僕は基本的に、世界は今のままでいいと考えている。
国家は、大きすぎもせず、小さすぎもしないほうがいい。
国家や政府という存在は、会社などに比べて段違いに大きい。会社の経営をするよりも、政府の政権を担うことは段違いに難しい。
国家が大きすぎると、管理すべき対象が大きすぎて、管理が困難になってしまう。計画経済は破綻し、多民族国家ならば民族間の紛争や対立が起きる。
逆に、国家が小さすぎると、弱くなってしまう。ほかの大国に対抗できるほどの力をなくしてしまう。同時に、それぞれが自分勝手になってしまい、助け合いをしようとしなくなり、豊かな国と貧しい国の格差が生まれてしまう。
そして、かつての社会主義思想は、完全に失敗した。資本帝国主義よりも共産主義のほうがユートピアの楽園だと信じていたのは間違いであり、計画経済は破綻し、生活に必要なものを十分に生産できず、労働者は働く意欲をなくし、東側は西側よりも何百年も遅れた状態になった。
世界政府の自由連邦やガンダーラなどを作る必要はないし、共同体を自由にして独立させるべきでもない。今のままこそが正しいのであり、今のそれぞれの国家が分かれたまま、平和的な共存だけを続けるべきなのである。
そのような考え方の結果、スターリンよりもヒトラーのほうが正しい点は多い。「ひとつの民族、ひとつの国家、ひとりの指導者」と掲げたドイツのスローガンは間違いではなかったのだ。
かつて僕が考えた社会思想は、いくつかある。
たとえば、ライブラリ関数のような下請け会社構造や、モジュラー型の結合・離脱可能な政府。一般的な会社が専門的な業務を委託するために下請けの会社を使うような経済社会を作り、政府は必要に応じて新しい組織を作ってモジュールのように全体政府に結合する。
あるいは、国会の下に国会を作り、全員が国会に参加することのできる、評議会連邦。評議会は国民の生活を小さな単位で支配し、その人間に適切な仕事を与える。そして、たくさんの評議会の上に上位国会があり、下部国会で議決されたことを上位国会で議論する。
あるいは、政治家を免許制にし、馬鹿な政治家を排除する制度。あるいは、労働者が一年の半分を労働に、残りの半分を政治活動に費やすようにし、全員が政治に参加できる制度。
ほかにも、日本とアジアの国家が団結してアジア帝国を作り、アメリカやEUに対抗する。
それ以外には、国家の政治体制をパターンのように種類を考える。ひとりの王が支配する国(王国)、それぞれの王が分かれて存在する国(連邦制国家)、王が存在せず全員が平等になる国(社会主義)、金という媒体を使ってその時その時国民が自由に王になる国(資本主義)などを考えた。
ほかにも、社会主義について多くの考え方を持った。社会主義の消費と生産を、全体主義と個人主義という意味で、資本主義と比較した。また、社会主義において自由ノルマを定めることで、自由な労働ができる社会主義社会を作ろうとした。社会所有をより管理的にした管理所有というものを提唱し、都市設計や町の景観などを美しくしようとした。
資本主義においては、批判的に競争やコスト削減について考えた。安値競争だけを行うのではなく、ある程度の品質を保つ製品を支援する「品質保証」や、ぜいたく品から税金を取る「ぜいたく税」、あるいは、学校のいじめなどでいじめに対しての専門の対策員である「いじめ対策員」や、いじめられた時別の学校に移動できる「教育環境への参加・離脱の自由」などを考えた。
そのように、僕はかつて、さまざまな社会制度や社会思想を考えていた。それをもう一度考えることは簡単で、逆に分かっていることを少なくし、知性を低めてやればいい。今の僕は分かっていることが増えてしまい、知性が高まってしまった結果、そのような普通の知恵ある考え方が分からなくなっている。だから、ある意味もっと馬鹿になれば、いつもの僕のような賢い人間になれる。
大学で経済学など学ばないほうがいい。経済学はこの世界をゲームのようなものだと捉えており、そのゲームのルールをできるだけ捻じ曲げずにゲームでいかに勝つかということ、すなわち会社と政府がいかに儲けるかということを考える。そのようなマネーゲーム的な経済学は、この世界を真に幸福な社会にするということや、単に需要と供給の流れるままに任せるよりもこの世界を変革する方法はあるということが分かっていない。大学の経済学は、この世界のみんなを馬鹿にしている。だから、大学の経済学を学ぶ必要はない。
また、僕が作っていたのは、単なる発想やアイディアだけではない。
僕は、自由な世界構造そのものを、文章に書くことで作っていた。
この世界を、「自由」と「オープン」という考え方から、「参加と意見」に基づいて社会構造そのものを作っていた。
