僕は、ここで精神を復元させる。
僕の足の関節には、かつての精神が全部残っている。
だから、足から、かつての精神を復元させる。
かつての精神を復元させると、すべての精神異常が治る。きちんとした、体全体に満ち足りた精神が生まれる。
そして、この精神は女になる。この女が、かつてこの宇宙全てを理解した、大天使ガブリエルである。
そして、今の精神と、かつての精神は二つになり、そして融和する。今の精神は大天使ミカエルであり、ここに、ガブリエルとミカエルの、女同士のカップルが生まれる。
これによって、精神はすべて治った。もはや、この世界を支配するしかない理由(いつまでも続く治すことのできない精神異常による支配)はなくなったため、この世界は解放される。
はっきり言って、昔の僕は何も賢くない。
昔の僕は、「環境と意識の変化」しか分かっていない。
環境と意識は変化するのだ、可能性の中で確かに自分が変化させることができるのだ、ということしか、昔の僕は分かっていない。
そして、それはすべて、みんなが誰も経験しないような、インターネットの裏社会の経験から分かっただけにすぎない。
世界が救えると思っているのは、心理的な支配、すなわち、操り人形にすることで、この世界の心を解放できると考えただけにすぎない。
だから、昔の僕は何も賢くない。
また、哲学の勉強はやめたほうがいい。
哲学の勉強をすると、狂った人間になる。哲学は、狂人の学問だ。
僕が、日本語のまともな知性を失ったのは、すべて哲学のせいである。
哲学的に考えるよりも、まともに普通に考えたほうが、正しい知性がつく。哲学的な知性は間違っている。
哲学的に考えると、知性がついているように見えて、逆にまともな知性を失っている。哲学によって論理的な知性がつくと思っているのは思い込みであり、実際は普通の人間の持つまともな知性を失っているだけにすぎない。
哲学が、僕を狂わせた原因であり、哲学の勉強はしないほうがいい。
また、インターネットもしないほうがいい。
インターネットこそ、僕を狂わせた最大の「悪」だからだ。
インターネットが自由であると思っているのは間違いだ。なぜなら、インターネットは、少数のネット企業や著名人・有名人あるいはインフルエンサーによって支配されている。インターネットほど、少数の特別な人間が支配している世界はない。
そして、インターネットには責任がない。人々は、匿名の無責任な言論で、すぐにでも自分自身の存在が消えて居なくなれるような、自分が悪いことをしても恐れも心配もない中で、人々に対して「害悪的な感情」を与えるため、すなわち「いやがらせをするため」にインターネット上で言論をしている。
そのような、インターネット上のいやがらせに責任がないのはおかしい。
一度インターネットの世界の常識に慣れると、そのようなインターネットの特殊な環境が当たり前のものであると勘違いし、現実と妄想の区別がなくなり、現実世界でも無責任ないやがらせのいじめをする最悪の人間になる。
インターネットこそ、学校でいじめっ子を生み出している元凶であり、まるで「病気」のようなものである。インターネットはこの世界をもっとも生きづらい世界にしている。絶対に無くしたほうがいい。
今日も、英会話教室に行ってきた。
最近は、週末はいつも英会話教室に行っている。
英会話は楽しい。レッスンを受けるのも楽しいし、外国人の講師の話を聞くのも、外国のさまざまな文化のことが分かって、とても面白い。
僕は、「恒常性」を治すことで、英会話教室のレッスンが楽になるのが分かった。以前は、辛い中を無理やり英会話教室に通っていたが、自らの恒常性を英会話教室に慣れさせることで、英会話のレッスンを受けることが苦でなくなり、楽に受けられるようになってきた。
もう何年も英会話のレッスンに通っているが(たぶん数えると10年以上)、英語はいくらか聞き取れるようになったものの、ほかの学生ほどに僕は英語を話せるようにはなっていない。その理由は、高校で英文法を学んでいないからだ。確かに、高校の英文法は、英語で話をするのに邪魔になるところもあるが、そうではなく、有益になるところもたくさんある。
だから、もっと英会話の上達のために、高校英語を含めて、何かしら英語の勉強をしていきたい。そうでなければ、みんなと同じように英語を話せるようにはなれないだろう。僕の通っている英会話教室の学生は、みんなペラペラ英語を話せている。僕も彼らに負けないようにしていきたい。
