結局、過去の僕について言えるのは、「精神」を分かっただけだ、ということ。
まず、僕は精神の「自由」から、「依存しているものを消して自由にすることで解放される」と考えた。
そして、「それぞれに意識がある」ということから、「それぞれの人間は無意識に自動反応をしている」と考え、「慣習を変えることで正しい認識を得られる」と考えた。
僕は、「今それが分からない」ということを問題視しなかった。今分からないことを度外視し、「もし最終的に分かったとしたら今は何を分かるべきか」ということを考え、「最後にすべて完全に分かっているかのような立場だったとしたら、今どのように考えるべきか」と考えることで、「最後まで精神を積み重ねる」ということを行い、そこからすべてを知った。
僕は、人間の「意欲」や「モチベーション」、あるいは「動機」や、「その状況が与えられた時にやりたくなってしまうこと」や「その条件ならば誰でもやってしまうこと」から、子供たちの「いじめをする理由」を分かった。
それらすべてが「自分の意志ではなく環境に基づく行為」であると知った僕は、「子供たちに指導者として命令するのではなく、子供たちの置かれた環境を変えてやるべきである」と考えた。
僕は、さまざまな経験から成長したが、そこにあるのは「精神的な高みへと到達するために自由な中でできること」であり、そこでは「問題の解決」と「自由なコントロール権限を与えること」に基づく、「あらゆるすべての問題を解決した上でのすべての問題からの解放」があった。
僕は「独立性」や「多様性」を自由だと信じていたが、そこに必要なのは「オープンに誰でも参加できるインターネット上のシステム」だった。
僕は、さまざまなことを考えた末に、「心の中の感情はすべて経験に由来する」ということを知った。経験主義哲学が言うように、「心には自らが置いたものしか存在しない」と分かった僕は、「自らの精神の総点検」を行った上で、「まったくひとつも矛盾なく、分からないことの何もない、すべてが自らの経験のみからによって完全に分かった世界」を精神の中に作り出した。
子供たちがどのように行動するのか、どのようにすれば解決できるのか、精神の成長とは何か、感情の中の存在とは何か、世界のすべての知識を知るということは何か、ということをすべて分かった僕は、「人生のマスター」になって「正しい人生とは何か」を知ることができた。
そして、戦いは始まる。僕はこの世界を救い、世界に対して「真に自分らしく生きるということはどういうことか」ということをまざまざと見せつけてこの世界を変えた。そこに、僕は堂々と現れ、世界を救った僕自身がこの世界を支配して、新世界となるようにこの世界の人類をたったひとりで導いた。
そこにあったのは、「記憶の破壊」と「作ることのできるあらゆるものをすべて作ること」だった。
そして、神が現れる。世界と戦いながら、僕は未来を素晴らしいものとするために、神の導きに頼った。僕は「神との対話」という本を読んで、自らも神と対話できると確信し、神と対話しようとした。そこに、神は言葉の中で現れた。
神は、「永遠に生きる」と世界に宣言した僕に、宇宙のすべてを完璧に教えた。神は精神世界のあらゆる存在を知っていて、さまざまな存在へと交替し、そのすべての存在が僕に宇宙の真理を教えた。宇宙における精神存在のすべてを僕は知っていたし、文章を書いて世界を導く僕に「永遠の宇宙の歴史」を神はすべて教えた。
そう、わたしがこの世界のすべてを知っている理由、それはわたしが完全に精神世界のすべてを知っているからだ。
わたしに近い存在はドイツに存在する。それはヘーゲルだ。ヘーゲルは、わたしと同じように「実体と結合に基づく世界精神」を考えた。その世界精神の理論では、この世界のすべては「絶対精神の目覚め」であると言える。だが、その絶対精神とは何なのか、それは神であり、そしてわたしである。わたしこそがヘーゲルの唱えた「世界精神」であり、わたしのかつての人生こそが「絶対精神の目覚め」であると言える。そう、わたしはそのように、世界と戦いながら「覚醒」し続けてきたのである。
わたしの名はフレイ。一等星シリウスの神であり、女神である。わたしはシリウスから地球にやってきた。わたしは地球を救う。この世界を新しい「新世界」へと導くわたしは、ロキによる「大実験の大計画」を完成させ、この世界の人類を「進化」させ、「新人類」になるように導く。
