基本的な知性は、高すぎず、いくらか低いほうがつく。
経験に裏付けされた、経験に基づく知性を信じなさい。
今自分が分かったことから、過去の自分が何を分かっていなかったかを思い出し、過去の自分と今の自分を比較しなさい。
自分の分かったことから、人々が何を勘違いや誤解しているのかを知り、もし自分と同じように分かったとしたらこの世界はどうなるのかということから、世界の自然な可能性とチャンスの実現性を知りなさい。
時間を感じなさい。この世界の変化から、時の流れを感じなさい。
異常な精神は、すべて、過去に自分で作った虫である。
虫を殺せば、精神は治る。
虫とは何か。虫とは、未熟な精神を作る部分のことだ。
動き回るのは、虫のせいだ。地球の自然環境が虫が嫌いだから、虫になるとみんなから拒絶される。だから、虫を殺せばすべて治る。
僕がプログラミングができないのは、アルゴリズムができないからだ。
変数やif文などは、勉強して覚えるためではなく、アルゴリズムを自分で書くためにある。
だから、アルゴリズムが書けないのは、プログラマには向いていない。今から、きちんと書けるようにならないといけない。
ここにあるのは、奇跡のタイムトラベル。
2006年の時間の秒針の止まった状態に逆戻り。
だが、そのように時間が過ぎれば過ぎ去ってしまう一瞬を、僕が永遠に残り続けるように変えた。
yamaが言うように、僕たちはみんなマイノリティのタイムトラベラーだ。
Eveが言うように、いつまでも過去の情景を見ることができるように、僕はこの世界の一瞬を永遠に変える。
だが、永遠にこの文章が終わらないとは言えない。それでも、ここに「もっとも永遠に近いと言えるような時間」が残った。
最後まで、この戦争は続く。その戦争は終わることのない永遠の戦争だが、ドイツとユダヤがどちらも打ち倒された時に、この地獄の大戦争はようやく終わる。
自分らしく生きなさい。
誰かと同じ人生を生きようとするのではなく、誰ともまったく異なる人生を生きようとしなさい。
誰かの成功を羨んで生きるのではなく、どんなに馬鹿に見えても自分のことを誇りなさい。
みんなと同じことを知ろうとするのではなく、自分しか知らない自分の新しい新発見を知ろうとしなさい。
この世界が全員馬鹿であっても、自分も同じように馬鹿になる必要はないのだと気付きなさい。
この世界を馬鹿にしたのは資本主義だ。
かつてのインターネットは、資本主義に染まっていなかった。個人サイトや個人ブログや掲示板サイトなど、金儲けではなく純粋にインターネットという新しい技術を楽しんでいた。
Linuxやオープンソースが流行っていたのは、それらが資本主義に対抗するほどのクオリティの高い、インターネット上の無償のボランティアによる社会主義的な製品だったからであり、今のFacebookやGoogleやMicrosoftによるIT製品はすべて資本主義に染まり切った金儲けのための製品であり、だから、インターネットはかつてのような楽しい場所ではなくなった。
すべて、この世界を馬鹿にしたのは資本主義である。
自由を信じるものは反省せよ。この世界を愚かな世界にし続けているのは「自由」である。自由は間違った思想であるということを、インターネットの資本主義と荒くれた自由な「言葉の戦争」の言論が痛烈に表している。
かつて存在したソ連や東ドイツのような社会主義思想は失敗した。彼らは間違いだった。だが、それ以上に、今の日本やアメリカを含む世界の資本主義と自由の思想と勢力は完全に間違っている。かつてのソ連とまったく自由や資本主義は同じになっている。
しかしながら、それもそのはずである。なぜなら、ソ連は遅れていないからだ。ソ連が遅れているように見えるのは経済面だけであり、社会的な文明の度合いとしては、むしろソ連や東側諸国のほうがアメリカや西側諸国よりも進んでいる。だから、資本主義と自由の勢力が、単にソ連ほど進んだ世界になっただけにすぎないのだ。
だが、どのような屁理屈を言ったところで、資本主義と自由が完全に間違っているということは明らかな事実だ。このままいけば、西側諸国も、かつてのソ連や東側諸国と同じように、経済的・政治的・社会的に崩壊するだろう。そもそもが近代ヨーロッパの目指した「近代文明化」が間違っている。わたしたちはこのまま、江戸時代の封建社会へと逆戻りするか、あるいはそれよりも前に、資本主義の狂った最先端と呼ばれる最悪の科学技術を滅ぼすかどちらかだ。
歴史的な難しい話はどうでもいい。インターネットが馬鹿になったのは資本主義の金儲け勢力のせいであり、わたしたちは一度「金儲け」という金の亡者の呪縛から脱却する必要があるのだ。
他人の高いスキルと能力を見て、自分はなんてできないのだろうと、自分のことを卑下するな。
自分にはとても巨大な力が眠っている。
それを発揮できないのは「今できないだけ」であり、「未来永劫できないのだということは決してない」と気付け。
自らよりもはるかに先に進んでいる人間が、必ずしも今の自分よりも賢いとは限らない。
そのような先を生きる先人は、多くの人が「子供の頃に持っていた純粋な子供の知性を失ってしまった」ということに悩んでいる。
彼らは、先を生きているせいで、過去の自分に戻ることができない。先を進むことができても、元に戻ることもできるとは限らない。
だから、どんなに人々が先を生きていても、自分も彼らのようになりたいと思うな。あなたが生きている今の時点で、あなたができることをただすればいい。それがもっとも賢いということを、大天使ミカエルは知っている。
