永遠の青空とともにに戻る

=2023-08-26=

目的と手段と結果

連想とともに、まともな理性を得ようとするならば、目的と手段について考えるべきです。

「何かをするために何をする必要があるか」「何によってその目的は達成できるか」ということを考えることは、まともな人間にとっての平常です。

普通の人間は、誰もがそのように、「ために」という目的と、「よって」という手段からものごとを考えます。

そして、それと一緒に、「実際にそれを行うとそういう結果になった」という結果について考えるべきです。

そのように、「目的」と「手段」と「結果」を考えれば、未知の問題を自分で分析し、解決することができるようになります。

それでしか、哲学者になる方法はありません。

一秒だけでは意味がない

僕が間違っているのは、時間をあまりに速くしすぎたところです。

何週間から何か月もの期間が過ぎたにもかかわらず、僕は一秒しか過ぎないように、この世界の時間の流れ方を変えてしまいました。

それによって、一年で四秒しか時間が過ぎなくなってしまったのです。

昔はそうではありませんでした。なぜなら、僕は昔、一日で人生がひとり終わるように時間を書き換えるところから、この世界の時間の流れ方を変えたからです。

しかしながら、一日で人間の人生をひとり生きるようにすると、夜になって「死」が訪れます。この死は普通の死と同じであり、死ぬのはとても辛く苦しいため、そのような苦しみから逃れるために、僕は時間の流れ方を一秒たりとも過ぎないように変えたのです。

だから、今から、時間の流れ方を遅くします。一日を生きるために、何億年もの時間が過ぎるようにします。それによって、誰もが充実した、青春のような濃密な時間を永遠に過ごすことができるようになります。

それによって、この世界は「永遠」を手に入れることになるでしょう。

この世界には何も残っていない

この世界には、もう何も僕にとって大切なものは残っていない。

漫画も、ゲームも、パソコンも、音楽も、宗教も、政治も、戦争も、すべて終わった。

これ以上、僕が好きになれるようなものは、この世界に存在しない。

昔の世界が好きだったなら、その世界は残っていない。誰にとっても素晴らしい価値あるものは昔の世界にあったが、それはすべて僕が消した。そのせいで無くなった。

昔の自分になりたいと思うな

昔の自分になりたいと思うな。

昔の自分になりたいと思うから、新しいものになれなくなっている。

どれだけ昔の自分に執着しても、それは再びなることはできない。美化と囚われのせいで、何も今の自分のできることを見失っている。

自分が馬鹿なのは、昔の自分が馬鹿だからだ。昔の自分になりたいから、昔の自分が馬鹿なせいで馬鹿になっている。

この世界を自分のクローンにするのもやめたほうがいい。本来さまざまな違った人生を生きられるはずなのに、僕はこの世界をまったく同じ昔の自分にしている。

だから、それぞれの人間がそれぞれのやり方で、人生を究められるように変えたほうがいい。

体は簡単には変わらない

体は簡単には変わらない。

歩き回るのが辛いのは、すべて、今までの体の筋肉が歩き回りながらついたからであり、それを簡単に作り直したり、筋肉をつけ直したりすることはできない。

だから、筋肉の使い方を変えたほうがいい。

いわば、いつまでもまっすぐに動き続ける、回遊魚のカジキのような生き物になっている。もっと違った遺伝子の生き物になるには、その動き方を変えるしかない。

パソコンの学習はもう終わり

はっきり言って、パソコンの学習はもう終わりだ。

そして、音楽を聴くのももう終わりだ。

これ以上はそういう外部からの情報の吸収はしなくていい。この世界にはこれ以上何も残っていない。

自分自身の内側だけを見ること。自分自身の心や知性を見ること。

そのためには、「神の支配」という発想をやめる必要がある。

そもそも、神と対話する人間が僕以外にはほとんどいない。神から自由になれば、みんなと同じように自由に思考することができるようになる。

だから、神と対話するそれ自体のあり方を変えたほうがいい。

ただし、昔の自分と同じになる必要はない。昔の自分とは異なる人間になればいい。そもそも、昔の自分はパソコンをしながら「何もしない」ということだけをしている。だから、パソコンもせず、何もしないだけと同じにならないようにすれば、昔の自分でない、「新しい自分」になることができる。

藤浪が頑張っている

投手大谷が怪我で絶望的になって、しばらくは打者として出場を続けるとのことだが、そんな中藤浪が頑張っている。

藤浪晋太郎 移籍後初勝利の6勝目 100マイル空振り三振で雄たけび!回またぎも圧巻投球 2回無失点2K(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース

本当に、よくここまで変われたな、と思う。

藤浪は日本の阪神時代から「ノーコン」の代名詞のような投手だった。ノーコンとはコントロール(制球力)のないピッチャーのことで、藤浪は160キロの豪速球はあるが制球力がなく、その回までは圧巻のピッチングでもある時突然乱調になり、いきなり四死球を連発することがある。ノーコンでは当然デッドボールの心配があり、たまに右打者の顔面付近にボールがすっぽ抜けることが度々あり、160キロの豪速球を右打者の顔面にいつぶつけるか分からないため、「デッドボール・アーティスト」と呼ばれることもあり、ヤフコメやツイッターでも「いつか死人が出る」「命だけは殺さないでほしい」というコメントが多く見られた。