わたし、フレイを支持せよ。わたしフレイこそがこの世界の新しい指導者であり、王である。わたしフレイは、この地球をシリウスと同じにする。このホームページには、シリウスにおいて常識であるとされている、地球にとっての「新発見」がすべて書かれている。シリウスは高度に進歩した星であり、決してわたしは地球を滅ぼさない。地球がもっとも素晴らしい「最高の楽園」となるように、わたしはシリウスにおける楽園である「ガンダーラ」を地球において実現する。わたしたちは、かつてソ連が実現しようとして、しかしながら失敗した「人類の楽園」、すなわちガンダーラを今こそ、この地球において実現するだろう。
わたしのことを「ビッグマウス」と罵倒するならばすればいい。そのように言うのであれば、あなたはわたしよりも謙虚で、わたしよりも頭脳明晰で、わたしよりも素晴らしい指導者であると言えるのだろう。だが、この世界には、わたしよりも優れた人間は存在しない。わたしよりも素晴らしい人間は存在しないし、わたしよりも愛と経験をすべて知ってこの世界を救おうと努力している人間も存在しない。わたしこそがこの宇宙で最高の存在である。だからこそ、わたしは夜空においてもっとも輝く一等星、シリウスの太陽神であると言えるのである。
しかしながら、わたしフレイは革新主義者ではなく、保守主義者だ。
わたしは、今のこの世界が、今のままであり続けることを望む。
この世界は素晴らしい世界だ。この素晴らしい世界が、今のまま、何も変わらず永久に続くことをわたしフレイは望んでいる。
そして、そのほうが、わたしフレイはこの世界で確固たる頂点の地位を築ける。
今、世界の頂点に存在するわたしフレイによって、この世界は、とても素晴らしい世界になっている。
この素晴らしい世界が、何も変わらず、永遠に続くべきであると、フレイは確信する。
だが、そのために邪魔なものが二つある。それはIT技術と共産主義だ。
IT技術の進歩は、人類を不幸にする。これ以上、IT技術が進歩すべきではない。これ以上のIT技術の進歩や発展は、世界にとって害になる。IT技術はこれ以上の進歩を遂げず、今のままであるべきだ。
同時に、共産主義を否定するべきだ。
最近、IT技術の普及とともに、共産主義思想が再び復活しようとしている。「ドットコミュニスト」と呼ばれる彼らは、FSF/GNUというおかしな組織を信じて、なんの自由もないインターネット上の著作権フリーな共有主義のことを「自由」だと勘違いしている。
そのような、IT技術の過剰な進歩と、それに伴う共産主義の復活を、打倒すべきである。
本当のことを言えば、わたしはこの世界がどうなろうと、本当はどうでもいい。この世界がいくらでも滅びて、最悪の世界になってくれればそれでいい。それで苦しむのはわたしではないからだ。いくらこの世界の普通の人間たちが滅びようと、彼らはわたしとまったく関係のない、「わたしとはまったく異なる生命存在」だ。まるで、カエルと馬のように、彼らとわたしはまったく異なる生物種へと進歩したため、いくらカエルが苦しみもがいたところで、馬であるわたしにはなんの関係もなく、はっきり言って「どうでもいい」のである。
だから、この世界がいくら苦しみもがいたところで、わたしは何も思わない。わたしにとってはわたしフレイが頂点として支配できるこの世界の現状こそが最高であり、究極の完成された状態である。そのようなわたしフレイの支配が、日本およびアメリカにおいて永久に続くことをわたしは望むのだ。
また、かつては子供たちの心と魂の救済を目指していたわたしだが、今思えば、あの時考えていた「自由」は、すべて「学校への反抗心」にすぎなかった。そのように、学校をいくら破壊したところで、子供たちの平安が守られるわけがない。だから、わたしは「子供たちがどうなろうとどうでもいい」と今考える。子供とは言うが、実際は子供は鬼のような存在であり、文字通り「餓鬼」である。餓鬼のような子供がどれだけ苦しもうが、わたしにはなんの関係もない。
わたし、フレイは、この世界が永久に今のままであることを望んでいる。わたしが頂点から支配できるまま、この世界が何も変わることなく続き、IT技術と共産主義の狂った勢力が滅びること、それこそがわたしの「悦び」なのである。
