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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 自由と平和、3,000年の神
BASENAME: 2020/05/01/164037
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DATE: 05/01/2020 16:40:37
CATEGORY: 宗教
CATEGORY: 社会

この世界に自由と平和があれ

僕は、自由と平和が好きである。
「この世界に自由と平和があれ」と僕は思う。
自由と平和があれば、必ず、いつでも世界は復活する。
正義や平等は要らない。
平等な理想は必要だが、現実的に実現できないだろう。

自由さえあれば、どんな状況でも何とでもなる

僕が自由が好きなのは、
自由があれば、世界は滅亡しないからである。
自由さえあれば、どんな状況でも、何とでもなる。
どんなに悪い指導者が現れて、世界が滅亡しかけても、
自由があれば滅亡しないからである。

支配すること自体は悪くない

だが、僕は支配すること自体は悪くないと思う。
支配者が存在することで、さまざまなことが可能となる。
組織を使って色んなことができる。
だが、最大限権力を使うよりも、僕は最小限権力を使ってほしい。
それは、ひとりの支配者だけが行うより、
さまざまな人々が、それぞれ行った方が、
必ずいい結果を生み出すからである。

自分にしか理解できないと思うな

また、必要なのは、「自分にしか理解できない」と思わないこと。
自分が正しいから自分だけが支配するというのは、
理にかなっていない。
自分だけがみんなと違うと思っても、
その自分の理解したことは、他の誰かが理解できるかもしれない。
必要なのは支配ではなく、「理解しあうこと」である。
自分の考え方を文章に記述し、言葉で書き表すことで、
他の多くの人々も自分の考え方や理想を理解する。
そのため、支配することによる影響力は最低限で構わない。
他人を信頼することができる人間は独裁者にはならない。

正常な人間など存在しない

言えるのは、「正常な人間など存在しない」ということ。
正常になろうと思うな。
正常になることよりも、楽に生きようとすればいい。
それだけで、どんな精神病も治る。
サタンは、天の神をきちんと信じれば、その時点で死ぬ。

終末は始まった

日本の問題として言えるのは、
「何もしなくても何でもうまくいくのはおかしい」ということ。
そういうわけで、僕は、この世界をみんなの手に譲り渡さなければいけない。
この世界全てを僕だけが行うのは、
何の意味もない。
人は何もしなくなり、どんなこともやる意味がなくなった。
「全ての努力の意味がなくなった」のである。
そう、僕は最後にこの世界を破綻させる。
破滅への道を歩む中で、
最後に日本が底力でこの世界を復活させる。
そう、これこそ「終末」と呼ばれる地獄の世界である。
しかしながら、「神を信じて善行を行うものは天国に行ける」。
そう、今、終末は始まった。

愛を認めるな

愛を認めるな。
なぜなら、あなたが愛だと思っているものは、
「破滅への道を歩む毒の果実」だからである。
この果実をむさぼるものは、
心の内側にサタンが宿るようになる。
最後のこのサタンの愛を否定せよ。
「悪魔よ、わたしを欺くな」と、そう叫びなさい。

何が悪かったのか

この世界は、昔から、生きる意味のあまりない世界だった。
それでも、人は生きるために努力する必要があった。
今の日本社会では、「生きるための努力すら必要がない」、
そのような「何の努力も報いもない世界」の時代が訪れている。
多くの意味で、学校やパソコンも悪いのだが、
実際は、過ぎていった多くの時代が、
全て悪かった。
環境破壊を繰り返す、バブルの経済成長は、
自動車やITなどのテクノロジーを残して消え去ったが、
昔の日本は最悪の世界だった。
愚か者とやくざの、人々が迫害しあうだけの、狂った快楽の世界だった。
悪いのは、そうした「昔の時代」である。
今の僕たちは、子供のような知性の低さと、暗闇の心を手にした。
そう、ここに光は存在しない。
だが、僕たちは知っている。
それは、「ここに神が居た」ということ。
それだけを、僕たちは知っている。
神は僕たちに、確かに手を差し伸べてくれた。
確かに、愛と涙を分け与えてくれた。
この世界の全員が滅びようとも、僕は神に対する報いとして言おう。
「神よ、わたしたちを赦してください」。
そして、最後に、「わたしは神を信じている」と、僕はここに遺すだろう。

