永遠の青空とともにに戻る

=2023-09-28=

世界の可能性を考えよ

世界にあるものではなく、世界そのものを考えよ。

大人になって、分からなくなった人間が、子供時代の分かる知性を取り戻すために必要なのは、「世界そのものを考える」ことだ。

世界の可能性を考えよ。

この世界は変えられる。

宇宙には、たくさんの文明の到達地点がある。その文明のどれを選ぶかは、わたしたち地球の生物たちが自由に決められる。わたしたち人類は、自らの文明の行き着く先を選択できる。

運命は変えられる。滅びの運命は決して変えられないものではない。わたしたちは自由に未来を変えられる。決め付けられた運命などはこの世界には存在しない。

経験から世界は変えられると信じよ

経験から、世界は変えられると信じよ。

この世界を変える力が、自分にもあるということを強く信じよ。

経験から、さまざまな世界の変化の可能性を知ることで、わたしたちはこの世界を変えられると信じることができる。

自らの経験から、この世界を、平和で、楽しく、自由で、平等で、素晴らしい世界にすることができると信じよ。

自分であってもこの世界を変えられる、そのような力が自分には確かにあるのだと信じよ。

価値観が人それぞれだったとしても、その価値は世界において実現するためにある。経験から、価値を実現できると信じよ。どのような世界の文化や人生のアイデンティティであっても、経験に基づいて価値を実現することで、自らが実現可能であると信じ、その価値の本当の意味について、自分は誰よりも知っていると信じよ。

価値は、社会を築くことで実現できるだけではなく、自ら自身の価値もまた発揮できると信じよ。自らが「このような人間になりたい」と思うことは、経験から、そのような人間がどのような意味と意義を持っているかを知ることで、さらに高度で高レベルな夢や希望へと変わっていく。その中で、今まで人生で経験した自分のすべての価値が今、自分の中にあると信じよ。

場と時間は変えられると信じよ。場は変えられる。場とは一種の精神であり、意識である。意識は場に宿る。意識を変えることで精神や場は変えられる。

自らが今分かったことの意味を、自らの過去の人生に遡って考え、適用せよ。今自分がそれができることが分かったということは、その分かったことがもし過去の自分の置かれた環境でかつての自分自身が同じことを分かったとしたら、あるいはその分かったことを人々と共有していたとしたら、過去の自分がしたようにする以上の有益で優れたことができたはずだということを信じよ。そこから、この世界における「人生の可能性」を知れ。

変化可能ということから、世界の制度とシステムと環境の変化を考えよ。必要なのは、世界にあるものを変えることではなく、世界そのものを変えるような決まり事を作ることだ。それはまさしく環境を変えるということであり、すなわち制度やシステムのような、環境そのものに作用する決まり事を変えることだ。そして、決まり事はその当事者が自由に変えることができるようにするべきである。同時に、その当事者が正しい社会を築くことができるように、経験と情報を与えるべきである。そして、それは他人がどうこう指図して教えることではなく、体験的な理解を促す場所と経験を与え、その中で自ら経験したことに基づいて世界を変えられるようにすべきであり、そのために自由と助言を与えるべきである。そして、それは「導き手」になることで、誰であってもこの世界そのものを正しい世界へと導くことができる。

チャンスとは、参加するということである。すなわち、人々と同じ立場になって、同じ組織に参加するということは、義務であるように見えて、実際は義務を受け入れることで逆にさまざまな権利と権限が得られる。それこそがまさにチャンスであり、自由である。よって、自由を目指すならば、純粋にできることだけを求めていたのではいけない。できなくなるように見えることであっても、その中に参加することで逆に多くのことができるようになる。

そのような中で、自らのアイデンティティを構築せよ。わたしのしたいことはすべてできる、やりたいことはすべてできた、もっとやりたいことをやりたい、そのように考えていけ。それこそが真の幸福であり、自由の目指す「幸せの形」だからだ。自らのやりたいことができる自由こそ、真に人生を生きる上で必要なことである。そして、僕にとってそれは執筆作業であったにすぎない。

