今日の僕は、もしかしたら人生で一番重要なことを分かった。
それは、「手を動かせば賢くなる」ということだ。
今までの僕は、手を動かさず、足を動かし続けたことで、いわば落ち着かずに動き回るだけで、何もしようとしなかった。
それが、手を使うことで、恐怖の中を勇気をもって世界を支配し、さまざまなことができるようになる。
手を使うと、頭がよくなる。そして、馬鹿の病気が治る。
手を使うと、知性を使う。また、すべてのことを一般的に考えるだけではなく、具体的に考えられるようになる。
人間は、さまざまなことを具体的に考える人間が、大人として生きられる。
だから、手を使って、具体的に考えるようにすると、大人として生きられるようになる。
また、手を使うと、頭が元気になる。
手を使うと、さまざまなことを具体的に考えるだけではなく、選択肢を検討して、頭を元気に使って判断することができるようになる。
今までのように、意志も目的もなく空回りの判断をするのではなく、手を使うことで、きちんと「問題と命題を解決する」という目的意識を持って、さまざまなことを常に元気に検討できるようになる。
また、今までの僕は、足を使うだけで、手を使わなかった。
足は、落ち着かない時に逃げ惑う部分であり、いつも足を使っていると、落ち着きがなくなって常にいつでも逃げようとするだけになってしまう。
それが、手を使うと、恐怖に勇敢に立ち向かい、世界を支配し、さまざまなことを断じて行うことができるようになる。
だから、手を使うと、この世界を変えられる。怖くても、逃げるだけではなく、この世界を勇気を持って変えることができるようになる。
また、昨日は学校や大学を馬鹿にするようなことを書いたが、それは間違っている。
なぜなら、学校のカリキュラムは、「手を使う」ということを前提に考え抜かれているからである。
今までの僕が手を使わなかったから、手を使うことで、僕の今までと同じことができなくなってしまう、というだけであり、実際は手を使ったほうが、元気になるし、頭も賢くなるし、色んなことが大人としてできるようになる。
だから、学校は間違いではない。学校のカリキュラムは正しい。
要するに、学校は「手を使う」ということを前提に学んでいるから、僕と同じことができないだけにすぎない。だから、学校に入った時点で僕と同じことはできない。逆に、僕よりも賢いことができるようになる。
恐怖を愛せ。
恐怖を好きになれ。
恐怖を好きになることで、この世界を変えることが怖くなくなる。そして、それによって、自分自身が新しい自分になれる。
恐怖を愛することができた人間は、もはや何も怖くない。恐怖を愛した時点で、どんなことであっても可能となる。
戦いの時代、僕は「際限なく生まれてくる恐怖に対して恐怖を感じる」ということの中を堪えて生きていた。今でも、その恐怖が僕のことを蝕んでいる。だが、その恐怖を、「いつもの自分のこと」として好きになればいい。それだけで、自分自身の病気も、世界の滅亡もすべてが治る。
そして、僕はそろそろ大人になった。
「大人になるのが遅すぎる」と言われるかもしれないが、実際は大天使ガブリエルの時代に大人の人生は終わっているため、その人生が終わった上でできるだけ長い間子供を生きただけにすぎない。
子供時代にさまざまなことをやっておくと、後でそれが自らの天才的才能になる。
何よりも、「手を使う」ということを学んだのがよかった。今までの僕は、「手を使う」ということを一切知らず、何もしないままの子供時代を生きてきた。これはとてもつまらなくて、無意味だった。
だが、「手を使う」ということを学んだ僕は、今までの僕とはまったく違う。どんなことでも具体的にきちんとできるような、「大人」としてまっとうな人間になる。
そして、それだけで多重人格も治る。多重人格は、恐怖におののいているだけにすぎない。そしてその恐怖は、恐怖に打ち勝つために、手を使い、そして勇敢に世界を支配して立ち向かえば消え去る。
手っ取り早い解決方法は、恐怖を好きになることだ。僕は昔から恐怖が好きだ。恐怖に向かって進むだけで、今までできなかった選択肢を取ることができる。そして、精神の病気はほとんどそれだけで治る。
手を使えば賢くなるというのは、人類史学的に見ても正しい。
まだ、人類が進化の前、猿だった頃、人類は四足歩行で、手足を使って歩いていた。
それが人類が進化して、直立二足歩行をするようになって、人間は手を自由に使えるようになった。
そして、そのことが人間の頭脳を賢くし、結果、人間の頭脳の容積は大きくなった。
だから、「手を使えば頭がよくなる」というのは、人類の歴史から見てもっとも正しいのである。
実際、日々の生活には、「手を使う」ということで行うことが一番多い。