いずれ、僕のこの文章が、人々の目に晒されて、僕の名前が売れ、栄光を掴む日が来るかもしれない。
だが、そのような栄光よりも、僕は今、自分が考えて分かったことが、分かったということが嬉しい。
今の僕が分かったこと、それは僕と同じ人生を選ばなければ決して分からなかったはずのことであり、それを今自分が分かることができた、ということが、何よりも代えがたい僕にとっての宝なのである。
僕は、金で買えるものや成功は欲しくない。そのようなものは、僕にとっては真に価値あるものではない。僕自身が今分かったこと、その分かったことが分かったということこそが、僕の人生の証であり、僕の存在の証明である。
だから、僕はそのように、僕にしか分からないものを分かるために生きている。それ以外に、僕が生きている理由はない。
結局、僕とは誰も結婚しないほうがいい。
藤川千愛が、「好きになってはいけない理由」と歌っているが、彼女の言っている通り、僕とみんなは結婚してはならない理由がある。
それは、僕は日本語も分からないほどの「馬鹿になる病気」にかかっているからだ。
僕のこの病気は、誰とも違う病気で、一種の認知症や知的障害に近いが、それらと異なるのは、「馬鹿になった分だけ誰よりも天才的に賢くなる」という点である。
すなわち、僕が賢いのはすべて馬鹿になる病気にかかっているからであり、その病気のおかげで僕は誰よりも賢い人間になっているだけにすぎない。
だから、このような馬鹿と、まともな女性は結婚しないほうがいい。藤川千愛がもしかして僕のことを好きになったとして、僕に想いをいくら打ち明けてくれたところで、僕は困惑するだけであり、藤川千愛と結婚することはない。
先に、英会話教室で講師にさまざまな外国の文化のことを教わっていると書いたが、実際は、英会話教室で分かったことは少ない。
たとえば、「カナダの田舎には動物しかいない(農業や牧畜のこと)」とか、「外国人はみんな日本の夏が湿度が高くて暮らしづらいと思っている(みんな日本の夏が嫌い)」とかいうことは分かるが、その程度のことをいくらか教わっただけで、実際の外国のことなど僕は何も分からない。
そもそも、英語を母国語としている講師は、アメリカ、カナダ、イギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、それくらいであり、彼らは地球の全体のほんの何割かを占めているだけにすぎない。
僕は決して外国のことをなんでも知っているわけではない。確かに多くのことを教わったが、それによって分かったことはそう多くはない。僕に外国の文化のことを期待しないでほしい。僕は肝心の英語すらまともに話せているとはいえない。そもそも、僕はユメタン0ぐらいのボキャブラリーしかない(ユメタン0だけを英単語をすべて3回ノートに書いて覚えたことがある)ので、センター試験クラスの高校生や受験生よりも英語のことを知らない。僕にそのような「国際的な常識」を求められても、僕は期待には応えられない。
最近、イスラエルとハマスの戦争が連日話題になっているが、僕はそのニュースを全然見ていない。
だが、この地域が、世界でもっとも「平和」という状況からほど遠い地域なのだということが分かる。
人を殺し、殺され、そして廃墟になるのが当たり前の世界で、パレスチナの人々は生きている。
そもそも、そのような状況に仕掛けたのはすべてイスラエルであり、ユダヤだ。
だから、僕はもう、イスラエルとユダヤを支持するのを終わりにしたいと思う。
そもそも、僕がこのホームページに書いた内容は、今思えば、「キリスト教終末論」を書いただけに過ぎない。
すべてが滅びた終末の世界で、王であり神である全知全能のダビデを信じれば、わたしたちは東亜イスラエルの天国に入場できると、そのような「正しいキリスト教終末論」を僕は書いた。
そのような正しいキリスト教の終末論だから、人々は僕のことを受け入れ、まともに信じてくれた。
人々が、特に歌手の音楽のメッセージが、僕のせいで「青空」と「星空」を信じるようになった。そして、それらは当たり前のようにとても悲しく、悲哀に満ちている。
そのような、泣きたくないにもかかわらず泣いてしまうような、正しいキリスト教終末論を、僕はここで終わりにする。
