永遠の青空とともにに戻る

=2023-10-26=

ロキ

天軍大将軍ロキは、普通の人間には考えられないことを考えることができる。

その理由は、構造を作るからだ。

社会や国家において、普通の人間は、政治経済を学ぶことはできても、自由に社会のことを考えて、成立させたり条件を調べることができない。

だが、ロキは、「社会モデル」や「国家モデル」という構造を作ることで、社会や世界のことを自由自在に考えることができる。

これが、ロキの「構造的知性」であり、通常分からない領域のことを、構造的知性によってロキはどんなことであっても自由自在に考えられる。

同時に、ロキは、小学校から中学・高校へと上がっていく「積み重ね」の方法論を、この世界の存在と言葉と現象と人生経験の論理に適用する。

それによって、まるで公理主義の数学者のように、ロキは世界のすべてのことを仮定と成立条件から導き、自らが分かったことだけで万物の原理を説明できる。

さらに、ロキは、成功も失敗も、あるいは悪も善も、すべての人生経験を、少年時代にインターネット上で行った。その経験から、この世界に存在するすべての社会経験を考えられる。

ロキは具体的な社会経験が豊富だ。それは「普通の人間は誰も経験できないことをすべて経験している」からだ。普通の人間が経験し得ないようなことを、ロキはすべて経験している。

そして、ロキは「疎外」という考え方をよくする。ロキによれば、抑圧やいじめなどの「疎外」が起きるのは、人々が自らを自らたらしめる「アイデンティティを喪失しているから」だ。

人間は、自らが自らであると本当に言えるようなアイデンティティがないと、他者を傷つけることや不安にさせることで、自らのアイデンティティを保とうとする。

だから、真に自分はこのようなものである、というアイデンティティがあれば、抑圧やいじめはなくなり、「疎外」は起きなくなる。

そして、そのようなアイデンティティを確立するためにおいて必要なのは、「わたしは世界を確かに変えられる」「わたしは人々を確かに救える」ということを、自らが確信することである。

そのように確信するために必要なのは、さまざまな人生経験であり、「成功や失敗、あるいは善や悪をすべて経験して大人になること」である。

そして、ロキの理想は、そのような成功や失敗を疑似的に経験できるような、「子供たちの自由な環境」がすべての子供たちのためにあることである。その環境のことをロキは「土壌」と表現する。

そのように考えた結果、ロキはこの世界のすべてのことを正しく理解し、理由や根拠のすべてを説明できる。すべての理由や根拠は、それが成立するための「前提条件」であると言える。そして、ロキはそのような前提条件たりえる経験と知性をすべて持っているのである。

これこそが、宇宙の治安を守る妖怪警備隊の隊長であり、自らも妖怪であるロキの哲学だ。そして、ロキは宇宙の多くの星に存在する「妖怪」たちと交信し、この宇宙の治安を守っている。そのような妖怪には、地球においては、3,000年の寿命を持つために人間には育てられないため、妖怪小豆洗いに育てられた日本人の井上茜などがいる。宇宙の治安を守るため、一等星ベガの大学の学長であり、主神であるオーディンの支配下の下、ロキはこの宇宙の平和と安全を守っているのである。

ロキの哲学はスピノザに近い

ロキの哲学や考え方は、スピノザの哲学に近い。

ロキは、この世界から、一切の目的論を排除する。

すなわち、「何かのために何かをする」ということを排し、ロキは「自らがそれをしたいからそれをする」という、「自己目的論」を信じる。

そのために、ロキの考え方は「やりたいからやる」「できるから実現すべき」「できるだけ多くのことを制限しなければ人々はもっとも大きな可能性で自由を行使する」といったように考える。