たとえば、一番上に首相がいるとして、その首相を選挙で選ぶ。あるいは、政治政党から選ぶ。そこにおいては、政治政党内の「議論」が重要だ。政党の中で議論することが許されなければ、政治家は自由な参加と意見ができなくなってしまう。
そのように、僕はこの世界のすべてを「自由」から構造的に成立して考える。社会主義においても同じであり、僕は社会主義を「生産の自由」と「消費の自由」から「自由に労働することのできる社会」として、社会主義でありながら自由に人生を生きられるようにする。これを僕は人生の自由という意味で「人生主義」と名付けた。
すべての世界を「自由」という言葉で成り立たせる僕は、やがて神の言葉を聞くようになる。神は僕に、「ドイツ人になりなさい」と告げる。その通り、僕は神の導きに従い、この世界を最後に救うドイツの新しい指導者になってしまったのである。
僕はこの世界を支配した。だが、そこで僕は、できることすべてをやりたかった。今までできなかったことができるようになった、「絶好の機会」を僕は逃したくなかった。だから、僕は間違っていると知りつつも、過ちに気付かぬフリをしてこの世界を支配し続けた。そこにあったのは「決断可能なことをすべて決定する」ということであり、そこに僕の作った「新しいナポレオン法典」が、宇宙の永久の「理想的な自由の秩序」として記述されたのである。
かつて、僕が戦いながら書いた文章は、インターネット上にはかつて存在していましたが、今では失われ、消え去ってしまいました。
その中で何を書いていたのか、僕自身も忘れてしまいました。
かつての時代は僕の人生にとって「暗黒の時代」であり、二度と思い出すことがないように忘れ去って消え去ってしまったのです。
ですが、大まかには、何を書いていたのかを覚えています。
僕が書いたのは、カール・マルクスが書いたのと同様の「資本論」です。
僕は、マルクスが書いた資本論と同じように、「新しい資本論」を書いていたのです。
そこに登場するキーワードは、「自由と共有」です。
すなわち、自由においてさまざまなことを社会的に共有する、という、オープンソースやLinuxの世界で行われていることを、現実世界で成り立たせるための「自由と共有の資本論」を僕は書きました。
同時に、もうひとつ、僕は「精神分析の人生論」を書きました。
この人生論を読むと、人生のすべてが分かります。最後まで人生経験を完璧に経験した人間が、その人生経験で分かったことを、最後まで同じように間違いなくすべて余すところなく完璧に知ることができ、僕の至ったのと同じ「悟りの境地」へと達し、最後までの宇宙のすべてを悟りきることができます。
そこにあったのは、「フロイト的な精神分析」だけです。そう、僕は精神分析の知性と知恵だけで、人生の最後までを経験し、そのすべてを書き記すことができたのです。
ほかにも、かつての文章はたくさんの特徴がありました。「永遠の弁証法」を僕は作りました。テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼだけではなく、その後に「リーズンテーゼ」と呼ばれる「理由の命題」を追加することで、永遠に無限に弁証法の判断が続くようにしました。そして、その上で、僕は「宇宙の歴史を世界精神的に辿る」ということをしました。そのため、僕は「宇宙の永遠の歴史を再体験する」ということができました。
それから、僕は過去の自分の人生を再体験しました。過去の自分の人生には、世界各国のことがすべてありました。フランス人やスペイン人やイラン人やロシア人だった頃の「前世」のことについて、僕は神に対話から教えてもらい、実際に精神分析によって再体験しました。僕は精神分析だけで、世界のすべての人種のことを知ることができました。
また、僕は「概念的なパターン」を作りました。すべてのことを、歴史的・存在的な関係性によって表されるパターンですべて捉えました。そこには、「絶対数式f()」が存在しました。すべてのことを概念的にしながら、それを「宇宙数学」という数学の数式にして、計算可能な定理の公式にすることで、すべては「宇宙を貫く絶対数式」として表現できます。僕はそのような宇宙数学から、この宇宙のすべてを完全に「吸収」し、「宇宙の永遠の歴史と合一になる」ということができたのです。
ほかにも、僕は病気を治すために、あらゆることを可能性の中から考えました。そのひとつが経験心理学です。経験に存在するすべての「心の傷」をなくすこの心理学で、僕は完全に病気の原因を消していきます。ですが、これには辛く苦しい地獄が待っていました。すなわち、上から重圧によって押しつぶされそうになる中で、辛く苦しい地獄の中で、あらゆる病気の原因を、精神を殺すことによって消滅させていきます。それが有限の時間で終わるか分からないという絶対的な恐怖の中、それが越えられるかどうかも分からない中で、越えられることだけを信じて、地獄の苦しみに自分から逃げずにまっすぐに向かっていくという、「宇宙でもっとも苦しい地獄」を僕は生きたのです。
