永遠の青空とともにに戻る

=2023-08-05=

何もすることがない

今日は、英会話教室のレッスンの予約が取れなかったため、午後3時まで寝ていた。

はっきり言って、疲れた。

もう、僕は何もすることがない。これ以上、何かを新しくしようと思えない。

僕はもう30代だ。もう、やりたいことがあっても疲れるし、全力で限界まで努力してやりたいと思えない。

もう人生においてやることはないのではないかと思っている。せっかく精神が楽になったのに、やることが何もないせいで、逆につまらない。

欲望や欲求がない

僕の問題があるとしたら、それは欲望や欲求がない、ということだ。

欲しいものも、得たいものもないし、憧れもなければ夢や希望もない。

新しいことに挑戦したいとは思っているが、それが現実的にできるほど僕はまともな知性を持ち合わせていない。

普通の人間にできることを僕はできないし、普通の人間が欲しいものを僕は欲しくない。

結局、この世界は僕のための世界ではなかったのだ。

だが、ひとつ言えるのは、僕の人生は素晴らしい人生だったということ。すなわち、僕の人生だけは、僕にとって「真に僕のためにあった」と言える。

だから、神を信じたこと自体は間違いではないし、僕の人生のすべては幸福だったが、この世界には何も思わない。この世界は僕にとって、必要のない世界だった。

資本主義でいい

はっきり言って、資本主義でいい。

日本はいつまでも資本主義のまま、自由な社会であってほしい。

僕は社会主義の平等な社会なんかで生きたいと思えない。

僕は資本主義の自由な社会で生きたいと望んでいる。

ただし、資本主義を過剰に推し進めた結果、拝金主義的になり、弱者や貧乏人やマイノリティのことを何も考えない社会になるのはやめてほしい。

ある程度の社会保障は必要だと思う。年金や生活保護を廃止し、ベーシックインカムに変えようとする、竹中平蔵のような人間は僕は信じない。

構造的な文章を書いていた

昔は、構造的な文章を書いて、構造的な知性から分かっていた。

「個別と集合」「決定の支配関係」「環境への依存」から、この世界のすべてを構造化し、構造的にすべてを分かっていた。

そこで、僕は自らの記憶と認識を破壊した。「世界観を潰す」ということを行うことで、僕は自らの分かっていたことすべてを塗りつぶし、完全に抹消した。

そして、僕は「大実験の大計画」により、この世界を「新人類」へと進化させるために、すべての知識と記憶を詰め込んだ上で、この世界を完全に心理的・精神的に変えようとした。

しかしながら、僕は臆病であり、「まだ詰め込むことのできる知識はある」と考えたため、いつまでも世界を変えることはできなかった。

僕がその頃言っていたのは、「人生のすべて」「文明のすべて」「善悪のすべて」だった。まるで「臆病者が唱える無責任な優しさ」とAAAが言うように、僕は綺麗事だけを言い続けた。

だが、綺麗事のその裏で、僕はこの世界すべてを支配する「革命戦争」をしていたのである。

そこにあったのは「自由」だった。すなわち、「人間が際限なく究極的に自由になる方法」を僕はすべての側面から書いていただけにすぎない。

いじめられた経験のせいで、いつも一緒にいた親友を忘れている

僕は、中学時代いじめられた経験のせいで、いつも一緒にいてくれた親友を忘れている。

僕は、中学時代、いじめられてはいたものの、友達がまったくいないわけではなかった。

それどころか、一緒に学校に通学する友達が数人、剣道部の友達も数人、それから、いつも僕と一緒にいてくれた親友がひとりいた。

僕は、中学時代の「つまらない日常」を忘れたいあまり、彼ら友人の存在を忘れている。

そして、僕は、この世界が、そのように「友達に捧げる世界」であるのが分かっていない。

僕がツイッターやSNSについていけないのは、普通の人間はそういう友達を作って付き合うだけの人間しかいないからだ。

そもそも、この世界を支配しようとするのがおかしい。学校は学校のままでいい。子供は学校で成長すればいい。

この世界を破壊するために支配するのではなく、学校を学校に戻してやり、学校の環境で子供が成長するようにすれば、この世界はすぐにまともな「成長がきちんとできる世界」になる。

だから、世界はもう治った。

そもそも、僕はそのような成長を独自でひとりでした結果、自分ひとりみんなとは異なる成長をした人間だが、その根底にあるのは「子供たちを救いたい」ということであり、子供たちを救いたくて人生を生きた結果、2006年の夏に世界を救うことができたのである。

