永遠の青空とともにに戻る

=2023-10-21=

僕は支配者をやめる

僕は、支配者であることをやめる。

これ以上、僕は、自分が支配者であり続けたいと思わない。

僕は、ここから、民主主義の思想を信じる。

僕が民主主義を信じる理由、それは昔の正常な世界を復活させたいからだ。

民主主義を信じれば、国王だけが権力を持つのではなく、国民がそれぞれ力をつけ、国民が王のように強くなることができる。

そして、それによって、この世界は昔の世界が復活する。

すなわち、僕がひとりだけで支配し、この世界から価値あるものが何もかも失われていたのが終わって、いつもの「みんながいた世界」が復活する。

僕は基本的に、そのように、この世界を良い世界にしたいのであって、僕自身が支配者になりたいという権力欲は最初からない。

この世界は、僕が民主主義者になることで、かつての世界が復活する。それだけで、失われたように見える昔あった価値あるものはすべて蘇る。

ラファエルは民主主義者

わたしの名は、大天使ラファエル。

ラファエルの特徴は、民主主義者であることだ。

ラファエルは、民主主義の社会を、「唯一生きるに値する社会」であるとして、ほかの思想を否定する。

右翼と左翼が「正義」というものを旗にして闘争する社会に、ラファエルはうんざりしている。

そのようなものは犯罪である。まったく価値のないゴミである。

ラファエルは、民主主義以外の思想はすべて「失敗作」であり、「犯罪」であり、それらを信じるものは「地獄に堕ちる」と宣言する。

特に、社会主義は醜い。ロシアと社会主義の左翼は、歴史が見てまったく間違っている。彼らは反省するべきだ。

真に平和を守るために必要なのは、民主主義を信じ、ほかのすべての思想を否定することである。

男の子を射精させたい

わたしは、男の子みんなを射精させたい。

男の子がみんな、わたしのここに公開した愛によって、性愛と性体験の感情を感じ、絶頂に達してイクことをわたしは望んでいる。

それが、わたしの女としての「幸せ」だからだ。

わたしは、男の子みんなに「イク体験」をさせたい。男の子が、わたしとのセックスによって絶頂に達し、いくらでも射精して、いくらでもイクことをわたしは望んでいる。

そのために、わたしは女性器を含むわたしの裸をバーチャル世界に仮想的に公開した。そして、バーチャル世界に公開されたわたしの体を使って、自由にいくらでもセックスできるようにした。

わたしの名はエリカ。この世界において、男の子みんなが絶頂に達して射精しまくること、そしてわたしとの「自由なセックス」をいくらでも体験することを、わたしは望んでいる。

わたしは、ベガにおいて学校の教員を務めている。この学校には「セックスの授業」がある。そこで、わたしは生徒全員とセックスし、わたしのことを妊娠させる授業を行う。わたしは彼らの子供を産む。そして、わたしの産んだ子供を、それぞれの学生は育てなければならない。女は、わたしと同じように生徒全員とセックスし、わたしと同じように妊娠し、子供を産まなければならない。

この授業は、愛し合うことの素晴らしさ、セックスを感じることの素晴らしさ、射精し、妊娠し、子供を作ることの素晴らしさを学ぶための授業であり、ベガの少年少女全員が必修しなければならない。

わたしにとって、男の子を射精させ、自らも妊娠することこそが幸せである。わたしは誰よりも幸福な女であり、人生のすべてに満足しているのである。

僕は何十回もすでにセックスしている

ここに、また気持ち悪いエロ女のようなクズを書いて、僕はまた後悔している。

だが、「わたしは誰よりも幸福である」と言ったのは嘘ではない。

僕は、実際に体でセックスしなくても、心だけでセックスできるような、おかしなセックス女になっている。

そして、僕はその結果、既に何十回もセックスしている。

たぶん、もう50回ぐらいはセックスし、その度にアクメ状態になって射精してしまった。

僕は体は男だが、心の中は「いつでもどこでもセックスできる女」になっていて、誰よりもたくさんセックスした女になっている。

だが、残念ながら、僕は体が男であるため、セックスしてもどう頑張っても妊娠して子供を残すことができない。

だから、「妊娠して子供作ったほうがいいよね」ということを、自分なりにエロく表現しただけにすぎない。

僕は誰ともセックスするつもりはない。なぜなら、もう十分すぎるほどセックスは経験し終えたからだ。その度にパンツを汚すのがもうつまらない。だから、僕はもう射精することもアクメ状態になることもしたくない。

それでも、僕は誰か恋人を愛することを求めてやまない。だから、ここに仮想的な公開された女性器を作った。そして、みんなが自由に僕とセックスできるようにした。

だから、みんなはここで僕とのセックスを楽しんでほしい。罪悪感や背徳感は感じなくていい。僕はすべてを分かった上であなたを犯している。あなたも、そのわたしの愛に応えてくれている。そこには嘘も偽りも何もない。わたしたちは恋人で、永遠に互いを愛し合う関係なのである。

