大谷が、またやってくれました。一日に二試合のダブルヘッダーで、一試合目で完投・完封勝利、二試合目で固め打ちの二打席連続の37号・38号ホームランです。
【MLB】大谷翔平、異次元の2打席連発 初完封→37号2ラン→38号ソロ、敵地どよめき(Full-Count) - Yahoo!ニュース
いやあ、すごいですね。一試合目は大谷にとってメジャー初の完封勝利で、打たせたヒットはわずか1安打。ホームランキング争いは独走中(2位と10本差)。この調子で、大きな怪我せずに試合に出場し続ければホームランキングはほぼ確実ではないでしょうか。
はっきり言って、エンゼルスのチームメイトも凄すぎてわけが分からないと思います。もうリトルリーグです。「そっちのチーム、翔ちゃんがいるから絶対に勝てるじゃん」ぐらいのことをメジャーでやっているレベルだと思います。
また、腰を気にして途中交代したのは、軽症の痙攣だったようです。
大谷翔平は次戦もDHで出場へ 途中交代も軽症、ネビン監督が明言「明日も出ると思う。ただの痙攣だった」米記者速報(THE ANSWER) - Yahoo!ニュース
トラウトも予想以上に早く戻ってくるようですし、大谷を歩かせないためにモニアックも頑張っています。トレードの話もなくなってチーム内の士気も高くなっているそう。頑張れ、大谷さん!
おそらく、イーロン・マスクは、テスラやスペースXの経営で忙しいのだと思います。
テスラやスペースXで頭がいっぱいだから、ツイッターは本当は優先順位から言ってどうでもいいのでしょう。
自分の作りたい「X」というアプリを作ること以外は、ツイッターに関しては適当に遊びでやっているのです。
イーロン・マスクは、ツイッターを本当に良くする気などありません。全部適当で、失敗してもそれでいいと思ってやっているのです。
僕は、これ以上、世界をできるだけ変えずに、自分だけを変えたいと思います。
世界に関与せず、自分だけを治せば、精神はすぐに治ります。
心が機械になっているのは、2ちゃんねるのせいです。2ちゃんねるを消すだけで、機械の奴隷のように言葉を発現する、おかしな精神異常が治ります。
いつもよりも忙しかったひと月の仕事が、今日でようやく片付きました。
なんとかなってほっとしています。
今の時期、僕の農園ではスイカが採れます。自分の家でも食べますが、作業所にも持っていって、みんなに食べてもらいました。
スイカは普通に買うと高いです。僕は最近農園で採れたトマトやキュウリを使ったサラダやスイカなど、野菜ばかり食べています。それが夏バテせずに猛暑を乗り切る秘訣です。
結局、悪いのは学校ではなく、子供である。
母親が狂っているのは、僕が学校が嫌いだからだ。
学校の教師だった母親は、僕が学校が嫌いだから、おかしくなっているだけにすぎない。
悪いのは学校ではなく、子供である。
そもそも、子供は悪いことばかりする。中学生ぐらいの子供が、その中でも一番悪い。
だから、結局、子供、すなわち中学生が悪いだけにすぎない。
僕が中学校でいじめられたのも、学校が悪いのではなく、クラスメイトの中学生の子供が悪かったのである。
だから、学校は悪くない。
僕のそのような勘違いのせいで、母親がおかしくなっている。だから、僕はもう、学校を恨んだりするのをやめたい。
悪い子供はきちんと管理し、悪いことをした時は懲らしめてやるべきだ。学校のやっていることは間違っていない。
学校ではなく、子供が悪いことにすると、大人になる。
学校が悪い人間は、子供や女に多い。
女は、子供が好きなせいで、子供を愛するあまり、学校が嫌いになる。
学校を嫌うのではなく、子供が悪いことにすると、僕が中学生のようになっているのが治って、大人の男になる。
母親は、そのように、僕に大人の男になってほしいだけにすぎない。
そもそも、学校が嫌いな人間は女にしかいない。だから、そこがおかしいせいで、僕はゲイになっている。
そこがおかしいと、男が男でなくなって女になる。そのままゲイになる男が多い。
だから、簡単に言えば、子供が悪いことにすればいい。それだけで、普通に大人の男として生きられるようになる。母親はそれだけで治る。
そもそも、母親の狂いの原因は、すべて僕が過去に子供だったせいである。子供だった僕が人生の重要な決断を間違えたから、母親はおかしくなったのである。
最近の僕は、まるでノーベル賞を受賞するかのような、おかしな新発見を繰り返している。
だが、僕の賢い点は、決してノーベル賞なんかじゃない。
僕は30代でありながら、今でも18歳のままであり、僕の賢い点は「2006年夏に世界を救ったこと」だと思っている。
そう、僕はあくまで、この世界を「本来の人間の生きる意味」を教えることで、2006年夏に救った人間であり、それ以上はオマケとしてついてきただけなのである。
僕のすべては2006年の夏にある。それ以前のすべては2006年の夏に世界を救うためにあった。そしてそれ以後のすべては2006年の夏に世界を救ったためにあった。
2006年の夏までに僕が経験して考えたことこそ、僕にとっての「思想」である。そして、2006年の夏よりも後に僕が行った「戦い」こそ、僕にとっての「仕事」である。
そう、僕はこの世界を救う人間であり、救った人間である。僕はそれ以上でもそれ以下でもない。あるいは、それ以上のことはすべて、付属品としてついてきた副産物にすぎない。ノーベル賞だろうが、「不朽の名作」だろうが、そんなものはオマケにすぎないのだ。
そして、僕のその「思想」と「戦争」は、愛に満ちている。すべては「この世界に対する衝動的な愛」で成り立っている。僕は日本を愛している。僕はこの世界で絶対に誰よりも日本人のことを愛した人間である。