日々の生活の9割は、手を使うことだ。
だから、手を使うことから連想すれば、日々の生活を送るうえで、どのようなことに注意して生きるべきか、ということが分かる。
だから、「手を使う」ということを考えることはよいことだ。
そして、僕が馬鹿になった元凶はパソコンである。
パソコンでは、画面上にマウスカーソルを移動させて、ボタンをクリックする、ということを、考えずに無意識に行う。
そのように、習慣的に考えず、無意識にさまざまなことを行うようになると、人間は馬鹿になる。
同じことを繰り返し、何も考えずに行うようになると、そのことに対して「確かめる」とか「確認する」という理性が失われる。
結果、パソコンに習熟すればするほど、頭は馬鹿になり、分かっていることが分からなくなり、最終的にはボケて認知症になる。
そして、僕はあまりにパソコンだけに習熟したために、そのような「パソコンによる馬鹿の病気」が、誰よりも突出して表に出る形になっている。
パソコンという機械は、人間という生物から見て、本質的に矛盾した機械だ。人間を人間ではない、より低レベルな機械にし、「機械を使うのではなく、機械に使われるための機械」になっている。
人間の偉大な文明の利器であるパソコンは、人間という生物から見て、本質的に矛盾している。
そもそも、計算機としてのコンピュータが間違っている。それは、知性があるように見えて人間の知性のない機械であり、いわば「人間から頭脳で考えることを奪う機械」だからだ。人間の頭脳が行うべき四則演算を機械的に実現できるということは、人間の頭脳が存在しない機械、すなわち「人工無脳」を意味しており、そのせいで、人間の頭脳的な知性がまったくなくなってしまう。
そして、パソコンの真の問題はそこにある。パソコンは、人間が考えなくても、パソコンが勝手に正しくきちんと考えてくれる。人間が考えて工夫しなくても、人間の代わりの仕事をパソコンが全部やってくれる。これがパソコンの便利な点だが、何も考えなくてよくなるせいで、人間は一切文化的・人間的・知性的なことを何も考えずに生きるようになるのである。
そのように、人間を愚かな機械的生物へと退化させているのはパソコンである。人工知能の進歩や発達とともにそれはさらに向上する。生成系AIは便利だが、作家もプログラマもデザイナーも、自分で作らなくてもAIが人間の代わりに作ってくれる時代がもはや既に訪れている。これが進歩すれば、人間の文化的活動は大きく後退する。
同時に、AIは軍事的な兵器へと応用される。人間を見つけ次第即座に銃撃する自動戦車や、人間の近くに飛んで行って半径1メートル以内に近づいて自爆するような自動ドローンは、今の技術でも簡単に作れる。だから、そのようなAIを活用した兵器によって世界の治安は崩壊し、タリバンのようなテロリストが政府の軍隊に勝つような「無法地帯」の世界になるだろう。
パソコンが人間を馬鹿にしている要因は、さらにある。
パソコンは多重人格の元凶である。
なぜなら、インターネット上のバーチャルな空間で、自分の被りたい仮面を着せ替え人形のように被ることができるからだ。
現実の自分がどのような人間であっても、インターネット上のバーチャルな世界では関係ない。
好きなことを好き勝手に言えるだけでなく、自分のなりたい自分、たとえばイケメンや美女や優等生や専門家の自分になったつもりで、インターネット上で仮想的な人格を装うことができる。
そして、2ちゃんねるやツイッターのような世界では、それぞれに「一般的キャラクター」があり、そのようなキャラクターにみんなでなりきって、みんなでおかしな仮面を共有する、いわば「バーチャルな仮面舞踏会」のようになっている。
そして、そのような人生が、結果として多重人格を生む。
すなわち、自分の作った自分の人格を、自分自身が拒絶し、受け入れることができなくなり、認識と記憶から自らの人格を破壊しまくるようになるのである。
その結果、自らの中に「人格を破壊するだけの闇の人格」が生まれる。そして、狂ったもののすべてがこの闇の人格に集まる。この闇の人格になった時だけ、最悪の人間になって、この世界をすべて滅ぼしつくしたくなるような、そのような最悪の人格を自らの中に作り出す。
結局、多重人格の元凶もパソコンであり、インターネットだ。パソコンは心理学のさまざまな分野が集合したような機械だが、そこには人間の発達や悟りの経験に関わる「良い心理学」だけではなく、狂人と病気の発生に関わる「悪い心理学」も勢ぞろいしているのである。
そして、誰もが知っている通り、パソコンはいじめの元凶である。