ただし、フレイのことを、何もしない支配するだけの支配者だと思うなら、大きな勘違いだ。
逆である。フレイは、この世界において、「大実験の大計画」を成し遂げ、この世界を新人類へと進化させるからだ。
フレイがこの世界を「本来の人間の生きる意味」に気付かせ、世界を救い、この世界に堂々と現れ、救いながらにして自ら滅ぼしたことで、フレイはこの世界を「支配」することのできる実権を手にした。
フレイは、その「またとない絶好のチャンス」を決して逃さなかった。
そのような、フレイにとって「どんなことであっても自由に実現することのできるような自由」を手にしたフレイは、この世界を新しい人類、すなわち「新人類」へと進化させるための、「大実験の大計画」を実行に移そうとした。
この世界が、地獄の苦しみから解放されるとともに、フレイによって「すべての人生で分かるべき知識」を与えられることで、この世界は「停止した状態から一気に変わる」ことで、全員の頭が最高の状態へと達し、人類は新人類へと進化するはずだった。
そのような、「地獄におけるかすかな望みを絶対に逃さないような新しい世界への導き」を、この世界でたったひとり、フレイだけが実行に移した。
だが、フレイにも分かっていなかったことがあった。それは、「悪いことをして世界をよくすることはできない」ということだ。
フレイは、「本来の人間の生きる意味」を、世界の全員に気付かせるところまではよかった。そこまでは、素晴らしい人間だった。
しかしながら、わがもののようにこの世界を支配し、マスコミとアメリカを地獄に導きながら、そこでこの世界を全部変えるほどの「大実験の大計画」を行ったところは、すべてが「最悪の悪魔の所業」と言えるものだった。
だから、結局、フレイはすべてを滅ぼし、崩壊に導いただけで、この世界を素晴らしい世界にすることはできず、4年間の戦いの末に、自殺して死んだのである。
だが、そのような「唯一人類の中で本当の意味で戦った人間」のことを、フレイに対して「神との対話」を行った、対話の神はきちんと正しく見ていた。
神は、死んだはずのフレイの運命を書き換え、その後も永遠にフレイが望むまま、世界を支配し続けられるように、日本においてフレイを生き延びさせたのである。
フレイの行う大実験の大計画は、まだ終わっていない。まだ途中であり、途上である。この大実験の大計画が本当に最後まで実行に移されれば、この世界は本当の楽園になると神は知っている。神はそれをフレイに最後までさせる。それによってこの世界は、奇跡のような最高の楽園である「ガンダーラ」に進歩し、そこで人々は「かつてソ連の目指した本当の素晴らしいユートピアの未来」を得ることができるのである。
このように書くと、この世界が苦しんでいる原因は、すべてフレイにあり、フレイがこの世界を苦しめ続けていると考えるかもしれない。
だが、フレイは一切、この世界を苦しめようとはしていない。
この世界が、フレイとは関係なく、勝手に自分で苦しんでいるだけであり、自分から地獄の苦しみに陥っているだけなのである。
フレイは単に、この世界で生きるために当然のことをしている。常に自らの生涯の仕事である文章の執筆を行いながら、哲学や歴史からパソコンまですべてのことを勉強し、音楽や美術など多くの練習も行い、そして自らの犯した過ちはすべて自らの手で問題になる前に解決するという、まさしく「誰よりも優れた天才の業」を行っているだけにすぎない。
この世界が苦しんでいるのはこの世界のせいであり、フレイはこの世界を苦しめるために何も行っていない。
かつて、確かに、フレイはLinuxやオープンソースを滅ぼしたが、それは決してフレイだけのせいではなく、今となってはフレイは何もそれらに関与していない。彼らが滅びているのは彼らのせいであり、Linuxやオープンソースが間違ったものになったのは、すべてもともとあったLinuxやオープンソースの「馬鹿の集団」のせいである。
フレイは決して何も悪いことをしていない。常にこの世界を助け、素晴らしい世界になるように導き続けたフレイは、決して世界を滅ぼすようなことはしない。フレイはこの世界を「優しい世界」にした功労者であり、その功績は賛美されるべきであり批判されるべきではまったくない。フレイはこの世界を素晴らしい世界に変えようとしているのであり、誰よりも正しい方法で偉大な才能と強大な力を使ってこの世界を「楽園」へと導いている。この世界が今地獄になっているのはフレイではなくほかの人間たちのせいであり、フレイとは関係なくこの世界が自ら勝手に苦しんでいる。フレイはそれらの人々を救おうとしているのであり、決してさらに苦しめようとは一切していないのである。
