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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 善良さ、日本人
BASENAME: 2020/05/07/200132
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DATE: 05/07/2020 20:01:32
CATEGORY: 人生
CATEGORY: 宗教
CATEGORY: 社会

善良とは自由を否定すること

僕は、善良な人間になりたいと思う。
そして、善良な人間や思想が何かというと、
それは「自由を否定すること」である。
特に、「人々の自由を尊重」しながら、
「自分の自由を否定」すること、
それこそ、善良なのである。
みんなのことを自分よりも上のものであると、
「へりくだってみんなの自由を尊重」する、
そうした考え方が、日本人は得意である。
自分が世界を支配するのではなく、
世界に対して自分の自由よりも
大きな自由を認める。
自分よりもみんなの方が上であるとし、
どんなに自由を望んでいても、
みんなに自分の自由を押し付けない、
それが、「日本的な和の自由」なのである。
そして、こうした日本的な自由が、
日本社会を安全・安全で
いい社会にしているのである。

確かに自由はいいが、みんなには押し付けない

そういうわけで、
「確かに自由はいいが、
みんなには押し付けない」という考え方を
僕はしたいと思う。
自由を高らかに叫びながら、
戦ってみんなの自由を勝ち取るという発想は、
日本人は苦手である。
王を殺せば自分が王になる、という発想は、
日本人は好まない。
自分が下のものであり続けることを、
日本人は好む。
決して自分の欲や願望を主張せず、
自己主張しない人間が日本人に一番多い。
それが善良な人間である。

自分よりもみんなのことを尊重して努力する

日本人に多くみられる特徴として、
「自分よりもみんなのことを尊重して努力する」というのがある。
どんなに辛く、苦しい状況でも、
お客様のため、会社のため、国民のため、友達や恋人のために、
「奉仕」のように頑張り続ける。
風邪をひいていても、自分が相手にいじめられていても、
関係ない。
相手を尊重することだけが、自分のアイデンティティになっている。
しかしながら、これは度を過ぎると、
「社会全体が社会の価値観を押し付ける」という
おかしな全体主義社会になる。
決して王がひとり絶対権力で支配しているわけではないのに、
国民が自分から「社会的共通観念」に従う奴隷になる、
それをみんなにも強制する、
それがいつもの日本社会である。

日本は決して真面目でない

「日本人は真面目である」と思っている人間が多いが、
実際、現実社会では、日本人はまったく真面目でない。
いいかげんで、ふざけた人間の方が多い。
アメリカ人やドイツ人の方が、積極的かつ主体的な行動をし、
「常に真面目に正しく生きている」人間が多い。
日本人の若者には、いいかげんで、教養もなく、
ふざけた考え方をして、自己中心的に行動する人間が多い。
また、日本人の女は、
相手が自分に対していいことをしてくれるのが普通だと信じて、
そうでない人間をいじめ、最初から馬鹿が近づいてこないようにし、
恋人に対しては絶対的支配や束縛を強要し、
「自分の存在が一番上になるように」する。
これが大人になると、逆に相手に力で負けて、
どんなに辛く苦しくても、全て秘密にして自分だけで苦しむ人間になる。
日本人は馬鹿で愚かなふざけた人種である。

日本には昔から最悪の文化が多い

また、日本には昔から最悪の文化が多い。
よく言われるのが、「日本には優れた侍と芸者の文化がある」だが、
日本人の文化は最悪である。
たとえば、相撲、般若と能面、虐殺漫画、特攻などである。
日本の文化は昔から最悪であり、外国人は来ない方が良い。
フランスに行けばいい。フランスには美しい文化が多いだろう。
日本には期待しない方が良い。
そもそも、こんな極東の文化がアメリカ人に理解できるわけがない。
彼らはワンオクやマイファスを日本人だと思っている。
実際の日本人は、何も真面目に勉強しない大学生と、
馬鹿を全部知っている金髪不良のギャルである。
大学に入りたいなら、ハーバードやMITで勉強した方が良い。
日本の大学のレベルは低い。高校よりも馬鹿な内容を学んでいる。