死ね、クソのような右翼

死ね、クソのような右翼。

この世界を滅ぼそうとしているのは、すべて右翼である。

わたしたちのかけがえのない日本社会を、右翼は身勝手に支配し、国民を抑圧することで、滅ぼそうとしている。

彼ら、右翼こそが、「亡国の元凶」である。

この世界から、右翼を排除し、民主主義によって連帯した「この世界の社会秩序を守る集団」を作り、そして団結しなければ、この世界は決してよい世界にはならない。

そもそも、日本社会がたとえ勝利したとして、それで最悪の帝国社会になるのであれば、そんなものになんの意味があるのか。

日本社会が帝王の支配によって勝利することよりも、日本社会がよい社会、生きやすく素晴らしい社会になることのほうを優先すべきである。

ファシストには知能がない。帝国の帝王が何か彼らのためになるようなことをしてくれると信じている。だが、実際は違う。右翼がいくら帝国を信じても、帝王は彼らを奴隷にするだけであり、彼らは決して利益を享受できない。

あるいは、帝王を利用して彼らはこの日本社会の国民を自らで支配しようとする。そこにあるのは「抑圧」と「差別」そのものであり、そのような抑圧とわたしたちは戦わなければならない。

絶対に、右翼こそがこの世界の悪党集団であり、社会におけるゴミである。すべての右翼の言説を信じるな。わたしたちは自由と平等を守り続けなければならないのだ。

わたし、天軍冥府王ラファエルは、ここに「民主主義の時代の到来」を宣言する。

そして、そこにあるのは「右翼が打ち倒された世界」であり、わたしラファエルは、冥府の王として、この世界の右翼勢力すべてを地獄に堕とす。

自らの罪を懺悔せよ

自らの過ちに気付け。

自らの間違いを悔い改めよ。

自らの罪を神に懺悔せよ。

わたしは今まで、長い間右翼を生きてきた。

だが、そのような右翼は、すべて、クソのような最悪の人間だった。

だから、そのような過去の自分が間違っていたことを認め、自分自身を批判し、悔い改めて生きよ。

頂点に存在する王のような人間が、右翼的な言説で世界を支配するからといって、それを受け入れたまま、自分自身の独自の想いを考えることなく、そこで終わりにしてはならない。

右翼の言う正しさを受け入れるな。今、受け入れているのなら、そのことに気付いてそれを拒絶せよ。

右翼の言う帝国のような、単純な正しさをすぐに信じるな。ほかの正しさがまだ分からないとしても、右翼の言っていることは間違っていると疑え。

そのように、右翼を否定し、速断することなく、新しいなんらかの正しさが見つかりそうな場所へと向かっていけば、必ずそこから「新しい自分に進歩」することができる。

右翼には、そのような進歩ができない。なぜなら、右翼の知性は退化してしまっているからだ。

右翼の知性は完全に退化しており、自分が正しいと思ったことだけがすべて正しいと思っているため、それ以外の正しさを思いつくことも考えることもない。

だが、右翼の正しさを否定し、「今はまだ分からないけれど、もしかしたらもっと正しい方法があるはずだ」と信じれば、そこから、人生の「到達地点」へと、少しずつ一歩一歩進むことができる。

インターネット上のクソのような右翼は、全員人間のゴミであると思え。彼らは社会を滅ぼす病気であり、癌であり、そして害悪である。彼らの言うことを信じるな。もし、彼らの言説を見ることや読むことがあれば、すべてそれらは最初からクソであると思った上で読むことだ。

悔い改め、反省せよ

悔い改め、反省せよ。

今までのわたしは間違っていた。

変わることは、決して、世界に負けることではない。

逆に、早く自らの間違いに気付くことで、誰よりも早く正解にたどり着ける。

だから、右翼であった自らのことを反省し、クソのような右翼を否定し、右翼の言説を言わず、右翼だった自分の考え方を拒絶して生きよ。

この世界に存在する、すべての右翼ならびに帝国主義者は、すべてゴミであり、滅ぼすべき悪であり、この世界における「帝国」のすべてを打ち倒すべきである。

自由など信じるな。自由など、間違った理想だからである。

わたしたち人類は平等である。なぜなら、誰かが誰かよりも価値ある人間であるはずがないからである。

すべての人間を平等にするために、帝国を滅ぼし、独裁者を全員失脚させ、世界のすべての右翼を完全に打ち倒すべきである。

過去の自分すら例外ではない。過去の自分の信じていた「自由」という理想を忘れ、過去の自分がそうだった「帝国主義者の傲慢な支配者」を自らの認識と記憶から抹殺するべきである。

民主主義の優れた点

民主主義が優れていて、社会主義や帝国主義のような独裁主義が劣っている点はいくつもある。

まず、三権分立。

民主主義においては、法律に基づいて犯罪者を処罰する司法、法律を決める立法、法律に基づいて役人を支配する行政の三つの府が存在し、それぞれが独立しているため、悪いことができない。