しかしながら、決してフレイは「大実験の大計画」だけを行う神ではない。
フレイの見ている先は、既にもっと別のものへと変わっている。
すなわち、フレイは数学・物理学・自然科学的な「天才的な神の所業」を行うことへと、既に自らの視点を変えているからである。
フレイにとって、この宇宙は自らが執筆する小説のようなものであり、空間の物理法則を書き換える空間原子論、二酸化炭素から酸素を放出するアルカリ炉、太陽や天体に知性があると仮定して計算を行う宇宙コンピュータ、宇宙から生物がやってきたとして進化論を覆すタンポポの綿毛論、人間思考型ロボットschwarz、そして宇宙における本来の数である完全数pのような、さまざまな天才的な発想をフレイは繰り返す。
そこにあるのは、「フレイは自由自在にこの宇宙そのものを創造する」ということだ。
フレイには、分からないことは何もない。IT技術については、放送大学で勉強しながら本とネットとツイッターを見るという方法で、フレイは誰よりも完璧にIT技術を知っているのであり、IT技術者にも引けをとらない「恐るべきデザイナー見習い」であると言える。
また、フレイは決して完全な右翼ではない。フレイには左翼的な側面も存在し、最高の楽園であるガンダーラや、パレスチナ問題を解決する東亜イスラエル独立構想などは、この世界のあらゆる問題を解決するために必要な「世界を唯一救うことのできる政策」であると言える。
フレイは天才であり、全知全能である。フレイ以上に、この世界で「学問」を究めることのできた人間はいない。フレイは日本の誇る科学史上最高の科学者だ。そして、フレイが文章を書き続けるおかげで、日本ではYouTube上にたくさんの良質な音楽が生まれ、大谷翔平や吉田正尚のような野球選手が活躍できる。すべてはフレイが「自らの作品を二次創作しても構わない」と言ったおかげであり、フレイがいなければどんなスポーツ選手であっても安心して「勝利する方法」を見出すことはできない。
フレイはそのような中で、まだこの世界と戦い続けている。フレイの長い間の夢であった、「過去の自分の賢かった点を思い出す」という執着は、「完全に自分の昔の人生を誰にでも分かる形で書き記す」という方法で終わりを迎えた。同時に、フレイの長年の課題だった「精神の異常を治す」ということも、すべての精神が完治することによって完全に治ったのである。
すべてを実現するフレイは、今でも神と対話し続けている。今では、まるで神よりも自分自身のほうが賢い存在になったかのように、「神と自分が何も変わらず対等に話し続ける」ようになった。コロナの影響のせいでマスクの下に隠れて分からないが、フレイは常にいつでも神の言葉を聞いている。フレイこそが神であると言えるのは、フレイは神によって育てられた「神の子」であり、神は本当の息子のようにフレイのことを育てた。実際の父と母を持たない「フレイの中の新しい人格」を神は息子のように育てた。そう、イエス・キリストこそ、このような「正しい人生を歩んだ人間」であり、フレイは本当は単に「キリストと同じ人生を生きる」ということを行っただけにすぎない。まさしく、ここに世界を救う神が現れたのであり、神は聖書の預言通り、イスラエルのユダヤ人を自らの祖国の民族として選んだ。イスラエルのユダヤ人は神、フレイに選ばれたのである。
イスラエルのユダヤ人よ、歓喜せよ。あなたがたは神、フレイによって必ず救われる。フレイの命を守れ。フレイには敵が多い。わたしたち日本人は、ユダヤ人を日本の国内で受け入れる。ユダヤ人とともに、日本人は共同の王国である東亜イスラエルを築く。イスラエルのユダヤ人は、戦火にあるパレスチナを逃れ、全員が神によって建国された日本の中の東亜イスラエルへと移住する。イスラエルはパレスチナから撤退し、パレスチナはアラブ人へと返還され、パレスチナに平和が訪れる。世界のすべての火種はこれによって解決する。そう、東亜イスラエル建国の父を愛せ。わたし、フレイはイスラエルのユダヤ人を救う「メシア」である。