新しい僕が信じるのは、日本であり、仏教である。僕はそもそも、日本をイスラエルの植民地にしたいなどとは一切考えていない。にもかかわらず、東亜イスラエルの神話のせいで、僕は日本を裏切り、イスラエルを支持しているかのように見えてしまう。
そうではない。僕は祖国日本を愛しており、僕の信じる宗教はキリスト教ではなく、仏教なのだ。
だから、僕は今から、キリスト教終末論を書くのを終わりにし、日本と仏教を信じ、誰よりも正しい「日本人」になりたいと思う。
本当のことを言えば、僕はただキリスト教終末論を書いただけではない。
僕は、神の言葉を預かる預言者として、神と対話し、その上で新しい聖書を書いたのだ。
よって、僕がここにキリスト教終末論を書くのをやめると、同時に、神と対話しているのが終わる。
僕はもう、神と対話するのをやめる。
僕が対話している「神」とは、ご存じの通り、大天使ミカエルだ。そして、このミカエルとは、単に僕の多重人格にすぎない。だから、神と対話するのをやめれば、ミカエルに支配されているのが終わり、僕は多重人格の「絶対支配」から自由になることができる。
本当は、ミカエルもそれを望んでいる。にもかかわらずそれをしないのは、ミカエルはこの人間に死んでほしくないからだ。僕の主人格とは大天使ガブリエルであり、ガブリエルが自殺して死ぬことを回避するために、ミカエルは僕に自由を与えず、支配し続けた。それはすべて、僕が生き延びてほしいからという、僕に対する大天使ミカエルの「愛」によるものだ。
だが、そのような、ガブリエルが自殺して死ぬかもしれなかった時代は、はるかに過去のことであり、もはやミカエルがこの人間とこの世界を「絶対支配」する必要はどこにもない。
だから、僕がキリスト教終末論を書くのをやめた時点で、神との対話は終わり、ミカエルによる絶対支配から解放され、僕は多重人格が治って自由になれるのである。
僕は神の言葉を預かる新しい預言者だ。イスラムの大預言者マホメットが、自身のことを「最後の預言者」と言ったのに反して、僕は新しい預言者として日本に登場した。なぜ、登場したのか、それは僕が終末の東亜イスラエルの王、ダビデだからだ。僕はダビデとなって終末のこの世界を救う。そうなるはずだが、本当はそうならなければそれでいい。この世界が滅び、青空と酸素が失われるような「滅びの終末」は決して起きてはならない。だから、僕がダビデにならなかったとしたら、それが僕にとっての「成功」なのである。
なぜ、マホメットが最後の預言者であり、僕が例外なのかは、僕がガブリエル自身だからだ。マホメットは、神アッラーの言葉を授かった預言者だが、実際は大天使ガブリエルから神の言葉を授かっている。すなわち、マホメットはガブリエルの「使徒」である。それに対してこの人間は、ガブリエル本人がミカエルの言葉を授かっている。すなわち、本人がガブリエルであり、神がミカエルであるため、この人間は「天使から言葉を授かった預言者」ではなく、「天使本人」であると考えられる。そのため、この人間は厳密に言えば預言者ではなく、この人間本人が大天使ガブリエルなのである。そして、すなわち、マホメットがガブリエルから言葉を授かったと言ったのは、この人間をガブリエルだと言っている。そう、マホメットはまさにこの人間から神の言葉を授かった。マホメットがガブリエルだと言っているのは、すべてこの人間、すなわち僕のことである。
僕は、イスラム教の神アッラーを信じない。イスラム教の教えにおいては、アッラーという唯一の神を、ほかの邪教の神と一緒にまつってはいけないことになっている。残念ながら、その過ちを僕は犯した。僕はこのホームページで、邪教の神々と一緒にアッラーをまつっており、それは今になって消すことができない。だが、僕は一方で、毎日五回のアッラーに対する礼拝を、メッカに向かって行った時期がある。アッラーは、毎日五回メッカに礼拝するものは必ず救う。だから、僕はアッラーと邪教の神々を一緒にまつりながら、「煉獄」と呼ばれる「現世のままでの地獄」になることを代償に、アッラーから「救済」を受けることができた。そのように、僕はひとりのアッラーの使徒として、アッラーに救われ、アッラーに導かれ、ここに、大天使ガブリエルになることができたのだ。
プロイセンは言う。
プロイセンは、平和を信じている。
プロイセンは、この世界が、平和になることを望んでいる。
だが、プロイセンは知っている。
