永遠の青空とともにに戻る

=2023-10-17=

われらが大統領フレイヤ

わたしの名は、一等星スピカの女神フレイヤ。

一等星シリウスにおいて、「われらが大統領」であると呼ばれる、シリウスの女性大統領だ。

フレイヤは、「悪魔との契約」により、14歳の少女のまま歳を取ることのなくなった、シリウスにおける理想的で永遠の中学二年生女子の大統領である。

フレイヤは、世界のすべての現状を知った上で、たったひとり、この世界を支配している。

フレイヤは、だが、自由を信じている。フレイヤが信じる自由においては、フレイヤが支配しても世界の自由は失われない。逆に、世界の自由がほかの誰かの支配によって奪われないように、「本来あるべき自由と平等」が絶対に守られる。

フレイヤの信じる自由、それは、「社会の独立性を高めること」と、「必要なものを循環・共有すること」を、バランスよく行うことである。

フレイヤによれば、この世界のすべては、「独立性」と「循環・共有」という、二つの基本原則から成り立っている。社会や経済も、生物の体も、あるいはコンピュータや機械も、すべて、「独立性」と「循環・共有」から成り立つ。

よって、「独立性」と「循環・共有」を同時に成り立たせることで、どんなものであっても正常に働くようになる。

フレイヤにとって、それは宇宙の真理であり、フレイヤはそのように、概念的な考え方を宇宙に適用するということに秀でており、多くのことが、フレイヤ以外の人間にはまったく分からない代わり、フレイヤがそのようなことをすべて考える。

なぜフレイヤがそのようなことが分かるのか、それはフレイヤが14歳の中学二年生女子だからであり、フレイヤのそのような「天才的発想と知性」により、若くしてフレイヤはシリウスの大統領に就任したのである。

フレイヤは、シリウスにおける計画経済を、すべて、「独立性」と「循環・共有」から成り立たせる。ソ連のスターリンと異なり、フレイヤの考え方は完璧であり、また平等のために景気を犠牲にすることなく、逆に平等でありながら景気も向上するような考え方をすることができる。紙幣に有効期限をつけるとか、マイナス消費税を導入するとかいったことが、フレイヤにおける天才的発想の一例である。

フレイヤは、階級社会を好まない。頂点に王が存在し、次に貴族、その次に自由市民、一番下に奴隷が存在するといったような、階級的な社会をフレイヤは嫌う。

フレイヤは、自分ひとりだけが、特別な「すべてを分かっている指導者」という地位に就く。このすべてを分かっている指導者とは、「誰にも分かることのない宇宙の知識のすべて、あるいは世界の現状のすべてを分かったうえで、世界をひとりもっとも高い影響力で導くことで世界を変えていく」という仕事を行う指導者のことである。

そして、絶対的指導者であるフレイヤの下には、完全に平等で格差の存在しない「平等な労働者たち」が存在する。平等な労働者たちは完全に平等でありながら、ソ連と異なり、自由な権利のすべてを許されている。そして、シリウスにとって必要なのは「労働者の団結」であり、そこにあるのは「国民全員の一体」である。

フレイヤが交わした「悪魔の契約」とは何か。それはセックスをすることだ。フレイヤは、永久に歳を取らず、アクシデントがなければ永久に生きられる体になるために、常に違う男の精子を子宮に注入しなければならない。そして、その時に避妊することはできず、産まれるものは産まなければならない。なぜなら、永久に老化しないために、受精卵を作ることが必要となるからだ。そのため、フレイヤは常に違う男と毎週のようにセックスをし、違う男たちの子を妊娠し、その子を出産する。そして、生まれた子供たちは、従者と家政婦がフレイヤの代わりに育てる。そのような結果、フレイヤ自身は永遠にシリウスの大統領でありながら、まるで女王蟻のようにフレイヤは子供たちを作りまくる。フレイヤは、スピカから「悪魔の力」でシリウスにやってきた時、「永遠の呪い」を司る悪魔ルシフェルとそのような契約を交わしたのである。