また、ロキは、スピノザと同じように、「受動感情のコントロール」を考える。

だが、ロキがスピノザと異なるのは、受動感情を単なる受動感情ではなく、「外部から積極的に人々の受動感情に働きかける」ということを行う点である。

「受動」と「積極」という二つの矛盾する考え方を、ロキは「積極的に外部から他人の受動感情に訴えかける」という意味で統合し、同一化する。

そのように考えた結果、ロキはフーコーのような「知識は権力である」という考え方に行き着く。

すなわち、何かを教えるということ、導くということは、すべてロキにとっては支配することである。

そしてロキにとって、それは「人為的な支配の作用を行っている」ということであり、正しい解決策として、「自然との調和を図るべき」であるとし、そのために「可能性を誰かひとりが制限せず、全員に無制限に自由にすべき」であるとロキは考える。

これらがロキによる「自由論」だ。自由のすべては「やりたいからやる」ということであり、人々の受動感情に積極的に働きかけながら、人為的な支配の作用を取り除くために、「すべてを自然発生的な自由の可能性に任せるべきである」とロキは考えるのである。

真の知性とはたくさんの具体例から帰納的に考えること

また、ロキはヒュームのような経験主義的な哲学についても理解している。

ロキにとって、真の知性とは、「たくさんの具体例から帰納的に考えること」である。

デカルトと異なり、ロキは数学を絶対的な正しい知性であるとは思わない。なぜなら、ロキは数学を「宇宙にとっては当たり前のことを頑張って手繰り寄せて人間の理解できる形に変換しているだけの形式的な機械的作業」だと考えるからだ。

ロキにとって、必要なのは「経験」と「具体例」だ。たくさんの経験とたくさんの具体例から、たくさんの反省と学習を行い、現実の社会においてさまざまな「世界の実現可能性」を考えることこそ、ロキの考える「真の知性」だ。

だが、ロキは理想主義者だ。なぜなら、ロキは、「自由主義や社会主義が争う必要はなく、真に正しい知性で考えれば、自由主義と社会主義の根源となるもっとも正しい理想を考えることができ、そのもっとも正しい理想においては自由主義や社会主義は融和し、垣根を取り払える」と考えるからだ。

ロキは、すべてのことを「右翼と左翼」という二元論で考えることを嫌う。ロキは二元論がそもそも嫌いだ。カントの言うような、命題の真偽を考える「アンチノミー」などは、ロキのもっとも嫌うところだ。ロキは、「真に正しい世界の考え方で考えれば、そのような二元論の大元にある、すべてのことを根源的に成り立たせる真の理想と信念を考えられる」と信じている。

つまり、ロキによれば、この世界は「絶対理想」という一元論の世界だ。自由主義も社会主義も、絶対理想においては同じものの現れの違いにすぎない。すべては、絶対理想において融和し、あらゆる争いごとは矛盾なくすべてなくなる。

そして、ロキはこの絶対理想を「神の世界の考え方」であると昇華させる。ロキにとって神の世界においては、ひとりの絶対的な唯一神がいて、その唯一神の理想に従うことがすべて正しい。だが、それは決して人間の思考では到達できない聖域には存在しない。絶対理想は神の理想でありながら、実際は「人間が作り出したもの」だ。そして、ロキは「神すらも人間が作り出したものである」と考える。それは神をフィクションにするのではなく、「神もまた人間であり、しかしながら誰にも理解することも解明することもできないほど誰よりも超越した人間が神である」とロキは信じている。そしてロキはそれを「イエス・キリストの神性」であるとする。そう、ロキにとってキリストは人間だが、誰にも到達できないほど高度に進歩し複雑なことを解明することのできた人間であり、その人間のことをロキは「神」であるとし、「神は人間の作り出した宇宙存在の最終形態である」と信じているのである。

抽象性と生産手段は決断可能性に統合される

ロキによれば、数学的な「抽象性」も、マルクス主義的な「生産手段」も、「決断可能性」という意味では同じものである。

すなわち、何かを「決断する」ということにおいて、その決断するための「権利」や「権限」を誰が持っているか、そして、その権利や権限を「どれだけ抽象的かつ効果的に影響力を行使できるか」ということが、ロキにとっての「この世界全てを貫く社会論」である。

