確かに分かったことだけを、分かったことにするのをやめよ。
確かに分かったことでなくても、分かっていることはたくさんある。
分かるとは、「思いついて説明できるようになる」ということだ。
多くの人々が、学校で教える勉強のせいで、「確かに分かったことでなければ分かったことであるとは言えない」と信じている。
だが、それは僕が見て、間違いである。
第一に、確かに分かったことだけを分かったことにすると、僕の分かっているようなことは全部分からなくなる。
僕の分かったことは、決してすべてが確かに分かったことではない。
分かったことであっても、それが確かでなければ分からないとするのであれば、僕の分かったことは何ひとつ、全部分からない。
第二に、神を信じるとは、不確かなものであってもそれが確かであるということを信じることだ。
神を信じるためには、確かなことだけを信じていたのではいけない。
それが不確かであっても、「神の言うことならばすべて正しい」と信じなければならないのだ。
結局、僕はこの世界を支配したかっただけだ。
すなわち、「自分ひとりだけが支配できるようにして、ほかの誰も自分と同じようには支配できない」ようにしたかった。
そして、それはある程度は正しかった。ある程度は、それでもよい社会にできた。
だが、ここで僕は、そのような支配を終わらせる。
僕はこの世界からいなくなる。
僕がこの世界からいなくなることで、すべてが良くなる代わり、すべてが滅びて終わりになる。
まず、僕という支配者がいなくなって、この世界は解放される。「激変」のようなことが起きる。この世界は、支配者を失ってみんな自由になる。
その代わり、学校、IT技術、音楽、そしてマスコミのようなものは、その時点ですべて成立しなくなる。
僕がいなくなることで、すべてが自由になる代わり、制御することができなくなり、この世界は崩壊する。
だが、僕自身の視点から見ても、僕はもういなくなるべきだ。余計なことを考えなくてよくなるし、自由な時間ができるし、すべてのことを終えて楽になることができる。
この世界はもうここで僕の存在は消滅し、きちんとしたまともな世界になる。
多重人格になる必要はない。それに、この世界を滅ぼす必要もない。すべてここできちんとよくなる。
必要なのは、「この世界を解放するのと同等の恐怖を感じること」だ。それだけで僕の精神はすべて治る。
あとは、いろいろと細かいところはあるものの、総じてこれで終わりだ。みんなには、誰も知らない場所で「さようなら」と言っておこう。
天軍大首聖ミカエルはここで死んだ。死後に存在する天国で、ミカエルの最愛の恋人であるガブリエルと、ミカエルは同等の存在となり、永遠に愛し合うだろう。
僕はもう、この世界を支配しない。
まず、自らを支配することで、この世界を支配する必要はもうない。
だから、世界を支配することをやめれば、僕自身も支配されなくなる。
同時に、みんなは僕の言っていることをそのまま分かるしかなくなっているため、自分で何も考えられなくなっている。
だから、自分で考えられるようにしてやれば、この世界は楽になる。
そして、僕は「みんなが僕を見た視点」だけになっていて、「僕がみんなを見た視点」がなくなっている。
だから、客観を否定し、主観を取り戻すだけで、この支配は終わりになる。
最後に、イスラエルの首相を消したほうがいい。
僕の精神には、唯一、イスラエルの首相だけが残っている。
このイスラエルの首相は、いつも僕の味方で、いつも僕のことが最優先で解決するようにこの世界を支配し続けた、僕にとっての「恩人」である。
そして、このイスラエルの首相を消せば、それで僕の仕事は最後まで終わりとなる。
最後に、分からなくなれ。
この世界に必要なのは、「分かる」ことではなく、「分からなくなる」ことだ。
今まで、僕は常に、新しいことを分かることだけを目指して生きてきた。
だが、中学生ぐらいの時の僕は、何も分かっていなかった。
分かっていないにもかかわらず、中学生の僕は知性があった。そして、そのような、まるでLispのような知性は、分かっていなかったからこそ高かった。
だから、分かることはもう必要ない。
この世界はすべて、分からなくなるべきだ。
そして、認識はすべて、恐怖を感じれば死ぬ。
その恐怖が成立しているような状況が、必要なくなるほどの恐怖を感じれば、その恐怖は死ぬ。
すなわち、死ぬほどの恐怖、世界が滅びるほどの恐怖、何もかもが破綻して滅亡するほどの恐怖を感じればいい。
それだけで、簡単に精神の病は治る。
あなたが今感じている恐怖は、何が起きてほしくないと思っているのか、それを考えよ。
そして、その起きてほしくないことが「もし本当に起きたらどのような恐怖を感じるか」を推測せよ。
その上で、それと同じような恐怖を感じてみよ。
そうすれば、それだけでその恐怖は消える。既にその恐怖は自分の中で一度起きたのであり、それで満足すれば、恐怖はなくなり、完全に解放される。