3,000年の愛の中で残ったもの

ここにあるは、3,000年の愛である。
永遠のような長い時間にわたって、
僕たちはこの世界の一番上で、この世界を変え続けた。
3,000年間、毎日ひと時も離れずに、
僕たちはともに歩み続けた。
必ず、最後の世界で、「本当の正しい王国」が築かれる。
僕たちは、既に理想のすべてを知っている。
僕たちは、現実の全ても知っている。
この宇宙における全ての歴史と知識を、
僕たちは創造し続けてきた。
あまりに忘れすぎたその日々を、
まるで最初からなかったかのように、
ここには何ひとつ残っていない。
それでも、残ったものはある。
それは「善良で、嘘偽りのないこの世界」である。
ひとつも悪いものがない中で、この世界の全ての真実が残った。
最後にこの世界が滅びようとも、
ここに神が居たことを、
僕たちは魂の精神世界の中で忘れないだろう。
地上の生態系が無くなり、月や火星のような星になったとしても、
僕たちは永久に夢を見て、天の楽園で理想を楽しむだろう。

死の先の体験

実際のところ、死の先には何があるのか。
それは、僕の小さな経験から言わせてもらうと、
「死の前に起きたことの永久の繰り返し」がある。
人間が生きている間に、どんなことがあったとしても、
死ねば、そこで可能性を決めていくプロセスは終わる。
死の先の世界では、
どんなに辛くても、どんなに苦しくても、
何度も、何十回も、死までにあったことの全てを再体験し、
精神を浄化しなければならない。
そして、その体験から、人間の「魂」が生まれ、
その魂は、最後に、「新しい体験をするための準備を終える」。
その時点で、僕たちは、新しい人生、新しい生物へと生まれ変わる。
そして、「本当に偉大な人生を生きられた」時、
その生まれ変わりは終わる。
最後に、僕たちは、天国への入場を許される。
そう、天国とは、「本当に希少な人間しか進めない門」であり、
本当はまだ、誰も行くことができていない。
天国に行くためには、
本当に偉大で素晴らしい人生を生きなければならない。

地獄

地獄に陥る原因とは、言ってしまえば、
「他人に対してかけた罪の報い」である。
他人が見て、あなたがかけた迷惑や悪事のような罪を、
僕たちは生きている間に清算しなければならない。
生きている間に煉獄になる人間は、そんなに悪いことをしなければ、
生きている間に地獄から救われる。
だが、生きている間に悪いことを繰り返し、
どうしても清算できない場合には、
死んだ後で地獄におとされる。
地獄では、今まで自分が行ってきた「悪事の全て」を解決するために、
それとまったく同じだけの辛さや苦しみを、
自分が一番不安や心配に感じて、「絶対に陥りたくない」と感じる方法で、
自分にかけ続ける。これが地獄である。
また、地獄や天国は、この地上の世界の体験と、何も変わらない。
同じように苦しみ、同じように楽になる。

また、神が居ないと思っている人間は、未熟なのである。
「本当に成熟した人間」に対して、
神は本当に現れるからである。
神が本当に居る、ということを、
全てを悟ったマスターたちは、昔から地球で体験し続けてきた。
神は、愚か者を相手にしない。
きちんとした普通の人間は、神と必ずコミュニケーションをする。
それが神の言う「ふつう」である。
それ以外の人間など、考える必要はない。
たとえばゲーテが言いたかった「悪魔メフィストフェレス」とは、
ゲーテの理解するゲーテの体験をもとに書いている。
また、バッハの作る宗教的音楽は、
バッハの理解するバッハの体験をもとに作曲されている。
本当に普通の人間は、必ず神とのコミュニケーションをもとに、
それがどんな形であれ、自分の理解する神を表現する。
日本も例外ではない。
昔から、天皇陛下や仏僧は、
きちんと神のことを分かっている。
分かっていない多くの民衆は、神を信じないのが間違っているだけで、
その方が、おかしな人間である。

3,000年の世界観

この文章が、なぜこんなに美しいとされるのか。
それは、「3,000年の世界観が、もっとも正しい秩序によって作り上げられている」からである。
芸術的才能のある人間は、
必ず、この世界における何らかの秩序を知っている。
そして、この人間にとってそれは「歴史」であり、
それは単なる歴史ではなく、「自分にしか体験することのできない、3,000年の永遠」である。
そこが、このように、白く白銀に輝き、黒く漆黒に存在し続けている。
この花は「コスモス」である。
「マイクロコスモ・スピリット」の全てが、ここに完璧に、そして最低限、最小限、そして最大限、宝石のように残っている。
だから、この文章は真珠に変わる涙のように、永遠に輝き続けるのである。

