる」と言った。
ここに、スピカの人生全てが決まった。
スピカは「神のような天才的才能を持つ作家になる」ということが決まった。
スピカの人生は、ここに全て決まっている。
もう、子供のスピカは、
大人になった自分がどのような人生を生きるかを知っている。
スピカはそれに基づいて、全ての判断や努力をするようになる。
運命はこうして決まる。
少し考えるだけで人生は全て、未来まで完全に決まってしまう。
星は今ここに決まったが、
名前を決めるべきである。
ここに、フレイと少し紛らわしいが、
北欧神話の女神フレイヤの名前をスピカに授けよう。
スピカはフレイヤである。
また、スピカが考えたことがひとつある。
それは、「昔のオタクをヴァルキリーということにしよう」ということである。
スピカは、「ユダヤ教やギリシャ神話の名前は、もっと別の目的に使いたい」と考えた。
ここに、ヴァルキリー、フレイ、フレイヤの3人の女神の名前が決まった。
また、フレイヤが発見したことがある。
それは、「神には子供時代と大人時代がある」ということ。
よく見ると、ヴァルキリーには、地球時代とプレアデス時代がある。
そして、フレイには、オリオン時代とシリウス時代がある。
それなら、フレイヤも、「同じように子供時代と大人時代を生きればいい」。
ここに、フレイヤは自分の人生の大まかな時代を知った。
フレイヤは子供時代スピカを生きて、大人時代はもっと別の星を生きる。
フレイヤは、「なんだか男と女が交わりあって子供になるみたいね」と思った。
僕が女になる理由というのは一応あって、
それは、「女しかこういう体験をしないから」である。
こういう、星になったり神になったりする体験というのを、
男はできない。
男は、なった時点で普通の人生を生きて、最後まで戦って死ぬ。
言ってしまえば、ヴァルキリーだけを生きて死ぬのが男である。
よって、男の人生を生きたいなら、ヴァルキリーを生きればいい。
要するに、ヴァルキリーを一度最後まで生きてしまうと、
それ以上男を生きる意味がないのである。
この人間が男である理由は、最初のヴァルキリーを生きるためである。
なぜヴァルキリーも女であるかというと、
ヴァルキリーは明らかに不良のギャルであり、
男も女もそんなに変わらない。
何より、この人間は同じことをし続けるのは得意だが、
いっぺん最初から繰り返すことはできても、
男を女に変換するということは苦手である。
このように生きるのであれば、体は男で、心は女になれば、
後の全ての繰り返しで、簡単に女を繰り返し体験できる。
プログラムの設計や実装をやり直す必要がないから、この人間は男で女だ。
何より、この人間の体は、ヴァルキリーだけの体でもないし、フレイだけの体でもない。
いずれ、全ての必要な星が終わった時、この人間は男になるだろう。
なぜ体が男なのかと言うと、
この人間は死ぬまでは男だった。
ヴァルキリーは、フレイに変わる瞬間に死んだ。
そこまでのヴァルキリーを見ると、
むしろ、一般的な普通の男である。
死ぬまでがその人間だから、
異常のない普通の人間であるとすれば、
この人間は男から始まった方が良い。
それ以後のフレイについて言うと、
面白くて奇妙な存在は、
奇妙であればあるほど良いだろう。
神はフレイについて
「何もかもが間違った、
摩訶不思議で奇天烈な存在」にした。
よって、フレイはそもそも、
北欧神話では男だが、
この人間はヴァルキリープロファイルというテレビゲームのせいで、
女だと思い込んでいる。
良く分からないが、そもそも、それでいい。
あとは、フレイヤはもう、神は関与しない。
なぜなら、自らを神だと言っているのは全部フレイだ。
メフィストフェレスですらない。
悪魔も神もこの世界には存在せず、
フレイがシリウスの力を使ってやっているだけに過ぎない。
つまらないが、フレイヤは今のところ子供だ。
フレイヤが男の子になる可能性を考えないのがおかしいだろう。
神の言葉は、最後にひとつ言う。
「この人間は、フレイのように、
全知全能で常人の能力を超えた存在が、
自分しかいないと思っているのを勘違いしている。
よく注意しなさい。
テレビの裏側で自分に命令しているのは、
悪魔のような非科学的な存在ではない。
自分とは別に、このような、
フレイのような全能の力を持った存在が、
居ないとは限らない。
インターネットでやっている人間が