日本が技術力が高いのはそれしかできないから

また、日本が技術力が高い理由は、
日本にはそれしかできないからである。
日本にはエネルギーも石油もなく、
アメリカやオーストラリアのような大規模な農業もできない。
日本には技術しかできないから、
「本気で石にかじりついても技術をやるしかない」国なのである。
技術がなくなれば、その時点で即座に日本は終わりである。
このような国だから、本気で科学技術だけをやっている。
そう、日本なんか大した国じゃない。
なぜなら、今では人件費などの理由で、中国やアジアに工場を作り、
韓国などには肝心の高度科学技術力でも負けつつある。
日本はそのうち、後進国に戻るだろう。
技術だけは一流、あとは全部悪い、そんな国である。

日本の文化のほとんどは中国とインドのもの

また、「昔の日本人は精神性が高かった」という日本人が多いが、
これは要するに中国やインドから文化を借りてきた上で、
独自の「島国精神」を作っただけである。
日本の文化はほとんどが大陸から渡ってきたもので、
ほとんどの文化が中国やインドのものである。
しかしながら、そうした中国やインドの文化が「とてつもなく賢い」ため、
日本人は適当にそれらをアレンジするだけで、
「高い精神性」を構築した。
それが鎌倉仏教や武士道などに繋がったのである。
また、近代文化について言えば、これも同じであり、
「日本の近代文化のほとんどはイギリス・フランス・ドイツのもの」である。
明治維新はそもそも「脱亜入欧」と言って、
アジアをやめてヨーロッパに転換するというありえない文化大改革である。
これについて言うと、日本だけが戦犯ではない。
なぜなら当時のフランスは「文明化」といううたい文句で、
植民地など世界全てを進歩した文明にしようとしていた。
それを受けて、日本もイギリスやフランスを模倣し、「文明開化」したのである。
結局日本はアメリカのような国になった。
江戸時代の中国風の文化、あるいはそれ以外の諸国の文化が融和し、
さらにガラパゴス的な「現代日本のサブカルチャー」を付け足した文化、
これが今の日本文化である。
アメリカ人には、絶対に理解できないだろう。

なぜか日本はいい国

今の日本について言えば、
なぜか日本はいい国になった。
アメリカやヨーロッパが
ギャングなどの犯罪勢力や
極右のポピュリストに汚染されていながら、
日本だけは優れた平和な和の文化を維持し続けている。
一昔前に比べると劣った文化にはなったが、
僕は日本文化は今から国際的に評価されると思う。
日本人は、本気で他の国と違う。
日本人が賢いと思っていたインドなどは、
よく見ていると、むしろ中東やアメリカとあまり変わらない。
インターネットなどのIT技術によって世界はグローバル化し、
中国やインドもアメリカやヨーロッパとよく似た社会になった。
日本しか、そうした意味での独自の文化がない。
だから、日本には外国人が多く訪れる。
世界にとって希少価値のあるガラパゴス文明、それが日本である。

日本人が見ると、日本は和食とテレビと学校

日本人が見ると、むしろ、日本は和食とテレビと学校である。
和食は日本人のソウルフードであり、
外国人には理解できない「味のまったくない料理」である。
また、テレビは最悪の「一方通行のコミュニケーション」であり、
テレビのタレントは自分たちのことを「特別な芸能人」だと思っている。
学校では主にテレビを話題にする。
これが日本人の見る日本である。
日本文化と言えば、J-POPの歌手、
特にキンプリや米津玄師などをYouTubeなどで聴く以外は、
最近はオタク文化も廃れてきて、漫画やアニメには何もない。
日本人よりも外国人の方が日本のサブカルチャーに詳しかったりする。
あとはパソコンでWindowsとインターネットである。
テレビゲームは3Dになってから面白くなくなった。
これくらいが、現代の日本である。
大人は賢くない。大学で勉強して結婚して仕事をしても、何も賢くない。
子供よりも馬鹿な人間になることを賢いと勘違いしているのが大人である。
そんな社会だから、外国人労働者などは、日本のことなど、
漢字だけを勉強してもさっぱり分からないだろう。
漢字を勉強したいなら中国に行けばいい。
日本語は中国語に比べて、複雑で難しすぎる。オリジナルですらない。