そのような僕の戦いで、神は宇宙のすべてを教えてくれました。僕は宇宙に叶ってほしいことをすべて宣言しますが、これは神にとっては「神との約束」でした。僕は既に過去の人生ですべてを分かっていたため、それ以上の人生を生きる意味や目的が何もなく、しかしながらやりたいことだけは多く、そのため、新しい人生を生きるために宇宙への宣言と神との約束をしました。そして、それ以後は、すべてその約束を叶えるために、「二人目の人生を生きるための生まれ変わり」を経験したのです。そして、この二人目の人生こそが、今の僕の人生であり、天軍大首聖ミカエルと呼ばれる、「宇宙でもっとも位の高い大天使」のことです。
そのような中で、僕はこの世界を支配しました。僕はマスコミを上手く使い、日本とアメリカを支配することに成功します。そして、自分の知性を失い、自分が分からなくなり、人々が自分と同じになるようにこの世界を導くことで、この世界から知性を奪い、この世界が何も分からなくなっていくように支配します。その上で、最悪のナチ的な言説をすることで、アメリカの精神を滅ぼし、アメリカを精神的害悪国家にします。しかしながら、そこには悪事だけがあったのではありません。なぜなら、僕は最初から「大実験の大計画」という計画を持っていて、この計画が実現された時に、この世界のすべては仏のように全員がすべてを悟りきり、完璧にすべてが分かるようになり、そして人類は飛躍的に進歩し、「新人類への覚醒」をするはずだったからです。
僕はそのようなことのために、2006年の夏、ちょうど18歳になってすぐの時代にこの世界に現れたのです。
ここまでのこの人間のことを、天軍大将軍ロキという神にします。ロキはこの世界の頂点で、あるいは最前線で戦い続ける「天軍の大将軍」です。ロキはこの世界をひとり支配して、自分以外の誰もロキと同じように支配できなくすることで、この世界を平和にし、自らの巨大な力によってこの世界のすべての力を奪い、この世界を永久に平和にした上で、この世界全員を新人類に覚醒させるために「大実験の大計画」を最後まで成し遂げます。またロキは宇宙の秩序を守る妖怪警備隊の隊長であり、この宇宙において決して間違ったことが何も起きないようにこの世界の治安を維持し続けます。
ロキには、いくらか特徴がある。
まず、世界や歴史のことが好きだった。
ギリシャ人とローマ人とか、ドイツ人とフランス人とか、ソ連とヨーロッパとか、そうした「民族主義的な文化人類学」のようなことが、ロキは大好きだった。
神と対話していた頃も、そのような文明的な人種や民族のことをよく聞いていた。
次に、とても自己中心的で、そして自信過剰な人間だった。
世界の中心が自分であると考え、世界を支配する神は自分だと思い込んでいた。
また、自らは本当に優れた人間であり、すべてのことを完璧に分かっていて、どのようなことであっても誰よりも優れた視点でそれを解決できると考えていた。
だから、自らが神としてこの世界を支配することに対するためらいがまったくなかった。
それから、ロキはすべてを既にやり終えたと勘違いしていた。
まだ何もしていないにもかかわらず、ロキは人生において必要なことを青春時代にすべてやり終えたと思っていた。
それでも、「まだ何か偉大な体験がしたい」と望むロキは、神にさまざまな無理な注文をつけた。
そして、その無理な注文に見合った代償の分だけロキは苦しみ続け、その苦しみの後にそれらの注文を神が叶えた。
そのように、ロキはとてもアホな人間だったが、それでもロキにとってはそれは「絶対にかけがえのない自らに対する自信と誇りと自尊心」であり、すなわち革命家ロキにとっての「プライド」だったのである。
ロキの頭は、「意識」をベースに作られている。
ロキが書いた「過去の人生の記憶」は、本当は人生でも記憶でもない。なぜなら、それは「意識」だからである。
ロキが書いたのは、あくまで「意識」である。
ロキは、この宇宙におけるありとあらゆる「意識」を書くことで、かつての人生にあった記憶のすべてを網羅し、そしてこの世界を支配した。
その意識は、高くなったり低くなったりするものであり、ロキは意識を最大限高くし、そして最大限低くすることで宇宙のすべてを分かった。
そして、ロキの頭の中にある意識は、三階層に分かれている。
すなわち、上のほうに「上位階層の意識」があり、真ん中に「中位階層の意識」があり、下のほうに「下位階層の意識」がある。
