結局、僕が恐れているのは、神の支配から自由になることだ。
神の支配から解放されて、自由になることが怖い。
その理由は、自分ひとりの力で考えないといけなくなるからだ。
今まで、神に頼って分かっていたのが、神から自由になると、自分だけで考える必要がある。
問題も、乗り越えるべき壁も、自分の手で解決しなければならない。
それができないから、僕は神に支配されることを望み、神から自由になることができない。
だから、自分ひとりで人生を生きる覚悟を持てば、僕は楽になる。
そのようなことは言ったが、結局、僕は神を信じ続けるようにする。
なぜなら、神を信じないと、つまらない最悪の未来しか待っていないからだ。
僕は足を怪我したことがあるが、神を信じないと、その足の怪我をした部分が痛みを感じるようになる。
その結果、病院やグループホームのような福祉施設で、介護されて生きるようになる。
神を信じないと、そんなつまらない未来しか待っていない。
だから、今のところ、神を信じたほうがいい。
神を信じると、僕は恋人を得たような経験ができる。それは、神が大天使ミカエルであり、僕であるガブリエルのことを恋人のように愛してくれるからだ。
今はまだ、僕はミカエルに愛されていたい。それが永続して続かなくていい。だから、今のところは、神を信じたままであることを僕は選ぶ。
結局、僕に足りないのは、「抽象的な知性」である。
僕は、パソコンのせいで、頭が機械的な低レベルレイヤーになっている。
もっと、抽象的かつ数学的に考えなければ、この世界のことは何も分からない。
抽象的に考えるコツは、抽象的な言葉と法則で考えることだ。
たとえば、食べ物は全部栄養分だ。そして、家電製品は全部機械だ。服やクッションなどは衣類だ。
そのように、さまざまな種類を包括する、抽象的な言葉で考えること。
同時に、法則的に考える。たとえば、「すべてのものに重さはある」といったことが、共通にすべての抽象的な分類に成り立つ「法則」である。
そのように考えることを前提にして、すべての言葉を、抽象的な枠組みのもとに、まるで小中学生が算数から数学を習うような「積み重ね」から考えれば、この世界のすべてを、抽象的に考えられる。
僕の昔の知性とはまさにそういうことであり、僕はそのような「抽象的な知性」が失われた状態になっているのである。
この世界が馬鹿になったのは、マスコミが悪い。
あるいは、マスコミの裏側にいる、ロシアのプーチンが悪い。
彼らは、被害者ぶって僕のことを批判してくるが、実際は僕よりも、マスコミとその背後にいるプーチンのほうが、はるかに悪い。
彼らは間違っている。僕はマスコミの支配に抵抗し、この世界を正しい世界へと導く。常に献身的に努力する僕のほうが、抵抗勢力であるマスコミやロシアよりも賢い。僕はマスコミとロシアが大嫌いだ。
僕はこの世界を支配し、同時にこの世界に「自由」を宣言する。僕の思想は自由であり、この世界のすべてが自由になることを僕は望んでいる。