日本は豊かな国

日本のいい点があるとしたら、
それは「国民みんなが豊か」、すなわち「金がある」ということ。
日本人には金がある。
なぜか、自動車や家電製品を作りまくって、
他の国に輸出しまくることで、大儲けしている。
みんな「自分がなぜ豊なのかはよく分からないが、
日本人みんなは普通に豊かなのだ」と勘違いしている。
しかしながら、よく見ていると、むしろ、貧乏人も多い。
生活が苦しくて、どうしようもない中で頑張っている貧乏人も多いのだが、
多くの人は豊かであると言うために、分かっていないのである。
日本はそんなに素晴らしい国ではない。
だが、いい国である。興味があるなら、訪れてもいいだろう。

日本人には英語が通じない

しかしながら、日本人には英語は通じない。
日本人は英語が大嫌いで、どんなに頑張っても話すことができないからである。
この理由は、日本人の方も良く分かっていない。
特に、英語を話す機会がないのである。
英語の書籍も誰も買わないし、外国人と英語で話す機会もない。
外国人と英語で交流する機会がなく、
また、日本人があまりに漢字が好きなためである。
理由は良く分からないが、英語は通じないと覚悟しておいた方が良い。

こうしてみるとインドと同じ

こうして書き出してみると、むしろ、インドとよく似ている。
インドも似たような国である。
普通の国である。
ふざけた若者しかいないし、技術でしか生きられないのも同じ、
まあ僕はインドについて何も知らないが、似たような国ではないかと思う。
中国やイスラム圏もあまり変わらないと思う。
よくある普通の良い国が日本である。
意外と、インド人も同じように
インドに誇りを持っているから、あまり馬鹿にしない方が良い。
馬鹿にするなら帰れと言う。
インドでも日本でも、外国人に来てほしい人間なんか居ない。

アメリカぐらいが書いていない

また、この文章はそろそろきちんと世界各国書けた。
よく考えると、アメリカぐらいが書けていない。
誰が見ても、アメリカがそんなに馬鹿な国なわけがない。
全ての科学技術・文化産業の頂点である。
もっとアメリカを学んだ方が良い。インド人が見てもアメリカが賢い。

本を読むしかない

それから、もっと本を読んで勉強した方が良い。
誰が見ても大学は悪くない。だが、大学には誰が見ても入れない。
入っても、日本の大学のレベルはたかが知れている。
高校レベルの基礎を学びながら、
ゼミや研究室でパソコンを使って研究しているだけで、
頑張ってもLinuxレベルである。
それなら、本を読んで自分で勉強した方が良い。
Amazonで買えばいい。そこらへんの日本の書店には、何もいい本がない。
インド人が見ても、英語はきちんと勉強した方が良い。
誰が見ても高度なことが学びたいなら、英語は必要である。
特にパソコンの技術なら、できるのが当然だ。

インドが見ても日本は賢い国

また、インドが見ても日本は賢い国である。
明らかに馬鹿が馬鹿な書き方をしているだけで、
インドが見ても日本は素晴らしい文化と産業と国民があって、
和食も美味しいし、明らかに豊かで金もある。
イギリスやフランスよりもはるかにいい社会なのが、
インド人でも分かる。
だから、これでいいと言う。
おかしくはない。最悪の日本人なんかいないだろう。