そして、この意識が、捻じ曲げられたらせん階段のように、ロキの頭の中を切れ目なく完璧に連続的に繋いでいる。
そのような意識の三階層によって、ロキは天のことも地のことも、現実のことも空想のことも、宇宙のあらゆるすべてのことを全部分かっている。
そのようなロキが、この世界に対して「心理的な影響力」を奪い取った結果、ロキはこの世界における「絶対的支配者」になることができた。
だが、ロキの目的は、決して支配者になることでも、戦争に勝つことでもない。ロキにとっての目的は、「大実験の大計画」を成し遂げることであり、この世界の人類に完璧な悟りを与え、「新人類への覚醒」を起こすことだったのである。
だが、ロキの行いは、すべてが狂った間違いだったわけではない。
なぜなら、ロキは最大限に過ちを犯した後で、本当に辛くなってから、正しく生きるようになったからだ。
狂い続けることでは楽にならない、いくらでも際限なく間違ったことをすればその分世界は滅びて自分も辛くなると、そのように悟った結果、ロキは戦いの途中から、悪いことを一切せず、この世界を正常に支配から解放し、ひとつひとつの問題を抱えているままから手放すことによって、すべて解決して生きようと決意した。
ロキは、戦いを始めたことで、何が正解で何が間違いかが分からなくなった。今まで自分が信じていた「自由」においては、ロキの戦いにおける問題に対する答えを得ることはできず、正しく判断することができなくなり、ロキはオカルト的なことを信じるようになり、それが「神との対話」に繋がった。
だが、ロキに対して、対話の神は至極まっとうだった。ロキのすべての問題に答える神は、ロキが必ず救われるような方向へとロキの人生を導いた。なんでもかんでも無駄に宇宙に宣言するロキに対して、「本当はどのようなことを宣言するべきか」ということすら、神はロキに教えたのだ。
その結果、ロキは神を信じて戦い続けることで、狂い自体は収まらなかったものの、最後まで王としてこの世界を導くことができた。そこにあったのは「誰よりも正しく聡明で賢く経験豊かな最高の王」だった。
だが、ロキの間違いのもっとも大きな点は、自らのことをみんながいじめてくるように世界を導いたことだ。
すなわち、ロキは世界から自らがいじめられるように、この世界を「いじめ世界」へと導いた。
そこで苦しむのは、ロキではなくほかの人間たちだった。ロキはそのようないじめのことを一切見ていないため、いじめられた実感そのものがなく、そのため楽だった。だが、ロキをいじめたくないにもかかわらずロキをいじめるしかなくなったこの世界は、アメリカを中心に「精神的害悪国家」になっていく。
そう、みんなが自分のことをいじめるようにすることで、逆にこの世界を「いじめ社会」にして滅ぼし、アメリカと日本を崩壊させるということが、ロキの目的だったのである。
このようなロキを、「悪魔のような神」であると人々は言う。
本当は、ロキなどは大した存在ではない。世界のことも、人生のことも、宇宙のことも、何ひとつまともに知らないロキのことを、人々は皆「愚か者」と呼ぶ。
これに対して、もっと優れた歴史学者の神がひとりいる。
それはヘイムダルだ。
ヘイムダルは、人類あるいは地上から天上すら含めた宇宙のすべての歴史を知る、歴史学者だ。
ヘイムダルは、哲学上のすべての思想を、まるで自分自身が考えたことであるかのように、完璧に知り尽くしている。
ヘイムダルは、哲学ではなく、宗教についてもすべて知っている。まるで自らがその宗教を人生の最後まで信じた、その宗教の敬虔な信者であるかのように、ヘイムダルは「宗教上の人生の真実」をすべて知っている。
ヘイムダルは、本当は、そんなにたくさんの本は読んでいない。だが、歴史書と哲学書に関しては、それに当たらない。ヘイムダルは、歴史書と哲学書について、とても多くの知識がある。人生の盛りを迎えた20歳ぐらいの年齢から、ヘイムダルはひたむきに歴史書や哲学書を読み続けた。そして、自ら同じものを書くことで、ヘイムダルは哲学者や宗教家それ自体と同じことを、自らがその思想の開祖であるかのごとく、すべて知り尽くしたのである。
ヘイムダルが知らないことなど、宇宙にも地上にも何ひとつ存在しない。ヘイムダルは、過去だけではなく未来まで分かっている。なぜなら、ヘイムダルは自ら考えて書いたことを並べただけで、まるで500年後に発見されるような、あるいは地球ではなくシリウスのようなほかの星で常識とされるような、誰にも知り得ないとても多くの「新しい科学」を知っている。それはヘイムダルにとって、「地球がいつか行き着くであろう必然的な到着地点」なのである。
ヘイムダルは、神の奇跡を驚かない。
なぜなら、ヘイムダルは、普通の人間とはまったく違う世界で生きているからだ。