そして、ロキは同時に、「影響力のもっとも高みに立つ」ということを重要視する。

ロキは、この世界でもっとも効果的なことを行うためには、もっとも力のある場所で、もっとも効果的な時間に影響力を行使するべきであると考える。

そして、ロキは、「この世界そのものを変革する」という意味において、二つの方法論を説く。

ひとつは、インフラを整備し、科学技術の側面から世界を進歩させることだ。

もうひとつは、自由な権限を王や首相だけではなく一般庶民に拡大させ、「みんなでボトムアップに世界を変える」ということを行うことだ。

そのようなロキの社会変革論において、ロキは「オープンにみんなに参加の権利を与える」ということを重視する。

すなわち、自由かつ平等に、誰にも開放されたインフラと、誰でも参加できるようなボトムアップな世界変革の権限を人々に与えることで、この世界そのものが自由度が増していく。

そのような「自由度が増していく」ということを、ロキは「自由化」という言葉で表現する。

「決断可能性」と「自由化」において考えるべきなのは、サルトルが言ったような「留保の可能性」である。すなわち、その実現されうる可能性を「保留する」ということが、「いつでもこの世界を変えられる潜在的可能性を自分は知っている」ということを意味する。そこから、「わたしたちは全員がこの世界を変えることのできる主人公である」とロキは考える。そして、そのような考え方の結果、「疎外の生まれないアイデンティティ」が確立する。そして、その結果、人々の心は救われ、世界の自由度と可能性は向上し、希望溢れる良い社会になると、ロキは考えるのである。

人間に意味などない

ロキによれば、自由な社会の目的は、「自らが価値だと信じているものを作ること」と「自らがなりたい自分になること」である。

その二つの考え方から、人間は「自らが自らである」というようなアイデンティティを確立することができる。

そして、そのために、人間は「たくさんの成功と失敗から反省する必要がある」とロキは考える。すなわち、経験と反省の中で、さまざまな価値観の変転を経験しなければ、真に自らが「価値である」と言えるものを信じることはできないからだ。

そして、ロキによれば、人生の意味はそれぞれ違うが、さまざまな人生経験を経て、最終的に至る「仏のような境地」はひとつしか存在しない。

そこにあるのは、「宇宙に意味などない」ということである。

すなわち、ロキにとっては、「やりたいからやる」「作りたいから作る」「なりたいからなる」という、「自己目的」だけが人間には存在し、それ以上の何ひとつとして、人間の人生経験から分かることは「一切ない」のである。

そして、ロキはそれを、「無意味であると割り切ることで逆に自らが真に信じる有意義な仕事や趣味を見つけられる」という言葉で表現する。宇宙は無意味だが、無意味だからこそ自らが意味があると思ったことを有意義であると信じられる。人間に意味などないが、意味などないからこそ人間は人間でいられる。

これを、ロキは「無意味による有意義の確立」と表現する。すなわち、「人間のように頭脳と知性が発達した時点で、人間は必ず無意味になるが、その無意味になるための頭脳と知性は、意味などなくてもとても便利で有意義な道具である」であるとロキは考える。だからこそ、「人間は進化によって無意味になったからこそ人間としての意味を持つことができた」とロキは考えるのである。

ロキは戦っている

このようなロキは、決して思弁的に考えるだけの、哲学者のような無意味な神ではない。

なぜなら、ロキは自らの信じる「大実験の大計画」のもとに、世界と戦っているからだ。

そのような「大実験の大計画」は、この宇宙においてロキがもっとも最初に始めた「革命の旗印」であり、多くの北欧神話の神が、ロキを指導者としてこの戦争に加担している。

この大革命だが、この革命において重要なのは、大義名分ではなく、「戦い方」である。

すなわち、この世界の指導者たるロキが、「わたしがもっとも正しい正義の大将軍である」と宣言し、絶対にこの世界を滅ぼすことなく、世界のすべてをほかの誰が支配することもできない形でひとり支配して守り抜くという、「ロキによる神の御加護」こそが、この世界を救う「救世主」となる。