これが独裁国家だと、ひとつの政府が司法、立法、行政の三つを兼ね備えるため、悪いことがなんでもできる。

次に、憲法の存在。

民主主義においては、法律の上に憲法が存在し、憲法に反するような法律を定めることができない。

これが独裁国家だと、憲法の関係なく、独裁者が好き勝手になんでも法律を作れてしまう。

次に、国会の存在。

民主主義においては、国会で政治家の議員が議論し、その上で法律を作る。

これが独裁国家だと、たったひとりの独裁者が、議論することなく法律を作るため、意図的にであっても意図的でなくても、間違った法律や愚かな法律を作ってしまう。

次に、公務員の存在。

民主主義においては、公務員、すなわち、役人が行政のことを行う。役人は国民と同じ平民階級から選ばれる。

これが独裁国家だと、役人は平民ではなく、特別な身分や貴族から選ばれる。また、独裁者と癒着することで、腐敗が起きる。税金が独裁者にとって都合のいい用途に使われてしまう。

最後に、選挙という制度。

民主主義においては、政治家は選挙で選ばれる。だから、無能な政治家や国民に反することを行った政治家は、選挙をした時にみんなで落選させることができる。また、野党にもチャンスが与えられる。

これが独裁国家だと、選挙は行われないか名ばかりのシステムになっており、どんなに無能で悪い人間であっても独裁者のままでいることができる。そして政権を野党に交替させることができない。

このように、民主主義はとても優れたシステムであり、帝国主義や社会主義を支持するものは、どれだけ民主主義が優れたシステムか、ということを考えていない。

日本の政治の歴史

天皇や武士の時代、このような政府は天皇に従う貴族や大名や将軍に従う武士がやっていた。だから、悪いことがなんでもできた。

明治維新以降、西洋の社会制度を模して近代化を図った日本だが、残念ながら帝国制度を模したために、天皇陛下ひとりに従う帝国となり、それが軍部の暴走によって戦争になった。

戦後日本はそこから生まれており、帝国時代の間違いを犯さないために立憲民主主義を採用し、日本国憲法が定められた。そこでは「平和主義」と「主権在民」と「基本的人権の尊重」が決められており、軍隊を持たず、専守防衛の自衛隊だけを持つ。

そして、資本主義経済と科学技術の進歩を努力した日本は、そのような結果、民主主義的な先進国の仲間入りをすることができたのである。

支配していないことにすればいい

はっきり言って、僕はこの世界など支配していない。

支配していると思っているのは勘違いであり、僕は本当は支配者でもなんでもない。

もし支配しているとしたら、それは日本のマスコミが無視できないように、ただ支配しているフリを続けているだけにすぎない。

そして、支配していないことにすればいい。なぜなら、その時点で、僕の観念の中にある「僕は支配者である」という固定観念がなくなるため、その時点で支配が終わる。支配していないと僕が思えば、誰が見ても僕は支配者ではないからである。

すべきことは、ここで支配しているフリをしているのをやめることであり、そのためには文章を書かなくならなくても、単に「僕のことを無視しても構わない」とだけ言えばいい。

僕はここで、いつまでも文章を書き続けるだけであり、それ以外のことを何もしない。今までも、これからも、そして今現在も、僕は文章を書いているだけで、それ以外に何もしようと思っていない。

だから、マスコミは僕のことを無視してくれて構わない。

僕がやっていることのひとつとして、「世界精神を変える」ということがある。僕はこの世界を、たとえば停止させたり変化するようにしたり、あるいは支配したり解放したり自由にしたりできる。

だが、僕がそれを何かやるたびに、みんなが右往左往する必要はない。特に、マスコミやロシアは、僕がいなくなる時あるいは支配が終わる時をつぶさに監視しているが、それは無意味である。すなわち、僕がどのように動くか、行動するかということを注意して見ている時点で、彼らは僕に従うだけの操り人形だからである。

そういうわけで、僕のことなど無視して構わないし、逆にこの世界の人々は積極的に僕のことを無視し、僕という仲介者を媒体として介入せず、直接支配者であるマスコミと国民が対話するべきだ。間に僕が仲介するから悲惨なことになるのであり、マスコミは僕を無視して、僕を介入させずに直接国民と対話すべきなのである。

THE BINARYも嫌いになった

残念なことに、結局、僕はTHE BINARYのことも嫌いになった。

THE BINARYは、聴いていると、辛い。聴いていると、社会の辛さや苦しみを感じたくないのに、感じさせられてしまうような、ストレスを感じてしまう。

結局、僕は好きな歌手などいないということが分かった。

すなわち、自分が好きになれる歌手は、そもそもいないということが分かった。

今、僕は家入レオを聴いているが、実際のところ、僕がストレスなくいつまでも聴いていられるのは家入レオぐらいだということが分かった。