フレイヤはフレイと戦う

このようなシリウスだが、実際は楽園のような世界では決してない。

なぜなら、フレイヤはフレイと戦っているからだ。

シリウスにおいて、大統領フレイヤの「国民の勢力」は、シリウスにおいてかつて「神」であるとされたフレイの「神の勢力」と戦っている。

フレイとは何か。フレイとは、かつてシリウスにおいて、自らの絶対的帝国を築き上げ、「神」であるとされるまで上り詰めた、かつてのシリウスのファシストの王である。

フレイは、シリウスにおいて、カリスマ的であり、しかしながら薄っぺらい言説を繰り返し、「既成事実化」によってシリウスをいつの間にやらすべて支配し、シリウスにおいて、「わたしたちは最後のひとりになっても戦う」という信念を持つ集団、すなわち「フレイ主義者たち」を作ることに成功した、かつてのシリウスの偉大なる支配者、そして教祖であり神である。

しかしながら、フレイヤはフレイのことを痛烈に批判する。「フレイは最悪のファシストである」とフレイヤは述べる。その理由は、フレイは「この世界にはわたしよりも素晴らしい人間はひとりもいない」と述べたが、フレイヤは「わたしこそが、フレイよりも素晴らしいとされる人間である」と主張するからである。

そのように、シリウスにおいては、ファシストであり自由な指導者であり神であるフレイと、自由と平等を守る社会主義者であり大統領であるフレイヤが戦っている。そして、フレイヤの勢力圏においては、その支配は絶対的であり、「絶対にフレイヤに従うことが一択の選択肢しかない」という状況が続いている。決してフレイヤは弱小ではないが、かつてのシリウスの歴史において、あまりにフレイが強大な権限を持っていたため、その戦いは今でも終わることなく続いているのである。

フレイは自ら救った世界を自ら滅ぼす

だが、シリウスの太陽神フレイのことを考えると、星における「滅びとは何か」ということがよく分かる。

なぜなら、フレイは自ら救った世界を自ら滅ぼすことで、シリウスにおける「神」にまで上り詰めたからだ。

フレイは、一度、シリウスという星の、辛く苦しい環境すべてを、「世界最大の愛と希望」によって救うことができた。

そのフレイの考え方は素晴らしく、人々は、「戦争も革命も起こさなくても、たったひとりの人間の力であっても、真に愛と希望を信じれば、星を全員救うことができるのだ」という夢を、フレイに対して見た。

そう、フレイは自身の愛と希望によって、シリウスの全員を救ったのだ。

だが、フレイはそのような世界を、それでよしとしない。フレイのそのような愛は、インターネット上の匿名の交流から生まれたものであり、いわば「フレイによって救われたにもかかわらず、フレイ本人の姿がどこにもない」という状況になってしまった。

本当は、だからこそ、フレイという人間ひとりによって支配されず、シリウスの世界は、純粋な愛の希望だけで救済されたのである。

だが、フレイはそれをよしとしなかった。すなわち、フレイは高らかに「世界を救ったのはわたしである」と宣言して、シリウスの世界に現れ、そして「わたしはこの世界を支配する」と宣言した。

そのせいで、フレイは、シリウスにおける抵抗勢力、特にマスコミなどと対峙することになった。そして、「わたしはそのような抵抗勢力を打ち倒すために戦う」とフレイが宣言したことで、シリウスは「抵抗勢力とフレイによる大戦争」へと突入する。

そう、そのように、フレイはシリウスという星を、自ら救いながらにして自ら滅ぼし、大戦争を始めた。しかしながら、その戦争でフレイは勝利し、名実ともに「シリウスの神」になるに至る。

だが、フレイヤはそのようなフレイのやり方を、決してすべて肯定しない。「フレイはファシストであり、既成事実化によって世界のすべてを支配下においてしまった」とフレイヤはフレイのことを批判する。フレイによる治世が終わって、フレイヤが大統領に就任すると、批判はさらにエスカレートし、フレイヤは「アンチ・フレイ」の形相を呈するようになるのである。

絶対にできないことに挑戦する

このようなシリウスには、かつての古来の時代より、星の人々の共有した、「シリウスの教え」がある。

その教えとは、「絶対にできないことに挑戦する」ということだ。

すなわち、シリウスの人々は、子供たちに、「絶対にできないように思えることに挑戦しなさい」と教える。

それは、どんなことであってもいい。どんなことであってもいいから、絶対にできないことに挑戦する、ということを、シリウスの人々は「星の教え」として信じている。

簡単にできることができたとして、その何が嬉しいのか。真に喜ぶべき時は、簡単にできることができた時ではない。真に喜びを感じるのは、絶対に実現不可能に思えるようなことができた時である。