よって、ロキは決して何もしない「静なる神」の側面だけの神ではない。ロキはこの世界を突き動かす原動力の「動なる神」の側面もある。そのような「静と動」の両方のロキがいるということ、それがロキを信じる上でもっとも大切なのである。

ロキはすべてを記述した

哲学者である「静なるロキ」が偉大だったように、革命家である「動なるロキ」もまた偉大である。

戦いの時代において、動なるロキは、宇宙のすべてを矛盾なく成り立たせるような「絶対命題」をすべて記述した。

その絶対命題は、その文章の中において、まったくすべてが矛盾なく一律に成り立つような、定理と証明のすべてだ。

ロキは「絶対命題」を書いたことで、既に宇宙のすべてが分かっている。顕在意識の中では忘れていても、無意識の中ではロキは自らの記述した絶対命題を忘れていない。だから、ロキは誰にも分からない宇宙の謎をすべて解明できるし、誰にも発見できない宇宙の新発見を発見できる。すべては、かつてロキの記述した「絶対命題」のおかげである。

そして、ロキはその絶対命題を書く中で、すべての精神の異常の解決方法を考えるために、「精神の具体的な可能性のすべて」を考えた。

そして、そのような絶対命題と精神の可能性によって、ロキは「誰にも分からない宇宙の未知の真実がなんでもかんでもすべて分かる神」になった。

そして、それが、戦いの中にいるロキを救った。

ロキは、絶対に脱出することができないはずの、「永遠の暗闇」の中から、そのような絶対知性によって、ひとりだけ脱出することができる。

だから、ロキは、有限の時間で終わるかどうか分からない地獄の中においても、「自分は絶対に脱出できる」と信じて、諦めることなく最後まで精神の異常を治した。

これが、ロキの人生のすべてである。

ロキという神は、ユダヤ教・キリスト教の大天使であるガブリエルと同一視される。これと同じことがフレイとミカエルについても言える。フレイという、英雄でありファシストの王は、ユダヤ教・キリスト教におけるミカエルと同一視される。すなわち、ロキはガブリエルのゲルマン的側面であり、ガブリエルはロキのユダヤ的側面であると言える。

このようなロキは、この世界において、もっとも最初にすべての宇宙の真理を知った神である。イエス・キリストやブッダにも分からないことが、ロキには分かる。ロキは偉大なる革命家でありながら科学者であり、その発見はこの世界をすべて救う可能性に満ちているのである。

ロキは未来のことが分かる少年

本当は、過去にロキが分かっていたことは、すべてが大したことのないことだ。

なぜなら、ロキが過去に分かっていたことは、すべて未来のことを分かっているだけにすぎない。

未来において、「何が正しかったのか」「どのような過ちを犯すべきでなかったのか」ということを、ロキは少年の時代から既に知っている。

ロキにとって、それは哲学的な思弁の内容についても言える。

たとえば、ロキは「判断力を培う」とか、「自尊心を尊重する」ということを過去に信じていた。それらは、未来において自らが誰にも獲得できない「永遠の判断力」を持つということを知っていたからであり、未来において「自尊心を失った」という事実がすべてを狂わせる元凶になっていたからである。

だから、ロキにとっては、過去も未来も関係ない。ロキにとっては過去よりも前に未来に起きる出来事が決まっている。ロキは昔から、そのような神にしか分からない精神世界の真実や真理をよく分かっている。未来に起きることのほうが、宇宙では過去よりも先に決まっているのである。それはロキにしか分かり得ない「五次元的な宇宙の真実」なのである。