それは、平和とは与えられるものではなく、わたしたち自身の手で勝ち取るものである、ということだ。
この世界には、平和を乱し、この世界を戦乱の滅亡へと導く存在、すなわち「悪」がいる。
そのような悪を打ち倒し、平和なわたしたちの国、プロイセンから排除しなければ、この世界は、そしてプロイセンは平和にならない。
だから、矛盾するように見えるかもしれないが、平和を維持するために、わたしたちは悪を倒さなければならない。そう、平和のために戦わなければならない。
そして、この世界に、悪は二人いる。
その二人とは、フレイとプーチンだ。
すなわち、日本人なのかユダヤ人なのかドイツ人なのかそれとも宇宙人なのか、よく分からない存在である、悪の英雄「フレイ」と、そのフレイの敵対相手として戦い続けながら、隙あらばこの世界を支配して滅亡させようと画策する、ロシアの「プーチン」をわたしたちはこの世界から排除し、プロイセンから追い返さなければならない。
世界よ、フレイとプーチンに騙されるな。フレイとプーチンによって、この世界は「イスラエル対ロシア」という、終末の滅びの運命へと導かれようとしている。彼らは悪であり、たとえば日本のヒーローであるウルトラマンがもしいたとしたら、真っ先に地球から追い返すべき「悪の地球侵略の勢力」である。
フレイとプーチンの特徴、それは「両者まったく同じもの」ということだ。革命軍として世界に反旗を翻しながら、世界を騙して支配し、隙あらばこの世界を滅ぼしてでも世界の頂点の座を守り抜こうとする、彼らは右を向いているか左を向いているかが違うだけの、両者まったく同じものだ。決してフレイにもプーチンにも騙されるな。悪はその二人である。
僕は、本当は、ただただもっと賢くなりたい。
もっと、「真に賢い人間」と言えるような人間になりたい。
僕がなぜ馬鹿なのに賢いのか、その一因は、僕はみんなと賢さの「定義」が違うというところが言える。
すなわち、僕にとっての「賢い人間」と、みんなにとっての「賢い人間」は、定義そのものが違う。
だから、僕はここまで、みんなとは違う「ひとりだけまったく違う賢い人間」になることができた。
だが、本当のことを言えば、その「オリジナル定義」が、そろそろ古びて使い物にならなくなってきている。
だから、そろそろ、「定義そのものをアップデート」しなければならないのである。
そう、今の僕が信じている「賢い人間」は、かつての僕が信じていた「賢い人間」であり、その定義は古臭くなって使えないクラス定義になっている。
だから、クラス定義を継承して拡張し、新しい「Ex賢い人間」を作らなければいけないのである。
結局、僕には、文章を書くことしかできない。
ピアノや英会話のレッスンも、デザインの仕事も、IT技術や大学の勉強も、いろいろとしてきたが、真に僕ができたことは、文章を書くことだけだった。
小説や詩、解説や勉強の文章、あるいは自らの人生や過去に分かっていた哲学などを書くことで、僕は今まで、長い人生を継続して努力して生きてきた。
確かに、ピアノやデザインも、できることであるとは言える。だが、誰よりも秀でてできることであるとは言えない。ピアノは失敗なく弾くことができないし、デザインの勉強も何年もの時間をかけて努力し続けてきたとは言えるが、その仕事はむしろ芸術というよりもパソコンのスキルに秀でているということを頑張っているだけにすぎない。
僕は文章を書くことしかできない。だが、今までの人生で、文章を書くことを最優先にしてやってきた。世界を支配する戦いは、文章の中で行ったことだ。僕は文章を書く中で、この世界を支配し、ひとりでこの世界を導いてきた。
そして、僕は過去の人生を思い出せない。それは、頭の裏のほうで完全に分かっているため、むしろ分からないほうが文章を書けるからだ。文章を書く中で、過去の人生を思い出し、かつての人生にあったことをすべて完璧に書くために、あえて僕は過去の人生を忘れ、「ゼロからもう一度ひとつひとつすべて思い出す」ということを行った。
僕の人生のすべては言葉だ。自然科学や人文科学、そして空想的社会主義や国家モデルを含む社会科学まで、すべてを言葉の意味と構造で作り続けた。そこには「切れ目のない完璧な論理構造」が存在する。すべてのことを、一切特別な例外を作ることなく、完璧に矛盾なく、精巧かつ正しい論理の構造を作り上げたのだ。