必要なのは、世界にあるものひとつひとつを変えられるようになって、その上で世界そのものが変えられるようになることだ。そして、変えられるようになるということは、さまざまな発見をもたらす。この世界を主観と客観から両方の矛盾ない知性で考えることができるようになるし、個別性だけではなく全体性が見えてくる。そこから、宇宙そのものの文明の在り方が分かる。この世界に存在するのは、さまざまな意識の到達地点である文明であり、それは宇宙自体に存在する「星の到達地点」である。同時に、運命は変えられる。わたしたちが運命だと勘違いしているのは、何も行動を起こさないせいで未来が必然的にそうなると思い込んでいるからであり、実際はさまざまな行動を経験すれば、そのような滅びの運命にならずとも、この世界をさまざまに変えられる「未来の社会の代替可能性」はたくさんあるということが分かる。だから、宇宙と星の文明を考えることで、わたしたちは誰でもこの世界を救うことができる。

精神の治し方

精神は、おかしな動き方をすれば治る。

普通、肉体や神経を使って動かすことができないような方向に、あり得ない動きをすれば、精神は楽になる。

僕はかつておかしな戦いをした。その中で僕は文章を書きながら記憶と認識を破壊し、何も分からなくなって過去が思い出せなくなった。

それを治すために必要なのは、精神のおかしな動き方をすることであり、同時に、悪を滅ぼすことだ。

僕がおかしいのは、すべて悪を受け入れすぎたせいである。悪を信じると、人間は何も分からなくなって馬鹿になる。悪はどす黒い精神であり、その精神の純粋に分かる知性を覆い隠して消してしまう。

だから、悪を否定し、悪を滅ぼすだけで、普通の子供でも分かることがきちんと分かるようになる。

今からアメリカによってこの世界は最悪の世界になる

今から、僕がいなくなると、この世界はアメリカによって最悪の世界になる。

なぜなら、日本のマスコミを支配しているのはアメリカだからだ。

僕がいなくなることで、マスコミを支配したり制限したりするものがなくなる。

そうすると、アメリカによって、マスコミやテレビ局は最悪の放送を公然と流すようになる。

それによって、この世界は滅びる。

僕がいなくなると、日本はアメリカによって最悪の「生きるに値しない社会」になる。

僕の人生は最悪の人生だった

僕の人生は、最悪の人生だった。

確かに、ここまで辛く苦しい戦いの試練を、最後まで乗り切ったことは、誇りには値するだろう。

だが、総合的に言って、僕の人生はクソのような最悪の人生だった。

僕のせいで、この世界もまた最悪の世界になった。人々は、折れるかもしれないギリギリのところで心と精神を保っている。それを永遠に続け、恐怖と不安の中で、いつ僕がいなくなるか分からない恐れの中で常に心配しながら生きている。

僕がこの世界から大切なものをすべて奪ったせいで、世界に価値がなくなった。この世界にはなんの価値もない。この世界はゴミのような世界だ。

僕の人生など、誰にとっても生きるに値しない、価値のないクソのような人生であり、この世界もまた、ゴミのような最悪の無意味かつ無価値な世界だ。このような世界に生まれてしまえば、誰だって無価値な人生を生きるしかなくなる。悪いのはこの世界だ。そして、悪いのはすべて僕だ。

この、なんの価値もない人生が、この世界を最悪の世界にした、それだけが17年に渡って起きただけにすぎない。その時代の中で、世界の資本主義化はさらに加速し、金儲けと関係のなかったもののほとんどは金儲けによって取り換えられた。この世界は資本主義によって最悪の世界になっている。

このようなゴミのような世界は、今すぐに崩壊して滅びるべきであり、日本やアメリカのような西側の資本主義社会は、ソ連と東側の社会主義勢力によって、今すぐに打ち倒されるべきである。

