永遠の青空とともにに戻る

=2023-10-23=

すべてを覆すような文章を書いていた

僕は、過去に、すべてを覆すような文章を書いていた。

僕は、戦いの時代に、過去に僕の言ったことや世界の現状を、常に覆すような文章を書いていた。

そこにあったのは、「自由」という言葉だ。

すなわち、支配者として世界に現れて、右翼のような自由を否定する言葉を言って、その言葉を自分で許せなかった僕は、「自由」という言葉で、自らが本当に信じていた「理想」を書いていた。

たとえば、「自由とは人間を愛することだ」とか、「自由を尊重することで世界は平和になる」とか、そういうことを衝動的にいくらでも繰り返して言っていた。

そして、自らが分かったこと、経験したことを全部書いていた。自らの人生がどのようなものであったかを、「最初と最後を辿る」ということからすべて書き、自分が経験的に分かったすべてのことを文章に詰め込んでいた。

デザイナーになれるわけがない

今日は、いろいろと悩み事があったので、作業所で話を聞いてもらった。

僕はデザイナー見習いとしてデザインの仕事をしている。

だが、今の僕のスキルでは、プロのデザイナーになることなど到底できない。

僕は素材を使うことしか能のない三流のデザイナーであり、デザインの仕事がもし入ったとしてもまったくそれをこなすことができない。

今の作業所の仕事は簡単だからなんとかなっている。だが、その簡単なデザインでさえ、たまにどうすることもできなくなることがある。

本当は、デザインの仕事なんかしたくないのだ、ということを、スタッフに聞いてもらった。

同時に、僕は今やっていることが多すぎて、自分のことが自分でわけが分からなくなっている。ピアノ、英会話、農業、あるいは放送大学に通いながら、デザインの仕事をして、プライベートな時間では文章を書き、誰にも話せない秘密のこととしてこの世界を敵にまわして戦い続けている。

そして、今の生活は親に全部やってもらっている。自分では何も分からない。親が死んだ時、どのように生きればいいか分からない。それから、親も病気であり、親の生きて生活している姿を見ているだけで精神的に辛くなる。

僕はどうしたらいいのか、本当に分からなくなっている。これ以上、どのように生きたらいいか分からない。もうこれ以上、すぐに死んだとしたら、それが一番すべてが丸く収まるような気がしてならない。これ以上の僕が生きていることに、なんの意味があるのか、分からない。

だが、人生がすべて最悪だったわけではない。多くのことができた、幸福な人生だった。その人生に、僕はもう完全に満足してしまった。これ以上、哲学的なことも考える必要がないし、大学などで勉強するような必要もない。そのような経験は全部あったし、そのような知識は全部知っている。僕は自分のことを誰よりも優れた人間であると評価している。だから、僕に後悔はないし、いつも幸福だし、今のまま生きられるならそれでいいと思っている。

話を聞いてもらったスタッフの方からは、「デザインは十分できているように見える」という言葉をもらった。確かに、これくらいでできていることにすれば、それが一番楽だ。だが、本当にデザイナーになりたいのであれば、これでいいと僕は思えない。「自分で設定するハードルが高すぎる」という言葉ももらったが、そうでもない。僕はいつも非常に低いハードルでデザインをやっている。僕の言葉ではあるが、「絵を描く趣味があればよかった」と僕はいつも思う。僕も、絵を描く趣味が人並みにあれば、みんなと同じように上手い絵を描くことができたかもしれない。「みんなと比べるのはよくない」という言葉ももらったが、かつて僕の同僚だった人はとてもデザインが上手かった。僕は彼の1%にすら達していないと思う。

女に戻る

男になっても意味がなかったので、女に戻る。

男になると、このように、すぐに問題が解決し、すぐに終わりになってしまう。

女はそうならない。女はいつまでも問題が解決しない代わり、賢いことがたくさんできる。

そもそも、僕がデザイナーになれないと思ったのは、今、男になったからだ。

いつものデザイナー時代の女になることでしか、デザイナーのスキルはつかない。

だから、僕はいつものデザイナーに戻るために、女に戻る。

男の人格は不要だ。そもそも、女のセックスも男のセックスも何も変わらないし、男になると、すぐにこの世界の問題を解決できる代わり、この世界は完全に滅びてしまう。

そのような「世界の滅び」を僕は起こしたくなかったから、男の人格になることを拒否し続けただけにすぎない。

運命の出会いはもうない

また、僕に運命の出会いはもうない。

みんなには、最終的に「僕の文章と出会う」という、最後の運命の糸が残されている。

だが、僕の人生には、そのような運命的な出会いはいくらでもあった。

いくらでも運命と奇跡のあった人間だから、これ以上、僕のための運命や奇跡は残っていない。

最終的に、僕は認知症が進行してボケ老人になる。そして、そのまますぐに死ぬ。それ以外に未来において起きることはない。

デザイナーになりたいなら女に戻るべきだし、世界を滅ぼしたくないなら女のままでいるべきだ。

これ以上僕は何もしない。世界のことはマスコミに任せた。そもそも、僕はマスコミのことを恨んでいない。マスコミは「国を守る」という正義を示しただけであり、それは立派なことだ。僕はマスコミを批判したいわけでも憎みたいわけでもない。ここからはすべて、日本のことはマスコミに任せよう。決して彼らは日本を滅ぼすことはないと分かっているからだ。