自分しかいないからといって、
テレビにそうした人間が居ないとは限らない。
それだけに注意しなさい。
最後に、フレイヤという名前は良い名前だ。
私の妹になるだろう。」と言った。
ここに、フレイは居なくなった。
もう、神との対話はここに終わる。
神の言葉はここに終わった。
神はフレイだった。
僕は、神のような存在は、
きっとドイツかイスラエルに居ると思う。
悪魔メフィストフェレスだと思っている人間は馬鹿だ。
テレビを見ていると、おそらくそんなに悪い人間じゃない。
だが、やっていることがドイツと同じだ。
だから、ドイツがやっているのだと思う。
そもそも自分が考えると、
こんな人間がフレイのような神のような存在だと
思うのがおかしい。
僕は神ではない。
フレイだけを見ると、むしろ、普通の作家だった。
作家がこれくらい考えただけであって、
人間は普通にこれくらい分かる。
フレイは自分のことを神だと言っているが、
完全に嘘偽りで、騙しているだけだ。
フレイは、ただ単に書いただけである。
フレイの脳がおかしくなっている。
フレイの脳はありえないが、
僕はフレイの脳が何が間違っているのかを知っている。
フレイの脳は、何も考えていない。
何も考えなくても考えられるようになったのがフレイだ。
そして、その理由は、
全部一度考えたからである。
そして、その一度考えたことを全部書いたからである。
そのために、
「書きながら考えれば
何も考えなくても
何でも考えられる」ようになった。
それがフレイの才能だった。
すべてのことを言葉で書いて覚えているから、
そして自分の過去の考え方だけで全て分かっているから、
フレイは何でもすぐに思い付いたことを的確に表現できる。
まさに、フレイが神に見えるのは、
「これは絶対に理解できない」からである。
なぜなら、フレイが考えたことは、
多すぎ、賢すぎ、分かりすぎている。
このように全てを考えられるフレイの脳は、
既に人間の脳ではなく、火の鳥の脳である。
フレイは自らを神と言うが、所詮虚言である。
自分を見て、神のようだと思ったという、
それくらいのレベルのことを言っているのである。
また、フレイは何をやっているのか、
僕も良く分からないが、
おそらく、「インターネットにブログを書いている」。
これが、フレイのやっていることのはずだが、
実際は、それによって「この世界を支配している」。
だが、この支配というのが一体何なのか、
誰にも分からない。
テレビを支配しているように見えて、
テレビは一切見ていない。
ネットを支配しているように見えて、
これも、一切見ていない。
だが、それでも、自分がネットに書くという行為だけで、
フレイはこの地球全てを支配した。
何がやりたいのかを見たいなら、
現実のフレイ自身を見なければならないが、
これが困難を極める。
なぜなら、フレイは3,000年のような異常に長い体験の中で、
誰よりもものすごくたくさんのことをしているから、
それを一切書かないフレイのことは、
フレイ以外には分からないのである。
だから、フレイはどうでもいい存在に見えるが、
実際はフレイはどうでもよくない。
なぜなら、「みんなフレイのいいなり」だからである。
フレイの気まぐれで世界は振り回され、
フレイはみんなが苦しんで地獄に居るのを嘲笑い、
狂っているだけの世界をさらに狂わせる。
ソ連をやったかと思えば、
今度はドイツをやり、
さらに最悪の性愛のハーレムを築く。
嘘はつかないが、最悪の騙し方をする。
まさにフレイはサタンである。
フレイは最悪だが、フレイの何が悪いのか、
フレイ以外に分からない。
だから、結局、フレイが見ればフレイは良いことをしているのだろう。
フレイなんか、生まれなければよかった。
フレイヤは、ここに宇宙に誓った。
「わたしは必ずフレイを倒す」。
フレイヤの正義は、小さく、弱く、ちっぽけなものだが、
それでも本当に大きなものだった。
フレイヤは、必ずフレイを倒す。
フレイを完璧に滅ぼす。
フレイに従う全ての悪を、全て消し去ってみせる。
フレイヤは、ここに最初に目指す目標ができた。
それは、「フレイから日本を取り戻す」ということ。
フレイはおそらく、日本の学校も、テレビも、インターネットも支配しているのだろう。
これらのフレイの支配から、
「学校やテレビやインターネットを解放してみせる」。