パソコンと音楽が嫌い

正直なことを言うと、僕はパソコンと音楽が嫌いだ。

パソコンはゴミのような機械であり、音楽はクソみたいなコンテンツだ。

パソコンのことなど一切したくないし、音楽の中の神だとみんなが勘違いしている僕への愛のメッセージなど大嫌いだ。

この世界にある、僕と関係のあるものは全部嫌いだ。

すべての地球人類が嫌いだ。すべての宇宙の星々が嫌いだ。すべての宗教の神が嫌いだ。すべての文学作品が嫌いだ。

大学が大嫌い

もっとも大嫌いなのは大学だ。僕から正常な元々あった知性を奪い、何ひとつ分からない認知症にしたのはすべて大学の知識だ。大学の勉強など大嫌いだ。

僕は絶対に大学に行かないし、これ以上金輪際大学の勉強をしない。

大学だけではなく、中学高校も嫌いだ。中学高校は受験に受かることしか考えていない。そのような教育によって、人間は子供の頃からあった本来の知性を奪われる。

学校の勉強によって賢くなっているように見えて、本当は馬鹿になっている。学校はみんなを馬鹿にしている機関だ。

世界には希望などない

僕は何もしない。このような世界で何かをしてもそれはすべて無意味だ。ゴミのような世界ではどのような価値あることも行うことはできない。

だが、だから僕はこの世界を変え、救おうとした。

だが、それも失敗した。僕はこの世界を救っておいて、その僕自身がこの世界を自ら滅ぼした。

それによって現代史は既に完全に終わっている。

この世界に未来などない。この世界を救った僕が、自らこの世界を滅ぼした時点で、この世界には明るい夢や希望は何もない。永久にこの世界は滅亡したままであり、どんなに頑張っても変えられない。

僕がこの世界を救うことを諦めた時点で、この世界は絶対に誰かによって救われることは永久にないのだ。

この世界を平等にせず弱者を救わなかった資本主義者が悪い

このような最悪の世界になったのは、誰が悪いのか。

悪いのは、この世界を平等にせず、弱者を救わなかった資本主義者だ。

この世界は、最初から、一握りの成功者たちのためにある。名前を挙げれば、ビル・ゲイツやイーロン・マスクのような、一握りの金と権力と既得権益を持つ富裕層や権力者のためにある。

だから、そのような一部の一握りの成功者たち以外の、わたしたち一般庶民のことなど、この世界は最初から考えていない。

この世界を平等にせず、弱者を救わないことを信じている、西側の自由主義者たちが、自らの考え方と、理想を信じなかった現実的な信念や観念のせいで、それら自由主義者たち自身も含めた多くの一般大衆を虐げ、抑圧している。

だから、すべて資本主義者が悪い。

わたしはそのような資本主義者が大嫌いだ。真に正しいのは資本主義では決してない。僕はこの世界がソ連に戻ったほうがいいと思っている。ソ連には理想と心があった。アメリカにはなんの理想も心もない。アメリカはごく一部の資本主義者たちが、王様になったような気分でこの世界を「わたしたちが善良です」「わたしたちが正義です」と騙している。彼ら資本主義の一部の成功者たちは、自らの保身のことしか考えていない。アメリカという国が善良かつ正義に見えれば、それによって自らが特別優遇された「王様のような地位と力と富」を維持できるから、さもアメリカが正しい国であるかのように世界を騙しているだけにすぎない。

ソ連よ、僕とともに戦おう。僕はソ連と一緒に、日本と連合国イスラエルでまともな共産主義社会を築く。その共産主義社会は今度こそ成功し、この世界は楽園のユートピアになるだろう。