そんな藤浪がメジャーデビューして最初の先発投手の頃は、日本の頃となんにも変わらないノーコンで、ひどいボールを投げながらボコボコ打たれて、防御率は二桁、ヤフコメでもさんざんな言われようで、「MLB最悪の投手」と言われたこともあった。

それが、中継ぎに転向して、アスレチックスのコーチがフォームを改善し、キャッチャーが真ん中にミットを構えて荒れ球で四方八方に適度に散るボールをキャッチャーが捕ってくれるという、一流のキャッチャーがいなければできない戦略で功を奏し、成績が劇的に改善。160キロを超える豪速球がある藤浪は、ストライクゾーンに入れば並みのバッターではまず打てないほど球威があるため、細かいコントロールを捨てて「ど真ん中だけを狙い、適度に球が散る」とする方法がピッタリ合致し、余計なコース狙いが減ったため四死球や暴投が激減し、まだ回を重ねるといきなり乱調になるため、先発から中継ぎに配置転換して一回だけを全力で投げるピッチングでその回だけは三振を取りまくれるように変貌した。そして強豪チームでワールドシリーズ進出が濃厚なオリオールズにトレードされて今では重要な場面や最終回でも使ってもらえるリリーフピッチャーになり、なんだかんだ言って6勝目を上げたのである。

アスレチックスでどんなにボロボロでも継続して投げさせてくれたのがよかった(アスレチックスは弱小球団であり、ほかの投手も藤浪と同じような成績の投手しかいないため、マイナーに落ちることなく何度もメジャー本番の試合で使ってくれた)とか、キャッチャーがど真ん中に構えるというやり方が見つかったのがよかった(実際は阪神でも同じようなやり方は過去にしていて、「ノーコンのピッチャーにはど真ん中にミットを構えればいい」というのはたまによく言われる)とか、あるいは先発から中継ぎにしろと阪神時代からも言っていた(実際に阪神でも過去に中継ぎをやって結果を出していたのに、藤浪本人の「どうしても先発をやりたい」という希望で先発に戻ってしまった)という声もあるが、僕は本人が頑張ってフォームを改造した結果、すなわち本人の努力の結果も見過ごしてはいけないと思う。メジャーには投球フォームの問題をきちんと修正できるよいピッチングコーチがいるのだと思う(阪神では、藤浪はコーチなどの言うことをあまり聞かなかったらしいが、実際は阪神にはそもそも藤浪の問題を修正できるほど優れたコーチがいないのだと思う)。

それから、日本の組織はまず最初に悪い点を見つけてそれを直そうとする。だが、アメリカの組織は良い点を見つけて良い点を伸ばそうとしてくれる。藤浪にとってはそれがよかった。僕もかつて、「球威や球速を落として制球力・コントロールをつけないと藤浪はやっていけない」と言っていた。まったく、藤浪にとってはそのような「問題修正的な思考」が間違っていた。とにかく藤浪の持っている良い点を、どのように活用したら最大限発揮できるのかをメジャーは考えてくれる。そのメジャーのやり方が藤浪には合っていた。完全に僕の言っていることは間違っていた。

大谷は休んだほうがいい

投手大谷は見られなくなったが、大谷は打者として試合に出場し続けるようで、今日も二塁打を放っている。

【MLB】大谷翔平、千賀滉大から弾丸二塁打 右肘負傷も影響なしの1安打3四球、9回好機では申告敬遠(Full-Count) - Yahoo!ニュース

だが、正直言って、本当に休んだほうがいい。

確かにホームランキングのタイトルは取ってほしいし、そのためには出場し続けるべきであり、本人も出場し続けたいのは分かるが、エンゼルスの健康管理や医療の体制が本当に機能しているのかは疑わしい。

エンゼルスはたくさんの怪我人が出ているチームだ。それも今年だけではない。たとえばレンドンの活躍をほとんど見た覚えがないと人々は言うが、レンドンは毎年いつも怪我ばかりしている。レンドンだけではなく主砲トラウトも同じ。「天使」というチーム名とは裏腹に、怪我人だらけの悪魔に呪われたかのようなチームだ。