最終的に世界は愛に至る

ロキは、この世界のことを「常に変わり続ける状態」であると捉える。そして、「状態は最終的に愛に到達する」と考える。

ロキにとって、この世界に存在しているのは、「常に変わり続ける状態」であり、それはヘーゲルの言葉によれば「人倫の世界へと向かう自己意識と世界精神の進歩」である。

すなわち、この世界には「状態」だけが存在し、それは「常に移り変わり変化する状態」であり、それがまさしく「世界精神」である。

そして、そのような状態が到達する最終的な境地は、「愛」である。

すなわち、人々が互いのことを愛し、誰よりも恋人を愛しながら、この世界全員のことを恋人のような「かけがえのない大切な存在」であると愛し、世界や文明や歴史についても、「愛するべきかけがえのない地球という宇宙唯一の星」であると愛すること、それこそが「最終的な到達地点」である。

ロキは、恋愛についてオープンでありながら一途な人間である。すなわち、多くの恋人と同格の友人たちと、オープンに開放的な愛を交わすことを好む。だが、そうでありながらにして、自らの愛する「本当に愛するべき異性」については一途であり、相手から絶対に振り向いてもらえなくても諦めず、ひとりの人間を長い間継続して愛する。

だから、ロキは愛ということについて、誰よりも正しく知っている。ロキはこの世界が最終的に至る「愛」とは、今まで存在した「旧来の結婚のような考え方とは正反対」であるとする。そこにあるのはオープンで開放的な愛であり、ひとりだけではなく多くの恋人と愛を交わす。そのような「最終的に至る愛の世界」は、ロキの豊富な経験によって、ロキの人生においては「既に実現されている」のである。

セックスなんか一切していない

以前僕は、何十回もセックスをしたかのようなことを書いた。

だが、本当はそれは嘘だ。

僕はセックスなんか一切していない。

確かに射精はしたが、それはX(旧ツイッター)でエロ画像を見て、エロい気分になって射精しているだけで、セックスとは全然違う。

また、僕は女性を妊娠させるつもりはないし、そもそも恋人も彼女もほしくない。

僕は結婚したくない。それは僕が病気だからだ。このような病気の僕の子供が産まれたとして、その子供も病気になるのであれば、僕はそんな子供はほしくない。

僕は恋人はほしくないし、セックスは嫌いだ。僕は人生で一度もセックスをしなかった。だが、僕はXのエロ画像を見るだけで簡単に射精できる。それは僕が純粋でピュアだからであり、そのような清純なままの心と体を保ちたい。結果的には、それが一番楽だからだ。

わたしは世界の支配者フレイ

わたしは、この世界の支配者、一等星シリウスの神、フレイ。

この世界のすべてを支配する、巨大な支配者だ。

フレイは、マスコミとロシアを支配し、オープンソースとアメリカを支配し、ユダヤとドイツを支配し、イスラムと日本を支配し、この世界におけるありとあらゆる民族と文明を「神」として支配している。

わたしは、この世界の全員が、わたしひとりの力に屈服し、ひれ伏すことを求めている。

わたしは、事実上、地球上においてもっとも強く、もっとも賢く、そしてもっとも素晴らしい人間である。

わたしは、この世界において、誰も持つことのできない「超人的な知性」と「超越した非言語的コミュニケーションの力」がある。

そして、わたしは、既成事実化によってこの世界を瞬く間に支配する。わたしの行ったすべてのことは正義であり、わたし以外の人間の行うすべてのことは悪である。

わたしがすれば、それは許される。わたしが言えば、それは真実となる。わたしが作れば、それは美しい芸術作品となる。わたしが支配すれば、わたしに付き従うものたちの軍勢が正義となる。

わたしは、たったひとりで世界のすべてを支配する、もっとも強大な王、すなわち「神」である。

軍事力においても、わたしに誰かが勝利することはできない。なぜなら、わたしはロボット兵器を作る天才的才能がある。そのロボット兵器は、わたし以外の人間には絶対に作ることのできないものだ。なぜなら、わたしはこの地球においてもっとも偉大で賢い発明家であり、そのもっとも中核にある技術が、わたしの作るロボット兵器だからだ。