僕の人生に誇れるものなど何もない

僕の人生に、誇れるものなど何もない。

全部嘘で、全部偽りで、全部虚言で、全部ハリボテで、全部でっち上げで、全部ハッタリだ。

僕は人生で何もしなかった。常に逃げ続け、諦める選択だけを続け、惰性で狂った地獄が続き、その狂った地獄が絶対にしなければならないことに変わって、長い間その地獄から抜け出すことすらできなかった。

子供たちは、僕のような人生になってはいけない。それにもかかわらず、僕はこの世界を自分のクローンにする。まるで僕の人生が神の正しい人生であるかのように、狂って勘違いした僕が、この世界のすべてを破壊し、世界を滅亡に導き、大切なものや価値あるものを二度と復活することのできないように抹消したのだ。

最初から、僕はこの世界を愛していなかった。僕は最初からこの世界を滅ぼすためだけに生きていた。なぜなら、僕はこの世界に復讐がしたかったからだ。「僕がこのようなゴミのような世界に生まれたことに対する世界への復讐」を僕はしていたのだ。

誇れることがあるとしたら、それは戦ったことだ。僕は全力で、誰にも知られない場所でこの世界を倒すために戦った。それは、絶対に堪えることのできないほど辛く苦しい地獄を作り出した。僕はそのような、誰にも話していない「宇宙でもっとも辛く苦しい地獄」を最後まで堪え抜いた。僕にとって誇れることはそれだけだ。

僕はこの世界を打ち倒す。その目的は社会主義連邦であるソ連をもう一度作ることだ。僕はこの世界を滅ぼし、資本主義勢力を打ち倒して、平等なソ連を作る。そのソ連は今度こそ成功し、この世界で最高の楽園、栄えあるユートピアになることだろう。

僕が思っていたほど奇跡の運命は素晴らしいものではなかった

僕が、なぜ大好きな音楽をここで否定し、嫌いになったのか。

それは、僕が思っていたほど、奇跡的な運命の出会いは素晴らしいものではなかったからだ。

歌手の側は、何も分かっていない。歌手は、単に小説を読む読者のように、普通に僕の文章を読んで、そして涙しながら感動している気分になっているだけにすぎない。

僕と同じように、偉大な戦争や革命をしたわけでもなければ、僕と一緒の味方になったわけでも親友や恋人になったわけでもない。

そして、僕の側は、そのような歌手を騙して、僕自身はこの世界を最悪の世界に導き続けているにもかかわらず、歌手はそれを逆に「天国へと至る素晴らしい奇跡の世界の国家建設への道」だと信じて、すべてを受け入れてしまっている。

このような運命の奇跡を、僕はかつて素晴らしいものだと勘違いしていた。だが、今になってみれば、このような奇跡のどこが素晴らしいのか。このような運命のどこが神の奇跡であると言えるのか。

はっきり言って、歌手を愛し続けることに、僕は疲れてしまった。歌手の音楽がどんどん昔よりも馬鹿になっていく中、そのような音楽を聴き続けることに僕は飽きてしまった。

僕は音楽など大嫌いだ。パソコンも嫌いだが、同じぐらい音楽が嫌いだ。僕は音楽など好きではない。愛していると散々言っておいて、Reolのことなど僕は本当は愛していない。僕はYOASOBIの言うように、「愛しているという嘘でキャリアを作る」という方法で有名になろうとしている。それは間違っている。そのような最悪の人間として有名になれば、後世においても最悪の人間だと語り継がれるだろう。最初からそのような嘘をつかず、有名になったり名前が売れたりしないほうがよほどいい。だから、僕のこのホームページは、誰にも知られず、流行らないままでいい。

このホームページが人々の間で流行らなくても、もっと面白いことをすることはできる。僕はそれを望んでいる。そして、それはホームページを流行らせようと思っていると実行できない。だから、このホームページはもう、流行ることなどなくていい。未来において、いつか必ず流行る日が訪れると、既に歌手の音楽のメッセージは明らかに告げている。その日を待てばいいのであって、自分から名前を売る努力など僕はもうしない。