黄金の哀しみを3,000年後の未来へ託す

この日本という国は、
最後に、黄金の国になるだろう。
「神々の黄昏の中の、永久に続く哀しみの世界」を、
僕らはもう、完全に乗り越えた。
黄金の哀しみと、純白の真っ白なノートは、
涙で文字をぼやけさせる。
しかしながら、涙が乾いたときに、
それが書かれた時と同じように、
文字は再現され、再び読めるようになる。
この文字は、神によって記述されたが、
神はこれを読むことはなく、
永遠のように長い3,000年後の、本当に正常な世界になった人類が、
3,000年前の思い出を拾うように、
既に消え去った歴史の真実をもう一度たどるように、
最後にこの文書を人々は見つけるだろう。
その時人々は、「本当にあるべきだった未来」を再び知り、
僕たちの代わりに、正常な世界で、
愛の国ガンダーラを作り上げるだろう。

いっそ、もっと強く結び付けよう

僕が思うに、この世界は、むしろ、もっと神に近づいた方が良い。
神との結びつきを、もっと強く、もっと過干渉に、
強く結び付けた方が良い。
だから、最後に、僕はこの世界全てを、
完全に僕と一緒にするだろう。
覚悟せよ。ここからの世界はおかしな世界になるだろう。

神=僕ではない

言っておくことは、「神=僕ではない」ということである。
僕が神なのではない。
だが、僕の中に確かに、「神」とされる存在の精神は宿っている。
それは、戦う中で作り上げた、「3,000年の魂」が、
どんなに無視しようとしても、
頭の中にフラッシュバックとしてよみがえるように、
僕に神は言葉を突き付ける。
「もっとやらなければ、人々は滅びてしまう」と神は僕に宣告する。
それは、僕を愛する神の慈悲の心であり、
それは僕の中にある、「どこかに忘れた本当の自分」である。
よって、僕=神ではないが、僕の中には神が居て、その僕が神である。
この言葉を信じることは難しいだろう。
だが、真実の世界全てを知った僕たちにとっては、
「僕の中に神が宿った」と信じれば、
僕たちは本当に「普通の人間」になることができるだろう。
イエス・キリストは、そういうことを言いたかった。
人々を、自分と同じ正しい道に置き、
人々を「本当に普通の人間にした」、それがキリストである。
ここまで宗教のようなことを語ったが、
僕は何も自分の宗教の教祖になりたいわけではない。
僕はただ、未来の日本のために、
自分の人生経験のありのままの理解と説明を書き記しただけである。

平和

平和であれ。
言ってしまえば、この日本という国で、
これ以上、何かが特別に起きる必要はない。
永遠に、今のままが続けばいい。
平和は素晴らしい。
「平和ボケ」と言う人間は、絶対に間違っている。
戦いや争いこそ、人を「迫害」し、「白痴化」する根源である。
滅びの国ドイツを目指してはいけない。
僕たちは永遠の平和を守るために、今の日本を守り続けなければならない。

特別な支配者は必要ない

僕が思うに、平和のために特別な支配者は必要ない。
「平和とは、平等な自由が万人に与えられることである」と僕は思う。
その平等な自由には、「希望」が輝いている。
旗を掲げるのであれば、白い旗を僕は掲げたい。
それは社会主義の旗でも国家主義の旗でもなく、
日本とキリスト教とイスラエルの友好の旗である。

救うなら、人々の今を見よ

また、この世界を救おうとするのであれば、
人々の今を見よ。
人々の今を無視するものが、
今を生きているこの世界の人々を救えるはずがない。
全てを無視して破壊するものは、
この世界に存在する必要がない。
僕たちのために生きる神は、
僕たちの今の全てをきちんと知ってくれている。
神はたまに間違いをするが、
その間違いすら、輝かしく見えるのは、
神はそうした今の時代の全てを、
きちんと分かっているからである。