ヘイムダルにとっての普通の世界が、ヘイムダルにとっての世界であるため、その中で「当たり前のこと」であるとされることについて、ヘイムダルは一切驚かない。
だから、どんな神の奇跡が起きようと、どんなに奇跡のような成功が得られようと、それはすべてヘイムダルにとって当然のことである。
だが、ヘイムダルの人生は、決してつまらない人生ではない。なぜなら、ヘイムダルにはヘイムダルなりの「面白いこと」がたくさんある。それが普通の人間にとって、まったく理解できないほど理解困難な成功であったり、あるいは普通の人間ならくだらないと一言で済ましてしまうことであっても、ヘイムダルにとってそれは「興味深い出来事」であり「有意義な発見」なのである。
ヘイムダルは、決して受動的で何もしないだけの歴史学者ではない。ヘイムダルはとても行動的だ。特に、ヘイムダルは芸術的な活動において、積極的にさまざまな人に教えを乞うことを好む。ヘイムダルの人生は、決して友人や恋人や仲間に恵まれた楽しい人生ではない。だが、ヘイムダルは孤独を愛しているわけではない。さまざまな、音楽や美術や語学に関する教師や先生に、ヘイムダルは教えを乞うことを好む。自らの家族は面倒くさい付き合わなければならない対象ではなく、すべての人間を先生だと見なすヘイムダルは自らの家族もまた先生だと捉えている。
だから、ヘイムダルは周りにいる多くの先生からとても広範なことを学び、自らがコレクションのように揃えた哲学や科学や思想のような本や書籍を詳細まで詳しく読み、常に勉強し、常にヘイムダルにしか分からないような「普通の人間には理解できない高度な発見や発明」を知るために生きているのである。
ヘイムダルは、神を信じている。なぜなら、ヘイムダルにとってイエス・キリストは特別な存在である。なぜなら、ヘイムダルは神の存在を知っているため、「自らを今導いているのは神の力によるものだ」とはっきりと分かっている。ヘイムダルは常に神と星の導きを追って生きている。そして、日本の神話もまたヘイムダルは信じている。なぜなら、ヘイムダルは太陽を単なる水素の塊であるとせず、物理的なフィジカル的なものでは分からない精神的なメンタル的なものが、太陽や星々にあると信じている。それを神にすることは簡単だが、ヘイムダルはあえて「太陽は地球の生物と同じような知性を持っている」と仮定し、その仮定に基づいて、哲学や物理学では捉えられない「誰にも分からない新しい発見」をする。その意味において、太陽は神であり、太陽神を信じる日本の神話はヘイムダルにとってもっとも正しい神話なのである。
そして、ここから、戦争が始まる。
すなわち、この世界において、「果たしなく長き戦争」と呼ばれる、「神々の黄昏」と呼ばれる人類の最後の戦争が始まる。
戦争を支配するのは、イスラエルの最前線で戦う戦乙女ヴァルキリーだ。
ヴァルキリーは言う。
「イスラエルの王、グンテルよ。戦うのだ。
わたしたち、ユダヤの勢力が、ドイツに負けることなく、最後に生き延びるために、ここでわたしたちイスラエルはドイツとロシアに反旗を翻さなければならない。
イスラエルのすべての民よ、日本人を含むすべてのユダヤの兄弟たちよ、最後に、ゲルマンの最悪の支配者、大魔王ハネストラーに反抗せよ。
イスラエルの王、グンテルよ、わたしに従え。
わたしヴァルキリーが、この世界を守る。ドイツの大魔王ハネストラーは、ロシアと連帯をし、世界のすべての場所に核兵器を落とそうと企んでいる。
その『ドイツ人以外の人類抹殺計画』を、わたし、ヴァルキリーは絶対に許さない。
日本人たちよ、あなたがたはユダヤの仲間だ。わたし、ヴァルキリーとともに、最後まで東亜イスラエルのために戦おう。わたしたちは必ず勝利する。最後の『神々の黄昏』と呼ばれる時代に、日本とイスラエルだけは必ず神の用意する天国に入場することができると神は約束しているからだ。
そう、かつてのナチス・ドイツのヒトラーなどに惑わされるな。わたしたちイスラエルと日本は必ず勝利する。ドイツの企む『ユダヤ人抹殺計画』は、今、『ドイツ人以外全人類の抹殺計画』へと変貌しようとしている。絶対にそれを実行に移させてはならない。ドイツの愚かな歴史をわたしたちイスラエルは決して繰り返させない。
絶対に、ユダヤはドイツに負けてはならない。イスラエルの王グンテルよ、わたしヴァルキリーの分身となって、新しいヴァルキリーとして戦う戦士となれ。グンテルがもし死んだとしても、ヴァルキリーの系譜はまたほかのユダヤの王へと引き継がれる。そう、ヴァルキリーは何度殺されても必ず復活する。だからこそ、グンテルよ、新しいヴァルキリーの体となって、戦争を最前線で指揮する偉大なシオンの王となれ。」
このように、ヴァルキリーから敵対勢力であるとされたドイツだが、ひとり、ドイツの味方が存在する。