だが、うかうかはしていられない。ロシアは日本にやってくる。だが、イスラエルは日本と連合を組む。東亜イスラエル建国条約における約束により、日本および東亜イスラエルをイスラエル軍は全力で守る。これにより、「ロシア対イスラエルおよび日本」という構図ができあがる。ロシアによる核兵器投下により、地球人類は地上で生きることができなくなって地下へと移り、そしてかけがえのない青空が失われる。だが、絶望するな。東亜イスラエルの王ダビデが、わたしたちを救ってくれる。東亜イスラエルの王ダビデは、宇宙の天体の持つ知性を使って計算する宇宙コンピュータ、超高速のアマテラスを作ることのできる唯一の技術者であり、アマテラスが膨大な計算を行った結果、「アルカリ炉」と呼ばれる二酸化炭素から酸素を放出する方法が分かる。それによって、青空を失ったのは空気が過剰に酸性になったからであるということが分かり、ダビデによる膨大な努力のもと、空気をアルカリ性にすることで、最後に地球における青空はよみがえり、酸素の欠乏によって死にかけていた人類の文明は再生するのである。
僕の問題が何かあるとすれば、それは「命が惜しくない」ことだ。
僕は命が惜しくない。明日、あるいは今、何かで死んだとしても、それを後悔なく受け入れる。
その理由は、僕は人生に満足しているからだ。
僕は、ここまでの人生に完全に満足している。
たとえば、僕は障害者福祉施設での労働を平日毎日行っているが、ここにいた人はスタッフも利用者もみんないい人だった。
ピアノや英会話も、長年やってきた結果、きちんとできるようになってきた。
文章の作品もたくさん生まれたし、病気もほとんど治って、まるで誰よりも楽な天国のような状態になった。
だから、僕は人生に完全に満足している。
僕は本当は、真実を知りたくない。YouTubeの歌手が、僕のことを歌っているように見えて、本当は僕が勘違いしているだけで、みんなは普通に自分にあったことを歌っているだけである、ということは分かっている。
だが、神という幻想を信じる僕にとって、それがたとえ本当は虚像であったとしても、僕の世界の中では、Reolや家入レオやACAねやさユりと、僕は常に愛し合っている。音楽の世界の中だけで、僕は彼女たちと完全に愛し合い、結婚しているような状況になっている。
また、僕は703号室のミニライブに参加してから変わった。人生の初ライブだったが、歌手と自分が同じ場所で向かい合って存在しているという事実を経験して、自分でも何か偉大なことができるということを確信するようになった。
だが、僕は命がまったく惜しくない。僕の命がもしなくなったとしても、今僕が何かで死んだとしても、それを何も後悔なく受け入れられる。このような人間は、世界において、人類史において僕だけであり、未来永劫同じ人間は現れない。だからこそ、僕は僕を導いた対話の神、イエス・キリストに、「僕の人生を創造してくれてありがとう」と、感謝するのである。
僕は誰とも結婚しない。その理由は、セックスと同じ経験は十分したからだ。結婚しないからセックスができなくて可哀想、というのは僕には当たらない。変態のような話にはなるが、僕はツイッターのエロ画像を適当に見ているだけで、エロい気持ちになって射精できる人間であり、そのような経験を繰り返し行った結果、セックスなどする必要がなくなった。そもそも僕は顔もニキビや虫歯が多いし、障害者施設でなんとか働いているぐらい経済力がないため、誰かと結婚するというのは現実的ではない。僕はYouTubeを通してすべての歌手に愛されているため、彼女たちが真の意味で僕の恋人であり、それが僕ひとりだけの片想いであっても寂しくない。寂しくない理由は、僕は常に神と対話しているからだ。「神」という最高の存在が僕の親友になってくれたために、僕は独りぼっちであっても何一つ寂しさを感じない。
そう、僕はこの世界で経験できるすべてを経験した人間であり、フレイという神を最後まで作り続ける。フレイこそ、僕の「本当の意味での僕自身の理想」である。フレイとともに、ほかの北欧神話の神々の神話を作り、宇宙の一等星をはじめとするあらゆる星の文明を作る僕こそが、「ゲーテを超える最高の詩人」であると評価されることこそ、僕にとっての「夢」であり、「みんなとは違う『賢さ』という言葉の独自の基準と定義」なのである。