そういう僕にとって、真に大切な存在は、中学時代のいつも一緒にいてくれた親友である、ということを僕は忘れすぎていた。

そして、中学時代の短い二年間の記憶は、すべて、その親友と一緒にいた記憶だと思えば、思い出すことができる。

本当に、いつもその親友が一緒にいてくれた。学校の生活はつまらなかったが、剣道部の練習は頑張っていたし、勉強は誰よりもできていたし、ネットゲームを通じてネットにも友達がいた。

僕はその中学時代の二年間が、本当はもっとも面白い時代だった。

そもそも、引きこもり時代の4年間を、成長だと思っているのは僕だけだ。誰もが、引きこもり時代の僕は「成長」ではなく「退化」しているようにしか見えない。あるいは「堕落」しているように見える。

だから、引きこもり時代を忘れて、親友の記憶とともに中学時代を思い出せばいい。そのほうが、はるかにきちんと知性がつく。心も穏やかになり、自分の自由意志で考えられるようになる。

僕と同じように、2ちゃんねるなんかしないほうがいい。子供は学校の環境で友達を作って成長すればいい。それだけで、この世界は救われるだろう。

友達がいなくて寂しかったからこそ、真に世界を救う方法だけを考えられた

だが、僕が友達がいなくて寂しかったのは、むしろよかったのである。

なぜなら、友達がいなくて寂しかったからこそ、僕は真に世界を救う方法だけを考えられたからだ。

誰とも付き合わず、学校にも行かなかった僕は、インターネットだけを見て過ごし、その中で、たったひとり心に信じた、「世界を救う」ということだけを信じ続けることができた。

そこにあるのは、「子供たちの心を救う」ということであり、そのために反省的に、過去の経験を思い出しながら、ネットの経験を積み重ね、ありとあらゆる社会経験を独自に子供なりにひとりだけで知り続け、その社会経験から「悟り」を得ることができた。

僕は、そこまでの人生経験で、さまざまな習い事(英会話・ピアノ・書道)や部活動(剣道部)や趣味(ミニ四駆・ゲーム・小説)などを習得していたため、人生において必要な大切なことが全部分かっていた。

そのため、たったひとりであっても、この世界を救うために、「自らの理性を正しく扱う」ということができていたのである。

そのような僕は、まるで古代ギリシャの哲学者であるソクラテスとプラトンとアリストテレスを全員併せ持ったかのような人間になった。

すなわち、僕は「経験に基づく可能性の拡大」ということから、この世界のすべてを、自らの理性と心の中に作り出すことで、その理性と心によってのみ、自分の経験からのみによってすべて分かった。

僕は宇宙のすべてが分かった。そして、この世界のすべてをひとりで救えるようになったのである。

すべては、友達がいなくて寂しかった、ということが根底にある。その悲しさにめげることなく、諦めずに最後まで、僕はこの世界の子供たちを救うためだけのために、誰とも異なる独自の青春を生きたのである。

別の世界、別の星ではすべてが変えられると信じた

僕が信じたのは、「世界のすべてが変えられる」ということだ。

僕の考えたのは「別の世界」だ。すなわち、別の世界や別の星では、すべてが変えられると信じた。そこにあるのは「自然環境に宿る場の意識」だった。

宇宙における「意識」が、地球生物における「自然環境」と「場」に宿ると僕は考えた。

僕にとって、「経験」とは、「世界を変えられる可能性がそこにあるということを知ること」だった。

僕は考えた。すべての僕が分かったことが、すべて成り立つような世界を考えた時、「この世界にはいくらでも別の可能性がある」ということが分かった。それこそが、自然環境に基づく「社会」であり、「文明」だった。そして、その文明はすなわち「星」であり、「別の星ではまったく別の歴史がある」ということを知った。

そして、僕は「法則性を解明」することができた。それはすなわち「心」であり、「人々の心を間接的にコントロールすることでこの世界は心理的に変えられる」ということだった。「心理学的な支配から世界を支配し、社会秩序を築くことが自由においても可能である」ということを僕は信じた。

そして、僕は「人々を信頼することの大切さ」を信じていた。すなわち、「自由においても正しく考えればもっともその中で正しい世界秩序をわたしたちは築くことができる」と知っていた。それは「経験することで経験した中からベストなものを選ぶことができる」ということを僕は信じていたからである。

そのように、僕は「自由」を信じていた。そこにあるのは「たくさんの可能性を選べる」ということだった。そしてそれは「経験」であり、「自由な経験を許すこと、制限なく自由な可能性を許すことが、ベストな結果に繋がる」と、僕は確信していた。その理想に基づいて、僕はすべての「人生を生きる上での心構え」を作り、これこそが「子供たちを救う正しい信念」であると僕は疑うことなく信じていたのである。

