永遠の青空とともにに戻る

=2023-07-29=

共産主義は間違っている

ロシア人に告ぐ。

共産主義の理想は間違っている。

社会主義経済は、実現不可能だ。

ロシアとウクライナは、今すぐに戦争をやめるべきだ。

ドイツと同じように、ロシアもかつてのソ連の革命独裁政権を反省するべきだ。

そうでなければ、ロシアはドイツと同じ一流国家であるとは言えない。

日本は破綻する

日本の政治家の政策は間違っている。

マイナンバーカードの失策と、さらにより進む円安により、日本社会は本当に破綻する。

そして、それを黙って見ていない国がある。

それはロシアだ。

ロシアは、そのような日本を強奪することを狙って、ウクライナだけではなく、日本にもやってくる。

だが、簡単に制圧される日本ではない。なぜなら、日本はイスラエルと連合を組むからだ。

国際的に味方のいない日本は、イスラエルとともに共同国家「東亜イスラエル」を建国することで、イスラエルと連帯を組む。

そして、ロシアは日本に世界で三発目の核兵器を落とす。

だが、そのようなロシアに対して、イスラエルと日本は全力で抵抗するだろう。

聖ラファエル平等院

そのような東亜イスラエルで、「聖ラファエル平等院」と呼ばれる教会寺院が開かれる。

聖ラファエル平等院の目的は、「神と同じ人生を生きること」だ。

神は、決して楽な人生を生きていない。その人生には、辛いこと、哀しいこと、悩みや苦しみなど、たくさんの「人生を生きる上で大切なこと」が詰まっている。

そのような神と同じ人生を生きることこそ、聖ラファエル平等院の目的である。

聖ラファエル平等院の「ラファエル」とは、みんなが神と同じ使徒、すなわち天使ラファエルとなることを意味している。

すなわち、神と同じ人生を生きるすべての使徒は天使であり、聖ラファエルの集団であり、みんなで万軍の天使の軍勢となることを、聖ラファエル平等院は目指しているのである。

学校の青春は必要ない

人生を生きる上で、学校の青春は必要ない。

なぜなら、学校の青春を生きると、子供のままになってしまうからだ。

神の人生の優れた点は、そのような「普通の学校の青春」ではなく、「独自の自分だけの青春」を生きていることだ。

神の人生のように、普通の青春ではなく、独自の青春を生きなければ、真に賢い「神の人生」を生きることはできない。

そして、かつての引きこもり時代の僕は、インターネットとUNIXという、そのような誰とも違う独自の人生を生きたのが賢かった。

そのような人生を生きるためには、聖ラファエル平等院の信徒にならなければならないのだ。

世界を変えるのと自分を治すのを別々にせよ

僕の精神は、世界を変えることなく、自分の中の世界の部分だけを治せば治る。

そもそも、僕の精神がいつまでも疲れる原因とは、世界を変えようとしても変えられないからだ。

その理由は、世界のみんなが、僕によるそのような支配に抵抗しているからだ。

世界のみんなが、僕によって世界が変わることを拒否し、僕に抵抗し続けているから、僕はいつまでも、精神の世界を変える部分が治らない。

必要なのは、「世界を変える部分」と「自分の精神の治したい部分」を、別々のものだと考えることだ。

そう、世界を変えることなく、世界の部分だけを治せば、精神はすぐに治る。

英会話教室の時間のままでいい

今日は英会話教室のレッスンに通ってきた。

僕は、英会話教室で過ごす時間が、楽しくて好きである。

できることなら、日々の生活でも、永久に英会話教室の時間のままでいたい。

最近の僕は、常に神と対話しているが、この神との対話の時間はとても辛い。「何もしないことができなくなる」ような時間の過ごし方をしている。

デザインの作業所の時間も、ピアノ教室の時間も楽しいが、できることなら、いつまでも英会話教室の時間のままでいたい。

子供を否定せよ

子供を否定せよ。

間違っているのは全部子供だ。

必要なのは、「子供的な考え方をやめて、大人になった考え方をすること」だ。

それだけで、精神の異常が治る。精神は、単に「子供すぎるだけ」になっている。

また、それにより、現実世界、特にインターネットの世界も治る。

ツイッターやSNSのようなインターネットの仮想世界は、最近みんな完全に子供化している。

バーチャルな世界であっても、子供的に考えるのはすべて間違っている。

だから、インターネットは子供から脱却し、大人になるべきである。

プーチンが可哀想だから反省している

このような反ロシアに見える僕だが、今僕は反省している。

プーチンは、本当に、可哀想だと思う。

ソ連が崩壊して、ロシアになって、新しい社会を任される大統領になったから、本人は、ここで絶対にロシアを滅ぼしてはいけない、なんとしても資本主義の一流国に改革しなければならないとそう信じていたはずだ。