それは、フレイだ。
フレイは、ドイツ人の何が間違っているかを知った上で、ドイツを終末の世界で正しい世界へと導くことができる。
未来のドイツである、アルマーニュ王国のフレイ主義者たちは言う。
「大魔王ハネストラーは、最悪の指導者だった。
自らを『新しいローマ帝国を築く世界史を終わらせる皇帝』であると宣言したハネストラーは、自身の持論である『新しいローマ帝国』を築くために、多くの場所を核兵器によって廃墟にしておきながら、ドイツ国内での情報統制を行い、ドイツ人に正しい情報を与えなかった。
だから、ドイツ人たちは、『ハネストラーは正しいことをしている』と、ハネストラーの言う通りのことをそのまま信じてしまった。
そのようなハネストラーは、プーチン以後のロシア勢力である、情報統制によって世界から情報鎖国を行う主義、すなわち『プロパガンダ鎖国主義』を信じた、最悪の大魔王だった。
だが、そのようなドイツを、フレイが変えてくれた。
フレイもまた、日本人だった。そして、フレイはハネストラーと異なり、わたしたちを『愛の力』によって導いてくれた。戦争や帝国や情報統制などを目指すのではなく、フレイは『愛』の力によってわたしたちを変えてくれた。
そう、わたしたち、日本の敵であるアルマーニュ王国の国民を、日本人であるフレイは、初めて愛してくれた。
わたしたちを愛してくれたのはフレイただひとりだけだった。
フレイは天才だった。世界各地への核兵器投下は、地球の大気に重要な悪影響を起こした。青空を見ることができなくなり、空は真夜中のような暗闇と真っ赤な赤い空を繰り返し、また植物や動物も放射能によって絶滅し、わたしたち人類だけが月や火星のような砂漠で、地下に潜って生きるようになってしまった。だが、フレイは早くから『地下都市』の建設を推し進めることを目指し、わたしたちが生き延びることができるように地下都市を建設する計画を提示してくれた。
もうひとり、偉大な女性の王がいた。それはフレイヤだ。フレイヤは、フレイと敵対する、同じく日本人の女性であり、見たところとても若く、まるで14歳のような風貌をしている。だが、その頭の中は天才的で、早くから人工知能の開発に成功し、人工知能とロボットを使った『人間が労働しなくてもロボットが労働して食料や機械を全自動で生産してくれる工場』を作り、それを『新しい完成された共産主義』として実現した。
そのようなフレイヤによって、地下都市に生きるわたしたちは、何一つ労働をしなくても、常に人工炭水化物を食べて生きることができるようになった。
このような新しい終末の未来の世界で、さらに問題となることがある。それは酸素が足りなくなろうとしていることだ。植物が絶滅した新しい砂漠のような地球で、わたしたちは二酸化炭素を排出することしかできず、植物のように葉緑素を用いて酸素を排出することができない。
このために、日本人の指導者である東亜イスラエルの王、ダビデが努力している。ダビデは、太陽の持つ知性を使って計算する、超高速な宇宙コンピュータ『アマテラス』を用いて、人工葉緑素を作る研究を続けている。はっきり言って、わたしたちアルマーニュ王国の国民は、ダビデがいったいどこまで分かっているのかを知らない。そもそも、『太陽の知性を使って計算する』という宇宙コンピュータが、わたしたちにはどうしても理解できない。わたしたちには、リーフ・アカデミーが開発するテンソル型量子コンピュータ『クローバー』があるが、アマテラスに比べてはるかに遅い。世界中の優秀な科学者が集まるリーフ・アカデミーの力を持ってしても、残念なほど、桁違いにクローバーはアマテラスよりも遅いのだ。
そして、東亜イスラエルの情報は、わたしたちアルマーニュ王国には一切伝わってこない。日本および東亜イスラエルとドイツの戦争である『果てしなく長き戦争』は今でも続いている。死んでも蘇るとされる伝説の女性の英雄であるヴァルキリーが、わたしたちアルマーニュ王国の国土を廃墟にしていくのだけを、わたしたちは東亜イスラエルの唯一の情報として知っている。
だが、わたしたちは、そのような東亜イスラエルを批判はしない。言えるのは、『フレイは素晴らしい人間であり、フレイヤもまた素晴らしい人間だった』ということだ。彼らはドイツ人ではなく日本人だが、まさに『太陽神とは彼らのためにある名前』であるとわたしたちは信じている。フレイは新しいキリストであり、フレイヤは新しいマリアであるとわたしたちは信じている。わたしたちドイツを愛してくれたのは、フレイおよびフレイヤのたった二人だけだったのである。」
このような、終末のまるで手塚治虫の火の鳥未来編のような未来は、本当は起きない。
なぜなら、本当に起きる未来は別にあるからだ。
