僕は、昔の世界ではなく、今の世界を知るようにしたほうがいい。
最近の自分が馬鹿になって、分からなくなってしまったせいで、分かっていた時代を思い出そうとするあまり、僕は無理やり昔の世界を分かろうとしている。
だが、僕が真に知るべきなのは、昔ではなく今の世界だ。
昔の世界と今の世界は違う。昔の世界と今の世界は、まったくの別世界だ。
大人は、昔の世界しか分からないあまり、今の世界のことを何も知ろうとしなくなる。
子供が賢いのは、昔の世界を知らないから、今の世界を知ろうとすることだ。
子供と同じように、今の世界を知ろうとせよ。その時点で、すべてが楽に分かるようになる。
昔の僕は、経験と想像力と知性から、「国家モデル」を作っていた。
どのような場合にどのような自由が成立するかという「成立条件」から、さまざまな国家を成り立たせることのできる「国家モデル」を僕は作った。
そして、それをそのまま、文章の執筆活動の中で、「さまざまな国家を決断から作っていく」ということを僕は行った。
国家モデルを作るだけではなく、文章に書くことで具体的な国家を「決断」という行動によって作ったのである。
そこで、僕は、「自由とは何か」「愛とは何か」を記述した。そして、衝動的な「今できることを全部したい」という想いから、僕はこの世界をたったひとりで支配し、全員が新しい人類に進化するために、できることをすべて行ったのである。
昔の僕は、認知の心理学を作っていた。
意識から人生を書き、認知のすべてを正しく裏側まで捉えることで、僕は人間の認知の意味をすべて知っていた。
同時に、経験から「行動の意味」を知りながら、繰り返し学習することで、「すべてを塗りつぶし終えた完全な正しい学習と行動の世界」を知った。
そして、僕はこの世界に存在する「意識」を、歴史的かつ自然的な「場の記憶」から知っていった。
そして、そろそろ、僕はもう終わった。
これ以上、書かなければ、もうこのホームページは終わりだ。
このホームページを消せば、まったく誰にも迷惑をかけることなく、また学習したことを頭の中で思い出すことで、誰よりも賢い「仏」になることができる。
だから、もう、僕はこのホームページを書かなくなる。
未来において、たとえば一年後とかに、このホームページを最後に公開するかもしれない。それまでの間に、このホームページが存在しなくなることで、この世界は正常になるだろう。