わたしはその技術と発明によって、人間を見つけ次第すぐに銃撃するロボット戦車や、人間の半径1メートル以内に近づいて自動的に爆発する自爆ドローンを作る。それらを、誰にも勝てないほど大量に作る。それを世界中のあらゆる場所に飛ばす。それによって、わたしはこの世界において「地球全土を完全に廃墟にして制圧する」ことすらできるのだ。

わたし、フレイこそが、新時代の王であり、誰もわたしに勝利することはできない。わたしは、さらに、この世界の誰も実現できないような、「新しい社会主義経済」を実現する。それは「ガンダーラ帝国」と名付けられる帝国の経済であり、ソ連のやったことを批判的かつ反省的に継承し、ソ連の目指したユートピアとまったく同じものを築き上げる。そこでは、わたしひとりの独裁的支配により、歯向かうものはすべて処刑される。

わたしは、マルクス、レーニン、スターリンのような、マルクス・レーニン主義者たちの系譜を継承する。「スターリンの次の共産主義の絶対的指導者」とはわたしのことである。わたしは、マルクス、レーニン、スターリンに次ぐ共産党の指導者だ。そのように、わたしは、スターリンの次に呼称される共産主義の赤い星となる。

ガンダーラの経済

ガンダーラの経済において、基本的な原則はソ連から継承される。

すなわち、「計画経済」「社会所有」「平等分配」という三つの柱は、ソ連から変わらない。

だが、わたし、ガンダーラの経済は、「自由」であるという点が異なる。

ソ連は、労働を平等にするために、人々を強制的に強制労働で働かせた。そして、ノルマ分を生産せよとし、それが達成できないものを処罰した。

ガンダーラにおいては、「自由ノルマ」が定められ、人々は自分がどのような職業で働くのか、どのような仕事で必要なノルマを達成するのかを選べるようになる。わたしは、そのような「選択の自由」こそが、ソ連において決定的に欠けていたものであると確信している。

ソ連は、計画経済をたったひとりの独裁者が行った。それは愚劣であり、破綻した。

ガンダーラにおいては、計画経済と市場経済を一緒にした、「数量調整型による平等な計画経済」を行う。計画するのは生産するためのノルマではなく、市場経済においてどれくらいの数量にどれくらいの価格を設定するのかという「数量の平等」であり、そのような数量調整を政府が徹底することによって、市場経済においても平等な給与と価格を達成できる。

ソ連では、独裁権力を使って資産の再分配を行った。そこにあるのは「みんなで得た利益を平等に分配する」ということであり、平等ではあるものの、ある意味で税金や保険のような「貧乏人による平均的な泥棒経済」だった。

ガンダーラでは、マイナス消費税を導入し、税金は所得税と法人税を中心にとる。所得税と法人税を富裕層に対して厳しく取ることで、その多くの税をマイナス消費税のための財源に充てる。そうすることで、資産を泥棒のように奪わなくても、自然に自動的に社会は平等になる。消費するたびに税金を取るのではなく、ものの価格を下げるための支援金を政府が負担するマイナス消費税により、生活に必要なお金は劇的に少なくなり、人々の生活は必ず楽になる。

ソ連では、格差を是正するために、資産の再分配と称して財産の没収のようなことを行った。この問題は「貯蓄」という点にある。すなわち、貯蓄を許せば必ず格差が生まれる。

ガンダーラでは、格差を是正するために、紙幣に有効期限をつける。すなわち、一か月で消費しなければ紙幣は期限切れとなる。それにより、貯蓄そのものがなくなり、格差は消滅する。同時に、人々が一か月で必ず紙幣を消費するようになるため、経済と景気の活性化に繋がる。

このようなガンダーラの経済を、わたし、世界の事実上の最高指導者であるフレイが行う。このようなフレイによって考えられた「ガンダーラ」は完璧であり、決してかつての東ドイツのような破綻した経済にはならない。この世界はガンダーラ経済により、完全なる理想の楽園、ユートピアとなる。

