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=2023-10-02=

大谷翔平、ア・リーグのホームランキングに

大谷翔平が、ついにやってくれました。

MLBのア・リーグのすべての日程が終わり、大谷翔平が、ア・リーグのホームランキングになりました。

大谷翔平が44発で日本人初の本塁打王「光栄なこと」 右肘手術でラスト25戦欠場も逃げ切るぶっちぎり(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

【MLB】大谷翔平、HR王獲得に喜び「光栄なこと」 日本人初の快挙…同僚やファンに感謝(Full-Count) - Yahoo!ニュース

大谷翔平の今季の成績は、打者としては打率3割に20盗塁、投手としては10勝の二桁勝利、そして約一か月の最後の25試合を欠場した中でのホームラン44本でのホームランキングです。

本当に、お疲れさまでした。今シーズンは、海の向こうからほとんど唯一と言えるほどの日本への良いニュースを、毎日のように「今日もホームランを大谷が打った」という見出しで届けてくれました。

僕が思うに、大谷翔平の長いようで短い現役の野球人生の中で、一度でもホームランキングを取れたか、それとも取れなかったか、ということが違うと、大谷の評価は大きく違ってくると思います。

それも、二刀流の投手としてピッチングをバリバリにしていた頃の記録ということで、ほかの誰よりも素晴らしいホームランキングだと思います。

そして、「日本人初のホームランキングへ」と、ファンやマスコミはとても期待していました。ファンやマスコミの期待を背負って、そして叶えることができたことで、もはや大谷はそうした期待のプレッシャーから解放されたことでしょう。「絶対に成し遂げなければならない仕事の重圧」はもう終わりました。

あとは、手術した箇所を治すことだけに集中して、できるだけ長い間野球人生を楽しんでください。日本人はみんな、大谷翔平の偉業が自分のことのように誇らしいでしょう。本当におめでとう、そしてありがとうございます。

楽しいと感じられるようになった

最近、僕は再び、人生で「楽しい」という感情を感じられるようになってきた。

今まで、子供から大人になって、まったく「楽しい」という感情を感じなかった。

だが、もう、僕は楽しいという感情を再び感じられる。

楽しいと、精神が成長する。子供は「楽しい」という感情を感じて成長する人間が多い。だから、楽しいという感情を感じれば、子供になっているのが治って、大人になることができる。

また、身も心も清らかになる。穢れた精神が清らかな精神に変わる。

そして、すぐに疲れるのが治る。体力がついて、ものごとを正しく理解できるようになり、きちんと大人として生きられるようになる。

だから、「楽しい」という感情が感じられることは、ほかの何にも増して素晴らしい。

僕は自閉症の患者と何も変わらない。「楽しい」という感情が感じられないと、馬鹿でもないのに難しいことが理解できなくなる。僕は楽しいと感じられないせいで、日本語のことが分からなかった。自分でいくら日本語を書いても、他人の話が分からないのは、すべて「楽しい」と感じられないせいである。

だから、「楽しい」と感じるだけで、まともな人間になることができる。僕の病気や障害は、「楽しい」と感じられれば治る。

過去の記憶や人生と無関係に考えよ

必要なのは、過去の記憶や人生と無関係に考えることだ。

自分の病気や障害の原因について、それが過去のどのような自分の過ちから生じたか、ということを考えすぎるせいで、僕は過去の記憶や人生からしか、ものごとを考えられなくなっている。

だが、実際の精神上の問題は、過去の記憶や人生と関係なく生じていることも多い。

僕の足がおかしいのは、すべて辛い部分が生きようとするのがおかしい。そして、僕はすべてのことを殺そうとするあまり、生きている部分がどこにもなくなってしまっている。だから、かろうじて生きている足の部分が、どんなにおかしく狂っていても死なずに生きようとしている。これは精神が「ここだけは絶対に殺しちゃ駄目だよ」とSOSを告げているのである。

だから、殺そうとするのではなく、生かそうとしなければ精神は治らない。そして、単に生かそうとするのではなく、今よりももっと進歩した精神へと「成長」して、その成長した精神を生かそうとしなければならない。

普通の人間の話を聞きたくない

最近、僕は他人の話を全然聞いていないが、それは聞きたくないからだ。実際、父親のような人間がする話はつまらない。その理由は、僕が父親よりも賢くなってしまったからだ。

普通の人間は、何も賢くない人間が多い。だが、真に正しい人間、あるいは過去の日本やヨーロッパの歴史にいたような「昔の普通の人間」は、みんなこういう人生を生きている。このような人生は、神を信じるか、あるいは神ではなくてもまともな宗教を信じれば誰でもこうなる。そして、父親を含む現代の一般大衆は、そこが分かっていない。

どんなに父親が科学者として賢くても、僕は父親の話がつまらない。僕のような馬鹿な元引きこもりであっても、神を信じれば賢い人生を生きられる。父親や、ほかの普通の人間には分からない。そして、僕はそのような普通の人間の話を聞きたくない。そのせいで、僕は文章を書くのをやめることができない。みんなの話を聞くよりも自分の話を自分に対して説明したほうが、僕にとってははるかにいろんなことが分かるのである。