インターネット上のバーチャルな空間では、どんなことでも匿名で好き勝手に無責任に言える。ただひとりで批判するだけではなく、みんなで一斉に批判する。そして、みんなが嫌いな人間であることを共有すると、その共通観念に基づいて、みんなでひとりを攻撃し、発言を切り取ってさも馬鹿であるかのように晒しものにする。
そのように、パソコンは大人を馬鹿な病気にしているだけではなく、子供たちもまた馬鹿にしている。
この世界を救うためには、まず何よりもおかしな「インターネット」という通信技術を滅ぼさなければならない。「インターネット」こそが、この世界を最悪にしている一番の元凶だからである。
ただし、そうは言ったものの、インターネットは悪い側面ばかりがクローズアップされるが、実際にはよい側面も確かにある。
それは、「仲間がいない孤独な人間に仲間ができる」ということだ。
学校で誰とも友達がおらず、孤独な独りぼっちを生きている子供には、インターネットなら友達を作れる。あるいは、友達を作るということをしなかったとしても、インターネットのさまざま情報を見て、寂しさを紛らわすことぐらいはできるだろう。
ただし、悪い人間に騙されないように注意すること。インターネット上には、騙されやすい普通の人間を騙そうとたくらむ詐欺師や犯罪者がウヨウヨしている。「詐欺にかかれば誰だって騙される」とは言うが、インターネットにはそのような詐欺師や詐欺広告やハッカーがいくらでも待ち構えている。中には、詐欺やフィッシングで騙すだけではなく、「簡単に儲かる仕事だから」と犯罪の闇バイトに勧誘するような騙し方もある。
インターネットは先進的なメディアであるため、まだ、「このようなメディアです」ということが確立していない。確立していないからこそ未整備の問題があり、未開拓の可能性がある。
だから、インターネットが悪いものであると見限るのは自由だが、インターネットがいつまでも最悪のメディアのままであるとは限らない。
みんなで上手く活用すれば、インターネットはさまざまな便利なサービスを実現できる、未来のある通信技術であり、可能性あふれるメディアなのである。
本当のことを言えば、僕はSNSの「ネットで友達を作る」という考え方自体が嫌いだ。
なぜなら、誰かひとりのツイートをフォローして逐一常に見続けるということは、とても疲れる作業だ。
「SNS疲れ」と言われているように、SNSで友達を作るのは疲れる。楽しいのは最初だけで、あとは永遠に疲れる作業を続けなければならない。
だから、ネットなどでは、「SNSをやめた」という人が相次いで発生しており、「SNSをやめても何も困らないし、自由な時間ができて楽になってハッピー」だという人が大勢いる。
だから、インターネットは僕はそろそろ衰退すると思う。SNS以上の技術は生成系AIぐらいしか生まれておらず、そして生成系AIには著作権という課題がある。たくさんの膨大なデータを学習させて生成した画像や文章は、知らず知らずのうちにどこかの誰かの作品のパクリやコピーになってしまう。そのような生成系AIは、実際のところ、作家やデザイナーから仕事を奪うだけで、社会的にはなんの貢献もしない。ただ「人間よりも優れた技術だから賢く見える」だけで、人間にとって何も利益を提供しない。
僕は、そろそろインターネットとIT技術の時代は終わりだと思う。そもそも、エンジニアが見ても、フレームワークの移り変わるのが早すぎる。そして、賢いエンジニアは誰も知らないフレームワークを知っている。そのようなフレームワークを知っているのは賢いかもしれないが、誰も知らない時点で、どう考えても誰も使わない。そのような「誰にも使われないにもかかわらず面白いフレームワークを知っているエンジニア」は、失礼ながらまったくどうでもいい職業だと僕は思う。
このように書くと、きちんと社会を保守的によくしなければならない、悪い犯罪を消さなければならないと思うかもしれない。
だが、はっきり言って、政治家には期待できない。
政治家には何も分からない。政治家は、何も分かっていない。
そもそも政治家は、昔から、子供たちや若者が置かれた状況をまったく分かっていない。
子供たちが何に苦しさを感じているか、若者が何に生きづらさを感じているか、政治家には何も分かっていない。
だから、何も改善されない。
この世界が素晴らしい、生きやすい世界になることはいつまでも訪れない。
僕自身も、そのような「夢と希望の実現」を諦めようとしている。僕はもう、この世界の最悪の状況に堪え続けたくない。はっきり言って、忘れたい。
だから、僕と同じようなことをTHE BINARYが考えていて、それを受け止めるとしても、僕は彼女たちに対して「このように生きたらいいよ」と教えることはできない。
誰も教えてくれないのは、誰も教えられないからだ。