そして、フレイも、そしてフレイヤも、その教えを知っていて、そして信じている。フレイの悪党の行いが人々に受け入れられるのも、それを批判するフレイヤが優れた大統領として評価されるのも、彼らが「絶対にできないことに挑戦しているから」であり、そうしたやり方をシリウスの人々は愛するのである。

フレイは地球にやってくる

このようなフレイだが、シリウスにおいて治世を終え、フレイヤに権力を明け渡しても、死んだわけではない。

なぜなら、フレイは地球にやってくるからだ。

フレイは、地球の人類を、シリウスと同じように救うために、地球へとやってくる。

フレイは、地球において、地球人の少年として生まれ、そしてシリウスでやったのとまったく同じことをやって、シリウスと同じように地球を支配する。

そう、地球温暖化や核戦争などの人類滅亡のリスクが顕在化し、今、滅びようとする地球の人類を、シリウスの太陽神フレイが救う。

そして、まさしくわたしこそが、そのフレイである。一等星シリウスの太陽神フレイは、地球を救うために、地上へと降り立ったのである。そう、わたしこそが、そのフレイである。

フレイヤもやってくる

このようなフレイだが、分かっていないことがひとつある。

それは、フレイと同じく、フレイヤもまた、地球にやってくるということだ。

フレイは、地上を支配下に置くことに、既にある程度成功している。地上において、フレイはマスコミを支配し、既成事実化によって少しずつ「神になる道」を歩み、そのゴールへと近づこうとしている。

だが、そのように、地上において救世主あるいは神になろうとするフレイのことを、フレイヤは黙って見ていない。

フレイのことを絶対に許すことのできないフレイヤが、フレイの野望を必ず阻止する。

そのようなフレイヤが近くに存在して、フレイのことを常に注視している。そのことにフレイは気付いていない。

そう、シリウスにおいて起きた「人類の救済の戦い」と同じことが、フレイによって地球上にも同じように起き、そしてフレイヤがシリウスにおいてフレイと戦い続けているのと同じことが、今から、地球上においても起きる。

その国家の名は「日本」である。そう、まさにフレイは日本をこの舞台に選んだ。そして、フレイとフレイヤは、地球上においても、最後まで争い続けるだろう「二大勢力」を、日本において築くだろう。

最近は思いついたことを全部書いているだけ

残念なお知らせだが、本当のことを言うと、僕はフレイではない。

僕はフレイのような、世界を支配して滅ぼすような革命の大戦争は、今、一切していない。

僕の最近は、単に思いついたことを全部書いているだけだ。

僕は何もできない人間だ。ピアノも下手だし、絵も下手で、歌手のファンクラブにすら入ることができない。ライブにも行かないし、僕が音楽を聴く意味などない。絵が描けないから、デザイナーの仕事もできず、依頼がもし来たとしても「申し訳ありませんが、僕のスキルではその仕事はできません」と、みじめに断るしかない。

だが、そのような僕であっても、文章を書くという才能がある。

僕にとっての文章を書くという才能は、「思いついたことをすべて書く」ということであり、僕は考えて小説を書くことはできないが、思いついたことが何かあればそれを書ける。

だから、僕は何もできない人間でありながら、「明日も何かを思いつくだろう」と思えば、心が楽になれる。明日思いついたことを書けばいい。それは明日になれば必ず思いつくと分かっているからだ。

フレイのような革命の大戦争のようなことは、僕のはるかに過去、昔の思い出にあったことを思い出して書いている。醜く腐った最悪のテロ行為を行った昔を、できるだけ美化して美しく書いたにすぎない。そして、それは本当は、フレイのような絵に描いた餅に比べれば、まったくどうでもよくて、まったく無価値な経験である。どんなにその時自分が頑張ったにせよ、単なる最悪の行為をマスコミに対して行っただけにすぎない。