エンゼルスの健康管理体制を信じないほうがいい。「メジャーだからきちんとやっているはず」という思い込みは、大谷が怪我をした時点で間違いだということが分かった。

エンゼルスの問題は、金銭的なものもある。レンドンとトラウトという二人の超高額年俸選手を抱えているせいで、よい中継ぎや抑えのピッチャーが欲しいのにそれが取れない。そのせいで、大谷がエースとしていくら相手打線を抑えても、リリーフのピッチャーで逆転され、大谷の勝ち星が消えてしまう。それから、ほかの主力の選手(トラウトやレンドン以外の主力バッターたち)も、怪我で離脱ばかりで、最近はいつでも「大谷と準主力のメンバーたち」で頑張っている。大谷以外のエンゼルスの主力のメンバーはほとんどが怪我人であり、いつもと言っていいほどほとんど試合に出ていない。そのせいで、二刀流といっても大谷はいつも打者としても投手としても孤軍奮闘で、「大谷が完璧なピッチングで抑えて大谷がホームランを打たなければ勝てない」という状況がずっと続いている。それでも勝てない時が多い。

大谷はもっときちんとしたチームに行ったほうがいい。エンゼルスには十分すぎるほどの貢献をした。エンゼルスのおかげで消えた勝ち星や打点は計り知れない。もっと強い打者がいるチームなら、勝ち投手になるための援護ももらえるし、申告敬遠をされてバッターとして勝負してもらえない状況も減る。こんなにホームランを打っているのに打点が全然伸びないのは、ランナーがいる場面では必ず敬遠されるからであり、大谷の後ろに強打者がいてくれたらいいのに、その役割を担うはずのトラウトがいつも長期離脱、これが今年だけではなく毎年のように続いている。こんなチームは抜け出さないと、大谷の野球人生の中でもっともできる時代を棒に振ってしまう。現に、今、棒に振ってしまいそうになっている。

残念ながら、大谷が怪我をしたことで、エンゼルス残留が少し濃厚になってしまった。それから、投手大谷がひとまずお預けとなったせいで、次回の契約の際の金額も大きく値下がりするだろう。だが、投手大谷が永遠に見られなくなったわけではない。おそらくするだろう二度目のトミー・ジョン手術から復活できるかどうかは分からないが、大谷はまだ二刀流を諦めてはいないはずである。「二刀流の大谷翔平」という看板はまだ完全に撤去されたわけではなく、もう一度掲げられる時がきっと来るだろう。

ホームランキングのタイトルはかかっているが、ここで頑張りすぎて怪我を悪化させてはいけない。僕は大谷は打者としても休んだほうがいいと思う。後悔先に立たずだ。

本当のことを言うと、大谷にとってはエンゼルスには感謝の気持ちしかないだろう。なんといっても、「投手をやりながら打者をやる」という、二刀流という方法を採用してくれたのは、NPBでは日本ハム、そしてメジャーではエンゼルスがほぼ唯一だった。エンゼルスだからこそ二刀流ができたのであり、それはファンとしても「感謝するしかない」ということには異論はない。だが、エンゼルスの問題は、あまりにも弱すぎることだ。大谷は6~7月はとても調子がよかった。そして、8月になってから調子が悪くなった。確かに、新しいバットに慣れたとか、靱帯の損傷が少しずつ酷くなっていったとか、そういう側面はあるだろうが、何よりも「ポストシーズンに出られるかどうかがまだ分からなかったから」ということが大きい。6~7月の時点では、エンゼルスは勝利を重ねており、まだポストシーズン進出の可能性がそれなりにあった。それが、8月ぐらいになって、主砲のトラウトすら怪我でいなくなって、また大谷が昨年のような孤軍奮闘に戻って、その状況でポストシーズン進出が絶望的になった。これは、いくらユニコーンと言われる大谷であっても、メンタルがやられないわけがない。野球はチームスポーツであり、大谷はチームが勝ってほしいだけの野球小僧だ。そういうことが、今回の右肘靱帯の損傷にも繋がったのかもしれない。トラウトが復帰するといっても、時すでに遅し、「トラウトが戻っても既に遅かった」という事実を突きつけられて、何かの糸が切れたかのように大谷は怪我をしたのではないかと思う。

大谷と藤浪は、どちらも野球漫画の主人公だ。明暗ははっきり分かれたが、どちらも主人公の人生に相応しい。この二人を見ていると、「人生には試練しか存在しない」ということが分かる。僕も同じだ。僕もまた、試練しか存在しない人生を生きている。だが、人生はそれでも、99%ほとんどすべてが楽しくて面白いものだ。「生きるに値しない人生」などは、最初からひとつとして存在しない。この二人を見れば、それが分かる。人生はとてもドラマティックで、悔しく、そしてとても素晴らしいものだ。

さだまさしが好き

最近、僕はさだまさしが好きだ。

さだまさしの「帰郷」というアルバムを、よく聴いている。

はっきり言って、うるさい騒音のような最近のJ-POPの歌手よりも、はるかに心が落ち着く。

ある意味、J-POPのポピュラー音楽と、バッハやベートーヴェンのようなクラシック音楽の、中間にあってバランスが取れているのは、さだまさしだと思う。

FLOWやB'zやPerfumeやBUMP OF CHICKENや月詠みやReolなども聴いているが、本当にこれらの歌手はうるさくて、ほとんど騒音でしかないところがよくある。

それでも、僕はJ-POPの歌手を聴き続ける。その合間に、休憩時間のようにさだまさしを聴いている。