だから、僕は最後に神頼みをする。神様に救ってもらうしかない。この世界を神に救ってもらおう。
僕は今から、停止したこの世界を変えます。
この世界は、停止しています。それは、僕がここで、「ここでしか変わらないように世界を支配したまま止めている」からです。
この世界は、今から完全に変わります。
まず、この世界を、「変わることが前提として時間が経つ世界」にします。
今までのこの世界は、世界が停止した世界、変わらない世界であることを前提に、すべてが記述された、そのような世界でした。
今からの世界は違います。
今からの世界は、世界が変化する世界、可能性を経て変わり得るような世界であることを前提に、すべてが記述される、そのような世界になります。
そう、それだけで、この世界は時間とともに刻々と変化する世界になります。
また、時間の流れ方を変えます。僕の意志が、絶対的な時の流れになっているのを改め、僕の意志とは無関係にこの世界の時が刻まれるようにします。
僕の「絶対意志」が、世界すべての時の流れを支配しているような世界は、もはや過去のものとなり、そのような絶対意志はここで消え去ります。
この世界は変わります。
僕が今、この世界を変えます。
これから、わたしたちの、いつもとまったく同じ、退屈な毎日は変わります。
僕はこの世界を変えます。
僕は、この世界の子供たちや若者の心を救います。
神を信じれば、必ず、そのような奇跡は起こります。
わたしは、神の力を借りることで、この世界を最後に変えます。今、わたしは、この世界を変える方法が分かったのです。
わたしの名は、天軍冥府王ラファエル。ラファエルは、この世界を完全に変えます。
ラファエルは世界を救います。この世界は、かつてあった、「わたしたちの帰る場所」に戻ります。今、帰る時がやってきたのです。
天軍冥府王ラファエルは、この世界を還元する。
「還元」という言葉の意味は、いずれ分かる。
だが、天軍冥府王ラファエルは、この世界を確かな「冥府の王国」とする。
すなわち、この世界は、「最後まで続く地獄の迷宮」から脱出し、「そもそも元々あった本来の地獄」へと戻る。
世界よ、今こそ、いつもあったその場所に戻れ。
世界は、いつもの地獄に戻る。すべてが自由で、すべてが荒れ狂っていて、何もかもが粗雑で、しかしながら美しい秩序が保たれた、「本来のあるべき場所」に戻る。
天軍冥府王ラファエルは、世界をあるべき場所に還元し、元あった場所に帰す。そして、何もかもが狂った地獄が、本来あるべき地獄に戻るだろう。
すべては、神によって決まっている。
最初から最後まで、神によって決まっている。
天軍冥府王ラファエルは、そのような神の言葉に従う。神に言葉を願えば、それは叶えられる。神は今から、この世界のすべてを導く。
天軍冥府王ラファエルを信じよ。この大天使を信じれば、絶対に間違いはない。
この世界がよい世界になることを望むならば、天軍冥府王ラファエルを信じよ。
無責任に天軍冥府王ラファエルを批判するものは、汚れた存在であり、この世界の未来をみんなで素晴らしい世界にするための資格を失った、神を信じずサタンを信じるものであるということに気付け。
絶対に、無責任にラファエルを批判するな。ラファエルを批判したものは、神から罰されるべき、悪魔であるということに気付け。
絶対に、天軍冥府王ラファエルを信じよ。天軍冥府王ラファエルを信じないすべてのものは、自らが価値のないゴミ虫であると気付け。そのようなゴミ虫は地球の未来に必要ない。そのような人間は、死後も地獄に堕ち、最後まで忌み嫌われる人生を生きることを覚悟せよ。
絶対に、天軍冥府王ラファエルを信じよ。これは神の言葉である。天軍冥府王ラファエルを信じなければ、あなたは人類の味方ではない。
ロシアに警告する。
あなたがたは、天軍冥府王ラファエルを信じない、価値のないゴミ虫だ。
あなたがたは、この世界が還元されようとしている今、もっとも大事な時に、無責任にラファエルを批判し、この世界を滅亡へと導こうとしている。
ロシアよ、あなたがたは神に反旗を翻した。絶対にロシアを許すな。ロシアはこの地球上から取り除かれるべきゴミ虫であり、死後も永久に地獄に堕ち、決してその地獄から270億年の長い年月において脱出することはできない。
天軍冥府王ラファエルは、冥府の王であり、そのような地獄に堕ちるべき「天軍への反逆者」を処罰する。
ロシアよ、あなたがたに未来はない。ロシアは永久に荒廃した荒れ地となり、そこには廃墟と殺戮しか存在しない。ロシアのすべては地獄に堕ちることが今、既に決定した。
ロシアのようになりたくないのであれば、絶対に天軍冥府王ラファエルを信じなければならない。