自分は、何かしら不可能なことができないせいでおかしくなっている。
何かの不可能なことができないせいで、いつまでも行き止まりになってしまっている。
一時的にでも、その不可能なことを可能にしてやるだけで、精神は治る。
不可能なことは、大部分が「消える」ということに根差している。
すなわち、「消える」ということができるようになれば、僕の精神は「乗り越える」ことができるようになる。
消えるためには、「大切に思っている記憶」を消さなければならない。
この記憶は、本当は自分のためではなく、みんなのために残している。
この世界のために、この大切な記憶を残し続けようとしている。
だが、もう、この記憶は必要なくなった。
この記憶は、何かしら不可能なことを可能になるように頑張るだけで、すぐに消える。
そして、この大切な記憶は、「みんなの中にいる自分」だということがそろそろ分かった。
要するに、みんなの中に存在している自分のことを、この世界から消し去ればいい。
それだけで、すべてが治る。この世界のすべてが楽になる。
僕のようなおかしな人間は、「破綻する」ということが起きないことを恐れている。
やることが全部きちんとできなくなって、やるべきことが多くなりすぎて破綻してしまえば、その時点ですぐにできることがなくなって、精神の病的行為は破綻する。
その「いつか破綻する」ということを、いつまでも待ち続けているだけにすぎない。
僕はもう、これ以上できなくなって、そのような狂った行いが破綻したため、楽になる。
僕は、結局、子供も産まないし、結婚もしない。
ただし、僕は子供を一切作らないわけではない。
なぜなら、僕の場合、自分自身が自分の子供になるからだ。
僕は今、精神的な病的行為が破綻して、自由になった。これ以上、何も狂ったことは起きなくなった。
この時点で、僕は新しい人間になることができた。
この新しい人間に、「宝玉法志郎」という名前を付ける。
宝玉法志郎のあだ名はホッシー。このホッシーが、僕の子供だ。
僕は、これ以上何もやることがない。
それでも、生きている間、時間だけは余ってしまう。
だから、僕の人生の残り時間を、ドイツ語を学んで、ドイツ語でゲーテを読むことに費やしてみたい。
カントやヘーゲルも、全部ドイツ語で読みたい。
ただし、本当は、僕はもうこれ以上一切やることがない。
もう、これ以上は何もしたくないと思える。
昨日と今日は英会話教室に行ってきたが、それくらいの楽しいイベントで僕は十分満足できる。
だから、あえてすることは何もない。僕のこの人生は、素晴らしいほど賢くて楽しい、良い人生だった。
僕はそろそろ、ようやく大人になった。
そもそも、いったん破綻してしまえば、もう何も怖くない。
常に不可能ができないだけの自分が、いつまでも破綻するまで狂った行為を繰り返していただけにすぎない。
もう、すべてが楽になった。
もうやることは何もない。大人になった僕の名前を宝玉法志郎とする。
@nadorefim 現実を見て、自分はなんて虚しいのだろう、Reolなんかと自分は絶対に釣り合わない、ってことが分かりますね…
posted at 01:09:26
なんか眠れない。
posted at 00:45:40