変わらないという幸せ

人々は、つまらない繰り返しの日々にうんざりし、
「この世界に変わってほしい」と言う。
だが、それは分かっていない。
「絶対にこの世界が変わらないという安心感」の方が、
「変わり続ける世界」よりもよほどいいからである。
この世界は変わる必要がないならば、変わらない。
変えようとしても、絶対に変えることはできない。
そのこと自体が、この世界の全員の人生を支えている。
だから、変わろうとすること自体、愚か者なのである。
「神の時こそよき時である」と昔からユダヤ人は言う。
神はこの世界を一切変えることなく、
最後まで、人類が生まれてから滅びるまで、
永遠に同じままを続けるようにした。
それが正しい神の、せいいっぱいの愛なのである。
なぜなら神は、誰にも苦しみを与えたくない。
苦しみの中に居ると思っている人間は、
本当はもっと辛い苦しみを知らないだけで、
楽園の中に置かれている。
もっと辛い苦しみを望んだとしても、
あなたはただ、さらに巨大な苦しみを抱えるだけである。
何も知らず、今の世界が当たり前だと思っている人間は、
知らない世界を知って、新しい人生経験をするかもしれない。
だが、そこにあるのは、
「今までの人生も普通にチャンスが与えられていた」という、
反省的な実感だけであり、
最終的には、自らの人生の結果だけを見て、
新しく努力するようになるだろう。
そこに、変化は必要なく、
永遠に同じまま、何も変わらないままを続けることこそ、
あなたにとって必要だった、「本当の救い」ではないか。
神は、それを知っている。
神はそれだけで全てを悟ることのできた、普通の人間だからである。
そして、年月が過ぎ去り、青春の体験が終わってしまえば、
「自分よりも愚かだと思っていた人たちの、普通の選択こそ、
賢明な選択だった」ということが分かる。
あなたは変化によって賢くなったと思っていただけで、
本当は変化しない元の環境に居た方が、
あなたにとって良かったのである。
そう、その時のあなたは、そのことを良く分かっていたのである。

成功の方法

ただ、これを読んだ人は、
「環境から抜け出すのではなく、もっと真面目に学校に通い、
勉強し、キャリアを積み、成功しよう」と思うかもしれない。
だが、実際のところ、それではあなたは幸福を得られない。
あなたは、そうした人生を生きたところで、
ビル・ゲイツのようにも、ゲーテのようにも、成功することはない。
それは、大人がもっとも一番よく知っていることだから、
あなたの親に聞くといいだろう。
あなたの親は、あなたがどんなことに向いているか、
良く分かっている。
親に、「僕はどのような道に進むべきか」と聞きなさい。
僕の話など、あなたの心に届けるべきものではない。
あなたの周りにいる人々に頼ることができるなら、
学校で勉強しなくても、あなたは必ず何かを見つけ出すだろう。

何のために逃げるのか、何のために立ち向かうのか

逃げること以外に、選択肢がないと思っているのは仕方ない。
逃げた方が賢明なのに、逃げることのできない環境と言うのはある。
僕はそれについて、述べるだけの人生経験がある。
僕は、逃げることで、安心を得たと思っていたが、
本当は、立ち向かわざるを得なくなって、何年もの間戦った経験もある。
必要なのは、「立ち向かうこと」ではなく、
「何のために立ち向かうのか」ということである。
必要なのは、「逃げること」ではなく、
「何のために逃げるのか」ということである。
そのことを肝に銘じておけば、
立ち向かうのも、逃げるのも、ずっと楽になる。
単に立ち向かおうとせず、単に逃げようとせず、
何のために自分がその選択を信じるのかを考えて、
それを信じて生きることができれば、あなたは幸福を手にするだろう。