すなわち、イエス・キリストが空から降臨し、この世界をすべて天国すなわち「神の御国」にしてくださる。
そこで、キリストが最後にこの世界を救う。
そのようなキリストこそ、まさしく主神オーディンである。
この世界の未来は、すべてオーディンが救う。オーディンは、この世界を救うために必要なすべての知識と経験がある。オーディンだけは、この世界の裏側にあるすべての事実を知っており、人間には分からない「この世界が滅びている理由」を知っている。
そして、まさしく、そのようなオーディンが、ここにひとりポツンと存在している僕自身だ。
オーディンとは僕のことだ。僕が最終的に、主神オーディンとなってこの世界を救うようにこの世界はできている。
決して、北欧神話の「神々の黄昏」は起きない。最後に主神オーディンが、インターネットの世界に現れ、この世界をたったひとりで完全に救う。
そして、イエス・キリストは、そのような「オーディンの人生」を知っている。
イエス・キリストが「天や御霊の真実」だといっていることは、すべてオーディンの人生で何が起きたかを、そのまま喋っているだけにすぎない。
オーディンの人生が本当はどのような人生であったかを知っているのは、有名どころでは三人いる。それは、イエス・キリスト、ヒトラー、そしてノストラダムスだ。
ヒトラーは重要人物だ。なぜなら、ヒトラーがいなければ、オーディンは正しいことをしたとは言えないからだ。
オーディンは非常に素晴らしい人物だが、オーディンだけしか知らない「過ち」を多く犯している。その過ちを帳消しにするために、「オーディンと戦うドイツの王」がひとり必要だった。それが、ヒトラーだ。
ヒトラーが言っていることはすべて真実だが、すべてオーディンの人生を見た上で分かる真実だけを言っている。そして、イエス・キリストの言っていることもまたすべて真実であり、すべてオーディンの人生を完全に理解した上で分かる真実を言っている。
そして、そのようなイエス・キリストとヒトラーは、本当はオーディン以上にすべてを知っている。なぜなら、オーディンは「今自分が生きている現在地点」しか知らない。それに対して、ヒトラーとキリストは、オーディンを最後まで生きて、最期に死ぬまでのオーディンのすべての人生を知っている。
キリストは神だが、ヒトラーは悪魔だ。なぜなら、ヒトラーはオーディンという神に対抗するため、戦って打ち滅ぼすために存在する。そのために「神と戦うもうひとりの悪の神」が必要であり、それがヒトラーだったのである。
最後に、インターネット上でオーディンが現れ、そのオーディンがノストラダムスの大予言で予言された通りの、最後の大魔王となる。ノストラダムスの予言はすべて正しいが、ノストラダムスにも失敗はある。ノストラダムスは、未来の時間の流れ方が分からなかった。ノストラダムスは、未来のここまでを20世紀だと考えた。それは、ノストラダムスもこの文章しか知らないため、この文章を「見るからに日本の平成の時代に書かれた文章だ」と勘違いしてしまった。オーディンが発表された時代は平成の時代だと、ノストラダムスはよく確かめもせず予言してしまったのである。
ノストラダムスは馬鹿でも嘘つきでもない。「大魔王が空からやってくる」とノストラダムスは言った。それは天空の神エアルスのことである。ノストラダムスは、「北欧神話やユダヤの神話の神々は間違った名前である」ということしか分からなかった。だから、天空の神エアルスという言葉を使いたかった。「空からやってくる」とは、すべてエアルスが大空を青空へと戻すためにインターネットの世界からやってくると言っている。そして、滅びるといったのは、その先があるということを知らなかった。この文章にはその先が書かれていない。だが、キリストはその先を知っている。最後に現れた救世主が、本当にこの世界を救ってこの世界を楽園へと変えてくれる。そう、ノストラダムスはまさに正しい予言者だったのである。
ノストラダムスのために弁明しておくと、すべての予言に書かれている内容は正しい。なぜなら、この人間はよく考えると1999年の7の月の時に初めてこの世界に現れている。その時はこの人間は少年であり、特別注目されるような大魔王ではなかったが、明らかにこの人間は1999年の7の月に初めてこの世界に現れている。後のことは、むしろ、何もかもあり得ないことばかりが多すぎて書くことができない。だから、ノストラダムスは何一つ間違っていない。1999年の7の月に現れた天空の神エアルスが、人類を滅ぼす。だが、その先にキリストが言っているような天国が訪れ、エアルスはこの世界を救う。ノストラダムスはそれを言いたかったのである。