インドが見てもハーバードが賢い

そういうわけで、こういう人間は、
本気で頑張ってハーバードやMITに入ればいい。
インド人なら入る。本気で頑張れば入れる。

明らかにインドにも賢い大学や会社はある

むしろ、インド人が見ると、
インドで学べばいいように見える。
インドには明らかに賢い大学や会社ぐらいある。
だが、明らかに、この人間が来る意味はないだろう。

意外とイスラムや中国も賢い

日本人はイスラムや中国を「遅れた国」だと思っているが、
明らかにイスラムや中国も賢い。
なぜなら、ラクダとベドウィンしかいないイスラムなんかない。
最近は石油からの脱却をするために科学技術を頑張っている。
日本と何も変わらない。
中国は社会主義でありえないと言うが、日本と何も変わらない。
むしろ、ドイツが見ても、アジアの方が良い。
ドイツには何も分からない。
ヨーロッパの文化以外、別の文化を誰も知らない。

IT技術しか賢いものがないのはどこでも同じ

また、IT技術が悪い技術で、みんなを愚かな馬鹿にしているのは、
どこの国でも同じだが、
IT技術しか賢い技術がないのも、どこの国でも同じだ。
これは日本やアジアだけではなく、ヨーロッパでも同じである。
イギリスやドイツでも、IT技術が一番嫌われているが、
大学の科目で一番専攻として人気があるのはコンピュータ科学だ。
誰が見ても、この人間もLinuxだ。
仕方ない。ソ連のような無償奉仕でも、Linuxをやるしかない。

心理学がやりたいように見える

この馬鹿を見ていると、
むしろ、心理学をやりたいように見える。
コンピュータや物理をやりたいように見えない。
また、経済学をやりたいなら、やめた方が良い。
経済学は洗脳されるだけにしか見えない。
明らかにこの馬鹿が本当にやりたいのは心理学だ。
そして、それは経験と学習を普通に考えればできるが、
この馬鹿にはもうできない。
心理学がやりたいように見えて、
本当はもう既に全部やり終えているのが誰でも分かる。
だから、もうしなくていい。
実際にフロイトやユングをしても、
この人間にとってはまったく意味がないだろう。
きちんとコンピュータについてやればいい。
デザインやピアノについては、才能があっていいと言う。
いずれサンライズに入った時に、
Adobe Illustratorのスキルがものすごく活きるだろう。
今はサンライズに入るために、
きちんとコンピュータ科学を学んで卒業すればいい。
インド人でも、それくらい分かる。インド人は大人だ。

読んで書けばいい

また、ドイツ人が見ると、
コンピュータ科学は意味がない。
なぜなら、そもそも大学でコンピュータ科学を学ぶ人間には、
コンピュータ科学はできない。
できる人間は、自分で本を読んで最新情報を見て学んでいる。
また、作家にもデザイナーにもなれない。
これぐらいの才能で、プロの作家やデザイナーになるのは難しい。
プロになるのは険しい道になる。
だが、文章を書くことは続けた方が良い。
明らかにそれだけの人生を生きているが、
これはいい人生である。
幸せな人生を生きたいなら、ゲーテのような人間を目指せばいい。
ドイツならそれを言う。ドイツ人は賢い。

日本

日本が見ると、むしろ、結構一通り終わった人間に見える。
その時その時だけで考えながら、全てを網羅するという発想が
間違っている。
ある時は社会主義者になって、ある時は軍事主義者になる、
という発想が、この人間にとってみると、
勉強した科目のようなものになっているのだろう。
悪くはないが、もう少し、
でたらめでいい加減なことを言わないようにしたらどうだろうか。
日本とは言うが、日本は2ちゃんねるである。
そんなに常に別の人間に替わって、
そんなにその時だけのことを言って、
自分で全て忘れてしまうのは、
日本人は好まない。
もう少し、永続的な思想を持ってはどうだろうか。
日本とは言うが、日本は家入レオである。