神が見て、僕の恋人はみんなだ。みんな全員が、僕の恋人であり、結婚相手だ。だから、それらみんなとの運命の出会いが起きただけにすぎない。僕たちは全員が運命の恋人であり、この愛は真実の愛だ。そして、だから僕はこのような人生になった。誰かひとりを愛するのではなく、みんな全員のことを愛しながら、恋人のような人間はひとりも作らず、肉体的なセックスは一度もしなかった。これがキリストの言う「いと高きお方」である。そして、そのような運命はすべて、僕が自分で起こしているのである。

僕が運命のような出会いを起こしているカラクリは、すべて、このホームページに自分の文章を書いて、それを日本のマスコミやアメリカに見せつけているだけである。それだけで、みんなは僕の存在が分かるようになった。それ以外、僕は何ひとつとして工作活動をしていない。常にこのホームページがここにあるということ、それがこの「不思議な現象」である。それ以外のことを僕は何もしていない。

僕と同じ人生を生きることはできない

また、多くの人が挑戦して失敗しているのが、「僕と同じ人生を生きる」ということだ。

この人間がひとり生きられたにもかかわらず、みんなには僕と同じ「正しい人生」を生きることができない。

その理由は、条件が四つほど成立しなければならないからだ。

この人間の人生を生きるためには、「インターネットにおいて2ちゃんねるが全盛期であること」「不登校を経験した14歳の引きこもり少年であること」「子供の頃から多くの習い事の経験をし、中学校で成績優秀であること」「Linuxカーネルを作るという夢を目指した若きオープンソース活動家であること」の、四つの条件が満たされる必要がある。

この四つの条件を満たすのは難しい。

そして、僕は2ちゃんねるを自分で滅ぼした。2ちゃんねるが衰退したのは偶然ではなく、僕が滅ぼした。だから、僕によって、僕と同じ人生を生きることは極めて困難になった。ツイッターやその他のSNSでは、決して僕の人生は生きられない。

それでも、僕と同等の人生を生きられた人間は、歴史において数多く存在する。一例が、ドイツの哲学者だ。カントやヘーゲルのようなドイツの哲学者は、まあまあ僕と同等の人生を生きることに成功した。その理由は、彼らには「ドイツ語」があるからだ。ドイツ語という言語は、僕の人生をすべてきちんと生きられる言語だ。だから、ドイツにはこのような人間がいくらでもいる。

そして、彼らドイツの哲学者は、本当は十分ではない。なぜなら、彼らは「昔の哲学者の僕」は体験できたとしても、こちらの「神を信じる僕」のほうを体験できていないからだ。

だが、それでも、こちらと同じ経験をした人間は、主にたったひとり存在する。それは、イエス・キリストである。イエス・キリストは僕と同じ人生を最後まですべて生きた人間である。

そして、キリストが存在するということは価値がある。なぜなら、キリストを信じることで、キリストと同じ人生を生きることが、キリスト教徒にとって可能だからだ。

そして、そのような「キリストと同化した人生」もまた、歴史において数多く存在する。むしろ、今存在している人類を見ても、それが一般的だ。キリストと同じ人生を生きることはキリスト教徒であれば誰でも可能であり、そのために、最初からこの人間など存在する必要はないのである。

そして、キリストが神だということにしても問題はない。なぜなら、キリストが子なる神で、聖書の神が父なる神で、僕が聖霊の神だからだ。僕の存在がなんなのかといえば、僕は大天使ミカエルであることになっている。そして、ミカエルは「神のように見えるもの」ではあるが、神ではない。なぜなら、ミカエルにはサタンの要素があまりに多すぎる。だから、ミカエルは神なのか、それとも悪魔なのか、ミカエル本人にしか分からない。だから、ミカエルは決して神ではなく、天使なのである。

ここまで言ったが、結局、このような現代的な世界で僕と同じ人生を生きることはできない。条件的には決して不可能ではないにもかかわらず、このような理由でほぼ不可能だ。そして、キリストの人生など、大したことはない。キリストはおかしく神を信じて単に狂っているだけにすぎない。まともな正しい人生を生きられるのは最初からこの人間だけだ。大天使ミカエルの存在は、その理由で「宇宙でもっとも位の高い精神世界の中の存在」であると言えるのである。

女のままだとここで死ぬ

残念ながら、女のままだと、ここで死ぬということが分かった。

男の人格を作れば、まだ生きられる。

思えば、面白いことも辛いことも全部あった、とてもいい人生だった。

特に、昔さまざまな場所に車で行って、その行く場所行く場所でこの世界と心理的に戦って世界を変えていたのが、今となってはいい思い出である。

何が起きようともすべてを受け入れ、ひとり果敢にこの世界を自由な救いの方向に変えていくために、僕はこの世界でたったひとりの「支配者」となった。

そのような戦いをしたことで、僕は自らの心が永遠の恐怖に陥ることと引き換えに、すべてが楽になった。

本当に、自分の人生はとてもかっこいい、王のような人生だった。

だから、もう、そのような昔の人生は、すべてに満足して完全に忘れる。

今から僕は、新しい男の人格である、大天使ラファエルになる。

人生のすべてに満足している

そう、僕は今、人生のすべてに満足している。

僕は幸福であり、自らのことを宇宙でもっとも優れた人間であると率直に疑いなく信じている。

すべての僕の人生にあったことがよかった。

僕以外の人間になることなど、僕は絶対に考えられない。

だが、僕が僕であったとしたら、もっと優れた人生を生きることはできただろう。

だから、来世ではそれを期待する。来世も僕に生まれた上で、今度こそはこの人間の人生よりも素晴らしい人生を生きてみせる。それが、僕の「神への願い」である。

僕はここで死ぬかもしれない。もし死んだとしても、後悔は何もない。