僕のもっとも愚かな間違いとは、この世界を変化する世界ではなく、停止した世界だと見なして文章を書いたことだ。
僕は、かつて、この世界を変化する世界だと思うことで、さまざまな哲学的な真理を分かっていた。
だが、それが、文章を書くようになったことで、この世界を変化しない、停止した世界であると見なすようになった。
今の僕は、今でも、この世界を変化しない、停止した世界であるということを前提に文章を書いている。
だから、僕は今から、この世界を変化する世界であるということを前提に考えるようにする。
変化する世界であるとこの世界を見なすために必要なことは、「存在」ではなく「状態」を考えることだ。
この世界に何があるかということ、すなわち「存在」から考えると、今のその存在の状態と、過去のその存在がかつてあった状態の違いが分からなくなってしまう。
常に同じ存在が何も変わらずに存在し続ける、ということを前提に考えることで、すべてがただあるだけ、まとめられただけ、揃っているだけの文章になってしまう。
そうではなく、常にそれがしていること、常にそれがそのようにあり続けること、ということから、その存在の「状態」を見出すようにせよ。
たとえば、地球では今生物たちが生きている。川が流れている。人間たちが働いている。そのように、この世界で「常に起き続けていること」をベースに「今」を考えればいい。
そうすると、歴史が分かる。「今のこの世界が今変わり続けている」ということから、「歴史は常に生み出され続けている」ということが分かる。
そう、それこそが、かつて僕が持っていた哲学的知性である。
哲学者になるためには、「今この世界で起き続けている状態と変化」を考えなければならない。すなわち、状態を考えるだけでは十分ではなく、そこから「変化」を捉えていき、「変化を起こす方法」を、物理的かつ精神的に考えていくことで、誰であってもヘーゲルと同じように哲学的な思弁を行うことができる。
普通の大人が持っている知性を思い出すために必要なのは、小中学校の知性を思い出すことである。
簡単に言えば、小中学校では、一般的な大人として生きるための「一般常識」や「一般的教養」を子供たちに教えている。
そして、高校や大学では、逆に一般教養よりもさらに深く広い知識として、「科学者になるための高等教育」を行っている。
だが、この高等教育が間違っている。
なぜなら、高等教育によって、科学者にはなれるかもしれないが、それによって、一般的な常識や一般教養が分からなくなってしまうからだ。
すなわち、小中学校の内容こそが、歴史的に言えば一般的な大人の常識や教養であり、高校や大学の内容は、科学者は知っておくべきだが、普通の人間は知らなくていい高等教育の内容なのである。
だから、高校や大学で学ばず、小中学校だけを学んでいる人間のほうが、逆に一般的な教養を忘れることなく持ち続けることができ、それによって普通の大人よりも賢い人間になる。
だから、賢くなるために必要なのは、高等教育を学ぶことではなく、小中学校で教わった内容を思い出すことだ。
同時に、過去のことを思い出すならば、過去に普通に分かっていたことを思い出せ。なぜなら、大人になると、そのような「普通に分かっていたこと」を忘れてしまう。普通に分かっていることは、誰でも全員が分かるわけではなく、その時にしか分からない一時的な人生の状態で分かっている。だから、人生で何かが変わると、そのような「普通に分かっていたこと」を忘れてしまう。
普通に分かっていたこととは何か。それは先ほど書いた小中学校の内容である。なぜなら、普通、普通に分かっていた内容が分からなくなるのは、高校や大学の内容を勉強するせいで分からなくなる。だから、小中学校の知識や教養から探していけば、自分の分からなくなったことをひも解いて、たぐり寄せることができる。
ユダヤ人になれ。
なぜなら、ユダヤ人は誰でもなれる一番普通の人種であり、同時に、まともで賢い人種だからだ。
ドイツ人がユダヤ人を差別するのとはまったく正反対の事実として、ユダヤ人は人類の中で一番まともで普通の人種であり、日本人だろうがほかの人種だろうが、誰でもなれる人種である。
ユダヤ人になることで、まともな賢い人間になれる。ユダヤ人になると、知性をつけることができ、元気で健康的に生きられるようになる。
だから、まず人間は最初にユダヤ人になる。子供はみんなユダヤ人だ。ユダヤ人になることで、誰であってもまともな人間になれる。
ここで、この世界はドイツからフランスになる。
なぜなら、変化する世界を前提に考える国が、フランス以外存在しないからだ。
ドイツは、停止した世界を前提に考える国だが、フランスは、変化する世界を前提に考える国だ。
だから、ここでこの世界は、ドイツ人からフランス人に進化する。
ドイツ人は、何も覚えようとしない代わり、一度覚えたことを決して忘れない。それに比べてフランス人は、たくさんのことを覚える代わり、たくさんのことを忘れる。どちらも賢い人種だが、どちらかと言えばフランスが進歩している。
かつて、この世界はフランスだった。それは僕がフランス人だったからだ。だが、僕がドイツ人に退化したことで、この世界もドイツになった。今、僕がドイツ人からフランス人になることで、この世界も再びフランスになる。
この世界がフランスになる方法、それは右翼を打ち倒すことだ。
この世界から、保守的な右翼を革命によって打ち倒すことで、世界はドイツでなくなり、フランスになる。
すなわち、停止していることが前提である世界から、変化し続けることが前提である世界へと変わる。
それによって、この世界は進歩し、同時にすべてが救われる。愚かな地獄に陥っている人間は、その地獄を正しく把握する知性すらなくなっている。それは停止した世界を前提に考えているからだ。変化する世界を前提に考えれば、そのような地獄は一瞬ですぐに解決できる。
そう、この世界がドイツからフランスになることで、右翼が打ち倒されると同時に、地獄が解決し、この世界は永久に救われる。
この世界は、今から、変化を前提とした世界になる。
すべてのことが、「停止した世界」ではなく、「変化する世界」を前提に起こり、考え、生きるようになる。
この世界のすべてが、刻々と変わっていく、時間の秒針であるということに気付け。そして、その秒針は、誰かが絶対的な意志によって支配するのではなく、それぞれの中にある秒針をそれぞれが変えていく、といったように変わっていけ。
この世界が、ドイツのように、たったひとりによって完全に支配される世界は終わった。これから、この世界はフランスのように、それぞれの個人個人が自由に支配し、すべてがダイナミックに変わっていく中で、国民みんなの力でボトムアップに変革するような、そのような「自由な世界」になる。そして、僕はそのような「自由」こそ、真に望んでいるのだ。