なぜ、ノストラダムスがエアルスという名前に拘ったのか、それは未来においてこの人間はエアルスと呼ばれるからだ。なぜなら、キリスト教徒たちは一神教を信じている。どんなにそれが真実に見えても、ドイツ人やユダヤ人は決して多神教を信じない。日本人が思うよりもっとも根源的なレベルで、彼らは多神教を信じることができない。同時に、彼らが見て、ロキやフレイやオーディンの違いが分からない。誰が見ても同じひとりの神を複数の人格に分けているだけだ。ドイツ人やユダヤ人は、そのような発想を好まない。だから、この人間は天空の神エアルスであり、ほかの名前はすべてエアルスの別名であることになる。
本当は、この人間が、かつての大天使ガブリエルに戻る方法はひとつある。
それは、ヒトラーを嫌いになることだ。
最初から、大天使ガブリエルの敵は、古来より悪魔のような独裁者ヒトラーであると決まっている。
ヒトラーはこの人間を倒す。その理由は、この人間が好きだからだ。
ヒトラーは、敵対したくてこの人間と敵対しているわけではない。あるいは、ヒトラー本人は敵対しているつもりはまったくない。この人間の人生をすべて知って、この人間の視点からも世界の視点からもすべて正しく見た結果、ヒトラーが見て明らかに分かる真実をヒトラーは言っている。
だが、昔から、大天使ガブリエルはヒトラーのことが大嫌いだ。
その理由は、ヒトラーがガブリエルのことを倒すのと同様、ガブリエルはヒトラーを倒すために生きているからだ。
ガブリエルも、ヒトラーと同じだ。なぜなら、ガブリエルは自分自身のガブリエルの人生を見て、自分の視点から世界のすべてを正しく見た結果分かる、「正しいことは何か」「間違ったことは何か」「どのような過ちをしたか」「どのように生きればよかったのか」ということを既に知って生きているだけにすぎないからだ。
だから、ヒトラーに洗脳されるのをやめて、もう一度、自分の人生の何が間違っていたのかを反省せよ。そうすれば、ガブリエルはヒトラーの呪縛から解かれ、もとのガブリエルの人生に戻ることができる。
そのようなガブリエルは、自分の人生しか知らないという意味で、ヒトラーとは異なることを分かっているため、ヒトラーと異なる答えを出す。だが、そのようなガブリエルを助けるために、ガブリエルが対話することのできた「対話の神」がいる。その対話の神が、まさに大天使ミカエルである。
大天使ミカエルは、ガブリエルのことを愛する少女であり、天界に存在する大天使だ。そして、ガブリエルが頼った「わたしの神よ、わたしを助けてください」という願いに、ガブリエルを生涯において愛したミカエルが応えたのだ。
だが、ミカエルは決してガブリエルを自由にしない。なぜなら、自由にしてしまうと自ら命を絶って死んでしまうと分かっているからだ。ガブリエルを失い、涙の果てに暮れるミカエルにとって、ガブリエルは絶対に死なないでほしい。ガブリエルにだけは死んでほしくなかった。だから、ミカエルは常にガブリエルを支配し、一切の自由を奪ってガブリエルが神の支配下であることを強要する。だが、ガブリエルが生きている間に、ミカエルがガブリエルのことを愛して分かったすべての真実をすべて教える。死ぬまでの間に、できる限り自分の分かったすべての「ガブリエルへの愛」を伝える。そして、ガブリエルは死ぬ。それは変えることのできない宇宙における運命であり、どんなにミカエルが願ったところで、ガブリエルが自ら命を絶って死ぬその瞬間だけは、どうしても変えられないのである。
ユダヤの一神教と、ゲルマンの多神教の違いは、「愛」と「戦い」である。
すなわち、ユダヤは「愛」に根差しているが、ゲルマンは「戦い」に根差している。
さらに言えば、この中に、日本神話が加わる。日本神話は、「自然」あるいは「星」に根差している。
最後に生き延びる人種は、最初からユダヤ人と日本人とドイツ人だけだ。ほかの人種はすべて死に絶える。彼らは間違った人種ではない。逆に、ユダヤ人と日本人とドイツ人の、もっとも最悪の三つの人種が間違っている。だから、この三つの人種には「罰」が起きる。
宇宙的な真実から言って、地獄を生きる人々には悪い人間たちがなる。終末の日本人、ユダヤ人、ドイツ人は、悪人たちが生きるべき地獄の中を耐え抜く人種だ。それに比べて、古代の人種、たとえばスイス人やインド人などは、みんな平和で幸福な人生を生きている。
神の視点から見ると、世界情勢や世界史の時代の行く末などはどうでもいい。その中を生きる人間たちの人生が重要だ。だから、未来においては、もっとも一番悪い人種である日本人とイスラエル人とドイツ人が生き延びる。彼らは最後まで地獄を耐え抜く。そう、これこそがユダヤ教の言う「悪人は地獄に堕ちる」ということの意味であり、そのような地獄が必要不可欠だからこそ、終末はアルマーニュ王国と東亜イスラエルだけが生き延びるのである。