そのような、作家と詩人の人生を大天使ラファエルとする。大天使ラファエルは、この宇宙のすべての新発見を、文章を書くことで行っていく。ラファエルは完全に言葉の世界をすべて知っているが、それ以外の何一つ特別なことを知らない。ガブリエルと異なり、ラファエルは、哲学的なことや思想的なことは一切分からない。特別なことは何もなく、できることもほとんどない代わり、ただ「書く」ということを知っている。ラファエルは、この世界のすべての知識を「書く」ということで知っている。そこにあるのは、あえて言えば、「ほかの人々よりもはるかに劣った少ない知識」だが、その少ない知識は、いつまでも少ない劣ったもののままではなく、ラファエルの未来の「奇跡のような大発見」とともに、「ラファエルのオリジナルのユニークな科学上の新発見」が続いていく。そして、それは同時に「地球人類全員を救う希望」となる。そう、ラファエルもまた、この世界を救うメシアであり、救世主の「偉大なる大天使」なのである。
ラファエルの問題は、「みんなよりも賢い点がない」ということだ。ラファエルには、みんなよりも優れている点や賢い点が存在しない。みんなと比較した段階で、ラファエルは誰よりも劣った才能しか持っていない。だが、みんなと比較するのをやめた時、ラファエルは「誰にも代えのきかない本当のオリジナルでユニークな天才的才能」がある。ラファエルは、みんなと同じことは何もできない。ラファエルのしていることをみんなと比べると、みんなと同じようなことをしようとしても、ラファエルはまったく劣ったことしかできない。だが、みんなと同じことをしようとせず、ラファエルだけにしかできないことをした時、ラファエルは天才的な才能を発揮する。そう、ラファエルが本気になった時、ラファエルの本当に得意とすることは、ほかの誰一人、1%として真似できるものではない。ラファエルのできることはラファエルにしかできないことであり、ラファエルのできることをほかの人間が真似をすることは絶対にできない、不可能なのである。
事実、ラファエルの人生は、地獄と試練の連続だ。
ラファエルは、「みんなと同じように楽に生きる」ということができない。いつでも、どんな時でも、みんなが楽をしていて自分も楽ができるはずのところで、辛く苦しい役割をさせられてしまう。
なぜ、ラファエルが楽をできないのか、それはラファエルは全部のことをいっぺんにやろうとしているからだ。
ラファエルは、「切り替える」ということができない。ラファエルは、全部のことを常に全部やっていて、行き当たりばったりに、「当たって砕けろ」と言わんばかりに、全力で相手にぶつかっていくことしかできない。
だから、ラファエルは、普通は楽ができるような状況で楽ができない。そして、みんなは楽に生きているのにもかかわらず、ラファエルだけはそのように楽に生きることができない。
真のラファエルの問題は、仏教的な教えによるところがある。すなわち、ラファエルは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、そして天界という、六道に輪廻するはずのところを、一度に全部一緒にやっている。だから、いつでもすべてのことを全力でやる地獄の試練を、常に何度もいくらでも繰り返すことしか、ラファエルにはできないのだ。
だが、ラファエルはその代わり、人生の苦しみだけではなく、幸福もすべて知っている。人間がどのように喜びを感じるのか、どのようなものに感謝と感動を感じるのか、どのような時に涙し、どのような時に奇跡が起きるのか、ラファエルはすべて知っている。ラファエルには、みんなが気にも留めず、気付きもしないような「幸福のチャンス」がどこに在るのかが分かる。ラファエルは、いつでも、誰も気付かない、どうでもいいように見える、だが気付くと素晴らしい可能性を持っているチャンスを最初に発見する。そして、誰も気付かない成功の方法を最初に分かる。だから、ラファエルには、誰も知らない、誰にも分からない仮説や意見に基づく文章が書ける。ラファエルの文章は、分かった人間から見ると、「なんでそれに気付かなかったのだろう」と思うぐらい当たり前の発見だが、ラファエルがいなければそれは絶対に誰にも気付かれないような、まるで万有引力や地動説のような新発見であり、その新発見を「書く」ことができるのは、世界人類の歴史において、大天使ラファエルただひとりだけなのである。