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AUTHOR: schwarz1009
TITLE: 平和
BASENAME: 2020/04/27/175038
STATUS: Publish
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DATE: 04/27/2020 17:50:38
CATEGORY: 社会
CATEGORY: いじめ

僕はこう見えて平和が好き

僕は、こう見えて、平和が好きである。
それも、何も起こらない、平穏で平安な平和が好きである。
どんなに辛いことがあっても、
僕は我慢する。
どんなにつまらない人がいても、
僕は受け入れる。
僕は事を荒立てることを好まない。
「事なかれ主義」と言われればそれまでかもしれないが、
僕は普通に、平穏な世界が続いてくれることを願う。

自由が好き

また、僕はこう見えて自由が好きである。
そもそも、僕はすべてを「自由か不自由か」で考える。
だから、どんな思想や社会制度を書く上でも、
自由について深く考えて社会モデルを作ってきた。
それはある意味平等でもある。
たとえば、上の人間ひとりができるのではなく、
みんなが平等かつ自由にできるようにする。
あるいは、ひとりができるのであれば、
多くの人間が協力して、あるいは議論してできるようにする。
そのためのシステムとして、制度がある。
僕はその上で、制度を構造的に分析し、
「新しい国のモデル」を作ることが得意である。

今までは全て書いた

ここまでで、今までの僕の全ては書いた。
これくらいが僕である。
今から僕は、「善良になること」を目指して頑張りたい。
そのためには、悪を言わず、悪をしないこと。

僕は、この世界に、愛溢れた世界になってほしい。
僕はそのために必要なのは、「正義と平等の両立」ではないかと思う。
正義だけがあっても間違っているし、
平等だけがあっても間違っている。
僕たちは人々を愛するために、バランスをとらなければならない。

いじめへの対処策を教える

学校では、いじめの対策として、
「いじめに対して正しく立ち向かう方法」を教えなさい。
たとえば、「反撃する」とか、「教師や保護者に言う」とかいう感じである。
いじめ対策員を配置してもいいかもしれない。

自由な経済政策など必要ない

僕が思うに、自由な経済政策など必要ない。
経済成長よりも大切なものはたくさんある。
経済政策を行おうとする政治家は、
「大切なものが本当は何であるか見えていない」のである。
無能な政治家は経済成長しか分からない。
グレタ・トゥーンベリなどの環境保護主義者も、
「今の指導者はお金の話ばかり」と切り捨てる。
お金なんか、意味がない。
お金の話をする人間は、もう、古い。

経済成長よりも社会的コミュニティを

このように書くと、「では経済成長以外の理想とは何か」と
誰もが言うだろう。
僕は、それを「社会的コミュニティ」だと思う。
昔の日本には、村社会とは言うが、
「人々の繋がった社会的コミュニティ」があった。
子供たちの間に多少の喧嘩があっても、
それは社会的コミュニティがあるおかげで、
エスカレートせず、自然に「コミュニティの仲間」に回帰した。
今、日本にはそれがない。
誰も子供たちを守っていない。
見守っていないばかりか、
ツイッターなどで子供たちをどんどん闇や犯罪の世界に陥れている。
子供たちだけではなく、大人に対しても、
うつ病に対するサポートもなければ、
社会から孤立したり失敗した人に対するセーフティネットもない。
高齢者を詐欺に騙されないようにする若者の助けもない。
今一度、社会的コミュニティをもう一度築くべきである。
インターネットは、ある程度のそうした繋がりになっているが、
いかんせん、闇や犯罪的なものが多すぎる。
もっとまともなコミュニティを、日本が再度作らなければ、
学校にも社会にも老後にも、今までと同じ光はないだろう。

経済的な視点

経済的な視点から言うと、
今からの社会は、高齢化などで、
「頑張っている人」と「助けるべき人」が、
どんどん異なる人になる世界になっている。
これまでの日本社会のように、「自分で頑張ればいい」とは
必ずしも言えない社会になっている。
全員が自分で頑張って自分だけの力で生きられる世界ではなくなった。
そうしたことを踏まえて、自由主義経済の未来を考えなければならない。

どうすれば平等で報われる社会になるか

僕の考える平等な社会は、
単に平等な社会だけを目指すものではない。
「働いている人に対する報い」もありながら、
「助けるべき人に対するサポート」もあるべきである。
だから、僕はいっそ、給与に上限を設けてはどうかと思う。
生活する上で、必要となるのは、生涯合わせても、そんなに巨額な額ではないと思う。
たとえば、1000億円儲けたとして、その1000億円が本当に生涯の生活に必要だろうか。
僕は、貧しい世界、働いても意味がない世界を目指しているのではない。
だが、「全員が豊かな暮らしができて、満足のいく生活を送れるようになるぐらいの給与を得る」ことができるのであれば、
それ以上「超富裕層」のように儲けまくる必要はない。
だから、僕は、「全員が不足のない生活ができるぐらい豊かな世界」になれば、
必ずこの世界は平等な資本分配ができるようになると思う。

一億総中流が理想

僕が思うに、日本型の経済がもっとも理想である。
それは、日本は「一億総中流」を目指しているからである。
金持ちのようにお金をどぶに捨てるような豊かさは最初から目指さない。
誰もが人間的に生活する程度の「豊かな標準的生活」をさせる。
最初からそれだけを目指せばいい。
日本はそういう発想が得意だ。
言ってしまえば、「最初から中堅企業にみんなが入れる」ようにすればいい。
学歴もキャリアも今からの時代、そんなに確かなステータスではなくなっている。
賢い人間は、中卒でも賢いし、
馬鹿な人間は、上級官僚でも馬鹿である。
みんなが平等に中堅企業に入れるようにしよう。
どのような人間であるかを判断するのは、会社に入れてから判断すればいい。