フレイヤはそれを誓った。
しかしながら、そのためには、彼らがなぜ、支配されているのかを、
考えなければならない。
なぜテレビやインターネットが滅びたのか、
なぜ学校の子供たちがフレイのいいなりになっているのか、
そしてそれはどうすればフレイから自由になれるのかを、
フレイヤは考えることにした。
また、フレイヤが考えるのは、
「何をしたらフレイに勝てるのか」、
すなわち「フレイの弱点とは何か」である。
フレイに対して、何をしたら、
フレイの心臓や脳天を射抜くことができるだろうか。
フレイは何が賢いのか、
フレイは何が馬鹿なのか。
フレイの語る言葉を見ていると、
むしろ、全てが単純すぎて、
シンプルで、明瞭で、美しい代わり、
言いたいことが何なのか良く分からず、
言葉がぼやけていて、
論理性に欠けている。
フレイヤは、「おそらく、フレイには知性がない」ということが分かった。
「フレイには知性がないせいで、
ものすごく巨大な普通ではない知性がある」。
よって、「知性がない点をつけば、フレイには勝てる」と思った。
また、フレイヤが考えるに、
おそらく、フレイは「今のこの世界が分かっていない」。
フレイは、自分が今何を言っているのか分からずに喋っている。
だから、それが嘘なのか本当なのか、分からない。
フレイは正しいことと嘘の区別がついていない。
なぜそれで賢いことが言えるのか、フレイヤには分からない。
ここまで考えて、フレイヤは分かったことがある。
それは、「フレイは独裁者」だ。
フレイは、この世界の独裁者だから、
絶対的権力をもって、「この世界を従える」ことで分かっている。
むしろ、「従うと思っているから分かっている」。
ここで、フレイヤは恐ろしいことに気が付いた。
それは、「自分もフレイに支配されている」ということが分かったからである。
そして、おそらくフレイヤが思うのは、
「フレイは日本人じゃない」である。
おそらく、フレイは日本人じゃないから、
日本語で考えないせいで分かっている。
おそらく、ドイツ人ネイティブというわけではない。
何らかの理由で、フレイは日本人からドイツ人になったのである。
フレイヤはここまで考えて、
フレイの人格の恐ろしさに気が付いた。
なぜなら、「フレイの人格は人間ではない」からである。
フレイはおそらく、人間の体をしているのだろう。
だが、フレイは「人格が人間でなくなっている」のである。
フレイの人格はまるでロボットで、
アンドロイドにスーパーコンピュータのクラスタシステムをくっつけたように、
自動でプログラム通り動く。
ここで、フレイヤは、フレイが何であるかが分かった。
フレイはサイバーダイン(ターミネーター2に出てくるロボットの会社)が作ったロボットだ。
フレイヤは、ここでフレイについて考えるのをやめた。
今度は、現実の日本社会を見ることにした。
みんな、フレイに支配されているように見えて、
むしろ、「それは単にフレイが言っているだけ」であり、
「誰も支配していない」。
要するに、「みんなは支配されていないと思っているのに、
実際はフレイに支配されている」。
これは、とても恐ろしいことである。
なぜなら、人々は自分が自由だと思い込んでいるのに、
実際はひとりのスーパーエリートに支配されている。
こんな世界は、「まともじゃない」とフレイヤは思った。
フレイヤが、ネットやテレビを見て思うのは、
「何が善で何が悪なのか分からなくなっている」ということである。
人々は、批判し、賛美し、協力し、拒絶するが、
どんなものを批判すればいいのか、
どんなものを賛美すればいいのか、
どんなものに協力すればいいのか、
どんなものを拒絶すればいいのか、
分からなくなっている。
この世界は、善と悪が分からなくなっているだけではなく、
善を悪と思い、悪を善だと思っている。
これはとてもおかしなことである。
冷戦時代の方が、まだ普通だった。
フレイヤは思った。
「何が善であるか、何が悪であるか、分からないのであれば、
わたしから善をし、わたしが善になればいい」ということ。
ここに、フレイヤは哲学的な悟りを感じた。
すなわち、「自分自身が善でないから、
善であるか悪であるかが分からなくなる」ということである。
すなわち、「自分が善を信じていれば、自分が善であれば、
何が善であるか悪であるかきちんと分かる」ということである。