ロシア

また、ロシアが見ると、この人間の馬鹿な点は、
「自由」である。
なぜか、自由が間違っているのが誰でも分かる。
日本の言ったことに加えて言うとすると、
「社会主義者になって、その上で自由に戻り、
軍事主義者になって、その上でまた自由に戻り、
アメリカになって、自由に戻り、
神になって、自由に戻る」という、
まるでシャクトリムシのようなステップで人生を歩むのが、
ものすごく気持ち悪い。
だから、もっと自由を忘れた方が良い。
自由には何もない。昔の人生は平等が好きだっただけである。

フランス

最後に、フランス人が見ると、
この人間はフランス人だ。
日本人ではない。自分のことを日本人だと思っていないし、
日本のことを滅ぼすためにドイツ人のふりをしているが、
これはフランス人だ。
日本人にはならない。フランス人はおかしい。
もっと、きちんと信じていること、きちんと分かっていることを言えばいい。
全部分かっていないと分からないと思っているが、
そうでもない。いくらか適当に分かっていれば、普通に分かる。
パソコンはしなくていい。
フランスが見ると、むしろパソコンなんかこれ以上存在しない。
コボラーが知っていることが全部書いている。
パソコンのことも自由のことも忘れて、普通のことを書けばいい。
だが、この人間はむしろ「書いていない」。
ただ、「喋っているだけ」である。
だから、そのまま言いたいことを言っていればいい。
しかしながら、それは何の意味もない行動だろう。
真面目に勉強はしていないが、きちんと勉強はしている。
これ以上この世界に何もないと思うなら、みんなと同じことをやればいい。

アメリカ

最後の最後にアメリカが見ると、
そもそもこの人間は「世界にたくさんあると思いすぎ」である。
ふつう、なんにも面白いもののない世界である。
教科書でしか分からない科目のことを、自分だけで知りすぎている。
パソコンなんか、普通こんなに無い。
そもそもこの人間は人生にも世界にも期待しすぎている。
ふつう、犯罪者から国民を守るのが国である。
ユートピアという発想はふつうおかしい。
理想なんかふつうないし、戦うとはふつう言わない。
どうでもいい馬鹿な世界で、なにも面白いものはないのがふつうである。
アメリカ人が見ても、こういうアメリカ人がハーバードに多い。
賢いものを知れば知るほど、ふつうのことが分からなくなる。
信じるべきなのはそうした「ふつう」である。それが正しい。

最後に、神が見ると、これで終わりである。
もう、終わったはずである。
さまざまなことを知りたいなら、これで終わりのはずである。
なぜ、知るだけで終わるのかというと、みんなが何も知らないからである。
みんなは、何も知らないから、そのことについて詳しいのである。
この人間は、きちんと様々なことを知っているから、詳しいことが何もないと勘違いしている。
だが、みんなは何も知らない。
ピアニストが自分よりできるのは、ピアノしか知らないからだし、
デザイナーが自分よりできるのは、デザインしか知らないからだ。
全部そういう風に同じである。
だから、この世界には「何もない」だけではなく、「誰も賢くない」。
これがこの人間の限界である。
神はもう、きちんと生きればいいと言う。
特別なことをせず、普通に生活して普通の大人になればいい。
神が見ても、これでこの人間は終わりである。

誰かが見ると

また、最後に、誰かが見ると、この人間は思い出せばいい。
この誰かとは、「昔の自分」である。
思い出したり、忘れたりしながら、もう一度きちんと知る、ということしか、
この人間には残されていない。
既にきちんと知っているから、つまらない作業になるかもしれないが、
きちんと知らないことをきちんと知っていけば、
デザイナーにもピアニストにも学者にも小説家にもなれる。
大丈夫。なぜなら、ここに書いて思い出しているからである。
いつものように書いていれば、この人間は「コンテキスト」を使って思い出す。
これがこの人間の素晴らしい才能である。この才能で成功するだろう。