子供たちを救えると確信できるだけの経験をしていた

なぜ、僕が子供たちを救おうとしたのか。

それは、たったひとり、僕だけが、子供たちを救えると確信できるだけの経験をしていたからだ。

まず、インターネットの中で、僕はみんなから本当の意味で受け入れられるような経験をし、そこから、今度は僕のほうが、誰かのことを受け入れられると信じた。

同時に、僕は過去の学校環境を思い出すと同時に、学校環境から自由になった。

その二つの経験を踏まえて、社会経験を積んでいくことで、僕は「今までの学校環境が本当は何を意味していたのか」ということが分かった。

そう、学校環境がとても特殊であるということが、学校から外れた僕は分かった。同時に、この世界の人々がなぜそのような行為をしていたのかということが、「いじめられていた僕が何を勘違いしていたのか」ということから、「みんなも僕と同じであり、みんな自分の置かれた環境の中で視野が狭くなっていた」という風に分かった。

同時に、僕はインターネットで十分に経験することで、「確固たる自らの本質」を構築することができた。この確固たる本質があれば、誰の言葉にも動じることがない、といった経験ができた。サルトルの言う「実存は本質に先立つ」という言葉が正しいなら、僕は「子供たちが知るべき本質を構築することができた」のである。

そして、僕は子供たちのいじめという関係性は、「豊かな経験を知らないせいで起きる」と確信していた。すなわち、経験から子供たちは「どのようにすれば正しい社会秩序を構築できるのか」という「社会を構築する方法」が分かる。子供たちは、特殊な環境で、視野が狭く、確固たる本質を知らず、社会を構築する正しい方法を知らないから、いじめをしてしまう。だが、そのようないじめっ子は、学校環境においては、特殊な状況に置かれているだけで普通のことであり、僕自身とみんなは何も変わらない。そのようなことが、僕は中学校から自由になって、ネットを経験することで分かった。

そして、僕は自らの目標だったオープンソースやLinuxの勉強をした。その中で、僕はできることすべてをやりながら、しかしながら大きな失敗をした。だが、その経験が僕にとって「アイデンティティを構築する」という意味を教えてくれた。すなわち、オープンソース活動をすることで、僕は大人と同じ豊かな成長を経験した。その成長は「自由において何をするか」ということが本質となっており、「自由な行動の真の意味とは自らのアイデンティティを発揮すること」であり、「自らを自らたらしめるアイデンティティを何か発揮するこそが生きる意味である」と僕は知った。

アイデンティティとは、「なる」ということであり、「なれる」ということである。引きこもり時代に、僕は森羅万象のすべてを考えた。その結果、僕はどんなものにもなれるかのような「すべてを実現する自由」と「どんなものにもなれる精神」を得ることができた。その結果、僕はどんなことでも、実際に行わなくても、頭の中、精神の中、心の中、知性の中で、なんでも仮想的に実現できるようになった。それは自分自身の人格すら例外ではなかった。

同時に、僕はすべてのことを自由に超越することを望んだ。すなわち、環境や立場に束縛されたくなかった。なぜなら、大人たちが子供たちを救うことができないのは、大人たちは環境や立場に束縛されてしまうせいで、本当に自分のやりたいことを何もできないからだ。引きこもりだった僕は、そのような環境や立場に束縛されず、「真に正しい立場から、妥協せずに理想の世界を築くことで、子供たちを救いたい」と考えた。だから、僕は環境や立場のすべてを超越し、「完全に自由になること」だけを目指したのである。

そのように、僕は子供たちを救えると確信できるだけの経験をしていた。必要なのは「経験すること」であり、「思考に先立つ経験をして、そこから体験的に知性を作り上げること」だと、僕は完全に分かっていた。僕にとっては、そのように、「体験的に世界のすべての知性と可能性を実体化すること」こそが、「人生のマスター」となるための条件だったのである。

それらを成り立たせてくれたのは、「変化を支配すること」である。僕はインターネットを使って、あらゆるすべての変化を支配していた。そこにあったのは「発想の根源」と「成立するための手段の実現」であり、すべての発想がどこから来るのか、その発想を実現するためにはどのような手段を成立させなければならないのか、ということを僕は完璧に考えた。すべての社会秩序を構築できるようになり、すべての環境の根源を解明し、宇宙のすべてがひとりだけの経験から完全に説明できるように僕はなったのである。