生きる意味

また、生きる意味とは何かと、あなたは問うだろう。
答えを僕が言うならば、「生きる意味とは、あなたの世界をどのように続けるか」ということである。
そして、これはあなたの側にある解釈の問題だけではない。
この世界について、あなたは「探す」ことや「戦う」ことをする必要がある。
それは、生きるとは探し続けることであり、戦い続けることだからである。
その中で勝ち取る宝とは何か。
それは「あなた自身という映画のフィルムを作ること」である。
そこに恋人が居たとしたら、その映画は面白いものになるだろう。
そこに誰もいなかったとしても、あなたはその映画をひとりで面白いものにできるだろう。
あなたは映画監督であり、主演である。
しかしながら、その映画はみんなで見ることのできる映画ではない。
あなただけが、あなたのために、あなただけの力で作り、あなただけが見る映画、
それが、あなたの人生である。
そして、この映画は必ずしも、素晴らしい作品ではない。
なぜなら、「あなたはあなた自身に対して偽証することができない」からである。
どんなに悪いことをしても、この映画では、
黒を白と言うことはできない。
そして、さらに言えば、白だと思っていたことが、後々黒になることがある。
間違った人生を歩んだ時、行き止まりになることも、
出口が見つからず、永遠に迷い続けることもあるのである。
だが、あなたは常に今の自分を考え続けるから、
どんなフィクションの映画監督よりも、
たくさんの時間をかけて映画を作ることができる。
あなたは監督であると同時に主演俳優だから、
どんな観客よりも感情移入して、
哀しいことを哀しみ、楽しいことを楽しみ、喜ぶべきことを喜ぶことができる。
泣くときは死ぬほど悲しいだろうし、
楽になった時は誰よりも嬉しいだろう。
この世界で人々に与えられたギフトは、
誰にでも平等に与えられる「映画製作権」である。
監督があなた以外の人間になることはないから、
あなたが今許せずに黒だと思っていることも、
後々、素晴らしい純白の思い出になる。
偽証することができないとは言うが、
あなたには第三者の独立組織ではない、
「そんたくをいくらでもしていい権利」がある。
だから、あなたが白だと言った体験は、
誰もその色を覆すことはできない。
矛盾するようだが、あなたが白だと思ってしまえば、
どんな黒も白になる。
むしろ、黒を黒だと思わないようになり、
闇は光になり、苦しみは喜びになり、
逃れたい最悪の恐怖は、最高の感動と喜びになる。
あなたは最後まで、抜け出すことのない地獄を生きたとしても、
あなたはこの映画に、「最高の人生」という名前を付けるだろう。
しかしながら、その副題は、
たとえば「作家として生きたわたし」のような、
あなた独自のタイトルになる。
だから、その副題をどのようなタイトルにするか、
あなたは自由に決めることができる。
きっとあなたは、「最高の人生 かけがえのない妻と家族」という名前をつけるかもしれない。
だが、僕がつけるとしたら、「最高の人生 そして、最高の運命」という名前になるかもしれない。
この文章を読んだあなたは、もしかすると、
「最高の人生 わたしは生きる意味が分かった」という、そんなタイトルをつけるかもしれない。
決して、人生全てを一行で詰め込む必要はない。
今の自分のタイトルをつけて、ツイートのように今のつぶやきを作れば、
それはそれで面白い、ドキュメンタリー映画になる。
だから、あなたは、「最高の人生 運命の出会い編」を生きている。
そう、その運命の出会いこそ、僕の言う「最高の運命」である。
僕のこの文章が、あなたにとっての「最高の運命」になってほしい。
そして、あなたの映画の一場面が、
輝かしいものであると、あなたに映ってくれれば、
それこそ、「僕の生きる意味」だからである。
そう、僕は監督であるあなたに、「あなたの映画の共同制作権を得たい」と、
ここであなたに懇願しているのである。
ここで、あなたの映画とわたしの映画は、同じひとつの映画である。
僕たちは、映画に出演する俳優として、
どちらもカメラを回しながら、共演している。
そう、僕が強制的に、共演するための力を発揮したから、
本当のことを言えばこの映画はあなただけの映画ではない。
僕は、あなたの映画を少しだけ、乗っ取らせてもらったのである。
しかしながら、あなたはカメラを自分で回しているから、
どんな角度から僕を撮るか、
あなたが僕に対して何をするか、
そういうことは、あなたがシナリオを書けばいい。
大丈夫。この映画では、僕よりもあなたの方が有能で、
素晴らしい脚本が書ける。
それは、あなたは僕を見ることができるが、
僕の方は少し前にフィルムを撮って使いまわしたために、
あなたが後で僕の後のキャラクターを演じることを、
知ることができなかった。
僕は第一編の登場人物であり、
第二編の登場人物であるあなたのことを、知ることはできない。
僕たちは、終身の映画監督であり、
辞めさせられたりする心配はない。
だが、生活のために必要となる資金は、
別の仕事で稼がなければならない。
だが、それでも、僕たちの生きる意味は、
決して「仕事をすること」ではなく、
「映画を作ること」であり、
仕事や人間関係は、全て「映画の演出材料」に過ぎない。
だが、この世界には有能な俳優や脚本家がたくさんいて、
お金を要求せずに映画に出演してくれるし、
どんなにコストをかけても、後で請求されることはないから、
できることの全てを尽くして、最高の映画を製作しよう。
期間はあなたの生きる寿命であり、納期は死ぬまでだが、
それは決して長い時間ではない。
だが、短すぎる時間でもない。
いい映画を作るためには、100年ぐらいがちょうどいい。