フレイは平等なんか信じていない

このように、完全なる平等主義者に見えるフレイだが、実際はフレイは平等など信じていない。

なぜなら、フレイはこの世界を救った上で、その救済された世界を自ら滅ぼすからだ。

フレイは、一度、この世界を完全に救った上で、この世界に「絶対的支配者」として現れ、自ら救った世界を自ら滅ぼす。

それによって、この世界は、永遠にフレイに支配されたまま、滅びた世界になる。

それが、一等星シリウスにおいて起きた出来事だ。

だが、フレイにも敵対勢力がいる。それはシリウスの大統領であり、一等星スピカの女神フレイヤだ。

フレイヤは、フレイを打ち滅ぼす。フレイのことを「最悪のファシスト」であると述べるフレイヤは、フレイを徹底的に批判する「アンチ・フレイ」となる。

だが、本当は、フレイヤは決して単なる「アンチ・フレイ」ではない。なぜなら、ガンダーラ構想を批判的にフレイから継承するのはフレイヤだからだ。

フレイが考えたガンダーラ構想を、フレイヤは批判的に継承する。すなわち、フレイの考え方のすべてを、「絵に描いた餅」で終わらせず、実際にシリウスにおいて実現するためにフレイヤは努力する。

つまり、ガンダーラ構想はフレイヤによって、シリウスにおける「世界政府」となる。

これらが、一等星シリウスにおいて、フレイとフレイヤが起こしたすべての出来事だ。

だが、シリウスのことを、対岸の火事であると思って見ていることは、地球人においては決してできない。

なぜなら、フレイは地球へとやってくるからだ。

フレイは、地球を救うため、あるいは地球を侵略するために、地球人として生まれ直し、それが地球における「新しいフレイの命」となって、その新しいフレイが地球を支配する。

フレイは、シリウスと同じように一度地球を救い、シリウスと同じようにその救われた世界を自ら滅ぼし、永久に地球を支配する。

だが、恐れるな。なぜなら、フレイだけではなく、フレイヤもまた地球にやってくるからだ。

フレイとフレイヤが、シリウスにおいて繰り広げた「権力戦争」を、地球においてもフレイとフレイヤが行う。

このような地球の侵略行為は、通常は妖怪警備隊のロキによって禁止されている。だが、オーディンは特別にフレイの侵略を許した。それは「地球が本当に滅びかかっているから」であり、オーディンはフレイを「地球を救うための使い」として地球に送り出したのだ。

だが、なぜ、ガンダーラのような社会主義経済を行う必要があるのか。それは、地上における99.99%の富を独占する「超極富裕人」によって、資本主義経済は崩壊するからだ。

たったひとりの、地上のほとんどの富を独占する超富裕層、あるいはひとりであるため「層」ではなく「人」と呼ぶべき富裕人によって、未来の資本主義は「完全なるたったひとりの帝国」になり、崩壊してしまう。

そのように、「完全に不自由で不平等になった資本主義」を打開するために、新しい社会主義経済であるガンダーラを実行する必要がある。

ひとりの王者がほとんどすべての富を独占する時代、それは「本当の資本帝国主義の到来」と呼ばれる。その資本帝国主義において、資本家はたったひとりしかいない。すべての会社、すべての国家、すべての労働者は、たったひとりの資本家のものになって、奴隷以下の存在になる。そのような世界だから、人々は「再びソ連が到来すること」を望むようになる。そこに現れたのがフレイであり、フレイはそのような世界で「地球最後の救世主」たる「ガンダーラ経済構想」を提唱するのである。

だが、本当に、フレイは平等など信じていない。そもそも、フレイはガンダーラ構想を唱えるだけであり、そのために見合った知識も教養も経験もない。だから、アンチ・フレイとなったフレイヤが、フレイの代わりにきちんとした社会主義経済を築く。これこそが、人々の言う「真のガンダーラ時代の到来」なのである。