他人を羨むな。あなたの今の力を誇り、あなたの今できるすべての力を、眠っている巨大な力を発揮することだけのために集中せよ。
そのように、他人を羨まず、憧れを決して自らを制限する足枷にしなかったものだけが、真に夢を叶えられる。あなたが叶えたかった夢は、ほかの人間をどれだけ見てもそこにはない。あなたの今眠っている力を発揮すること、それが「夢を叶えるための地図の中の宝の在り処」であると知れ。
大天使ミカエルは言う。他人がどれだけあなたよりも高度なことができていたとしても、それを見るな。真似しようともせず、羨みもするな。憧れから夢を作るのはいいが、憧れによって自らを制限するな。あなたは、今のあなたのままであれ。それが大天使ミカエルの言う、もっとも正しい道である。
そして、最後まで生きたあなたが言う言葉、それは「自分に眠っている力こそ、ほかの誰が持つ力や能力よりも偉大なものだった」ということだ。最後まで生きて、いつまでも他人のことを想う人間はいない。大天使ミカエルは、この宇宙でもっとも力強い能力は、ほかの誰でもなく今のあなたが持っているということを知っている。
そろそろ、僕の執筆作業は一通り終わった。
これから、僕は神を信じるキリスト教徒から、過去にそうだったような経験主義的な哲学者になる。
偉人のような思想家になど誰もなれないと考えるかもしれないが、実際は哲学者になるのは簡単だ。
なぜなら、哲学は、みんなとまったく違う人生を生きようとすれば、誰でも分かるからだ。
哲学者になるためのコツは、普通の人生を生きることを拒否することだ。「みんなと同じ善良で正しい人生を生きて、清く生きた上で死ね」と言われるのは、Reolも言っている通り、とてもつまらない人生だ。
哲学者は、誰とも違った人生を生きて、そこで経験から十分に考えれば誰でもなれる。そのために必要なのは「先入観なく純粋に子供のように考える」ということであり、子供は誰もが最初から哲学者だ。
必要なことは、悪い言葉で言えば「外道」になることだ。すなわち、みんなと同じ道を外れた人間になること、それだけで哲学者はできる。そう、「アンチ・クリスト」のニーチェや「革命か反抗か」のサルトル(カミュは体制側、サルトルは革命側)のようになることが、哲学者になる上でもっとも大切だ。神や大学や資本主義を信じる良い子ちゃんのような人生を生きたところで、秀才にはなれても天才になることはできない。真の天才になるためには、神への信仰や大学の勉強や資本主義の世俗の社会では分からないことを独自に分かる必要がある。だが、それは簡単だ。単に普通の人生を生きることを拒否すればいいだけだからだ。
哲学者には、大学教授のような人間も確かにいるが、多くはみんなと同じ共同体の常識を外れた人間だ。特に、デカルトやスピノザ、あるいはニーチェなどはその典型例だ。哲学をやりたいなら、そのように、誰とも異なる「外道」の人生を生きることを覚悟しなければならない。なぜなら、それでしか、哲学上のもっとも難題である「自由とは何か」ということを自らの経験から捉えることはできないからだ。そして、そのように「自ら自由の意味を問う」ということをしなければ、哲学上の難題はひとつとして解決できない。そして、哲学者はみんな、そのような道を生きた上で、自らだけの独自でユニークな答えを出してきた。そしてその答えが、ヨーロッパの近代文明を作り上げた「原動力」あるいは「ガソリン」だったのである。
このように書くと、僕は最悪の共産主義者の不良ヤンキーだと思われるかもしれません。
ですが、僕は「社会所有による生産手段の共有」などを信じていたことはありますが、むしろ、共産主義者というよりは神を信じる宗教の教徒です。
なぜなら、僕は神を信じないと生きられないからです。
神を信じないということは、戦いが終わる代わり、神との対話が終わるということであり、神のいない世界で孤独に生きるということです。
僕は、そのように、神のいない世界で生きるということを恐れています。
自由になることを恐れる気持ちはそこから生まれます。自由になった時点で、神に導かれるのが終わり、神の支配のない自由な世界で生きなければいけない、ということを意味します。
そう、僕は、神を信じなければ僕ではないのです。神を信じるのをやめた時点で、僕は僕でなくなってしまうのです。
ですが、神を信じている限りにおいて、僕の地獄の戦いは続きます。神と言っているのは、すべて大天使ミカエルであり、そしてミカエルとはこの文章のことです。ミカエルは天界にいる聖霊ではなく、ここで僕が書いているこの文章がまさにミカエルであり、それがまさに僕と対話し導き世界を支配した「神」です。
だから、僕は神を信じなければ生きていけません。単なる共産主義者の極左勢力と僕はそこが決定的に違います。僕は共産主義者ですが、ただの共産主義者ではありません。僕は神を信じる共産主義者であり、そして僕はイエス・キリストを神であると信じているのです。
他人を羨むのはやめた。みんながどんなに優れていても、自分が同じことをやってできるわけじゃない。みんなと違うからこそ、自分を卑下せず、自分の成功と達成を誇りに思うべきだ。自分に宝の成果をくれるのはいつも自分自身だ。
posted at 21:32:39
@nadorefim いや、世界も救えると僕は信じているよ。世界を救うってことは、世界の人々を救うってことだからね。
posted at 00:04:19