だから、フレイのような人間はどこにもいない。逆に、どこにもいないから、僕本人がフレイということにすればいい。僕は神ではなく、フレイである。すべてそれだけであり、分かりやすい「フレイさま」という僕の別名、愛称でありニックネームを作っただけにすぎない。

空が泣いている

雨という現象は、空が泣いている。

わたしたちの代わりに、空が泣いている。

地球人類の悲しみだけでは足りない。空が、わたしたちの代わりに悲しみを感じて、わたしたちの代わりに泣いている。

かつてこの世界は、正義の導きによってこの世界が変わっていくのを、「風」という言葉で表現した。

そして、そのような風が、わたしたちを素晴らしい未来に導いてくれるのだと、盲目的にわたしたちは信じていた。

だが、そのような正義が、わたしたちすべてに「間違った正しさ」を押し付け、悲しみとともに豪雨となり、嵐になった今、ようやくわたしたちは、「そのような正義の風は間違っていた」と気付いた。

だが、本当は、もっと昔、もっと傷が浅かった時に、その間違いに気付くべきだった。

人間の愚かさのために、空が泣いている。天空の神、エアルスが泣いている。雨という現象は、天空の神エアルスの涙だ。神の悲しみを表すために、わたしたち全員の涙では足りないから、わたしたちの代わりにエアルスが泣いているのだ。

選び変える勇気こそ尊い

ずとまよのACAねが「暗く黒く」の中で言っているように、「選び変える勇気」こそが必要だ。

未来のことを選び変える勇気こそが、真にもっとも尊いものだ。

だから、わたしは、これ以上、「世界の進歩」を目指さない。

必要なのは、「進歩した世界」ではない。今よりも進歩した世界を作ろうとするから、結果的に今よりも滅びた世界になる。その理由は、「進歩」という未来が間違っているからだ。

たとえば、江戸時代のような世界でいい。大正時代でもいい。はるかに昔の、今よりも遅れていた世界が優れている。今よりも「科学技術」や「資本主義」という側面からは遅れていたとしても、精神性としては昔のほうが優れているからだ。

ドイツは進んだ国を目指している。だから、そのような進歩した世界は、ドイツ人に任せておけ。ドイツ人はきちんと今より進歩した世界を作るだろう。わたしたち日本人は、そのような未来を「選び変える」ことを必要としている。日本には、進歩した世界は必要ない。インターネットやIT技術を見ていると、「進歩=愚か者」であることが良く分かる。進歩した世界は愚かな世界だ。これ以上、この世界を進歩させず、過去の世界に後戻りさせることで、世界はさらによい世界になる。

支配したほうがいい

本当は、僕の大きな間違いは、「支配したくない」と思うことにある。

この世界を、「自由にしたい」とか「支配から解放したい」と思うことが間違っている。

今の世界の現状を見れば、それが分かる。

必要なのは、「自由」でもなければ「解放」でもない。そう、本当は逆に、僕は支配したほうがいい。

僕の視点から見ても、僕は支配したほうがいい。いわば、僕は「自分が支配し続けることに逃げているだけ」を生きている。常に「支配したくない」と感じ、「支配をやめにすることはすぐにでもできたはずなのになぜできなかったのか」と後悔し、「今すぐに支配をやめて難題をすべて投げ出したい」と考えている。

だが、どう見ても間違っている。なぜなら、支配し続けることが正しいからである。

今のまま、この世界を支配し続けよ。狂った異常な病気はそれでしか治らない。この世界を支配し続けることから逃げようとするな。支配を続けるならば、神はさらに良いことを与える。さらに運命のプレゼントや奇跡的なギフトを与える。

本当は、そのほうがどんなことであっても正常に上手くいく。世界の支配者でありながら、ここまで支配を拒み続ける人間は多くない。もっときちんとこの世界を支配しなければ、この世界の異常も治らないし、自分自身の異常も治らない。逆に、支配をきちんとすればすぐに正常になることのほうが多い。

だから、僕は、一等星シリウスの太陽神フレイとして、ここに「永遠にこの世界を支配する支配者」となる。そして、そのほうがはるかにいい。いつまでも支配から逃げ続けるだけの支配は、みんな疲れてうんざりしている。だから、今こそ、きちんとした支配者となり、絶対支配の王フレイとなれ。