それなのに、ソ連が崩壊したところを「チャンス」だと思った西側の指導者や政治家たちは、みんなここでソ連を完全に打倒し、西側大勝利のためにロシアやウクライナを含む旧東側諸国を打ち滅ぼそうとしてくる。国際会議などでは、まるで「ソ連のすべてが間違っていたことが証明された」と言いたげな、ソ連のことを何も分かっていない政治家と会議をしなければならない。

そう、「資本主義に転換しても絶対にロシアの社会秩序を崩壊させたくないプーチン」と、「今こそソ連と悪の共産圏を打倒してロシア社会を滅ぼそうとするNATO」が、いつも戦っていて、プーチンはそうしたNATOからロシアを守り続けた。

資本主義になってもひとりの指導者の権限が強いロシアで、経済そのものを資本主義へと転換させながら、一流の資本主義国家を築き上げたいプーチン、あまりに辛く苦しい「耐え難いほどの努力」と「血のにじむような苦労」をしたはずである。

そう、そのようなプーチンは、そもそもロシアを資本主義にしたいなどと思っていない。ソ連の政府に忠誠を誓うKGB出身のプーチンは、資本主義などやりたくないのにもかかわらず誰よりも資本主義について考えて政策をひとりで決めていたはずだ。

そう、NATOや西側のことなんか、まったく何ひとつ聞かずに、ひとりで世界の平等と平和のために、NATOや西側と戦い続けるという姿勢が、自ら作った「強いロシア」の旗印だったのである。

プーチンももう高齢だ。死ぬ前に、資本主義に傾倒するだけではなく、祖国であるロシアとソ連のために、何かひとつでも大きなことをしたかったのだろう。ウクライナが嫌いなのは、ウクライナという国家は西側に妥協するような姿勢を取っていたからだろう。自らは新しい社会秩序になっても西側と距離を置いてロシアを守り続けたのに、分裂したウクライナは資本主義の犬のようになってEUやNATOにへいこらしている。これはプーチンからしてみれば「絶対にしてはいけない祖国ソ連への裏切り行為」のように映ったのだろう。

プーチンは可哀想だ。みんなから「ロシアの大統領プーチンは狂っている」とか「スターリンと変わらない独裁者の殺人鬼」であると言われても、プーチンは絶対にそんな批判には耳を貸さない。最後まで自らの姿勢を維持し続け、たったひとりになったとしても最後までロシアのために戦い続ける覚悟だろう。

そういうわけで、プーチンを批判した僕は、僕自身の発言を反省している。プーチンはよく頑張っているということ、それだけは確かな事実だ。

ロシア人にとってプーチンは自分の会社の社長

このようなプーチンが横暴な政治や戦争をして、なぜロシア人は黙っていないのか、反旗を翻さないのかと、日本人はよく疑問に思う。

だが、プーチンは単に政治家として外国と戦っているだけではなく、自国の経済を計画経済(あるいはそれを資本主義に転換した経済)で成り立たせている、「内政や経済の責任者」である。

プーチンが単なる横暴な権力を振りかざす王様のような存在なら、その王様を倒してもそんなに悲しくないだろう。

だが、プーチンは単なる政治家ではなく、計画経済を担当しており、言ってしまえば「ロシア人にとって自分の会社の社長」のようなものなのである。

ロシア人にとってプーチンは、国家すべてを管理しながら従業員に給料を与えてくれる「経営者」なのである。

誰だって、自分の会社の社長は好きだ。自分がしてはいけないことであっても、社長だったらしていい。単なる平凡な部署の平社員が、会社を崩壊させるようなことをするなら悪いだろうが、経営者がきちんとした判断をして会社を滅ぼすならそれは悪くない。むしろ、社長が自分のプランとビジョンを持って行う経営策を、会社の社員はみんなで応援するだろう。

そう、ロシア人はみんなプーチンが好きだ。それはプーチンは「ロシアという会社の社長」だからなのである。

「プーチンにとって、ロシアが資本主義の一流国家ではなく三流国家なのはプーチンの失敗ではないか」と言う人も日本にはいるが、未来においてもそうであるとは限らない。プーチンやロシア人たちは未来を見据えている。未来において必ずロシアが、アメリカとかつて比類した「超大国」の地位を再び築き上げるということを、ロシア人はまだ諦めていない。

資本主義者たちが「共産主義は失敗した」といっても、ロシア人はまだ失敗したと思っていないし、「社会主義は実現不可能だ」と言っても、まだ不可能だと諦めていない。

「必ずソ連が勝利する」と信じていた時代に、「決して資本帝国主義者に負けるな」「決して社会主義のユートピア実現を諦めるな」「決して祖国を裏切るな」とロシア人は教わってきた。ロシア人にとってそれは「洗脳」ではなく「未来の栄光を目指す夢と希望のユートピア」だった。

だから、プーチンの失政と冷酷な犠牲をいくら批判されたところで、ロシア人にとってそれは「外部の愚かな資本主義者が言うどうでもいい戯言」にしか映らないのである。